清水幾太郎のレビュー一覧

  • 論文の書き方

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    胸に刺さった。とても知的で誠実な説教をされた気分。編集者だったときに、ここまで真剣に言葉に向き合ってなかったなあと反省した。

    いわゆる「文章読本」としては珍しく、例文がほとんど出てこない。how to本を期待した読者の多くは、そこで肩すかしを食らったような気になるかもしれない。では、例文なしでどのように「論文の書き方」を説明しているのか。本著で展開されるのは、「知的文章を書くとはどういうことか」についての深い考察だ。「書くとは?」 「日本語の特徴とは?」 「言葉の裏側にある本質的な何かを伝えるのは?」 そういった、知的文章を書くために根源的に向き合わなければならないことのひとつひとつを、著者の経験や古今のエピソードなどをもとに、誠実に深掘りしている。そこから導き出された実践方法は、「日本語を外国語のように扱う」「建築物のように、文章を構築する」「『が』を警戒する」といったものだ。一見すると、抽象的すぎると思うかもしれない。しかし、本著を読むと、これらが「書く」ことの本質をとらえた、普遍的な方法論であることがよくわかるだろう。

    読みながら「古典と言っていいような普遍性をもっているなあ」と思っていたら、この手の本の中では古典なんだね。岩波新書の中でもベストセラーだとか。自分が本著を手をとったきっかけが、岩波書店がやっている「はじめての新書 岩波新書80周年記念」の企画で、大澤聡が帯文を書いていたから。結果的には大正解だったなあ。岩波新書の深さを感じた。いまの新書のあり方とは、まったく違うなあ……。

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    2019年01月28日
  • 歴史とは何か

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    ビジネス本の読書会にて

    「 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」

    深い言葉だ。歴史的事実一つをとっても「現在の歴史家」というフィルタを通してみるしかなく、歴史家の数だけ事実が存在し得る。

    実はこの本、昭和30年台に父が購入したもので所々に鉛筆の線が引いてあり、冒頭紹介した語句にも引いてあった。さらに言えば、この本は大学で哲学を学んでいる息子が祖父のところにいったときにもらってきたものだが、存在を知らず、今回の読書会に行こうとしていたときに息子から存在を知らされたもの。親子3代に渡って同じ本を読むことになり感慨深い。

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    2018年11月23日
  • 歴史とは何か

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    「事実は神聖であり、意見は勝手である」
    →これはガーディアン紙の編集長だったチャールズ・プレストウィッチ・スコットの言葉。事実を正確に把握することは難しいけど、そのたったひとつしかない事実へと辿り着くことが歴史の使命。たったひとつしかないがゆえに、事実は神聖なんだ。意見はひとそれぞれ自由に持てばいい。

    「過去に対する歴史家のヴィジョンが現在の諸問題に対する洞察に照らされてこそ、偉大な歴史は書かれるのです。」
    →事件を並べれば歴史になるわけではない。過去を歴史的に解釈するためには、現在起きている事件への考察が必要となるんだ。

    「原因という問題に対する歴史家の見方の第一の特徴は、一つの事件について幾つかの原因を挙げるのが普通だということであります。」
    →なにかの原因を探すとき、わたしたちはひとつ原因を見つけると安心してしまうけど、世の中ってそんなに単純ではないよね。いくつもの原因が複雑に絡み合った結果としてひとつの事件が起こるのです。

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    2017年05月12日
  • 論文の書き方

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    論文の書き方を知りたくて手に入れた書籍。一般的な文書の書き方を教えるという内容ではなく、日本語の文書とはから著者の経験から解説した書籍だった。文書を書きたい人に、書きたいけど悩んでいる人に、何かヒントを与えてくれる。

