森下弓子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレヴィクターの人間らしい憎しみ、憎悪こそがホラー。
ヴィクターの亡霊(ドッペルゲンガー)「怪物」の孤独からくる憎しみ、苦しみとの対比が読者をぞっとさせる。なぜか?
この物語の怖さの本質は「怪物」の見た目の恐ろしさでもなければ、主人公の愛する肉身の数々の非業の死でもない。自分が生み出した生命に対する人間らしいエモーショナルな感情の熱情が怖いのである。明らかに自分に帰ってくる許すべき存在である「怪物」に復讐することに取り憑かれた「哀れな」マッドサイエンティスト、それがフランケンシュタインであり、人間とはそうでしかあり得ない臨場感に恐怖する。
「怪物」の視点でこの原作を読むと、その眼差しの奥にアニミズムが宿っていることにも驚いた。そう、「怪物」は常に森に逃げ込み、闇夜から現れる。鳥の囀りや自然の蠢きに癒され、なんと「怪物」自身が「どこから来てどこへ行くのか」と、あのゴーギャンの絵画のタイトルを口にするのだ。そう、人間に造り出された「人造人間」も、孤独に苛まれて人類全てを憎むその感情も理不尽も全て、コントロールできない混沌の外から「やってきた」アニミズム=存在論そのものなのだ。ヴィクターは最後までそのことに気付けなかった物語とも言える。ヴィクター自身の絶望と恐怖と憤怒の感情も同じく混沌からやってきた何かだと。
「スパイラル 推理の絆」が描くものは「フランケンシュタイン」のアニミズムの本質に気付いた「怪物」が自らの寿命も絶望も受け入れ、世界を祝福する物語だ。「フランケンシュタイン」を題材にした物語の中で最も希望に満ちたドラマだが、やはりポイントは結崎ひよのだ。
もしかしたらひよのは、「フランケンシュタイン」では作られなかった「フランケンシュタインの花嫁」だったのかもしれない。そしてひよのというキャラクターは作られた偽物に過ぎないところも素晴らしく、ただ創造主によって造り出された「怪物」にとって都合の良い伴侶役としてのキャラクターをメタ的に破壊してしまう。ある意味「フランケンシュタイン」よりもイジガワルイ。
創造主たる鳴海清隆は自身のクローンである歩に問う
「その底なしの混沌と暗闇でお前を今支えているのは何だ?」
それは偶然(!)歩はひよの(を演じる誰か)を信じる(コーリング)ことができたからだ。そしてひよの(を演じる誰か)は密かに涙でそれに応える(レスポンス)。二人は(そしてブレードチルドレン達は)世界を救うエートスを共有し、別々の道を歩む(responsibility)。
二人の出会いと絆こそが、世界の祝福だ。原作「フランケンシュタイン」はそれに気付けなかった男の末路を描くことで逆説的に世界の祝福の存在を浮かび上がらせる。 -
Posted by ブクログ
「タイトルは有名だけど中身知らないよね」
となる典型的な作品の一つ。
長らく積ん読状態だったけど、
とあるブログのレビューが興味深かったのでこの度呼んでみた次第。
語り手が交代しながらモノローグを行うように展開されていて、
解説よろしくこれが後生の『嵐が丘』等へ派生していくというのは個人的に胸がアツくなる部分ではある。
フランケンシュタインと聞くと一般的には怪物をイメージしがちだけれども、
怪物には固有名詞はなくフランケンシュタインとは怪物を生み出した天才科学者(ヴィクター・フランケンシュタイン、主人公)の姓である。
物語の原題は正式には『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』。
プロメテウスとはギリシャ神話に登場する神の一人。
寒さに凍える人間を想い火を与えることでその生活を助けようとしたが、
火を与えられた人間がそれを争いに用いたことにより刑に処せられる。
ヴィクターば人間を作ったこどにより、
怪物ば言葉を理解してしまったこどにより、
自らが抱える愛を遥かに超越した絶望の淵に置かれ身を滅ぼす。
-現代のプロメテウス-はその隠喩にあたる。
人間と怪物を比較することで人間の定義について問いを投げ掛けていて、
そのような意味ではSFの先駆的な作品としても位置付けられているようである。
…というように何の気なしに呼んではみたものの
幅広いジャンルに影響を与えたようだ。
圧巻なのはやはり終盤。
ヴィクターが息を引き取ったのを観た怪物がウォルトンに自らが抱える想いを吐露する場面。
目を合わせられなかったとはいえ、
怪物がまともに会話したのはヴィクター以外ではウォルトンが初めてであり、
それゆえに怪物がとても人間らしく見える。
別の機会に是非映画も観てみたい。 -
Posted by ブクログ
今回は仮面ライダーの要素の一つという不純な動機で読んだ
いわゆる『異形の悲哀』をテーマにした作品の祖であるが、ホラー作品にしては余り恐怖を煽る描写が少なくむしろその内容はSFの祖としても語られる内容である
ちなみにハリウッドの映画の方が有名であるがそちら作品はほぼ別物と言っていいほど登場キャラの造詣が違う
まず怪物は知能指数の薄い脳筋ではなく、完全犯罪を仕立て上げ物的証拠を使い使用人に冤罪をしかける非常に狡猾な知能犯である事がわかる
またヴィクター・フランケンシュタインもマッドサイエンティストの代名詞として名が通っているが、原作では知識意欲に旺盛なオタク気質で気の弱い青年として描かれている
古典的な作品でありながらも生まれた事への罪を問われる作品である為現在のテーマとしても決して色褪せない名作である -
Posted by ブクログ
ネタバレフランケンシュタインの名前は聞いたことがあるし、あの人造人間のイメージは馴染みがあるが、その由来となった小説は誰も読まない、らしい。
アンパンマンにさえ出てくるのに。
たまたま本屋で出会ったので、読んでみることにした。
まずしょーもないこととして、
フランケンシュタインって、あの怪物の名前じゃないんかよ!
