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長谷川式スケール開発者による、認知症になった人の世界の見え方がやさしく語られている。
認知症という病の渦中にいる著者からの文章は、実体験に基づくものであり、介護者の心構えに繋がりそう。
学生ボランティアで、介護施設で認知症の方とお話したとき、大変失礼ながらぎょっとしてしまった経験を思い出し、「この本を読んでからお会いできていたら、何か違ったかもしれない」と思わされた。
知識的なことを言えば
授業でクライエント側として長谷川式スケールを受けた時は「めっちゃ短!」と思ったが、高齢者が受ける前提で開発されているため、体力が低下している状態での実施が考慮されているとのこと。
如何に自分目線でしか考えられてなかったかを思い知らされる。
現行の介護保険制度と成年後見制度においては、まるで存在するのが当たり前かのように語ってしまっているが、開始されてからまだ日の浅い制度であることに驚き。
以下メモ
・認知症の本質は「暮らしの障害」
・認知症は「固定されたものではない」
★「待つ」というのはその人に自分の「時間を差し上げる」ということ
★『もの忘れが始まって十年になる。病気になってほんとうに悔しい』『いろんなメロディーがごっちゃになって気が狂い相だ』
・クルマの運転はぜったいやめたほうがいい
★本人抜きに物事を決めないで、置き去りにしないで
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教科書で何度も出てきた長谷川式スケールを作った人の本を読めてよかった。
自分の祖母が認知症になりこのスケールを受けた。その後病気で亡くなった。私は介護福祉士として働いているが祖母に何もしてあげることができなかった。何かしてあげていれば孫だけでなく息子や娘の顔も分からなくなるほど認知症は進まなかったのか。そもそもしてあげられることはあったのか不安の中なくなってしまったのではないか悶々と考えることがあった。
この本が読めてよかった。自己満足かもしれないけどおばあちゃんは苦しいばかりじゃなかったように考えられるようになった。
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私の祖母も認知症である。その判定時にちょうどこの本に書いてあったアセスメントを受けた記憶がある。それがこの著者が作り出した長谷川式スケールだったことをこの本を読んで初めて知った。
この本の中で一貫して述べられていたことは、何ら難しいことではなかった。認知症の人を別の生き物扱いする人がいるが、認知症であっても当人に尊厳があることを認識し、1人の人間として接して欲しいということだった。「やさしくおだやかに 待つそして聴くこと その人らしさを大切に」長谷川先生の言葉である。
よくよく考えてみれば人と接する上で当たり前のことである。認知症になったからといって急に人格が変わったり、その人がその人でなくなってしまうわけではない。症状にはグラデーションがあり、本人でさえもその変化に戸惑い、不安を感じる。今どこなのかいつなのかどういう状態にあるのか、それがわからない本人が一番不安なのである。
といっても本人と親しい間柄にあった人間からすれば、自分のことを忘れられたりするのはなかなか堪えることなのだろう。認知症をもつ人の家族におけるエピソードで、その人の孫たちが「おじいちゃんはわからないかもしれないけど、私たちはおじいちゃんのことをよく知っている人だから安心して」と声をかけたというものがあったが、果たして自分はそうやって優しく声をかけられるのか。ゆっくりと時間をかけて考えていきたいと思わされた。
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医療者である自分自身、認知症に偏見や思い込みがあったのだと衝撃を受ける。
認知能、感情脳、そして自分らしさだけの脳が残っていく。
「時間を差し上げる」がやはり重要なのだと学ぶと同時に、急性期病院では叶わないことへのジレンマに打ちのめされる。
それから認知症患者に目の前で、「認知機能はだいぶ低いから」と言った医者のことが許せない。
