小佐野景浩のレビュー一覧
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プロレスファンで集まると必ず出るのが誰が1番強いか?
196センチの長身でバスケットボールオリンピック代表候補に見切りをつけ数ヶ月レスリングを始めてオリンピックに出場なんて考えられない身体能力を持った
ジャンボ鶴田
当時最強の外国人レスラーのハンセン、ブロディー
と体格と共に互角に戦い、天龍との抗争など凄まじい試合をやっていたのだがどうしてもプロレスラーらしい荒くれた態度、ふてぶてしい風貌がなく淡々と試合をこなしている感があり熱いプロレスファンにはどうしても物足りず圧倒的に強いのはわかるが…僕もそんな感じに思っていたが1989年あたりから、三沢、川田、田上、小橋ら若手が伸びてきてその強すぎる鶴田に向かっていく姿を暑く応援し熱狂してました
今回の書籍にあたり色んなレスラーからインタビューをもらってますがみんなやはり鶴田のパワー、持久力、体感、誰に聞いても最強という
あとは後輩も呼び捨てにしない優しすぎる面とか第一線から退いて大学教授になったりとか色んな一面を知ることができ僕の中のジャンボ鶴田最強伝説がまた色濃くなりました
最強でも勝てなかった病が本当に残念でなりません
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Posted by ブクログ
本の見た目の分厚さと、ページ数の多さ(592ページ)にたじろいではいけない。
なぜなら、プロレスに関して“ずぶの素人”の私のような者でも、デビュー前から引退までの間で次々と現れる鶴田の作り物でない本物の伝説に読む手が止まらず、最後には「鶴田こそ歴代日本人最強レスラーだ!」という熱い思いを著者と共有できるようになったから。
そもそも私はプロレスに対する一定の考え方を持っていて、つまり、プロレスを「①スポーツ」「②ショウ」「③パンクラチオン(死闘)」を頂点する三角形のちょうど重心の位置にあるものと思っている。だからプロレスはスポーツではないとか、あれはショウだという議論は無意味だ。言い換えればどれにも当てはまると言える。つまり、3つのテリトリーの一部を含みつつも独立したジャンルがプロレスだと言えるのではないか。
こう考えると、アマレス出身の鶴田がデビューからしばらくはプロレスから少し浮いた中途半端な状態だったという記述も理解できる。なぜなら当初の鶴田はスポーツの方に寄りすぎていたということだ。だが鶴田が天才的だったのは、天性のパワー、センス、テクニックによってスポーツの枠を軽く越えて、「ショウ」と「パンクラチオン(死闘)」の領域を自分なりに取り込めたこと。(だと思う。)
一方で、私がプロレスをテレビで見ていた80年代は、プロレスが「ショウ」の方に片寄り出して一種の見た目の派手さ(いわゆるパフォーマンス)を競い始めた時期だったと思っている。だがそのころの鶴田はその恵まれた体躯からも実力者なのは間違いないものの、彼のプロレスの中に一種の「無難に置きにいったかのようなソツの無さ」を私は素人目で見ていた。
でもこの本を読んでよかった。鶴田のプロレスが無難だなんて大間違いだった。アグレッシブで、試合巧者。そして何よりも「観客に今ある最高のプロレスを見せるために自分がやれること」を流されることなく周到に体現できる人だったのだ。そして私がなるほどと改めて納得できたのは、鶴田の対戦相手の多くが鶴田を「疲れ知らず」とコメントしていることだ。もちろん疲れない人間なんて存在しない。では鶴田はどうしていたかというと、自分の攻撃によって荒れた息を何と相手の攻撃を受けながら整え、スタミナを回復させていたというのだ。攻撃の派手さが売りのレスラーの多くが試合後半に進むに従い疲労が蓄積するのとは逆に、岩盤が鉄板になるかの如くにマットの上で威容を強めていく鶴田の姿を想像してほしい。「怪物」と呼ぶに十分な資質ではないだろうか。
先にも書いたように、私はプロレスについては完全な素人なので、鶴田vs.長州、天龍、三沢、川田、etc.との具体的な戦いのほとんどが、今は記憶に残っていない。だが本書343ページからの「第9章 鶴龍対決」は一気に読めた。私が思い出したのはマンガ「柔道部物語」(小林まこと作)。主人公の三五とライバルの西野とが金鷲旗高校柔道大会での直接対決(再戦)で事実上の日本一を競うまでに至る一連の描写は、まさにジャンボ鶴田と天龍源一郎との闘いそのままでは、とも思えた。たとえば決勝大将戦で三五と西野とが無駄な組み手争いをせずに瞬時に組んだところは、鶴田と天龍とが見せたという「バシッというタイアップ(全日本の選手はロックアップではなくタイアップと呼ぶ)だけで迫力があった」という本書の描写にも重なる。そして三五と西野の双方が時には相手の意表を突いた技を仕掛けるなどの丁丁発止のやり取りや、最後の紙一重での劇的な勝利の瞬間など、「小林先生、もしかして、鶴龍対決を下敷きにしているのじゃないでしょうね?」と、ほくそ笑んでしまった。 -
