本書の「おわりに」の中に、「私の『推し』はプロジェクションだったんだ!」という筆者の言葉が書かれています。そして、自分自身プロジェクション研究に対して行っていることそのものが「推し活」そのものであったのだという筆者の気づきが表明されています。
本書の特徴は、このエピソードに語り尽くされているように思います。
「『推し』の科学」というタイトルから誤解されることもあるようなのですが、本書は、むしろ「(誰か・何かを)推す」という行為のありよう、「推し」文化といったものについて科学的に解説した書籍ではなく、むしろ「推す」という行為やそれにかかわる文化現象を入口に、プロジェクション・サイエンスの魅力をより広い人々に発信しようとすることをねらった書籍だと思います。
まさに、プロジェクション・サイエンスの「推し」活として発刊された書籍といえるでしょう。
プロジェクション・サイエンスに魅了され、その「推し」活として書かれている本なので、同じ対象を「推す」ことができず、見えているものどころか、世界の「見え」そのものが異なる私のような人間にとっては、見えている世界の異なりばかりが印象に残ってしまいました。
もっとも自分の中で受け容れがたかったのは、「通常の投射」「虚投射」「異投射」という考え方です。本書を最後まで読んでいくと、一人ひとりによって異なるものとしてのプロジェクションについて言及されていると思われる箇所もあり、そうであればなぜ、「通常の投射」という考え方を提示する必要があったのだろう…としばらく悶々と考え続けてしまいました。
他の人々と共有可能な「通常の投射」なるものを想定できず、世界の「見え」の多元性を前提に議論してきた人間にとっては、何が「通常」で「虚」で「異」であると言えてしまうのか、というところで引っ掛かってしまい、それ以降の議論をしっかり理解しきれなかったところがあります。
この他にも、用語の意味がいつの間にかずれてしまっているように感じるところがあり、最後まで、自分が「きちんと読めた」「理解できた」と思えないまま、「おわりに」に辿り着いてしまいました。
一方、プロジェクション・サイエンスっていろいろなことが分析できそう!すてき!という魅力そのものを伝えることには、成功しているのだと思います。「プロジェクション・サイエンス」という言葉を聞いて「なにそれ?」と思った人が「面白そう!知ってみたい!」「もっと関わりたい!」と思うためのルートはしっかり確保されているように思います。そういう意味では、新しい認知科学のキーワードを知って、自分の身の回りの現象を語りあって盛り上がりたい方には、おすすめだと思います。