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    2016年07月27日
  • 歴史とは何か

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    英国の歴史家E.H.カーが、1961年にケンブリッジ大学で行った講演「歴史とは何か」を全訳したもので、今や「歴史哲学」を論じた古典の一つとも言える一冊である。
    本書の中で繰り返される「歴史とは現在と過去との対話である」というフレーズは、その後本邦で発表された歴史学を始めとする数々の書籍でも引用されている。
    私は、本書を読んだことにより、歴史とは「史実」と「解釈」が組み合わさって成り立つものであることを認識し、それ以降は、何らかの形で(本でもTVでもネットでも)提示される「歴史」の見方が間違いなく変化したし、極めて大きな影響を受けた。
    著者はまず前半で、「歴史家と事実」、「社会と個人」、「歴史と科学と道徳」、「歴史における因果関係」といった切り口で、歴史の持つ普遍的な意味を以下のように論じている。
    歴史家と事実~「歴史上の事実は純粋な形式で存在するものでなく、また、存在し得ないものでありますから、決して「純粋」に私たちへ現われて来るものではないということ、つまり、いつも記録者の心を通して屈折してくるものだということです」、「事実を持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命もなく、意味もありません。・・・歴史とは歴史家の事実の間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」
    社会と個人~「歴史とは、ある時代が他の時代のうちで注目に値すると考えたものの記録であります」
    歴史における因果関係~「歴史は、歴史的意味という点から見た選択の過程なのです。・・・歴史家は、歴史的に有意味な因果の連鎖を、多数の原因結果の多くの連鎖の中から取り出すのです。・・・別の原因結果の連鎖が偶然的なものとして斥けられねばならないのは、原因と結果との関係に違いがあるからではなく、この連鎖それ自体が無意味であるからです」
    そして、後半の「進歩としての歴史」、「広がる地平線」では、20世紀半ばという時代を反映して、ヘーゲルやマルクスの目的論的歴史観・唯物史観への疑問、構造主義的な考え方を語っている。
    「歴史とはどのように捉えるべきなのか」、「歴史にはどのように向き合うべきなのか」を知るために、必読の書である。
    (2005年5月了)

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    2018年01月26日
  • 論文の書き方

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    論文を書こうと思った時に読んだ本。
    清水幾太郎の著書であり、非常に示唆に富んでいるし、表現もわかりやすい。
    文章を書くという行為、読むという行為に比べると高度な、大変な行為だと書いてあったのが印象的だった。

    それを表すように「文章とは認識である。行為である」(56頁)と書かれている。文章はただそこに書かれている文字の塊ではない、書いた人と読む人との間での交流が行われている。認識の違いが浮き彫りになることもあれば、たった一文で認識がガラリと変わってしまうことすらある。
    とはいえ、文章は必ずしも情緒的なものでもなく、理にかなって作られるものである。それは「数式を解く場合も論理が働いているが、外国語の場合も論理が文法と一つになって働いている。辞典と文法を頼りにして、私は全く理詰めの方法で外国語の文章を読んでいかねばならぬ」(83頁)というように、外国語の文章を読むということと数学の話をつなげて説明している。
    しかし、外国語とは何のことだろうか。それは英語やフランス語、アラビア語等のことだけだろうか。日本語であっても、専門用語が使用されている論文や文章を読む行為だって外国語を読む行為に近いものだと思う。
    また、言葉の定義だって人によって異なることは多々あるからだ。
    ある文章には、その背後にいくつもの背景や文脈があり、それらを踏まえ、理詰めで読んでいって内容がより一層わかる文章は世の中に多くあり、日本語を外国語のように改めて勉強し直すことは大事なのではないかと思う。

    文章を書くという行為の難しさは単にそれが日本語が、実は難しいというだけの話ではない。そこに残される文章は現実を表すものであれば、それは歴史として残るからだ。以下のように書き手の責任感について、清水幾太郎は述べている。
    「本当の現実や本当の真実は、人間の働きを含んで初めて成り立つ。人間の責任を含んで初めて成り立つ」(190頁)

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    2015年01月17日
  • 本はどう読むか

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    ネタバレ

    『本を読む本』を意識した題名なのかは知らないが、趣旨は全く違う。20分程度で読むために、取捨選択して読んだ中で印象に残ったのは次の3つ。1つ目は、書評は読んだことをアウトプットするためだけでなく、自らにひきつけて「主体的な」ものにするために有益であるということ。2つ目は、本を読む第一の目的は著者がその本を書くことを決意した理由、言わば「作家の衝動」を理解することであり、そのためには一字一句理解することは求められずただ早く読めば良いということ。3つ目は、「本を読むことは考えなくなること」などといったショウペンバウムの教訓を「本に読まれるな」と表現していたこと。自分にとって、この3点をまとめると読書は、自分の目標と作家の衝動を結びつけて、効率よく読み、またそれをこれからの自分の思索・行動に活かすための主体的なリアクションをするということでなのかなと思う。