(怪物を生み出した青年科学者の名前です)
一通り読み、まずはフランケンシュタインの無責任さにイラっとする。自分の力を過信して、生命を作ったらそれが醜いからって部屋に逃げ帰って放ったらかし。なかったことにするな!
で、大切な弟が怪物に殺されたと確信しているのに、無実のジュスティーヌが処刑されるのに、逡巡しながらも結局何も言えず、ジュスティーヌは死刑になる。
一方、怪物に図らずも備わった純粋で高貴な性質に…怪物ってなんだ?という思い。肉体と知性だけ備わり、訳もわからぬ状態から必死で生き延びる方法を学び、人との交わりを欲し、必死で言葉と文字を覚える怪物。
自分が愛されない風貌をしていることを折り込んで、どうにか人と触れ合うには…といくらもがいても決してうまくいかない。人からは悪意しか向けられず、とうとう闇落ちしてしまう。
怪物はフランケンシュタインに言う。自分と同じくらい醜い女を作ってくれたら、自分は孤独から救われ、二度と人間に姿を見せない、と。怪物は作り主を憎む一方で、(どうしてこんな風貌に作ったのか)作り主にきちんと向き合って、認めてもらいたかっただけなのだ。
その願いを打ち砕いたフランケンシュタインに、さらなる悲劇が訪れるのだが…。
どうしてもフランケンシュタインの自業自得感が否めない。きちんと自分が作ったものに向き合わずに、復讐だの言ってる場合じゃないのでは。
それと、知識と孤独は非常にくっつきやすいが、重なったら諸刃の剣だ。怪物を生み出したフランケンシュタインもそうだし、人との交わりが不可能な怪物が知識や理性を手に入れることによって、自分に与えられた理不尽さが一層わかってしまうから。
解説によると、この本はSFの起源と言われているらしい。このように現代にもつながる問題提起をしてくれるのは、優れたSF作品の証だと思う。
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Posted by ブクログ
〔フランケンシュタイン豆知識〕
・怪物の名前ではない
・怪物を創り出したフランケンシュタインはマッドサイエンティストの博士ではなく、大学生
・怪物が読んで感銘を受けた書籍は『若きウェルテルの悩み』『プルターク英雄伝』『失楽園』
・最初は北極を目指す冒険家の話、その中でフランケンシュタイン、その中で怪物の話という入子構造になっている
・怪物はあまり暴れない、知的で感性の細やかな人間の能力を超える存在。しかも動きが早い。確実に絞殺する。
・フランケンシュタインは怪物を創造した良心の呵責から現実逃避してばかりであまり天才という感じの人物ではない。結果、予想どおり周りの人を怪物に殺されまくる。
・今ならAIとパラレルに考えられるかも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレSFの起源と言われている本作、『標本作家』で登場したこともあり、手を取りました。ザ・いつか読みたいとは思っていたが、読んだことがなかった本。
そして読み進めていくうちに、おそらくほとんどの方が思われている「えこんな話だったの…?」「フランケンシュタインって博士側の名前なんだ笑」などなど、思いながら読み進めました。
正直、怪物に同情してしまって、なんというか煮え切らないフランケンシュタインおまえ!!と思ってました。怪物ぅう…そしてこれはある意味BLだなとも思いながら…
「だがすぐに…自分は死に、今感じることももう感じはしなくなる。燃えるようなこの苦悩ももうすぐ終わる。自分は意気揚々と火葬の山に登ってゆき、劫火の苦しみに凱歌をあげよう。大火の明かりはうすれゆき、自分の灰は風に乗り海へとさらわれてゆくだろう。わが魂は安らかに眠る、よしたとえものを思うとも、今のように思いはすまい。さらばだ」
こんな言葉を残して逝く人と、愚かにも自分が責任を負える範囲を超えたものに手を出す人、そして人類とでは、どちらが本当に怪物なのだろう?
人類の行く末を案じさせるような意味で、この本は紛れもなくSFだなと -
Posted by ブクログ
分類としてはホラーになるかもしれませんね
天才科学者 フランケンシュタインが、生命の真理を窮めて創りあげたものが怪物だった。やがて、知恵を持ち感情を持つことになる。
宗教色の強いこの作品は、キリスト教で言う創造物である人間を倫理を超えフランケンシュタインが名もない怪物・生命体を造ってしまった。それが是か否かは、わからない。
醜悪であるがゆえに、全ての人間に問答無用の如く忌み嫌われてしまう。やがて、怪物は自身を創造したフランケンシュタインに憎悪を抱き、復讐する事となる。
小説の著者 メアリー・シェリーは、パーシーやバイロンらと人造生命の可能性について語り合ったことが同作の着想のきっかけとなっている。そして同作品は二人の合作であり夫婦(メアリーとパーシー)です。
誰もがいう事だが、フランケンシュタインの名を知らぬ者はいないが、原作を読む者は欧米でもまれだそうです。それでもこの名が普及しているのは、ひとつには映画の影響、もう一つはSFの世界ではこの小説がH・G・ウェルズ以前の古典の一つに数え上げられているためであるという。
冒頭で「宗教色の強い」と書いたが、「種の起源」ダーウィンの進化論は神の否定につながり・・・云々。その点についての考察については、小説を読み個々で言及すればいいのではないかと思う。細かいことについて、いろいろと詮索すればかなり深い作品だと言えよう。その分読みごたえもあるということです。