西井開のレビュー一覧
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こんなことある?石田夏穂『わたしを庇わないで』の次に開いたのは西井開『転落男性論』。『わたしを庇わないで』の最初の短篇小説『世紀の善人』に登場する「サンゾウ」たちを分析する論文なのでありました。副題に「孤立、暴力、ホモソーシャル」とありますが、なぜ「サンゾウ」は「サンゾウ」なのかを臨床心理士として臨床社会学というフレームで男性研究してきた成果から紐解いていきます。『わたしを庇わないで』の感想で、主人公たちがカウンセリングをうけるとしたら、という妄想を抱きましたが、逆にハラスメントしてくる側のカウンセリングで、びっくり!今月は何も考えずに手当たり次第読んでいるのですがこういうセレンディピティ読書になるのがたまりません。…という本と本の繋がりは置いておいて、この転落男性論、ものすごい説得力を感じました。〈男性性の危機〉を従来の〈達成モデル〉による説明から「転落の恐怖」という視点にシフトしたことは非常に大きい意味を持つと思います。それはマクロの議論のダイナミックさがバックラッシュを産む(最近の皇室典範の改正に対する議論にもそういうものを感じます)のに対してメゾレベルでの理解がひとりひとりの対応とか処方とかに繋がる可能性があるからです。ところでラグビーやサッカーなどの男性チームのエスノグラフィから「水平的な共同性を有するチームに所属する男性選手たちは(途中省略)女性的とされているふるまいや趣味を受け入れる、暴力やいじめを避ける」という記述がありますが、現在、進行中の夏の甲子園でのベンチ入りする女子マネージャーへの受け入れ方もそういうことなのかなぁ、と思いました。この本、適当に選んだだけですが、いや、読んで本当によかった。
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婚活などをやるようになって、頻繁に聞くようになった言葉です。
やはり意識が変わると入ってくる言葉なども変わりますね。
内容は男性が非モテになる要因を語っています。
この本は決して誰かのせいしてないような書き方でまとめてるのがよかった。
さらに男性が非モテになってしまう悪循環も描かれていて、非常に興味深いです
モテない事がそんな大事なのかとおもうかもしれないないが、海外ではモテないことによる事件なども起きてる。日本では秋葉原殺傷事件もそうです。
自己責任の風潮が強い世の中ですが、少しでもこうゆうこと理解する努力が必要でないかと思います。
(もちろんモテるために努力することも必要です)
非モテ男性に対する理解が結局は女性の理解にもつながる部分もあるかと思います。
考えずに自己責任という言葉のせいにせず、男女、年代問わず、双方が歩み寄れるように理解しなくてはと思います。
ぜひ、婚活やっている方や恋愛アドバイザーやってる方などは読んでほしいです。
きっと考え変わると思います。 -
Posted by ブクログ
私は決して非モテではなく、モテてきたし
いわゆる中心的人物だった。
のであるが、ドーナツのように虚像に向けて
男が競争、比較する社会構造や
非モテを作り出す社会構造についても学べた。
共感する部分として、
先回りの恩、とかわかるな
そこから自己否定や女神化はわからなかったが。
わからなかったというか、そこまでは行かなかった
純粋に女性とのつながりが多く、
女性関係に困ったことはあまりないから。
問題の外在化、は自分が普段していることだった。
でもそれが言語化されていると面白い。
モテや女性を求める、というのは
単に性欲とか生物的なものではなくとても社会的な
構造によるものってよくわかるね。 -
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SNSで見かけたことをきっかけに。最近、男性の生きづらさを感じる機会が多かったこともあり、興味深く読みました。
非モテ研での語りをもとにして、男性が「非モテ」に至るプロセスが説明されています。矛盾なく納得できました。
私は女性ですが、これまで男性が虚勢を張っている姿をみて(強く見せたり、大げさに言ったり等)、男性の“悲哀”を大いに感じてきました。一方、女性にはそういうタイプの人は少ないように感じています。その“悲哀”の正体が少し分かったような気がしました。
そして、今まで意識していませんでしたが、私自身にもそのような側面があることに気付きました。
ざっくりまとめると「ジェンダーの問題は、社会的につくられてきた『男性像・女性像』に起因している」といったところかと。
性別とわず、生きづらさを感じずに生きていける社会がいいですね。
疑問点は、コミュニティの中心人物と周縁化されてしまう人物のあいだにはどのような差があるのか。どうすれば周縁化されないのか。
また、どうすれば「非モテ」から脱却できるのかといった対応策をより充実させていけたらよいと思います。 -