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    2011年08月11日
  • 論文の書き方

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    ネタバレ

    論文の書き方だけでなく、書籍の感想(レビュー)のような短い文章でも役に立つ、「文章の書き方」の考え方を示しています。

    IIIには、「が」を警戒しようという章になっています。
    「私は、こう思いますが、そうでない場合もあります。」
    というよりは、
    「私はこう思います。しかし、そうでない場合もあります。」
    の方がよいと思われます。

    自分でこのレビューを書いている最中でも、「レビューを確認する」時に、2つのことに注意しています。

    一つは、文章を入れ替えて、論理的なつながりを分かりやすくすること。
    もう一つが、長い文章を、短い一つの論理だけの文章にすることです。

    前者は、
    V「あるがままに」書くことはやめようという章に関係しています。

    最初に読んでから、すでに30年経っていますが、今でも役に立っています。

    という文章は、次のように書き直しています。

    最初に読んでから30年経っています。今でも役に立っています。

    この方が、印象がいいと思います。いかがでしょうか。

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    2011年09月17日
  • 歴史とは何か

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    難しいが面白かった。
    特に面白いと感じたのは、「歴史的事実は歴史家が作る」という解釈である。歴史的事実とは、ただ単に歴史上本当に起こった出来事を指すのではなく、歴史的に意味のある出来事のことを指すのであり、何が歴史的に意味のある出来事かを選別するのは歴史家である、という解釈である。そして、何が歴史的に意味があるのかは、その時代を研究する歴史家が生きている時代の情勢に左右される節もある。例えば、経済情勢が非常に不安定な時代であれば、世界経済を揺るがした出来事(リーマンショックなど)は歴史的に意味を持つものとして積極的に研究されるであろう一方で、文学活動によって新しい出版社が設立されたといった出来事は優先順位が下がる、といった具合である(あんまりいい例えじゃないけど…)。
    今まで考えたことがない視点から歴史を考えることができ、教養が深まった気がする

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    2026年04月19日
  • 論文の書き方

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    短文から論文を構成していくというコツがかなり使えそうだった。また、難しい言葉をやたら使用しないという事も。
    発行されたのがかなり古いが、それでも今でも通用する内容だった。
    どちらかというと、テクニックというより論文を書く訓練方法や考え方に近いので、応用が効くと思う。

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    2025年09月30日
  • 最終講義 挑戦の果て

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    戦前から戦後、現代に至るまで各分野の知の巨人らが述べた良書である。
    多様な著者の文学研究以外の物理学や法学、社会学など様々な研究で得られた知見と知のバトンを次世代に受け継ぐ本である。
    興味があれば、中学生からでも読み始めている人は多いだろう。研究者とは「研究しない自由はない」と本著で述べている通り、全ての学問に対する研究に責任があると説く。第一線で活躍していた研究者の言葉を聞き、現代の価値観や様式、世界規模での情勢をその時の生きた時代の研究者へバトンは渡され、人類は発見と修正を繰り返しながら前に進んでいく。世界は広い、本著でも紹介されきれない研究者は山ほどいるだろう。そして、今生きる現代の次世代の優れた研究者も生まれ始めているだろう。この連鎖は昔も今も未来も変わらない。
    研究ということを人類が放棄しない限り、未来永劫続くだろう。
    本著は主に今研究している人とこれから研究者になろうとしている次世代への期待を込めた良書であり、知的発見と好奇心をくすぐられる内容となっている。研究という中だけでは留まらず社会貢献をしてその研究が生活に浸透したとき、誰かの心に知的好奇心に響いたとき、研究という知の結晶のバトンは繋がれていくのだ。

