島村恭則のレビュー一覧
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「恐い」を民俗学的視点から詳らかにします
著者は関西学院大学教授で現代民俗学会会長の島村泰則さん
現代民俗学会とは現代の民俗に焦点を当て、民俗学の尖鋭化・実質化・国際化を目指して活動している学術団体とのこと
年会費4,000円を納めれば、あなたも入会することが可能です
詳しくは学会の公式サイトで確認して下さいって何を勧誘しとんねん!
わいぜんぜん関係ないわ!
「恐怖」以外の何ものでもないわ!
それにしてもあらためて思うのは、日本の「妖怪」の歴史に燦然と輝く水木しげるさんの偉業よな
なんていうか日本の各地にごちゃっとあったカオスにハッキリとした姿形を与えてキャラクター化し、図鑑化したのは紛れもなく水木しげるさんの功績なんよ
民俗学者としての水木しげるさんも興味深い
あ!一応言っておくと、この本は別に水木しげるさんのことを書いた本じゃないです(ちょっとは出てくるけど)
ん〜変な誤解しか与えない恐怖のレビューてやかましわ!( ゚д゚ )クワッ!! -
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ネットでこの本を見つけて読んでみたいと感じ手に取りました。
民俗学からの視点で恐怖、ホラー現象などを見たことがなかった為面白いなと感じました。
民俗学の視点から見たホラーの読み解き方みたいな本だと思っていたのでちょっと物足りなかったです。6章の『心霊現象のリアリティ』は読んでいてコレコレと面白かったです。
私はホラーに触れられるようになったのが大学生からで、そのきっかけになったのがゲームです。
その為、最後のあとがきで語られていた「人間が知性によって正体を突き止められる存在へと格下げされた段階の産物」の一文を読んで納得しました。「原初的恐怖」で見ることも聞くこともダメだったのに今ではホラー大好きになったのは存在を格下げしたからなんだなと思いました。 -
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著者は、本書を民俗学に関する「深掘り」型入門書と称する。
その心は、日本国内を中心にあちこちを歩き回る「回遊」で見た事例やそこから得た知見をもとにして、わかりやすく解説しているところにある。
著者による「俗(ヴァナキュラー)」の定義とは、
①支配的権力(覇権的なもの)になじまないもの
②啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの
③「普遍」、「主流」、「中心」とされる立場にはなじまないもの
④公式的な制度からは距離のあるもの
要するに多種多様な人びとの生活実践を重んじ、それらをトリビアルなもの(ムダ知識)として、些末に扱う覇権主義的な立場を批判する視座に立つ。
第1章「民俗学とは何か」で解説されているこのあたりの定義は、学術的なところもあり、やや、取っつきにくかったが、第2章以降では、豊富な事例で興味を持たせるような内容になっている。
第2章「霊的なものに学ぶ」では、ケ(日常)をスマホのバッテリーにたとえ、「ハレ」(祭りなど特別な日)の行為で充電すべきであるとか、地鎮祭が、土地への侵入を拒む精霊に対し、カミを呼んで圧伏する意義があったという記述が興味深かった。
また、第3章「ことばで謎を解く」では、宮本常一がよく使った「世間師」という言葉から、「世間話」が村人たちにとって、外で起きている珍しい出来事であり、民俗学は、「世間話」の延長線上にある学問であるとの記述に新鮮さを覚えた。
第4章「生のリアリティと向き合う」では、海と共に生活してきた漁師たちの「生きる方法」に向き合い、東北大震災後の漁師と海を分断する防潮堤への疑問を投げかける。
また、六車由美さんが提唱する「介護民俗学」にも触れ、介護現場で使われている「回想法」では切り捨てられる
人生の物語の聞き取りを評価している。
第5章「民俗学の聖地を歩く」では、主に柳田國男を取り上げ、「民俗学発祥の地」とされる宮崎県椎葉村との関係や遠野、沖縄などに回遊する姿を紹介する。
最終章となる第6章「私と民俗学」では、お祈り癖があり、死が怖かった幼年期の生い立ちや民俗学との出会いなど著者が自らを振り返る。
大学時代、「民俗学研究会」に参加、そこから「回遊」することにはまった日々とともに、恩師・宮田登氏など在野研究者の紹介もしている。
全体を読み終え、「回遊」の意味や楽しさへの興味が増した気がしている。 -
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ネタバレ<目次>
第1章 名付け得ぬ恐怖~原初的恐怖
第2章 となりにある恐怖~異界と境界
第3章 変わりゆく恐怖~「妖怪」とは何か
第4章 見つけ出される恐怖~怨霊と幽霊
第5章 語られる恐怖~恐怖はどのように伝えられるのか
第6章 よみがえる恐怖~現代社会に潜む現象的恐怖
<内容>
ヤバい本かと思ったら、ちゃんと「恐怖」を分析した民俗学の本です。このように分析されちゃうと恐くはないものの、われわれが恐怖を感じることについて、それこそ原始時代から考えているモノです。この厚さなので、一つ一つはあまり深入りしていませんが、具体例も出しつつ、面白かったですね。 -
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ネタバレ読み終わって心に残るようなものは正直あまりなかったのだけど、最後のデマと陰謀論を民俗学と結びつけるところは面白かった。
