前田啓介のレビュー一覧
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読み進めるほどに胸が苦しい。なんとも言えない悲しみとも怒りとも取れる様な複雑な心境の元、目の周りには熱く込み上げてくるものがある。涙は出なくても鼻が詰まった様に息苦しくなり、気付くと息を止めながら読んでいる自分がいたりする。この感覚を言葉や文字にするのは難しく、雨は降っていないが遠くで雷が鳴っており、薄暗い曇天の下、公園の桜が風に揺れながら花びらを地面に撒き散らす、そんな風景が脳裏を横切っていく様でもある。
戦中派。かつての日本が経験したアジア太平洋戦とそれに続く日中戦争の時代、太平洋戦争開戦の1941年から終戦の1945年までをまさに兵士の主力として生きた世代。これを年号に直せば1920年から1923年生まれの世代が最も死者数の多い世代にあたる。戦争期に丁度18歳から22歳前後であり、彼らの多くは戦場で死んでいった。その中には著名な作家やスポーツ選手なども勿論含まれていたであろうが、大半は前途有望な普通の若者たちである。普通というが、戦争末期にかけては当時ではまだまだ少なかった大学在学中の優秀な人材までもが、一斉に繰り上げ卒業となり、招集免除であった理科系までもが関係なく招集の対象となる。彼らは生きていれば必然的に将来の日本を牽引する役割を担ったはずである。その若い蕾までも刈り取らなければならない戦況。
そしてその中でも生き延び戦後の時代を築いた者たちにも安らぎを与えることはなかった。心身ともに深く傷つき永久に癒えない傷を負った生き残り。何故あいつが死んで自分が生かされたのか。10センチ隣で銃を構える友人が狙撃により即死し、自分には当たらなかった弾。運と不運という言葉だけでは到底片付けられない極限の世界がそこにはあった。生きた者もサバイバーズ•ギルトを背負わざるを得ない中で、多くの文化人が生まれる。私が読んだ中でも、吉田満、水木しげる、司馬遼太郎、山口瞳、安岡章太郎、遠藤周作、阿川弘之、三島由紀夫、山本七平、吉村昭、城山三郎などがその戦争の悲惨さや、それに対する想いを戦後に述べ、そして当時を批判したりもしている。いずれも、時代がどうにもならなかった事や、確実に目の前に迫る死を予感し逃れられない状況を生きた人々だ。彼らの作品からは魂に訴えかける言葉の重みを感じる。また、財界人としてもダイエーを設立する中内功を始めとして、日本の戦後を支える多くの起業家が出てくる。戦争により友人や家族をむざむざと奪われ失意の中から立ち上がってきた人々。そうした最も死に近く死と生の瀬戸際に立たされた戦中派を中心に戦後の復興と世界の頂点に向かう日本が作られていく。彼らを突き動かしたものは戦争であったことに間違いない。
現代に生きる我々の大半は「戦争を知らない子どもたち」から育ってきた。戦中派と同じ気持ちになって努力しろと言われてもそれは無理な話だ。だが本書を開き本書に登場する多くの死を覚悟した人々の生き様に触れることは出来る。日々の仕事に追われ辛い責任を背負わされたり、苦しい生活に晒され、時に死を考えたくなる事もあるかもしれない。だがそうした時に、同じぐらい若しくは遥かに辛い局面に立たされて、生きたくても生きることすら許されなかった若い命があった事。そしてそれを生涯心に刻み生を繋いできた人々がいた事を我々は忘れてはならない。まだ出来る、まだやれる、そして今日も生きたと言える様な、悔いの無い人生を生きたいと思わせる一冊だ。 -
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1926年生まれ。生きていれば今年100歳。読みながら浮かぶのは父のことでした。著者が定義する戦中派は1917年生まれから1927年生まれ。読む前はまったく意識していませんでしたがページをめくりながらすっかり個人的な感慨に引きずり込まれていきました。我が家の「戦中派」は、この本に登場するような人々のように文字で自分の気持ちを表明したり残したりする人ではありませんでした。家庭の中で戦争についての思い出をまったく語りませんでした。言葉数が多く考えていることがわかりやすい母との対比で無口で心の中が見えない父のことは苦手意識があり積極的に彼の戦争時代、いや青春時代の話をこちらから聞くこともありませんでした。この新書を読み終わった後で電話で母親に「お父さんは1945年前後に、どこで何をしていたか知っているか?」を問うたのですが「ぎりぎりで軍隊には入ったと言っていたような気がする…」という答え。自分もそういうこと知っていたような気になりましたが、年齢的に彼の大学時代にあたるし理系の専攻だったので徴兵免除されなかったのかな?とモヤモヤしましたが、不鮮明なまま放置していました。ところが近々たまたま義弟を話す機会があり、この話題に触れたら、彼は父から敗戦当時どこで何をしていたか、と聞いていたというのです。妻や息子には語らなくても(いや語っていたのかもしれませんがこちらは受け取ってなかったのかもしれませが…)娘の伴侶には話していたことに心乱れました。しかし父親が自分がつくった家族を不器用なりに愛していたことは知っています。それが彼なりの戦争体験を経ての、本書がいうところの「小さな世界」への拘泥であったのではないか、と今、思い始めています。決して、それを確認することはできないけれど。本書に登場する古山高麗雄や安岡章太郎、庄野潤三の小説、開いてみようかな。