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    2025年07月19日
  • 論文の書き方

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    2025/02/23
    読み始め。

    論文の書き方の本だけあって、とても読みやすい。
    1959年初版なので、多少は古さを感じなくもないが、文章論に流行り廃りも影響しないと考え、このまま読み進めていくことにする。

    2025年3月28日
    飛ばし気味に読み終えた。
    国語が苦手な私にとっては、ちょっと難しかったかもしれない。

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    2025年03月28日
  • 最終講義 挑戦の果て

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    本書に掲載された最終講義について一言ずつ。

    桑原武夫…仏文学者以上に隲蔵さんの子息、というイメージが強い。垣根を越えた研究という事では共同研究も論語の著作も同じなのかも知れない。

    貝塚茂樹…大学者一族の一角、湯川秀樹は弟。東洋史学者の模範的な最終講義だと思う。

    清水幾太郎…60年安保前後で言論が大きく変わった、という印象の人だが、コントに興味を持つ面白い講義だった。

    遠山啓…存じ上げない方だったが、数学論がほんのちょっと分かった気がした。

    芦原義信…ゲシュタルト心理学から都市空間を観るのは面白い。

    家永三郎…教科書検定裁判の人、として子供の頃から名前は知っていた。大人になってから読んだ戦争責任は興味深かった。

    猪木正道…独裁とは、その独裁を必要としないような状態を作る為の非常手段である、か。

    梅棹忠夫…民博の父。関西のアカデミズムを代表する1人。

    江頭淳…慶応と奥さんが大好きな人だったんだな、と思う。奥さんを亡くして生きる糧を見失ったのか。

    木田元…ハイデガーがほんのちょっと分かった気がした。メルロ=ポンティという響きが何か好き。

    加藤周一…在校生だったのに何故この最終講義の存在を知らなかったんだろう…

    中嶋峰雄…この方も存じ上げなかった。文明の衝突論を批判しているが、ここに来て又衝突論の有用性が唱えられている。難しい。

    日野原重明…おじいちゃんアイドル、というイメージが強すぎたが、後生に残る医学者なんだよな。

    ジュンク堂書店大阪本店にて購入。

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    2024年07月17日
  • 歴史とは何か

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    大学の講義にて本書の内容が複数引用されていたため、本書に興味を持った。

    歴史とは過去との絶え間ない対話の過程であり、それを行う歴史家は、現代の中を生きる個人であるため、社会、文化的影響を受けている。だから歴史を研究するときは、まず歴史家自身を研究する必要があると本書から学んだ。

    歴史研究において、事実を重視し過ぎると、無味乾燥な歴史ができあがり、解釈を重視し過ぎると、懐疑主義やプラグマティズムに陥る。その間で両立が必要だと学んだ。

    現在にも通じる歴史観がここにある。

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    2024年05月06日
  • 論文の書き方

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    論文を書く参考にはそこまでならなかったけど、なかなか面白い本だった。日本語って構造的に欠陥があってなかなか読みにくいね。その分色々凝った表現が出来るんだろうけど、

    書くと読むの違い 短文で書いてみる デッサンしないと論文かけないよね

    美文を真似しろ 主語をはっきり 「ひとってなに?」 イエスノーをハッキリ 新聞スタイル とは

    「が」の便利さ 会話は社交の原則 書き言葉は孤独 批判するには理解しないと

    幾何学だぞ 描き始めが肝心 外国語と日本語の違い 学校教育で文章の基礎的技術教えなさい 話すとおりにかけとは?

    書くというのは? 空間的並列状態にあるものを時間的継起状態に 写真文書絵画 文章は作り物でいい 日本の自然尊重の弊害 無駄な穴埋めの言葉は不要必要?