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認知症のスケールを作った方が認知症になったことで知り得た事をたどってくれている本。私はお年寄りが大好きなのでジャケ買いで読み始めました。認知症は奥深く理解する事で認知を高めて行けると優しい気持ちで接する事が出来ます。
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認知症についての第一人者である長谷川先生の自分が認知症になったことで分かった体験が綴られている本であった。認知症というと、ネガティブなイメージが先行してしまい、何もできない老人といったイメージがある。しかし、長谷川先生はそうではないと言うことを繰り返し主張していた。
認知症になったからといって、その人の連続性が途切れるわけではなく、その人らしさというのは残り続ける。ネガティブなイメージが先行してしまうのは、周囲が無理解なだけ、気付いていないだけという事が痛感させられた。
これは、障害とも同じ事であるとも思う。「害」という字が使われている理由として、障害は本人を取り巻く社会にあるものであり、その、「害」を社会が解決すべきものとして国連障害者権利条約の理念である社会モデルによって提唱されている。認知症も周囲によってもたらされる「害」があるということを念頭に置かなければならない。
特に印象に残ったものとして、p30の『最も重要なのは、周囲が、認知症の人をそのままの状態で受け入れてくれることです。「認知症です」言われたら、「そうですか。でも大丈夫ですよ。こちらでもちゃんと考えますから心配ありませんよ。」と言っていろいろ工夫してあげることです。』である。やはり、ここでも認知症の人を取り巻く環境が、その人にどう言った工夫を行っていけるかによって認知症の人の安心感が変わってくる。
しかし、ここで考えなければならないのが、工夫をして「あげる」という言葉である。「あげる」というと、上下の関係性が成立してしまうように感じた。上記で述べたように、認知症になったからと言って、その人自身は変わらない。工夫をしてあげるよりも、生活しやすいように「共に考えていく」ことの方が自分の中ではしっくりくる。
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認知症の方を介護するのは、肉体的にも精神的にも疲弊してしまう印象が強いです。特に周囲の助けが得られない、ヘルパーや老人ホームなど身内以外の助けを借りることが恥と感じる人も未だにいるので、認知症の方も介護する方もまだまだ環境を整える必要がありそうだと感じています。
自分が将来誰かの介護をするときが来るかもしれないので
認知症の方の心理や地域の環境などを事前に知っておくことが大事だと感じました。
本当にすごい方の本
認知症をずっと研究されていた方がご自身も認知症になり、その体験や思いが書かれています。自分の周りに認知症の方がいる方は絶対に読んだ方がいいと思います。私はまだ22歳ですが、それでもとても学びが多かったですし、この先もこの本を何度も読み返すと思います。
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認知症専門医が認知症になり、自分の変化を綴る。認知症が痴呆と呼ばれ、患者は放置や隔離されていた時代から現代までどのように変化していったのかの話は勉強になった
自分の状態も患者を診るかのように冷静に観察している
認知症は治らない
でも投薬や適切な環境次第で進行を緩やかにはできる。というかそれしか出来ることがないのが現状なのか
祖父母が受けた認知機能のテストは改訂版長谷川式スケールだったと知る
長谷川先生は本当に偉大な方だったんだなと思う
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父がなんだか怪しくなってきたので
認知症に対して、
世間一般で言われていることばかりの把握ではいけないと思い
最近、色々読み漁っています。
認知症になったからといって
昨日までの自分がなくなるわけではないと書かれていました。
当たり前のことですが
わかっていなかったと思います。
診断日を境に父からあれもこれもと
取り上げてしまわなくてよかったと思いました。
90歳ですが、自転車を乗り回すので
やめてほしい私の思い、
自転車に乗れないのは寂しいという父の意見、
色々話をすることが、まずは大切なようです。
看護する側の本ばかりではなく
色々な立場から認知症に対する意識を深めて