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鳴り物入りのデビュー、大物外国人とのタイトルマッチ、AWA世界王者としてのサーキット、インターから初代三冠王者。間違いなくスターであり、トップレスラーではあったが、現役時代はファンの声援を一身に集めるレスラーとは言えなかった。”プロレスに就職します”など、今では当たり前の考え方かもしれないが、レスラーの生き様を投影する当時のファンたちには凄さの表現力が不足しており、支持されなかった。天龍革命、超世代軍によって徐々に引き出されていったのも、立ちはだかる壁としての、ある意味ヒールとしての表現だった。そして突然の病による入院から第一線を退く。鶴田最強説の由縁はレスラーとしての歴史そのものだった。同世代の長州、藤波、天龍と異なる不世出のレスラーだった。と同時に、その生きざまはまさしくプロレスラーだった。
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「至高の三冠王者」三沢光晴。
週刊ゴング編集長として、また同世代の友人として、取材し続けた筆者が、その軌跡を丹念に綴った。
リング上での衝撃の逝去から13回忌に、リング上での三沢の活躍と苦悩を徹底的に描き尽くした。
母子家庭で苦労し抜いた少年時代。
プロレスラーになるために進学した、アマレスの強豪校足利工業大学付属高校。
全日本プロレス入門。
越中詩郎、冬木弘道、ターザン後藤らと切磋琢磨した若手時代の佐藤昭雄からの教え。
メキシコ修行時代。
2代目タイガーマスクの苦悩。
ターニングポイントとなった天龍源一郎戦、ジャンボ鶴田戦。
マスクを脱いで、鶴田超え。
そして、超世代軍の結成。
川田利明、小橋建太、田上明との、四天王プロレスは至高のプロレスへ。
初の東京ドーム進出。
四天王プロレスの終焉とプロレスリング・ノアの旗揚げ。
リング上の戦いが全て。
会場にきたファンを満足させること。
「さりげなく命懸け」との帯のコピーが、胸に迫る。
渾身の文章と、鮮やかなグリーンの本の装丁が、在りし日の激闘を蘇らせる。 -
昭和プロレスを語ろう!
- カート
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試し読み
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大相撲を関脇で廃業して、アメリカからプロレスを持ち込んだ力道山。
戦後の復興期に、アメリカ人を空手チョップでなぎ倒す姿が街頭テレビに映し出され、彼は国民的英雄となった。
プロレスのこけら落としを、タッグマッチで行ったこと。
世界の強豪レスラーを招聘し、「ワールド大リーグ戦」を開催。
オリンピック的な価値観を持ち込んだアイデアも秀逸だった。
彼が残した二人の弟子。
東洋の巨人--ジャイアント馬場は、元巨人軍の投手。
燃える闘魂--アントニオ猪木は、彼がブラジル遠征中にスカウトして日本に連れ帰った。
両雄はしのぎを削り、やがて袂を分かち、永遠のライバルになっていく。
そして、多くの弟子を生み出した。
完全無欠のエース--ジャンボ鶴田。
炎の飛龍--藤波辰爾。
革命戦士--長州力。
風雲昇り龍--天龍源一郎。
昭和の第三勢力国際プロレスの歴史も語り合われた。
マットを賑わせた外国人ヒールレスラーについても興味深い考察が続く。
昭和プロレスは、本当に面白かった。
そして、これからもきっと面白い。
ファンが記憶の中でその思いを醸成し続けていく。
語り合えば、無限のロマンが広がっていく。
プロレスとは、ゴールのないマラソンだ。 -
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「プロレスは僕に最も適した就職だと思い、監督と相談の上、尊敬する馬場さんの会社を選びました」
1972年。
ミュンヘン五輪アマレス代表の経歴をひっさげて、中央大学の鶴田友美はプロレスラーとなった。
すぐさま渡米し、テキサスのファンク兄弟のもとで修行。
世界王者の兄弟から王道のプロレスを叩き込まれる。
そして、それをどんどんものにしていく。
半年後に凱旋帰国しデビュー。
3戦目でメインイベントのインターナショナルタッグ選手権に、師匠馬場とのタッグで、アメリカの師匠ファンクスに挑戦。
1フォールを奪い60分フルタイムを戦い抜いた。
デビューしてすぐに、馬場の後継者としてメインイベンターとなった。
世界の強豪と互角に渡りあっていたが、いつしかファンは彼のことをこう呼ぶようになった。
「善戦マン」と。
また「就職します」という常識的な振る舞いも、プロレスに情熱や人間離れした迫力を求めていたファンには、物足りなさとして感じられてしまう。
その世界最高峰との闘いの経験が、発揮される時がきた。
1985年。
新日本プロレスから長州力ら「維新軍団」が参戦する。
「僕のプロレスは世界史。彼のプロレスは日本史。その違いを見せつけますよ」