    書くことは爆発だ! ゲーテの作家論 批判の仕方 権威の引用? 道徳的であることで利益を得る

    経験と抽象の往復 定義とは狭き門を通って作られる 明治初年の造語作業 溝は小さくなってるものの テレビの挑戦


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    2023年02月13日
  • 歴史とは何か

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    クラシックな名著であり、読み下すのにはちょっと労力がいりました。

    序盤にまず、「歴史とは何か」についての著者としての最初の答えが示されます。歴史とは、現在と過去の対話である、と。相互的なのです。今が変われば、過去も変わるし、そうやって過去が変わると、今にも影響が出てくる。そういうインタラクティブなものだというとらえ方は、たとえば僕が学生の頃の社会科の授業ではまったくでてこなかったです、本書が世に出てしばらく後の時期だったのに。

    ともすれば、歴史とはゆるぎない事実について、その真実をつきとめるもの、ととらえてしまいます。絶対不変の真実があって、それをつきとめるのが歴史なのだ、と。しかし、著者が説得力をもって解説する歴史とは、そういうものではない。可変的なものであるし、どうしても歴史家の主観が混ざりこむものなんで、完璧であることはありえないのでした。

    だからこそ、著者は微に入り細を穿つような事実収集による歴史考察を否定しています。しかしながら、ちょっと脱線して考えたのは、この事実収集の方法論って、事件の捜査では奨励されることであり、歴史の方法論とは真逆だったりするのではないか、ということ。分野によって違ってくるわけで、「これはこうだったからあれもこうでいけるに違いない」という不注意な類推はいけない、ペケなんだ、ってことが学べます。本書でも、歴史から学ぶ点などについて、不注意な類推は避けるように、と注意喚起されていました。

    考えさせられながら肯いたのは、「巨大な非個人的な諸力」つまり、諸個人の力についてのところ。名の知れぬ数百万の人たちこそが諸個人の力といわれる力で、そういう大きな数になったときに、政治力となる、といいます。フランス革命しかり、です。そうであってこそ歴史となるわけで、歴史とは数である、と著者は主張している。また、諸個人の力が、彼らが誰ひとりとして欲していなかった結果を招くことは珍しくない、とも解説しています。というか、歴史をねじまげる力がある、と。二度の世界大戦や世界恐慌などがそうだと著者はさまざまな歴史家の主張を引きながら述べています。

    また、「社会」vs「個人」という対比、つまり「社会」か「個人」か、という見方ですけれども、そういった見方はナンセンスだ、とあります。社会に反抗する叛逆者であっても、社会に対する個人としてとらえるよりかは、社会の産物であり反映である、と著者は考えている。このあたりも、納得しました。著者は、歴史についての絶対がない、ということでもそうでしたが、ある領域の「外」を設定することの間違いを何度も説いている。歴史についての絶対的で客観的な「外」はないし、社会についても社会に対するその社会の「外」に位置する個人というものはない、とします。この発想というか、発想を考え抜いたひとつの強い知見が、本書のひとつの強靭な柱になっているようにも読み受けられました。

    あと、おもしろいのはp46にあった以下のような内容のところです。自分に有利な施策は推進しようとし、不利益な施策は阻止しようと努力するのは、当たり前のこと、というのがそれでした。欧州的な、闘争の世界観ですね。こういった世界観が常識として根付いている。スポーツの世界でのルール変更が、力のある欧州有利に働くことは多々ありますけども、その考え方の根っこはこういうところにあるのでしょう。

    脱線した箇所になりますがもうひとつ、ちょっとおもしろいところを。
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    「時代が下り坂だと、すべての傾向が主観的になるが、現実が新しい時代へ向かって成長している時は、すべての傾向が客観的になるものだ」(p185にてゲーテの引用)
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    いろいろと考えさせられるところのある言葉です。僕は創造性にとって客観性は外せない要素だと思っていて、たとえばこれからつくるまだ目には見えないものをイメージする段階においても、それが主観的だとすぐに現実から逸れたりずれたりしがち。人間の主観は、客観が手綱をひいて操縦しないと意図しない方向へ走り出してしまう感じがある。時代が新しい時代へ成長しているときに、客観が手綱をひいてやらなければそのせっかくのかけがえのない創造はバランスを欠いたり、崩れたりしてしまう。創造への本気の態度は、必ず構築を達成する、という態度ではないでしょうか。そのための客観。時代が下り坂だと主観的傾向になる、というのは、下りの時代的なネガティブな気分に押し流されて自分を見失ってしまわないために、自分を自分のなかに繋ぎとめて下り坂を転がっていくのを防ぐための主観なのではないでしょうか。時代との同期を断ち切るための、主観。人間って、時代の隆盛と衰微を意識的にとらえると、それが無意識に落ちていくとそこで主観や客観の使用度合いを変えるくらいのことを自動的にやると思うんですよ。そんな具合に、人間ってできていますよね、たぶん。

