ドナテッラ・ディ・ピエトラントニオのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
13歳の時、育ての親から生みの親の元へ返された主人公わたしは、恵まれた一人娘の暮しから子だくさんの貧困家庭へ。なぜ戻されたのか理由も分からない。
これはつらい話だ…と覚悟して読み始めた。
けれど語られる文体は淡々と静かだ。
新たな暮らしに順応していく日々を描きながら、時々押さえられない感情が溢れだす。
「生みの親と育ての親、二人の生きた母親を持ちながら、わたしは孤児だった」と感じる孤独は身を切るようだろう。語りが静かだからこそ、心が揺さぶられる。
妹のアドリアーナの存在が大きい。装画がわたしとアドリアーナの二人が画かれているところからも分かる。貧困の中で逞しく育った妹の強さも要領の良さも、わたしに対する純粋な愛も救いとなった。
わたしは大人の事情に翻弄され、つらい目に遭いながらも、ひねくれずに自分の足で歩んでいく芯の強さを持っている。
その後どう生きたかを知りたいと思っていたら、続編があるらしい。
日本での出版をお願いします。
イタリアで映画化も決まっているそうだ。 -
Posted by ブクログ
主人公の娘は田舎を嫌がって都会の大学に行ったものの、卒業しないで戻って引きこもる。
主人公の親友は何かあって出て行って、音信不通。
娘に起きた事件と、親友に起きた事件は全く異なっているものの、女性であるが故に引き受けさせられる危険である。
無邪気に過ごしていても、女性であるためレイプや暴力の犠牲になる危険に、本当は常に晒されている。それに気がつき、世界に恐怖を感じて深く傷つく。
被害者でありながら、出かけるきっかけを作った自分を責め、他の被害者が犠牲になる間に逃げた自分を責め、でも主人公が一緒にいなかったことに、親友は安堵していた。村から出て行った気持ちが痛々しい。
娘にはそれほどの事件は起きていないが、娘に向ける主人公の心理は共感できる。「私が手に入れた場所にすら到達できない娘を受け入れられずにいる」「娘を重荷に感じる一方で、彼女がたまらなく愛しい」母が娘に向ける視線であり、コロナ時代の若者に対する、昔の世代の視線である。この視線は秀逸。父、主人公、娘の3世代の関係も、描写がすごくいい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私はイタリアに行ったことはないけれど、頭の中で出来上がったイタリアの田舎の自然は美しかったし、パニーレや、イタリアの車、ナポリの方言など、物語の構成要素によって、イタリアに浸ることが出来た。住居の共有スペースにある中庭で友達とご飯だなんて、本当に素敵!
文章も美しく、心が満たされた。訳者さんも素晴らしいと思う。
“それから数週間というもの、アマンダは寝てばかりだった。昼に眠る娘と夜に眠る私。さながら梟と雲雀だ。おなじ空間で交代に暮らし、ときには衝突もした。
正午近くなると、私は娘を起こさなければという衝動に駆られた。彼女の部屋の前まで行っては、まるで家じゅうの汚れがそこの廊下に集中しているとでもいうかのように、執拗に掃除機をかけた。そんなことをしても無駄だとわかっていたが、フルパワーの掃除機の騒音が、眠っている彼女に、瞼や部屋の外には春の光が、生命があふれていることを思い出させてくれるかもしれないと思ったからだ。“
終わり方も良かったな。
続きが気になって、すぐ読み終わった。
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Posted by ブクログ
母と娘、そして過去の選択にまつわる「後悔」と「受容」を静かに描いた物語。
コロナが広がり、町がロックダウンされる時、ミラノに憧れて故郷を離れた娘アマンダが突然実家に戻り、部屋に閉じこもるところから物語は始まる。主人公は母ルチア。理学療法士として働き、老いた父の世話、趣味のコーラスと、忙しく日常を回しながらも、娘に漂う異変に心をすり減らしていく。夫とは離婚の危機にある。
なぜ娘は大学に戻らないのか。何が起きたのか。でも、ルチアはそれを直接尋ねることができない。
娘とのことは、やがて彼女自身の過去と重なっていく。十代の頃、親友ドラリーチェとの間に起きた出来事。あの日、もし違う選択をしていたら──。封じ込めてきた記憶が、娘の沈黙によって呼び起こされていく。
物語は現在とあの事件の時を往復しながら進む。印象的なのは「問題が完全には解決しない」点。娘との関係も、親友との過去も、明確な答えは与えられない。それでも不思議と、読後には温かい余韻が残りました。
この小説を読んで感じたのは、後悔は「諦め」ではないということ。後悔、それは過去を変えられないと知った後も、なお誰かを大切に思い続けている証なのかもしれない。大切に想っている。だから、人生はやり直せない、でも関係は紡ぎ直せる。 -
Posted by ブクログ
大人の都合に翻弄される「わたし」が、彼女を取りまく特殊な環境の中で、出会った人、出来事、産みの親・育ての親との関係を通じて成長していく話。しかし自分でもびっくりするくらい、読後に残るものがなかった。
思うにそれは作品のせいではなく、このところ本を読む、自分の中に言葉を取り入れるということをさぼっていた自分のせい。本の読み方、受け止め方、言葉の拾い方を忘れてしまったんだろう。ああ、もったいない。やっぱり読書は筋トレと一緒だ。読み続けないと、あっという間に読む力をなくしてしまう。
ところで、我が家の長女は12歳。主人公の「わたし」と同世代。自分と同じくらいの年頃で、だけど自分と全然違う世界を生きる「わたし」のことを、いったいどんな風に感じるだろうか。小学校、中学校と大きくはみ出すもののない世界を生きてきた彼女が「わたし」の生きる世界をどう感じるのか、娘の言葉で聞いてみたい。