新胡桃のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
めちゃくちゃ読みやすくて、すぐに読み終えてしまいました。どの人が読んでも深く読み込めると思うけど、やはりこれは学生には絶対読んで考えてほしい。誰も彼もが関わったこと、考えたこと、体験したことがあるシチュエーションだと思うし、ありきたりな言葉ですがすごく考えさせられました。
登場人物全員が本当にいろんな事情(考え?という意味でもあるような気がする)や障がいを抱えており、悪いとか嫌なところが見えてもどこか愛おしくて憎めないというか…そこがかなり好きでした。決して軽く扱ってはいけない題材であるし、どうしても影を落とすような場面もあるけどきっと私は何回もこの本を読み直すんだと思います。一生もののこの -
Posted by ブクログ
「じゃあモルヒネって呼んでよ。」
みんなが面白いと言ってくれて、元気になれると言ってくれて、自分をモルヒネ(麻薬鎮痛薬)と名付けた姉。
この世で生きる人たちは皆何かを抱え、隠すために鎧を纏ってる。
ずっと笑ってる人も、ずっと無表情の人も自分を守るための鎧だと思う。
一番大切なものは目には見えないって言う。
皆は、いつも見てるその人がその人であって、その理想像から違うものが見えた瞬間この人は私とは世界が違うと離れる。
結局人間なんて見えるものでしか評価しない。
鎧に隠された自分を守るのに姉はモルヒネになり、そして私もモルヒネになる。
本屋で見つけた時、なぜかこれを読まなくちゃいけない気が -
Posted by ブクログ
今まで感じたことのない衝撃を、この作品から感じた
確かに、文藝賞の選考委員の方々が指摘するように、アラ自体は素人ながら感じる。読みにくいところや、表現が陳腐に感じてしまうところなども目立つ。
それでも、この作品にはそれらの欠点を吹き飛ばすだけの切実さがあった。何としてでもこれを物語にしなければならない、という絶対的な著者の切実さがあった。それこそ、三島由紀夫の”仮面の告白”や、中村文則の”銃”を初めて読んだ時に感じた切実さが。その切実さはその切実さ故に、読み手までをも切り裂くが、だからこそ読者の心を深く抉る。
この作品の熱にあてられ、自分の中の切実さが浮かび上がってきた。 -
Posted by ブクログ
作者が当時16歳で書き上げた文藝賞の小説。
主人公のモルヒネから考えさせられたこと。
人は意識的にしろ、無意識的にしろ、恣意的に他者にレッテルを貼ってしまっているが、レッテルを貼られた側の人間が意表を突いてきた時の恐ろしさは尋常じゃない。その恐ろしさと対峙できるのは「素直さ」だと思った。
他者にレッテルを貼ることも一種の「素直さ」のように感じるが、これは「浅い」だと思う。
モルヒネを見ていると人間の成熟の過程は以下のようになるのかもしれないと思った。
「浅い」→「深い」→「素直さ」
私は生きている。あなたも生きている。
「浅い」は「あなた」が抜け落ちる。
「深い」は「私」が抜け落ちる -
Posted by ブクログ
あ〜高校生だな〜って感じ。
内面の自分と、外面の自分が一致してないこの感じ。
ソワソワして、見てももらえてなくて、周りが羨ましいって、この感じはよくわかる。
モルヒネで麻痺させてたのは自分自身で、本当はモルヒネなんて呼ばれたくなかったし、みんなの前でだけ明るく振る舞ってるの気づけよって思ってたし、気づかれてたら気づかれてたで気づくなよって思うし、高校生時代のそういう面倒くささをぜんぶ思い出した。
モルヒネは「好き」って告白できちゃう翔(あってる?)が羨ましいし、人の名前間違えたりパパ活しても平気でいられるマユも羨ましい。
でも、翔もマユだってきっとモルヒネが羨ましい。
「星に帰れよ」は誰