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【時代背景が違えばこうも違う?】
世の中の酸いも甘いも、大人たちの裏表も汚れも知らず、したがってそれに対処するしたたかさも処世術も身に付けていない。無色透明に近いゆえに周囲に染まりやすい。そんな年ごろにあった彼らが対峙を迫られたのは、概念としての戦争ではなく、目に見える現実としての徴兵、学徒出陣、特攻、そして「死」であった。
僕が彼らと同年代であったころ、僕は一体どんなことを考え、何をしていただろう。母に対する憎悪はあったものの、何の疑問も心配も抱かず思う存分に勉学に打ち込むことができた高校時代。進学を機に親元を離れてからは、夜更かし、テニス、ゲームにバイト、合コン。授業?何のため?単位のために効率よく、でしょ。
合格を目標として、正解のある問題を解くための勉強しかしてこなかった僕に、大学の授業に意義を見出せるはずがなかった。知識欲もなく勉強できることのありがたさなど考えたこともなかった。かと言って将来の夢や目標があるわけでもない。仕送りに頼り、ただただ恩知らずで自堕落な生活を送る未熟者であった。時代背景が違うとはいえ、世界は自分中心に回っていると言わんばかりの傍若無人ぶり。恥ずかしくて目を覆いたくなる。
【命を捧げる大義とは?】
さて、そんな僕の中に自分の命や生に対する意義や考え、思いのようなものが微塵でもあっただろうか。間違いなく否だ。ましてや「死」だなんて、一体どこの世界の話ですか?って具合だろう。
ところが戦中派はその多感な時代に「いかに死ぬか」、そしてそれを前提として「いかに生きるか」という難題を国家から突き付けられている。若者にとっての命とは、輝かしいはずの未来、卒業後のすべての可能性だ。それを捧げるに値する意義とは一体何か。これを見出さない限り自らを納得させることはできない。例えば大事な親兄弟の命や幸せが保証される、というのであればそこに意義はある。一方で、自分にとって唯一無二の生命の提供が何にも影響を与えない、または代替可能品や消耗品として扱われる、あるいは「犬死に」とされる。そんなことは決して許容できない、耐えられない。
そうやって「死」という所与の結論ありきで強引に理屈を組み立てて自らを納得させる。その痛々しい苦悩を想うと胸が苦しくなる。
【生き残ったことへの罪悪感と大人たちの裏切り】
運命のいたずらで生き残ってしまった人たちは、その後どんな人生を歩んだか。生死を分ける刃の上に立ち、あちら側に転んだのがなぜ自分ではなくあいつだったのか。なぜ自分だけこちら側に残ってしまったのか。理屈では説明がつかない。「偶然」あるいは「運」というよりほかない。
また、お手本として敬ってきた大人たちは戦後、手の平を返す。これまでの「お国のために」はどこへやら。軍や兵隊、特攻批判。これまで軍神とあがめられた殉国者は一転して軍国主義者、犬死に扱い。彼らは一体何のために自らの命をなげうったのか。
「僕は何を思えばいいんだろう、僕は何て言えばいいんだろう…」(THE YELLOW MONKEY 『JAM』より)
【どう生きるか問題、前提の違い】
そんな冷淡な戦後社会で、さらに友の死を十字架として自ら背負って生きた戦中派の人生を想うと、僕の人生はこれでいいのか。少なくともこれまでの所業を振り返ると僕は彼らに堂々と顔向けできない。「生きていること」が空気のように当たり前すぎて「生」の意義に真剣に向き合うことがない。考えたとしてもそれは今後も続くであろう「生」が前提であり、目の前に突き付けられた「死」を前提として向き合う「生」には何となく密度と圧迫感があり、深さ、真実味という面で圧倒的に違うものとなるのは必然だ。 -
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ネタバレ前半少しだるかったが、後半、そこで得た時代背景や状況をベースに、喜八の心情や作品の解釈へと迫っていく筆致に感動を覚える。
自分が何故、喜八に惹かれるのか、自分が何を大切にしたいと考えているのかを明らかにしてくれる。
様々、この本を読んで、喜八の姿勢を身に着けたいこと、考えること・探究したいことが出てくる。
【喜八から学びたいこと】
・「喜劇っていうのは、だから、本当に痛烈だなって思う。見ているときは、可笑しくて仕方ないんだけれど、おかしゅうて、やがて悲しい・・・、とそういうものを、どうしてもやりたい」
・人の心の中にあるものを、手艇的に大事にしてくださる方でした。それは相手が二十歳そこそこの青二才であっても、人のこころを絶対に否定しようとはならなかった。
