あらすじ
アイツが死んで、オレが生きた。誰にでもアイツがいた――。
戦没者が最も多かった1920~1923年生まれの若者たち。
青春を戦争に翻弄され、戦場で死の淵を覗いた彼らは、戦後、「なぜ死ぬのか」から「なぜ生きるか」への転換を強いられることとなる。死者という他者を内に抱えながら、高度経済成長の原動力となった数奇の世代の昭和史!
「一番割を食った世代」――安岡章太郎
「いかに生きるか、よりもいかに死ぬべきか、に心を砕いてきた」――中村稔
「私たち戦中派は、死の匂いの中で、死をめざして育った」――山田宗睦
「死者の身代りの世代」――吉田満
吉田満、古山高麗雄、山田風太郎、水木しげる、司馬遼太郎、山口瞳、安岡章太郎、遠藤周作、阿川弘之、三島由紀夫、山本七平、志垣民郎、杉本苑子、吉村昭、城山三郎、中村稔、吉本隆明、鶴田浩二、池部良、田村隆一、鮎川信夫、橋川文三、鶴見俊輔、矢内原伊作、中内功、塚本幸一、岡本喜八、安田武、渡辺清、千玄室、岡野弘彦、平井啓之、島尾敏雄、庄野潤三、向坊壽、辻邦生、北杜夫、山田宗睦……、彼ら戦中派が見た戦争、そして戦後とは?
【本書の内容】
・戦中派とは世代規定であり、自己主張である
・戦中派「コペル君」たちの豊かな生活
・吉田満たちの青春を伝える日記
・「いよいよ戦争がはじまりますかな」――開戦の日、そのとき彼らは
・生死を分けた徴兵猶予の停止
・「ああ、もう生きて帰れへんのや」――千玄室
・学生のズボンについた泥――出陣学徒壮行会
・そして新宿から誰もいなくなった
・あだ名は「お荷物」、医務室では「お得意さん」、戦場に出れば「敗残兵」――古山高麗雄
・中内功が体験した「人間の限界を問う飢餓」
・戦艦大和沈没後、吉田満はなぜ特攻を志願したか
・「日本は決して『自由』も『平和』も獲得していない」――山田風太郎
・遠藤周作が感じた1964年東京五輪後の「空虚感の苦しさ」とは
・古山高麗雄、安岡章太郎、安田武らの忘れがたい友人
・学徒兵のやり直しだった三島事件
・戦中派が作った勤勉システム
・戦中派の「サバイバーズ・ギルト」
・死んでなお続く物語
・「戦友会」という曲
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Posted by ブクログ
1926年生まれ。生きていれば今年100歳。読みながら浮かぶのは父のことでした。著者が定義する戦中派は1917年生まれから1927年生まれ。読む前はまったく意識していませんでしたがページをめくりながらすっかり個人的な感慨に引きずり込まれていきました。我が家の「戦中派」は、この本に登場するような人々のように文字で自分の気持ちを表明したり残したりする人ではありませんでした。家庭の中で戦争についての思い出をまったく語りませんでした。言葉数が多く考えていることがわかりやすい母との対比で無口で心の中が見えない父のことは苦手意識があり積極的に彼の戦争時代、いや青春時代の話をこちらから聞くこともありませんでした。この新書を読み終わった後で電話で母親に「お父さんは1945年前後に、どこで何をしていたか知っているか?」を問うたのですが「ぎりぎりで軍隊には入ったと言っていたような気がする…」という答え。自分もそういうこと知っていたような気になりましたが、年齢的に彼の大学時代にあたるし理系の専攻だったので徴兵免除されなかったのかな?とモヤモヤしましたが、不鮮明なまま放置していました。ところが近々たまたま義弟を話す機会があり、この話題に触れたら、彼は父から敗戦当時どこで何をしていたか、と聞いていたというのです。妻や息子には語らなくても(いや語っていたのかもしれませんがこちらは受け取ってなかったのかもしれませが…)娘の伴侶には話していたことに心乱れました。しかし父親が自分がつくった家族を不器用なりに愛していたことは知っています。それが彼なりの戦争体験を経ての、本書がいうところの「小さな世界」への拘泥であったのではないか、と今、思い始めています。決して、それを確認することはできないけれど。本書に登場する古山高麗雄や安岡章太郎、庄野潤三の小説、開いてみようかな。