    最後に、「理性」についての考察の部分を。たとえば、精神分析を作り上げたフロイトを、その仕事の成果から、「理性」を拡張した人物と著者は位置付けています。フロイトに限らず、新たな知の発見は、「理性」を拡張するのです。「理性」の拡張、という言葉の使い方、そういった把握の仕方は、60年以上前の論説でもいまなお新しく、僕にとっては新鮮な風のようでした。

    実践的なものや具体的なものを挙げて、それを賞賛し、他方で理想や綱領のような抽象的で観念的なものを非難する、そういったあり方が保守主義。保守主義は、「理性」を現存秩序という前提に従属するものと位置づけてしまいます。つまり、現存の秩序は絶対で、揺るぎないものとし、誰によっても揺るがせてはならない、とする。しかしながら、保守主義と相対する自由主義は、「理性」の名において現存制度などの秩序に挑んでいくもの、社会の基礎をなす前提に向かって、根本的挑戦を試みる、という大胆な覚悟を通して生まれてきたものだ、と著者は述べています。そのうえで、著者の立場として、歴史家、社会学者、政治思想家がこの仕事に進む勇気を取り戻す日を待ち望んでいる、と言い切っていました。そして、自由主義のほうが、大きなクリエイティブという感じがしました。

    というところですが、内容がぎゅっとみっしり詰まっていますし、わかりにくい論理展開だと思う部分もたくさんありました。読み切れていないところ、誤読しているところもあるでしょう。だとしても、よい出合いでした。著者とぶつかりあいながら、でもときに肩を組みながら、読み終えたような読書です。しゃべり言葉といえど、骨太です。著者の頭脳の強大で強靭で柔軟なさまをみてとれると思います。そういった人物がいること、こんなに考えることができる人間っているんだ、と知ることは、本書の内容を知ることとは別に、人生の糧となるものだと思いました。

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    2022年12月08日
  • 歴史とは何か

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    はしがきで「歴史とは現在と過去との対話である」というフレーズが登場するが、繰り返し述べられるこの一文に本書の大部分が表されていると思う。
    ここでいう「歴史」とは過去に起こった事象そのものではなく、「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程」と著者は定義している。
    私たちが学校や書物で学んだ歴史は、歴史家の主観が多大に影響しており、「歴史的事実」と言われるものでさえ「解釈の問題に依存する」のだという。
    これの意味するところを考えてみると、もし歴史における客観的事実を知りたいのであれば、過去に行われた歴史家の解釈に挑む、つまり対等な立場で対話するくらいの心構えで向き合わないと真の歴史の姿は見えてきませんよ、ということなのだと理解した。

    述べられていることは全くもって正論なんだけど、日常を生きるのに忙しい庶民にとってみると、歴史に触れる際に常にこのようなスタンスで向き合わないといけないというのはなかなか難しいのではなかろうか。なので頭の片隅に入れておく、ぐらいの受け止め方がちょうどいいのかもしれない。
    やはりある程度信頼できる人物が補助線を引いてあげる必要があるのだろうけど、カルトのように悪意を持って偽史をばらまく輩もいるからなかなか難しいところではある。

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    2022年10月10日
  • 歴史とは何か

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    歴史=過去の事実(と思われしもの)の蓄積で、史料に裏付けられた客観的なもの・個人の解釈から独立したもの、と思っていたけど、真逆だったのか〜と納得した。
    同業者に対する切れ味鋭い皮肉に笑ってしまう、、