できれば、日々の暮らしに楽しみを見つけながら
暮らしていけたらと思っています。
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ご自身が認知症と公表している聖マリアンナ医科大学の専門医の先生の認知症本。
医師と認知症者の二つの立場から認知症のリアルがやさしい言葉で綴られていて、とても分かりやすい。
「認知症になったからといって人が変わるわけではなく連続している」というフレーズが印象的。
■認知症のタイプ
・アルツハイマー型 脳神経系。65歳以上の女性に特に多い。認知症の約6割がこのタイプ。
・脳血管性 生活習慣病による脳梗塞や脳出血が主原因。記憶障害や歩行障害が見られる。
・レビー小体型 大脳皮質や脳幹などに特殊なタンパク質が蓄積することが原因。幻視なども。
・前頭側頭型 前頭葉や側頭葉が萎縮。感情抑制困難や社会ルール忘れなど。
■長谷川式スケール
認知症診断のものさしとなる認知機能診断。
記憶、日時見当識、場所見当識、即時言葉再生、計算力、注意力、脳の記銘力などをはかる。
■脳の記銘力
記憶の第一段階。新しい情報を受け取る機能を指す。認知症ではこの機能が損なわれる。
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長谷川式簡易スケールは、臨床の場でよく使われる、医療従事者にとってはおなじみの検査。
認知症の専門医である長谷川さんですら、当事者になったことで初めてわかったことがあるという。
認知症だからといって差別をしてはいけませんとか、尊厳を持った1人の人間として接しましょうとか、そういった認識は医療従事者であれば持っていて当然で、むしろ当たり前すぎて「何を今更」と感じたのが正直なところ。
しかし、読み進めていくうちに長谷川先生の認知症への探究心、認知症になってもなお、それに悲観せず認知症を深く知ろうとする姿勢に心を打たれた。
同時に、自分がやってきた(やっている)看護やケアは実際のところどうなのか、振り返る機会があまりなかったことにハッとした。
今まで臨床の現場にいて、認知症の患者さんと接することはかなり多かった。
新卒で勤めた消化器外科病棟でも、その後転職した整形外科クリニックでも、高齢者が多く、認知症の方とのコミュニケーションは日常的だった。
記憶に新しい整形外科クリニックでの経験を思い起こしてみる。
クリニックでは、まず初診の患者さんは受付から「問診票」を渡される。
どの部位が・いつから・どんな症状があるのかなど、簡単な質問用紙を記入してもらう。
私たち看護師は、その問診票を元に直接本人へ詳しい状況を聴取しに行く。
(診察が混んでる時にそれをやっとくと色々とスムーズだからだ)
さて、私はその問診票から、その初診患者には転倒による外傷があり、また施設に入居していて、既往に認知症があるという情報を得た。
待ち合いに出ると、車椅子に乗っている高齢者と、その隣にポロシャツ姿の方がいるのを見つける。この方かな?と予想ができる。
(施設入居者は、たいていその施設のスタッフまたは家族の付き添いがある。そしてほとんど問診票も付き添いの人が記入する)
「〇〇さん」と呼ぶと、スタッフの人がいち早く反応し、そちらに向かう。
「こんにちは。今日は転倒されて〜を打って〜な症状があるんですね」
みたいな感じで聴取していく。
もちろん腰は落として、目線を合わせることは基本中の基本。
だけどここで私がしでかしていたことに、今になって気づく。
私はその患者さんではなく、施設スタッフへ聴取を開始しているのだ…
「〇〇さん」という最初の呼びかけで、患者さんの反応が乏しかったこと、(実際に反応したのは隣のスタッフ)、既往の欄に書かれた「認知症」という文字。
たったこれだけの情報で、患者よりもスタッフに聞いた方が迅速で正確に聴取できると判断したからだろう。
一応、患者本人に転倒した時のことを覚えているか聞きはするけど、「どうせ覚えてないだろうし、覚えていたとしてもちゃんと説明できないだろうな」という固定観念はなかったか?と問われると、小さな声で「アリマス…」と言わざるを得ない。
転倒を発見して、受診が必要だと判断したのが施設スタッフだとしても、治療を必要としているのは患者である。
まず患者本人に意識を向けずして、患者中心の医療とは言えないはずだ。
この一例は小さなことかもしれないけど、実際のところ、こういう小さなことの積み重ねで医療や介護の質って決まるのかもしれない。