1986年に行われた一騎打ちでは60分時間切れ引き分け。
だが、終了のゴングの後のリングで仁王立ちしていたのは、鶴田だった。
長州が新日本プロレスに復帰後は、盟友天龍源一郎との対決がヒートアップ。
アマレス五輪代表、エリートで常識人の鶴田。
大相撲前頭筆頭、雑草で破天荒な天龍。
「鶴龍対決が今でも最高のプロレスだと私は思っている」
取材の最前線に数十年立ち続けた著者の感想に全く同感である。
天龍が新団体SWSに移籍後は、三沢光晴ら後輩相手に圧倒的な強さを発揮し始める。
「怪物」
「完全無欠のエース」
誰もが認める最強王者の時代は、突然、終焉を迎える。
1992年11月。
かねてより治療をしていたB型肝炎が悪化。
懸命の治療と、必死の努力で病気に立ち向かい1年後にリング復帰。
馬場らと共に前座のタッグマッチの登場に止まっていた。
その間に、プロレスラーとしての経験と闘病体験を活かしていこうと大学院に入学。大学の講師となった。
1999年。
師匠の馬場が逝去。
同時期に、夢であったアメリカでの研究活動が実現。
引退して渡米することになった。
そして、2000年。
肝臓移植手術の際の大量出血で逝去。
享年49だった。
「僕はプロレス界に生きられて本当に幸せだったと思いますし、全日本プロレスに就職しましてよかったと思います」
引退セレモニーで、デビュー以来初めて鶴田は涙した。
レスラー、マスコミ、そしてファンの間でいまだに根強い「ジャンボ鶴田最強説」。
明るく、楽しく、激しい全日本プロレスの永遠の若大将 ジャンボ鶴田。
その強さと笑顔は、永遠にファンの心に生き続ける。 -
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名レスラー 三沢光晴の出生から名レスラーとして頂点を極めた全日本プロレス 四天王時代までを書き記している本作。
僕が子供の頃に三沢選手を知り、試合を観ていたのは本書では描かれていないNOAH時代。
僕にとって三沢選手のちょうど空白部分を埋めるのにピッタリな一冊でした。
本作の軸は"三沢と川田"
軸というより三沢選手を語る上で決して欠かせない存在が川田利明選手だ。
1979年の高校での出会いから始まり、2005年の最後の一騎打ちで終わりを迎えるこの物語は、もはや大河ドラマである。
筆者のインタビューや様々な証言から語られる三沢光晴という人物と歴史。
2009年に亡くなってなお、
今でも日本のみならず世界中の多くのレスラーからリスペクトを受ける三沢光晴選手の息吹を本作で感じて欲しい。 -
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プロレスを見始めたころからのスター選手、ジャンボ鶴田の評伝。
恐ろしいまでの強さを誇っていた鶴田が突如消えてから、セミリタイア以降は、留学→フィリピンで死亡のニュースととぎれとぎれの情報しかなかったのだが、本書でその間何が起こっていたのかがよく分かった。
デビュー直後のエピソードや珍しい写真も掲載されていて、ファンにはたまらなない一冊。
YOUTUBEなどで、昔の映像を見ることができるが、打点の高いドロップキックやエグイい角度のバックドロップなど、今見ても迫力十分。
プロレス選手って、通常は新技の開発やら改良やら「技のイノベーション」があってスターになる。ただ、ジャンボとブロディだけは、彼らが使うだけで古い技が必殺技になっていた珍しいケース。どっちも鬼籍に入っちゃったけど。
まだ、純粋な気持ちでプロレス見ていたころが懐かしい。昔のプロレスは確かに子どものものだった。 -
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ジャンボ鶴田のレスリング人生を余す所無く伝えた力作。プロレス入り後の驚きの新事実や新証言はほぼないが、決定版と言っていい内容。
ジャンボ伝説の定番、「大学二年でバスケからレスリングに転向、四年にオリンピック」があるが、国内有数の実力者だったことは確かであるものの、当時の日本アマレス界の層の薄さも確実にあったと見える。
馬場と昵懇の八田会長によるプロ入りのための箔付け、というのが谷津の推測だが (別誌にて)、そう思われても仕方がない部分もあると本書で明かされた事実でもって理解した。少なくとも世界で揉まれた谷津とはちがう、と。
一方で自分はアメリカ修行時代に着目したい。(箔付けされた)オリンピアンキャラクター、馬場のオシ、ファンク一家の忖度はあろうが、アメリカで日本の新人がNWAに挑戦することは確実に空前絶後。例えば『1964年のジャイアント馬場』的文脈でも一流と位置付けられ、称賛に値すると思う。何故ならば他にそんな日本人はいないから。
また書籍としては、鶴龍の時代にしっかり紙数を割いているのが良い。ジャンボ側からの視点でのこの時代の記述としては最多最良であろう。
ジャンボは権力に背を向けた、とするならば、その起点となる例のサムソンクツワダクーデター事件への言及が少なすぎるのが難点か。