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フェミニズムに関する本を読んだので、今回は男性の生きづらさに関する本を手に取った。「男性学」はわかったようでわからず、定義もひとつに確定できない。ただ、女性と比較したり、女性をないがしろにしたりするものではなく、男性の生きづらさや痛みにも目を向けるものだと学んだ。女性のSNSの投稿に攻撃する、または男性の辛さについて語気を強めて主張するものというイメージがあったので、そうではないとわかっただけでも読んでよかったと思う。
本書を読み、私自身も「男性は単純」などと無意識にジェンダーバイアスをかけていることに気づいた。ひとつだけラベリングし、一人の人間を捉えきれない危ういところが自分にもあると学んだ。
一方で、性別による傾向と個人差、生理的嫌悪感や育った環境など、生きやすさを考えるためには簡単には切り離せない問題もある。本書で挙げられた保育園や男性保育士の現状についてはなるほどと理解できる一方、男性保育士に娘のオムツを替えてもらうことを想像するとなぜかモヤモヤする。この感覚が偏見なのか生理的な感覚なのか、社会的なイメージによるものなのか自分でもわからない。考えれば考えるほど絡まっていく。男性学はひとつも単純ではない。
主語を大きくすると自分の立ち位置がわからなくなるので、私の場合はまず身近な男性の息苦しさに気づき、その解決を試みることを積み重ねていくことでしか、理解を深められないのかもしれない。 -
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私が男性学に興味を持つきっかけとなった『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)の著者である西井さん開さんの新刊『転落男性論-孤立、暴力、ホモソーシャル』である。
男性が男性自身を苦しめ、またそれにより女性や性的マイノリティが人権を侵害される原因として男性による“男らしさへのこだわり”というものがある。「男性の生きづらさは社会的に称揚される『男らしさ』へのこだわり―精神的に自立し、十分に稼ぎ、多くの女性と恋愛をし、結婚をして家族を養っていくこと―に起因する」、これを本書で西井さんは“達成モデル”と称した。
この“達成モデル”について私は納得する部分がありながらも、はたしてそれだけだろうかという疑問をうっすらと抱いていた。
イメージされるマッチョな男としての達成や成功、それらを求めている男性ばかりではないだろうとも思っていたし、女性にも様々な人がいるように男性にも様々な人がいるというのは当然のことだからだ。
本書の画期的なところは男性は“達成したい”ばかりではないということを示したことだ。本書内でも示しているが、近年の調査においても男らしくなりたいとは思っていない男性が存在し、または増加もしている。にもかかわらず、男性たちの自殺率は高止まりしており、過労によってメンタルヘルスの不調にいたる男性は数多い。
この事実は“達成モデル”だけでは男性たちの葛藤、男性たちを縛るものを捉えそこねているのではないか、という考えが本書のスタートである。
序章から第1部、第2部ではおもに男性は“達成”だけではなく、むしろ“転落”を恐れているのではないかという指摘と、その“転落”とはいったいどういうものかが西井さんの開催している「非モテ研究会」のメンバーによる個人の経験による語りでもって説明された。
社会から構築された「普通の男性」というイメージがあり、そこから“転落する”ことが何よりの恐怖や不安を与え、そうならないために、自分を苦しめる。この“転落”も男性個々人の生育や環境によってまるで違うもので、単一的なイメージをするのではなく、あくまでそこに存在する構造や社会を考察していく必要がある。
また“転落”を恐れる男性に「男らしさから降りる」というメッセージは崖まで追い詰められている者に落ちることをすすめるのと同じようなもので、この提言は意味をなさない。なぜなら“転落するか、しないか”のギリギリのところまで追い詰められているからだ。
私はこの一連の指摘と説明がすごく腑に落ちた。いわゆる「普通の男性」から“転落”してしまう。その恐怖はきっと私が想像するよりも何倍も切迫したものだろうし、コミュニティが限定されていればいるほどその恐怖や葛藤は大きいだろうと思う。
「有害な男性性」や「男らしさから降りる」という言説はたしかに必要なものであり、間違いではない。それらに固執するがあまり、女性や性的マイノリティの尊厳を踏みにじる振る舞いは枚挙に暇がない。
しかしながらそうではない、少なくとも、本人や他者がそう認識していない男性までもがここまで苦しそうなのは、性差別や偏見を指摘されたときに恐慌状態に陥り、加害にまで転じてしまうのはなぜか考えていた。
そこに正当性や正常性からの“転落の恐怖”があることは私にとって新しい事実だった。
フェミニズムの本もそれなりに読んできたなかで、やはりこの世を構成する属性のひとつとして男性もこの苦しさから逃れることができなければ、真のフェミニズムを達成するのは難しいと考えるようになった。