・監督さんは、その場にいる立場の一番弱い人のことをずっと気にかけていらっしゃいます。常に一番弱い人の味方をされましたので。
・五木寛之の喜八論(p340):岡本さん、温かいところがあるからね。人間に対して絶望的な、皮肉な眼をもてない。
・妻みね子さんの評:彼の喜劇は、人を笑わせようとしているのではなく、一生懸命やっていることがおかしいってこと。(中略)彼は根本で、人間の苦しい時の素直な姿や、人を温かく見ていたから。人間の一生懸命やっている姿は立派なものではない。戦争がそうでしょ。
そのほかにも、同じ戦争を経験している人達の間にも、ジェネレーションギャップが、より深刻なギャップがあったことを知れたことも、大きな収穫であった。今の若手と我々のギャップなどという気持ちと、世代間のギャップがあることは当たり前という観点を得る。
筆者が、戦中派の祖父の思い出や思慕を元に、戦中派への関心を持ち、そして、祖父の語らなかった心情を喜八作品を通じて感じていると述べている。私も祖父がシベリア抑留を経験した戦中派の人だったので、まさに同じ慕情と喜八作品への愛着、喜八の眼差しに惹かれているのかも知れない。そして、この著者への大きな共感を覚える。
良質なノンフィクション。
社会学でのフィールドワークを元にした、エスノグラフィとルポタージュとの関係などを学んだ上で、こうしたノンフィクションのアプローチも学びたい。 -
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優秀な昭和の参謀は戦後の日本社会をつくったという側面もある 敗戦の元凶になったと考えられる陸軍の参謀もいるが、彼らは戦後日本の復興の大きな力になったということがわかった。
石原莞爾、服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三、池田純久、堀栄三、八原博通という7人の陸軍参謀の生い立ちと功罪が紹介されている。
参謀養成では議論が重んじられたが、相手を言い負かす者がもてはやされていたそうだ。また、彼らを使いこなし、対局を判断できる本当に優秀なリーダーが不在だったのではないだろうか。だから関東軍のように命令に従わない組織が罷り通っていたのだろう。辻政信などは最低だと思う。
戦争には負けたが、戦後日本の復興、特に企業戦士として参謀たちは活躍した。彼らが現在の日本の礎を築いたといっても過言ではないと思う。
服部卓四郎、瀬島龍三には興味が湧いた。伝記を読みたい。 -
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まさに、「戦中派」についての本である。
この本が興味深いものになったのは、岡本喜八の学生時代の日記が発見され、著者がそれを読むことができたことが大きいようだ。例えば、この日記により、ある映画を山田風太郎が同日同劇場で観ていたことが判明する。
この日記何とか書籍化されないものですかね。
個人的な事ですが、私の父は岡本喜八より一月前の生まれ、即ち同学年の同級生よりも一年遅れで徴兵検査だった。このため、海外の戦地に行かされることなく、千葉県で本土決戦要員として訓練中に終戦になったという経験だった。これにより、私もこの世に存在することができたという事らしい。 -
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とにかく見方によって評価が変わる人物、というのが感想。どんな人間も見方によって変わるとは思うが、辻政信に関してはその振れ幅が大きかったのだろう。陸軍での上官の評価のエピソードが出てきたが、評価が極端に違うところが印象的だった。
独断専行が目立つ無謀な軍人のイメージがかなりあったが、膨大な量の試験の採点・添削をこなした話などをみると、なんでも1人で全部やらないと満足できないタイプだったのかと思う。そして、それが極端で度を越していたのだろう。
こういうタイプは会社組織などにも普通にいると思うが、そういった人物をどう制御し活用するか、といったところを学んでいくべきなのだろう。結局、軍隊も、政党や国会も彼を押さえつけることはできなかった。 -
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今さらにもうやめよう、なんて言える空気ではなかった。誰かが始め、皆が従い、気づけば引き返すこと自体が臆病とされた。昭和の戦争には、そんな息苦しい「空気」があった。
その中枢に参謀たちはいた。地図を広げ、兵力を計算し、作戦を練る。本来なら指揮官を補佐し、冷静に現実を見る者である。だが優秀な頭脳も、時代の空気の外には容易に出られない。
怖いのは、誰も間違いに気づかなかったことではない。気づいていても、「やめよう」と言えなくなることである。
昭和の参謀が残したもの。それは作戦の成否だけではない。空気に逆らってでも、立ち止まれるか。その問いは、いまの私たちの組織にも生きている。