あらすじ
16歳の誕生日、深夜の公園で真柴翔は"モルヒネ"というあだ名のクラスの女子に会い――。高校生達の傲慢で高潔な言葉が彼らの生きる速度で飛び交い、突き刺さる。第57回文藝賞優秀作。
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Posted by ブクログ
本書はそれほど深い話ではないですし3時間程度で読める中編小説です。
しかししかし未来を感じるすごい作家さんです。
朝日新聞に寄稿していたのですが高校生らしい告白とともにおじさんを納得させる文章力があります。
これからの成長が楽しみというか皆さんで彼女の成長を見守っていきましょう。
Posted by ブクログ
「じゃあモルヒネって呼んでよ。」
みんなが面白いと言ってくれて、元気になれると言ってくれて、自分をモルヒネ(麻薬鎮痛薬)と名付けた姉。
この世で生きる人たちは皆何かを抱え、隠すために鎧を纏ってる。
ずっと笑ってる人も、ずっと無表情の人も自分を守るための鎧だと思う。
一番大切なものは目には見えないって言う。
皆は、いつも見てるその人がその人であって、その理想像から違うものが見えた瞬間この人は私とは世界が違うと離れる。
結局人間なんて見えるものでしか評価しない。
鎧に隠された自分を守るのに姉はモルヒネになり、そして私もモルヒネになる。
本屋で見つけた時、なぜかこれを読まなくちゃいけない気がして購入しました。
いろんな言葉が刺さったり学べた気がします。
読み終わった後「星に帰れよ」と呟きたくなると思います
Posted by ブクログ
比喩が独特で少し長いけど、的確。
その比喩を頭で想像しながら読み、句点までたどり着いた時に「あ〜、上手い」って毎度思った。
作者が高校生と知って驚き。
お笑いキャラなのに、薄くて鋭くて冷たいものを内に秘めているという、二面性のあるモルヒネについての記述がもっと欲しいと思った。もっと知りたいと思った。それほどこのキャラに引き込まれた。
Posted by ブクログ
これを高校生が書いたのか、と思うと驚き。
矜持 というか、自分の支柱が このころはまだしっかりしていなくて、何かの弾みに折れちゃったりもする。それでも、大丈夫 大丈夫 と自分をなだめながら、なんとかやっていくのだろう。
今の子供たちって すごくスマートに見えるから、こういった困難も華麗にスルーしていくのかと思っていたけど、内側は葛藤だらけなのかもしれないな。
Posted by ブクログ
今まで感じたことのない衝撃を、この作品から感じた
確かに、文藝賞の選考委員の方々が指摘するように、アラ自体は素人ながら感じる。読みにくいところや、表現が陳腐に感じてしまうところなども目立つ。
それでも、この作品にはそれらの欠点を吹き飛ばすだけの切実さがあった。何としてでもこれを物語にしなければならない、という絶対的な著者の切実さがあった。それこそ、三島由紀夫の”仮面の告白”や、中村文則の”銃”を初めて読んだ時に感じた切実さが。その切実さはその切実さ故に、読み手までをも切り裂くが、だからこそ読者の心を深く抉る。
この作品の熱にあてられ、自分の中の切実さが浮かび上がってきた。
Posted by ブクログ
私が本当の私であること。
私はムードメーカーのモルヒネで、親友のマユは可愛くて明るくて賢くて、そんなマユと付き合うことになった真柴。
好きな女子と付き合えて嬉しいはずなのに、マユが自分の名前すら間違えたことに疑問を抱き、GPSを仕込んでモルヒネと尾行して見たマユのパパ活。
自分の抱いていた好意と相手の本性が違っていただけで、いとも簡単にマユと別れる真柴に対する憤り。
道化を演じていた姉が壊れてから、自分が姉の代わりとなって過ごしていたこと。
若い方なんだねえ。
Posted by ブクログ
作者が当時16歳で書き上げた文藝賞の小説。
主人公のモルヒネから考えさせられたこと。
人は意識的にしろ、無意識的にしろ、恣意的に他者にレッテルを貼ってしまっているが、レッテルを貼られた側の人間が意表を突いてきた時の恐ろしさは尋常じゃない。その恐ろしさと対峙できるのは「素直さ」だと思った。
他者にレッテルを貼ることも一種の「素直さ」のように感じるが、これは「浅い」だと思う。
モルヒネを見ていると人間の成熟の過程は以下のようになるのかもしれないと思った。
「浅い」→「深い」→「素直さ」
私は生きている。あなたも生きている。
「浅い」は「あなた」が抜け落ちる。
「深い」は「私」が抜け落ちる。
モルヒネは最後に「深い」を捨てて「素直さ」を獲得することで、人間関係サバイバルからの脱却や地獄のような自意識から解放されることが可能になったのではないだろうか。
生きていれば、貼り付けたレッテルをひたすら超えていく他者という強烈な存在に必ず出会い、自身の世界観を変革することを余儀なくされる。
しかし、同時にどんなに遠回りしても、最終的には自分の性格に屈服してしまうのが人間という生き物なのだろう。
Posted by ブクログ
あ〜高校生だな〜って感じ。
内面の自分と、外面の自分が一致してないこの感じ。
ソワソワして、見てももらえてなくて、周りが羨ましいって、この感じはよくわかる。
モルヒネで麻痺させてたのは自分自身で、本当はモルヒネなんて呼ばれたくなかったし、みんなの前でだけ明るく振る舞ってるの気づけよって思ってたし、気づかれてたら気づかれてたで気づくなよって思うし、高校生時代のそういう面倒くささをぜんぶ思い出した。
モルヒネは「好き」って告白できちゃう翔(あってる?)が羨ましいし、人の名前間違えたりパパ活しても平気でいられるマユも羨ましい。
でも、翔もマユだってきっとモルヒネが羨ましい。
「星に帰れよ」は誰かに投げかけた言葉じゃなくて、自分にブーメランとしてモルヒネに帰ってくる言葉で、なんなら自分だけが安楽に過ごせる星なんてねぇから。だから目の前の他者を星から追い出そうとする。
でも、本当にそんなことはできないもんね。
だから苦しいもんね。
ある意味で青春。ある意味でめんどい。