最近排他的な運動をSNS中心によく見るようになったり、これまで無自覚に信じてきたものが揺らぐような感覚に不安を感じていたのだけど、最後の章でもっと広い視野で見ると、面白い現象として捉えられる心のゆとりの持ち方を教わった感覚になった。それは今の私に必要な考え方だったので、読んでよかった。
「ネット上のデマを見た場合、それらは単なる「誤情報」ではなく、現代における「民間伝承」や「口承文芸」の1つとして捉えることができる」
「かつて柳田國男が各地の伝承から当時の人々の生活を読み解いたように、現代のデマもまた現代の民話として読み解くことができる」 -
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民俗学とは、なんだか古めかしい田舎の風習を深堀りしているものというイメージがある。しかし実は現代社会の都市においても、家庭や学校、職場といった人が集まる場では新たな民俗≒ヴァナキュラーが発生しているのだ。そんな人類に普遍的なコミュニティで生まれる風習や略語など、多様な実例を挙げながら解説する入門書となっている。
たとえばモーニングという、喫茶店で朝に提供されるコーヒーにトーストとゆで卵がセットになったサービスは、中京圏以西で一般的となっている。もともとは都市部の労働者を中心に、朝に新聞を読みながらコーヒーを飲むついでに軽食も摂りたいといった要望に応えて、一部の喫茶店から始まった習慣が広まったものだ。
あるいは口裂け女やトイレの花子さんなど、昭和期の都市部を中心に広まった都市伝説もヴァナキュラーと呼べるだろう。子育ての上での教訓や注意事項を怪談にして伝えるといったやり方は、妖怪たちが語られた過去の時代からフォーマットとしては変わらない。現代でも女子高生がスマホで略語を入力するといった形で、日々新たなヴァナキュラーが生まれている。
主に大学教養課程向けの噛み砕いたコラムとして、民俗学が実は身近で親しみやすいものだと理解できる実例を伴った新書らしい内容が集まっている。もちろん、専門家である著者にはまだオープンしていない引き出しがたくさんあるのだろうし、柳田國男や宮本常一、折口信夫などその道の大家を深堀りしていくととんでもないことになる。そういった沼の入口としては分かりやすいだろう。 -
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なんか、あるところでだけ通じる言葉とか
あるところでだけ行われている風習とか
そういうものも民俗学には大切な要素らしい。
最小例で言えば、家族だけに通じるやつとかね。
たまにあるよね…自分の家でしかやってないのか!
って大人になってから気がつくやつ。
新しい靴をおろすときの儀式の話がおもしろい。
大学で学生たちから採取した
「私のパワースポット」の話題も興味深かったし
鉄子としては「鉄道民俗学」に
一章さかれているのも嬉しいかぎり。
特急「はと」と療養所の物語が
昭和55年の小学5年生の教科書に
『鉄路の友情』として掲載されたのだそうですが
どこの出版社のだろう〜。
気になります。 -
Posted by ブクログ
民俗学の雑学本という感じ
柳田國男と折口信夫の名前はチェックした
なぜ【勤労感謝】は11月なのか?
の項目では
勤労感謝の日が昭和23年に制定されたこと(割と新しい!)
その前進は新嘗祭で、皇室の祭りと分けるために新嘗祭から
【新穀感謝の日】案、
か〜ら〜の〜、
米だけではなく海や山の幸も重要、作物そのものではなく生産者にこそ感謝すべき、といった意見から【生産感謝の日】案
か〜ら〜の〜
【勤労】を尊ぶべきであるという観点から【勤労感謝の日】になった、
らしい
勤労感謝の日は自分が働けることに感謝!でもこれまで働いてくれた人に感謝!
でもなく新嘗祭からの
あ、なんか、色々な都合があったんだね…ということがわかったのが良かった -
Posted by ブクログ
文字通り入門編であり、深い知識を身につけることは難しいが、普段考えない日常のあれこれについて民俗学的な観点から考えることができる書籍だった。
【学び】
おかわりする時は一口分のお米を残すことがマナー、月賦販売が江戸時代末期に愛媛県今治市桜井の漆器行商から始まったこと、柳田國男が東大法科大学を出て高級官僚として働いてから45歳で退官後に民俗学に没頭したこと、日没で日が変わる概念があること(イブが夕刻という意味であること)、ケ(日常)とハレ(祭、非日常)、出会い系アプリをいち早く使っていたのはゲイの人々であること、年祝の起源(古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿、百寿)などを学んだ。 -
Posted by ブクログ
全体的には教科書の副教材のような雰囲気。一人の著者が書き上げたものではなく、複数人の民俗学者が見開き完結で書いているので統一感はあまりなく、「へぇ〜」とダイジェストで終わってしまう。そんな中、わが家の習慣でもある大晦日におせちを食べ出すことについて「むしろ31日の夕方に食べるのが、本来のおせちだった。昔は日没で1日が終わり翌日が始まっていた。だから日没を過ぎたらもう元日だったのだ」に納得。同様のことが「クリスマス・イブをクリスマスの前夜祭だと思っている人がいるかもしれない。クリスマス・イブのイブは、夕刻を意味するが、この夕刻はクリスマスの日の夕刻のこと。1日の境目は日没とされているので、24日の日没を過ぎれば、もうクリスマス当日なのである」にもあり、電気のない時代の毎日のありようにも思いを馳せられた。