猪熊律子のレビュー一覧
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長谷川式簡易スケールは、臨床の場でよく使われる、医療従事者にとってはおなじみの検査。
認知症の専門医である長谷川さんですら、当事者になったことで初めてわかったことがあるという。
認知症だからといって差別をしてはいけませんとか、尊厳を持った1人の人間として接しましょうとか、そういった認識は医療従事者であれば持っていて当然で、むしろ当たり前すぎて「何を今更」と感じたのが正直なところ。
しかし、読み進めていくうちに長谷川先生の認知症への探究心、認知症になってもなお、それに悲観せず認知症を深く知ろうとする姿勢に心を打たれた。
同時に、自分がやってきた(やっている)看護やケアは実際のところどうなのか -
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長谷川式スケールで有名な著者の本とあって“積読”してあったのだが、つい先日の訃報を見て引っ張り出してきた。
長らく認知症治療の第一線にいただけに、認知症の医療や認知症の患者のとらえ方の変遷がよくわかる。
現役時代は相当厳しい先生だったようだが、文面から伝わってくるのは好々爺然とした姿。
認知症になって「とくにいいなと思ったのは、デイサービスに行ったときに受ける入浴サービスです。(中略)王侯貴族のような気分です」とは当事者にならねば分かるまい。
高齢になっても「心がけているのは、明日やれることは今日手をつけるということ」だったとか。真逆の自分に恥じ入った次第。 -
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ある日から突然認知症になって何もわからなくなるのではなく、連続した自分を生きているだけである、という言われてみれば当たり前だがついつい忘れがちなことに改めて気付かされた
喜怒哀楽は最後まで失われにくいとのことで、軽く扱われたり存在を無視されたりした時の悲しさ、対等で尊厳ある人間として扱われていると実感できた時の安心感を想像したうえで行動したい
人間を尊重するって死ぬほど難しいと思うけど。尊重するという行為は、軽蔑や拒否感、嫌悪感といったほぼ生理的反応を理性で封じ込めることで成り立つもので、道徳心が培われれば自然にできる類のものではないと思う。感情の訓練ともいえる、非常にストイック。
皆望んで認 -
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ネタバレ自分の体験の確かさ、がはっきりしなくなる。
なにをしたかがあやふやになり、何日かがわからなくなる。
100歳を過ぎれば、ほとんどの人が認知症になる。
最初に時間の見当がつかなくなり、場所がわからなくなり、人の顔がわからなくなる。
講評したことで、あちこち取材を受けたことが進行を遅らせた。嗜銀顆粒性認知症だった。
認知症の定義は、いままでの暮らしができなくなること。
一生ならないのは、先に死ぬだけ。いかになる時期を遅らせるか。
認知症は固定されたものではない。
笑うことは大切。
パーソンセンタードケア=その人中心のケア=小さな子が転んだとき、4歳くらいのお姉ちゃんが一緒に寝転がって笑いかけた -
Posted by ブクログ
塀の中は知らないことだらけ、驚くことばかり。
女性の犯罪は「窃盗」と「覚醒罪取締法違反」の二つで8割以上を占める。
これらの罪を犯す受刑者は「これが三度目」「五度目」など、累犯が多い。「負の回転扉」と呼ぶ。
独りでポツンが嫌なのか、平均50代、80代の高齢者もいる。
最近まで、92歳の受刑者がいたというのも驚いた。
冤罪により半年近く拘置所に勾留された経験を持つ元厚生労働事務次官の村木厚子さんが、「現代社会の中で生きづらさを抱えた人が、自分の弱さもあって逃げ込んだ場所が刑務所ではないかた思います」と語ったそうだ。
弱さからくるものだけだとしても、そうならないようできることはなんだろうと思