Posted by ブクログ
【時代背景が違えばこうも違う?】
世の中の酸いも甘いも、大人たちの裏表も汚れも知らず、したがってそれに対処するしたたかさも処世術も身に付けていない。無色透明に近いゆえに周囲に染まりやすい。そんな年ごろにあった彼らが対峙を迫られたのは、概念としての戦争ではなく、目に見える現実としての徴兵、学徒出陣、特攻、そして「死」であった。
僕が彼らと同年代であったころ、僕は一体どんなことを考え、何をしていただろう。母に対する憎悪はあったものの、何の疑問も心配も抱かず思う存分に勉学に打ち込むことができた高校時代。進学を機に親元を離れてからは、夜更かし、テニス、ゲームにバイト、合コン。授業?何のため?単位のために効率よく、でしょ。
合格を目標として、正解のある問題を解くための勉強しかしてこなかった僕に、大学の授業に意義を見出せるはずがなかった。知識欲もなく勉強できることのありがたさなど考えたこともなかった。かと言って将来の夢や目標があるわけでもない。仕送りに頼り、ただただ恩知らずで自堕落な生活を送る未熟者であった。時代背景が違うとはいえ、世界は自分中心に回っていると言わんばかりの傍若無人ぶり。恥ずかしくて目を覆いたくなる。
【命を捧げる大義とは?】
さて、そんな僕の中に自分の命や生に対する意義や考え、思いのようなものが微塵でもあっただろうか。間違いなく否だ。ましてや「死」だなんて、一体どこの世界の話ですか?って具合だろう。
ところが戦中派はその多感な時代に「いかに死ぬか」、そしてそれを前提として「いかに生きるか」という難題を国家から突き付けられている。若者にとっての命とは、輝かしいはずの未来、卒業後のすべての可能性だ。それを捧げるに値する意義とは一体何か。これを見出さない限り自らを納得させることはできない。例えば大事な親兄弟の命や幸せが保証される、というのであればそこに意義はある。一方で、自分にとって唯一無二の生命の提供が何にも影響を与えない、または代替可能品や消耗品として扱われる、あるいは「犬死に」とされる。そんなことは決して許容できない、耐えられない。
そうやって「死」という所与の結論ありきで強引に理屈を組み立てて自らを納得させる。その痛々しい苦悩を想うと胸が苦しくなる。
【生き残ったことへの罪悪感と大人たちの裏切り】
運命のいたずらで生き残ってしまった人たちは、その後どんな人生を歩んだか。生死を分ける刃の上に立ち、あちら側に転んだのがなぜ自分ではなくあいつだったのか。なぜ自分だけこちら側に残ってしまったのか。理屈では説明がつかない。「偶然」あるいは「運」というよりほかない。
また、お手本として敬ってきた大人たちは戦後、手の平を返す。これまでの「お国のために」はどこへやら。軍や兵隊、特攻批判。これまで軍神とあがめられた殉国者は一転して軍国主義者、犬死に扱い。彼らは一体何のために自らの命をなげうったのか。
「僕は何を思えばいいんだろう、僕は何て言えばいいんだろう…」(THE YELLOW MONKEY 『JAM』より)
【どう生きるか問題、前提の違い】
そんな冷淡な戦後社会で、さらに友の死を十字架として自ら背負って生きた戦中派の人生を想うと、僕の人生はこれでいいのか。少なくともこれまでの所業を振り返ると僕は彼らに堂々と顔向けできない。「生きていること」が空気のように当たり前すぎて「生」の意義に真剣に向き合うことがない。考えたとしてもそれは今後も続くであろう「生」が前提であり、目の前に突き付けられた「死」を前提として向き合う「生」には何となく密度と圧迫感があり、深さ、真実味という面で圧倒的に違うものとなるのは必然だ。