そこからフェミニズムと男性学を両輪のものとしていかないと、いつまでも私たちへの侵害はなくならない。
「有害な男性性」や「男らしさから降りる」では排除されていた男性たちにも、"転落の恐怖"は確かに存在する。女として生きていると、男性優位社会やそれを変えようとしない人たちへの憤りがどうしても募る。本書はその憤りをより遠くへ届く力に変えてくれる。その苦しさを視野に入れながらフェミニズムと男性学を両輪として持ち続けること。それが今の私にできる誠実な問いの持ち方だと、本書を読んで改めて思った。 -
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男性集団からの排除、からの、排除された者たちによる女性に対する暴力性。男性中心主義、家父長制がまだまだはびこるこの世界は、ほんの一部の人間だけが得をするようにできている。非モテ研のみなさんは、本当は触れたくない自分自身に真正面から向き合おうとしている。同じ報われない境遇の人たちが集まれば、「傷のなめ合い」になりそうなものだけど、その傷を少し距離をおいて眺め、なんでこの傷ができちゃったんだろう、また傷つかないようにするためにはどうしたらいいんだろうと、皆で考えてみる。問題の外在化という手法が、とてもマッチしている。また最終章の「分析する権力」については、目から鱗。特に人文科学系の?研究者がどこまで深く物事を考えるのかということに驚いた。
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この本は、名著の解説と対話形式を通して、現代の男性学を学ぶ入門書だ。1990年代に注目された男性学が近年再燃するなか、男性が抱える構造的な加害性と、実存的な生きづらさ(疎外・不安)のねじれに焦点を当てている。
批評家、研究者、実践者など4人の著者が、それぞれの視点から男性学の「名著」を紹介・解説し、そのテーマについて深く語り合うことで、「男」のこれからを考えるきっかけを提供してくれる1冊である。男性学といっても分野は様々で、それぞれで活躍する男性が名著を持ち寄っていたが、別のフィールドにいるからこそ、多方面から男性学についての語りが展開されていた。
私が特に興味深かったのは「戦争」に関する内容と、男性に向けられる「キモい」という言葉についてだ。「キモい」ということ自体が孕む差別的な視座があるという指摘である。”ある種の健常者主義(エイブリズム)と新自由主義(ネオリベラリズム)的な自己責任論が絡み合って、コミュニケーションが円滑な人間こそが「キモくない」んだ、そうでない人間は「キモい」んだ、という基準がたぶん強くある。”という指摘には唸った。たしかにそういう面があると感じるからだ。
男性学には距離を取っているリベラルや左派もいるだろうが、こういう指摘を受け、気まずくなることは必要ではないかと思う。男性を一絡げにしたくなる気持ちは多いにわかるが、かといってそれでいいわけがない。私は誰であろうがもっと生きやすくあってほしい。 -
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ネタバレ秋葉原の殺人事件のように、自身に向けたルッキズムや非モテ意識をこじらせた男は怖いと漠然と思っていたけど、それは「ヤバい個人」なのではなくて、社会的背景が根深くあって、それを分析して言語化し認識していくことは、加害の弁護ではなく加害の予防のために大事だなと思った。
本当ははっきりとした実体のない「あるべき男性像」に対して、からかいや緩い排除でもって男性社会の中で周縁化された男性たちは、その社会から完全に締め出されないためにいじられ役を引き受けたり、受け流したりしながら微細な傷を蓄積させていく。そんな中で自分を受け入れてくれそうな女性を女神化し、妄想して驀進して受け入れられずに被害者意識を持ったり、擦り込まれている強引な男性性の理想に則って加害に及んだりして、さらに孤立を深めていく。そうした自分のダークサイドやこじらせた自意識を否定せずに聞いてくれ、相対化してくれる「非モテ研」のあり方はとても文化的というか、ロゴスだなと思う。何にせよ、言葉にすることは客観化して認識する第一歩で、暴力の対極に言葉がある。
妄想して相手を神格化してしまうとか、勝手に先回り奉仕してしまうとか、わかりみ深い…と思いつつ、勝手に女神化された女性たちの災難を思うとイラッともする。ケアの役回りを当然のごとく押し付けられてきた近代の女性観がこんなところにも。災難でしかない。 -
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女性から相手にされず、残念な感じの男性。
酷い場合には孤独を拗らせ暴走することもある。
それが非モテ。
基本的に社会的には蔑まれる存在になってしまっているのだが、そんな彼らは何を感じ、何を考え、何がそのような状況に追い込んだのか?