(ただ実際、全部が全部時間をかけてやってしまうと、他の患者を長時間待たせることになるから、いい塩梅でやるのは大事)
私みたいに医療・介護の臨床に携わる者にとって求められるのは、実践力だ。
理論をどれだけ理解したところで、それが社会に還元されなきゃ意味がない。
自分がやっている看護は、患者の目線に立てているだろうか、という視点は、当事者の訴えを見たり聞いたりすることでよりクリティカルなものになっていく。
たまにこうやって自己を振り返ることで実践力を高め、ゆくゆくは超高齢社会を支える一員になれるよう精進していきたい。
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「認知症になったからといって人が変わるわけではない。」
「認知症は突然ではなく、それまでのつながりの中にある」
といった言葉が印象的。
認知症の人と接する時に、無意識のうちに抱いてしまっている「あちら側の人」意識を変えるきっかけになる本。
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認知症ではないが、持病がある自分としては、健常者と同じように扱ってもらうありがたさが身に染みてよく分かる。自分がもし認知症になったら読み返してみたい。
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長谷川式といえば医師で知らない人はいないと自信を持って言えるが、その作られるまでの経緯なども少し書いてくださっている。これまでの臨床医としての歩みや今思うことについて、身一つで書いてくださっており、全身で臨むような文章からは病院での姿が垣間見えるような気さえした。
とても感慨深く読めた。
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精神科医で、認知症の第一人者であり、自身も晩年に認知症を発症した、長谷川和夫氏の著作。
なんとなく「闘病記めいたもの」や、「周囲にどうして欲しいかを詳細に綴った日記」を予想していたのですが、少し違いました。
内容としては、
・認知症の概要
・長谷川式スケール開発話
・認知症の歴史
・社会福祉のあり方について
などについて綴られています。
専門家としての知識をベースに自身の体験を踏まえて語られる内容ではありますが、どちらかといえば認知症の現在置かれている状況、社会的に不足している問題点や、これから何をしていけるか、といったことに重点が絞られています。
医師ということもあって、感情の描写もさっぱり簡潔にまとめられているため、当事者の心理的な部分の印象は薄めだと感じました。
認知症の方と接する際の心構え的なことは書かれているものの、当事者の視点から認知症を(感情面も踏まえて)深く理解したいのであれば、他の闘病記の方が参考になるかもしれません。
一方で、長谷川氏の功績や認知症の歴史などについて知るということであれば、お勧めできる本だと思います。
当事者となってからも、専門家として情熱を持ち、研究を続けられているところ、本当に素晴らしい方だったのだなと感じました。
(長谷川和夫氏は2021年11月13日に92歳で逝去されています)
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認知症専門医が自らも認知症になって思うことが書かれている本は貴重だと思う。
認知症の原因は加齢。認知症は特別な病気ではなくこの長寿社会では誰でも普通になることなんだとこの本を読んで思いました。老化に伴う認知症はありのままを受け止め、自分らしく生きることができるよう周りが認知症を理解し、社会もその環境を整えることが大切だと思った。
この本で、いくつか心に残る印象的な言葉がある。
認知症の人の話をよく聴くこと、それは待つこと。それは時間を差し上げるということ。
覚えておきたいと思います。
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長谷川先生の穏やかな笑顔の奥には、今までひたむきにに認知症患者と関わってきたこと、自身が認知症になってみて支えてくれる家族や地域があることがあります。「聴くということは待つこと」‥『やさしくおだやかに待つ そして聴くこと その人らしさを大切に』長谷川先生がしたためた色紙に心打たれました!