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    2021年12月31日
  • 論文の書き方

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    タイトルから論文のノウハウを指南してくれるかと思いきや、「が」の乱用や抽象・具体の行き来、東西の文化論まで視野に入れた本格的な文章論だった。
    著者も後書きで述べているようにここでいう「論文」の意味は結構広い意味であり、人によってはミスリードにつながるタイトルだと思った。
    今からすると大分昔の本なので、テレビ・ラジオの登場により文章の地位が脅かされているといったことなども取り上げられている。その当時(今も)切実だったのだろう。
    そういう時代感を把握する上でも価値のある本だと思う。

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    2021年01月05日
  • 歴史とは何か

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    歴史関連の書籍を読むことが多い自分にとって、改めて歴史とは何かを考えるべく購入。
    本書は欧米で歴史を学ぶ者にとって必読書と言われているほどの名著であることからいつか読んでみたいと思っていた。
    また、巷には特定の人物や歴史的トピックを扱った書籍が多いが、歴史を単なる“点”の事実で理解することよりも、その根底に流れる歴史哲学的アプローチで歴史を眺めてみることによって、視野が広がるかもしれないという期待感もあった。

    筆者のE.H.カーは純粋な歴史学者ではなく、元々イギリス外務省で勤務していた実務家であるが、そうであるが故に「現代を理解するために歴史をみる」という姿勢が終始一貫している。
    そんな著者が本書の中で「歴史は、現在と過去との対話である。」と繰り返し述べている。

    少なくとも日本の学校教育において歴史を学ぶことは、教科書に書かれている「過去に事実であったであろう事柄」を時系列に覚えていくことであり、その事柄についての因果関係などを考えたり議論したりすることは皆無である。
    自分も例外なく社会科の教師が板書する事項をひたすらノートに書き写した経験しかなく、大学受験においてさえ暗記の域を出ることはなかった。
    しかも日本の歴史教育の現場では、多くの場合において縄文時代から明治期の20世紀初頭までに多くの時間を割き、現代を知る上で大事な大正期以降の現代史には時間的制約のためにほとんどが割愛されてしまうという現実があり、日本で歴史を学ぶことと現代を知ることとの間には大きな断絶があると言わざるを得ない。

    これに対し、著者は実務家らしく「歴史というものは現在の目を通して、現在の問題に照らして過去を見るところに成り立つものである。」という見解を示す。
    そのためには現在の問題の因果関係を探らなくてはならないが、まさに事実であるとされていることの原因を探求し、様々な原因と思われる事柄の相関関係をも考慮することこそが歴史を理解することだと述べる。
    このアプローチは斬新かつ日本国内の歴史に対する認識や歴史教育を考え直させるきっかけとなり得るのではないだろうか。

    また、興味深かったのは3章において「歴史は科学である」と述べている点である。
    大学の教養課程においては、歴史は人文科学分野とされてはいるが、純粋に歴史は科学であると認識している者はほとんどいないというのが実情であろう。
    しかしながら、歴史を「事実・事象の因果関係に対し、様々な観点から仮説を設定して検証し一般化していく」というアプローチで考えていくならば、自然科学で行われているアプローチと何ら変わりないというのが筆者の主張するところである。
    自分も含め、とかく科学というと行き着く先は何らかの「法則」を導き出すことだと考えがちであるが、筆者も述べているように、それは古典科学の世界観であり、現代科学においては法則を導き出すことはゴールではない。

    そう考えると、歴史というものは動かぬ事実が過去から連なっているだけの静的なものでなく、時代や歴史家の解釈などによってダイナミックに変動する動的なものなのだと気付く。
    昨今、近隣諸国との歴史認識問題がメディアを騒がせているが、事実だけに着目するから諸外国と摩擦が生じるのだと改めて感じる。
    歴史的事実は唯一絶対なものではなく、各国・各時代の歴史家の解釈によって異なるということを前提とした上で相互協調的に因果関係を探っていき、そうすることで新たな歴史認識が生まれ、それが結果的に社会的進歩に繋がるのではないだろうか。
    そのような歴史観を得られるだけでも、本書は一読に値すると考える。

    出版が約半世紀前なためか、訳者の清水幾太郎氏の表現が少々文語的で若干現代人には読み難いのではという想いから評価点を4とさせていただいたが、大学時代に読んでおけば良かったと思えた一冊であった。

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    2020年01月29日