という事を社会的構造の中から明らかにしようという試み。
全てのモテない男性がそうではないが、本書で扱うのは特に悲惨な状態に陥りやすい状況の人かなと思うものの、各社会的状況や環境が次の事態を引き起こす事が明瞭に説明されているし、構造的に説明できていると思う。
蔑まれる存在は不可視の存在のようになってしまい、本人はなおの事孤独を深めて苦しむだろう。
そんな当事者に第三者の視点と構造的な説明を与えるのは多少の救いにはなるかもしれない。 -
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非モテであることから生まれる苦しみや孤独だけではなく、社会的に押し付けられるジェンダーロールや、その結果生まれる有害な男らしさなど、再考するのにとても役立った。
読んでいて思ったのは、結局モテるという淡い幻想を抱きながら、モテない現実のズレでウンウン悩んでることに原因がありそう。
その苦しみは社会的なジェンダーロールや男らしさという規範によって作られたものでもあるので、男らしさやモテという呪いから降りるという選択が、その人自身の幸せや生き辛さを解消してくれるのではないだろうか。
また男性の場合は世界的に多くを語りたがらない生き物らしく、女性と比べて孤立しやすい。
そのため苦しさの原因が、実は非モテに原因があるのではなくて、孤独や孤立だったりもする。
なので本著で出てくるような非モテ男性同士のコミュニティや、趣味のコミュニティなど、どこかに属しているだけで苦しさから解放されるってこともあるはずだ。
自らの加害性、加害に至る可能性と向き合うことで、他者をより尊重出来る。
モテ、非モテに関わらず、自らを見つめ直せる一冊だった。 -
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大量無差別殺人の犯人たちが自分自身を世の中から捨てられた存在だと認識していることに、社会構造の歪みを感じる人や危機感を持つ人は多いだろう。私もその一人。安倍元総理を殺害した山上容疑者が自分のことを「インセル」だと認識していたという話を聞いて、「インセル」=「非モテ」という概念を知りたくて読んでみた。
第三章の男性集団内の周縁化作用が興味深かった。
たしかに、イジリは、TVでの芸人の世界が一般人にまで蔓延している感じがしてた。それを「男性性をめぐる社会問題」として捉えるものだと作者は言う。
それには、
「できるだけ権力関係や競争性から距離を置いた男性同士の関係性を築き、再評価していくことが、男性たちの周縁化作用と孤立化を防ぎ、ひいては「非モテ」問題に一石を投じることになる」
そして、自分たちの置かれた立場を言語化する力を持つことだと言う。
男性に限らず、抑圧を受けた人々は、自分だけに起こっている現象だと捉えずに、社会問題として外在化すること。そしてそれを言語化することが、自分を救うことになるのだと思う。
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非モテに対してどういうものなのかを当事者目線でまとめる本
当事者たちと話し合ってきちんと考えて分析している感じがある。一方でモテに対しての話がないので境目がわかりにくくなっている。
失敗例はあるけど成功への道筋がなく何もしない存在としてどう生きるかくらいになっている。
同じアプローチで成功している人はたくさんいるのでそことの差分分析が必要ではないか
非モテ①女性からチヤホヤされない、Hできない②好きな人から恋人として愛されない③モテないこといついて悩み続ける
集団的関係、個人的関係、ラベリング、自己意識
自己ラベリング、男性集団でのいじり、男らしさ
非モテゆえの一発逆転、女神化、ポジティブ妄想
共有体験、