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長谷川式スケールで有名な著者の本とあって“積読”してあったのだが、つい先日の訃報を見て引っ張り出してきた。
長らく認知症治療の第一線にいただけに、認知症の医療や認知症の患者のとらえ方の変遷がよくわかる。
現役時代は相当厳しい先生だったようだが、文面から伝わってくるのは好々爺然とした姿。
認知症になって「とくにいいなと思ったのは、デイサービスに行ったときに受ける入浴サービスです。(中略)王侯貴族のような気分です」とは当事者にならねば分かるまい。
高齢になっても「心がけているのは、明日やれることは今日手をつけるということ」だったとか。真逆の自分に恥じ入った次第。
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認知症の専門医で、日本の第一人者であり、自らが認知症となった事を公表している長谷川先生著作の一冊。
認知症になっても、喜怒哀楽の感情は最後まで残ると言われています。映画、音楽、美術など、症状が進んでも、最後まで楽しみたい。
また、先生も触れられているが、最後には、その人が信ずる宗教的支えは、是非ほしいものだ。欧米人に言わせれば、当たり前かもしれないが。
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認知症のスケールを作った本人が認知症になったことでの想いを読める本 認知症だからといって違うものとして無意識に見てしまっていたことに反省…認知症の人もその人の人生を生きているから、色物として見ずに普通に接すること。おかしなことを言ったとしてもそれは自分でもあることだから、"その人らしさ"として関わっていきたいと思えた。恥ずべきことじゃない、認知症であることは。
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自分の体験の確かさ、がはっきりしなくなる。
なにをしたかがあやふやになり、何日かがわからなくなる。
100歳を過ぎれば、ほとんどの人が認知症になる。
最初に時間の見当がつかなくなり、場所がわからなくなり、人の顔がわからなくなる。
講評したことで、あちこち取材を受けたことが進行を遅らせた。嗜銀顆粒性認知症だった。
認知症の定義は、いままでの暮らしができなくなること。
一生ならないのは、先に死ぬだけ。いかになる時期を遅らせるか。
認知症は固定されたものではない。
笑うことは大切。
パーソンセンタードケア=その人中心のケア=小さな子が転んだとき、4歳くらいのお姉ちゃんが一緒に寝転がって笑いかけた。同じ目線に立つこと。
デイサービスは至れり尽くせり、生活の匂いがない。
認知症テストは短時間で。高齢者は30分には耐えられない。
100から順番に7を引く。93から7を引く、ではなく、そこから、また7を引く、と質問する。覚えていられるかが大事。
車の運転は、辞める。タクシーを使う。
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長谷川スケールの長谷川先生が自ら認知症になったことを公表された著書。
午前中は調子よく、午後は疲れてしまいわからなくなると言う。
初期の段階で診てもらう方がいいのだろうが、やはり病院で検査を受けさせるのは本人が嫌がったりして連れて行きにくい
将来的に認知症にならない薬ができるのだろうか
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母がレビー小体型認知症を発症して、それが一体どのような世界なのか知りたくて選書した。印象に残っているのは「待つ」というのはその人に時間を差し上げることだと著者は言う。差し上げる作業が多いと苦痛になるが、一日のうち何時間かを差し上げたと思えばいいことをしたような気持ちにならないでもない。
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認知症の専門家である著者が、当事者になって初めてわかった事を書いてくれたことは大きな意味があると思った。
認知症に限らず他の病気であっても、その人の尊厳が損なわれる事はないこと、病気ではなくその人自身と向き合う姿勢が大事だということが書かれており納得。当然のようだが忘れがちな事だと思うので、改めて肝に銘じておこうと思った。
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長谷川スケールの考案者が認知症になる。ご本人はどう思っているのだろう。NHKスペシャルを見て読む事にした。
「認知症になったからといって、昨日までの自分とまるで変わってしまうわけではない。」
周りからとやかく言われる事は多くなったとか、転びやすくなったとか、本人としてはその程度の感覚なんだと思った。
だが、家族は困惑して失望し、周りは腫れ物ちさわるような扱い方をする。
周りの変化に戸惑い、不安になるのだとわかった。
Posted by ブクログ
認知症専門医の著者が当事者になり、現在の社会や医療に何ができるか、また認知症の歴史や判定法の開発など、自身が関わってきたことが記されている。認知症にも様々な種類があり、一括りにはできないという話が印象深かった。
Posted by ブクログ
祖母に今何がしたいの?と問いかけたことはなかった。
こっちの都合に合わせたくない時もあるよなぁ。
問いかけられる人になりたい。待てる人に
でも介護する側の気持ちもわかる。考えている分その通りに動かしたくなってしまう。
悪い人がいない両サイドを調節して、軋轢を減らせる様になりたいなぁ