民俗学というと、農山漁村に古くから伝わる民間伝承や口頭伝承を研究する学問だと思われていることが多い。
だが、本書では、現在の民俗学はそのようなものでなく、もっと広くて現実的な世界があると論じる。
著者によると民俗学の概念は①支配権力になじまない②啓蒙主義的な合理性では割りきれない③「普遍」、「主流」、「中心」とされる立場にはなじまない等の要素を持つ。
柳田國男の「遠野物語」の冒頭に「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という言葉が出てくる。著者は、この言葉で「普遍」、「覇権」、「主流」といった立場から啓蒙主義的に「非合理的なもの」として切り捨てられる世界(遠野地方)の存在を「平地人(啓蒙主義的思考のもとで近代化に邁進する都市住民)」に突きつけたと解釈する。
また、「歴史学が人類の主要な道筋を辿る学問であるのに対して、民俗学は枝道や毛細管のように張りめぐらされた小路を知る学問」という学者の見解も示している。
序章に示されているこのような概念的な話は、一般人がにわかに理解することは難しい。また、民俗学のキーワードが「フォークロア」(人々の知識)からヴァナキュラー(俗)に交代しつつあることから、本書の中では、その表現が多く使われるが、これももう一つピンとこない。
著者は、これらについて、読者にできるだけ実感させるよう、第1章以降、現在における事例をたっぷり盛り込んでいる。主なものを書き出すと以下の通り。
・現在の家庭にも「新しい靴を昼以降におろすときのおまじない」(午後の野辺送りを忌み嫌うなごり)が残っている
・著者の職場である関学大には学生にしか通じない七不思議(キャンパスヴァナキュラー)がある
・JR東海道線高槻駅と山崎駅の間にある結核療養所の患者や職員が手を振る行為に食堂車会計課係が手を振って応えた行動が繰り返され拡大した
・独自の技を持ったプロの職人集団としての水道マンの暮らしの中から替え歌「水道数え唄」が生まれた
これら以外にも「喫茶店モーニング」、「B級グルメ」、水上生活者など時代や地域、社会生活の現実の中から生まれたヴァナキュラーがこれでもかと紹介される。
それらは確かに啓蒙主義的合理性で割りきれない、また、理性的・論理的であることは求められないものばかりである。
ただ、常人には、興味深い話であるものの、単に文化・風習・生活習慣を面白く紹介している本であるとしか感じられない気もした。関学大の著者が受け持つゼミのフィールドワークは面白そうで一員となり参加したいとも思ったが。