大好きな『四畳半神話大系』(以下、四畳半)が出てくると知り、ウキウキで手に取った本。似たような文体なのかな、同じようなストーリーなのかな、と淡い期待に胸を躍らせ読み進めていくと、アラ不思議。
汚い汁を汚い汁で洗う、不満ばかりで閉塞感のてんこ盛り、けれども憎めない〈私〉の姿がどこにもない!そこにいるのは、孤独で達観し(た気になっている)、斜に構えた男子高校生だった!!
どうしてか彼に共感めいた感情を抱いてしまう。それはきっと、僕も彼と同じように生意気な高校生だったからに違いない。自分が正しいと信じて疑わず、猪突猛進、叩かねば渡れない石橋を駆け抜けてきた。
若さゆえに何とかなった部分もあったろう。だがその大半は先生や親、友達の助けがあったからだと今ならわかる。
さて、回顧録はこの程度にして。
本書の主人公・越前亨は「まったく、俺って孤独だぜ…!」という典型的なイタイ奴。まあ高校生であればあるあるの話だ。
彼はある日、「不思議ちゃん」こと小崎優子と出会う。図書委員として巡り合った彼女のどこが不思議ちゃんなのか。それは彼女が毎日屋上でクラゲ乞いをしているからだ!
クラゲ乞いとは読んで字の如くクラゲを降らせることだ。雨のように。なぜそんなことをするのか。第三者的に見れば、イタイのは彼女の方である。
しかしその行動の裏には彼女なりの信念がスカイツリーのように聳え立っている。クラゲ乞いという一見アホの所業にも感じられる戯れも、彼女の思い・考えを知ればひとたび違って見えてくる。ハムスターのような可愛い後輩の奥底には、岩のように動かし難い信念があることがわかる。
しかし、自称「孤独な俺」である亨は、小崎の真意を読み取ろうとしない。それは亨にかけられた「呪」が原因でもある。この「呪」を解かぬ限り彼は一生孤独なのだ。
この「呪」を解くキーマンは、図書室の生き字引こと矢延パイセンだ。彼女(だっけ?)はことあるごとに書籍を引用し、それとなく亨を導いて行く。
そう、これは亨が「呪」を解くお話でもあるのだ。
小崎がクラゲを呼ぶ理由は何なのか。それは世の理不尽に対抗するためだ。人生というは本当に厄介で、真っ当に生きていても酷い目に遭ったりする。むしろその方が多い。
だから小崎が「理不尽には理不尽を」という考えに至ったとしても何ら不思議ではない。そしてその手段が「クラゲを降らせること」だったのだ。
果たしていったいなぜクラゲなのか。
理不尽に対抗するための理不尽であれば、槍を降らすでもオオナマズを呼び起こし大地震を起こすでも良い。クラゲに拘る理由は何なのか。
彼女の考える理不尽とは「社会に迷惑をかける」ことであるらしい。その点、クラゲを降らせることで社会に迷惑をかけられるかと言われれば、断言はできまい。迷惑がかかるかも知れないし、かからないかも知れない。
亡くなった小崎の親友が「クラゲが降っているのが見たい」と言ったとしても、彼女はなぜその光景を見たいと思ったのか。
彼女たちにとってのクラゲとは果たして何を象徴しているのか。
一読しただけではそれは分からずじまいではある。しかし、程良き理不尽にクラゲを降らせるという選択は純粋な高校生らにとって妥当であるとも思える。
もし槍を降らそうものなら、社会は地獄絵図と化し迷惑どころの話ではない。一瞬で世の中は血の海になる。
クラゲならば、なんだかフワフワした動物だし毒も(ちょびっと)ある。もし実現すれば本人たちからすれば達成感と高揚感で舞い上がるだろうし、社会に対してそれなりの「迷惑」をかけることもできる。
現に、本書の最後では、降りゆくクラゲを世の人が見上げる結末となっている。なんだか優しい海の中に社会が沈んでしまったようだ。こんなにも優しく包まれてしまっては新たに「理不尽」を望む気も起きないだろう。うまい具合に負の連鎖を断ち切ることに成功している。
まあ、そんなこと、彼らにとってはどうでも良いことなのだろうが。