清水幾太郎のレビュー一覧
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ビジネス本の読書会にて
「 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」
深い言葉だ。歴史的事実一つをとっても「現在の歴史家」というフィルタを通してみるしかなく、歴史家の数だけ事実が存在し得る。
実はこの本、昭和30年台に父が購入したもので所々に鉛筆の線が引いてあり、冒頭紹介した語句にも引いてあった。さらに言えば、この本は大学で哲学を学んでいる息子が祖父のところにいったときにもらってきたものだが、存在を知らず、今回の読書会に行こうとしていたときに息子から存在を知らされたもの。親子3代に渡って同じ本を読むことになり感慨深 -
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「事実は神聖であり、意見は勝手である」
→これはガーディアン紙の編集長だったチャールズ・プレストウィッチ・スコットの言葉。事実を正確に把握することは難しいけど、そのたったひとつしかない事実へと辿り着くことが歴史の使命。たったひとつしかないがゆえに、事実は神聖なんだ。意見はひとそれぞれ自由に持てばいい。
「過去に対する歴史家のヴィジョンが現在の諸問題に対する洞察に照らされてこそ、偉大な歴史は書かれるのです。」
→事件を並べれば歴史になるわけではない。過去を歴史的に解釈するためには、現在起きている事件への考察が必要となるんだ。
「原因という問題に対する歴史家の見方の第一の特徴は、一つの事件につ -
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英国の歴史家E.H.カーが、1961年にケンブリッジ大学で行った講演「歴史とは何か」を全訳したもので、今や「歴史哲学」を論じた古典の一つとも言える一冊である。
本書の中で繰り返される「歴史とは現在と過去との対話である」というフレーズは、その後本邦で発表された歴史学を始めとする数々の書籍でも引用されている。
私は、本書を読んだことにより、歴史とは「史実」と「解釈」が組み合わさって成り立つものであることを認識し、それ以降は、何らかの形で(本でもTVでもネットでも)提示される「歴史」の見方が間違いなく変化したし、極めて大きな影響を受けた。
著者はまず前半で、「歴史家と事実」、「社会と個人」、「歴史と -
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論文を書こうと思った時に読んだ本。
清水幾太郎の著書であり、非常に示唆に富んでいるし、表現もわかりやすい。
文章を書くという行為、読むという行為に比べると高度な、大変な行為だと書いてあったのが印象的だった。
それを表すように「文章とは認識である。行為である」(56頁)と書かれている。文章はただそこに書かれている文字の塊ではない、書いた人と読む人との間での交流が行われている。認識の違いが浮き彫りになることもあれば、たった一文で認識がガラリと変わってしまうことすらある。
とはいえ、文章は必ずしも情緒的なものでもなく、理にかなって作られるものである。それは「数式を解く場合も論理が働いているが、外国 -
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ネタバレ『本を読む本』を意識した題名なのかは知らないが、趣旨は全く違う。20分程度で読むために、取捨選択して読んだ中で印象に残ったのは次の3つ。1つ目は、書評は読んだことをアウトプットするためだけでなく、自らにひきつけて「主体的な」ものにするために有益であるということ。2つ目は、本を読む第一の目的は著者がその本を書くことを決意した理由、言わば「作家の衝動」を理解することであり、そのためには一字一句理解することは求められずただ早く読めば良いということ。3つ目は、「本を読むことは考えなくなること」などといったショウペンバウムの教訓を「本に読まれるな」と表現していたこと。自分にとって、この3点をまとめると読
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ネタバレ論文の書き方だけでなく、書籍の感想(レビュー)のような短い文章でも役に立つ、「文章の書き方」の考え方を示しています。
IIIには、「が」を警戒しようという章になっています。
「私は、こう思いますが、そうでない場合もあります。」
というよりは、
「私はこう思います。しかし、そうでない場合もあります。」
の方がよいと思われます。
自分でこのレビューを書いている最中でも、「レビューを確認する」時に、2つのことに注意しています。
一つは、文章を入れ替えて、論理的なつながりを分かりやすくすること。
もう一つが、長い文章を、短い一つの論理だけの文章にすることです。
前者は、
V -
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戦前から戦後、現代に至るまで各分野の知の巨人らが述べた良書である。
多様な著者の文学研究以外の物理学や法学、社会学など様々な研究で得られた知見と知のバトンを次世代に受け継ぐ本である。
興味があれば、中学生からでも読み始めている人は多いだろう。研究者とは「研究しない自由はない」と本著で述べている通り、全ての学問に対する研究に責任があると説く。第一線で活躍していた研究者の言葉を聞き、現代の価値観や様式、世界規模での情勢をその時の生きた時代の研究者へバトンは渡され、人類は発見と修正を繰り返しながら前に進んでいく。世界は広い、本著でも紹介されきれない研究者は山ほどいるだろう。そして、今生きる現代の次世 -
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本書に掲載された最終講義について一言ずつ。
桑原武夫…仏文学者以上に隲蔵さんの子息、というイメージが強い。垣根を越えた研究という事では共同研究も論語の著作も同じなのかも知れない。
貝塚茂樹…大学者一族の一角、湯川秀樹は弟。東洋史学者の模範的な最終講義だと思う。
清水幾太郎…60年安保前後で言論が大きく変わった、という印象の人だが、コントに興味を持つ面白い講義だった。
遠山啓…存じ上げない方だったが、数学論がほんのちょっと分かった気がした。
芦原義信…ゲシュタルト心理学から都市空間を観るのは面白い。
家永三郎…教科書検定裁判の人、として子供の頃から名前は知っていた。大人になってから読 -
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論文を書く参考にはそこまでならなかったけど、なかなか面白い本だった。日本語って構造的に欠陥があってなかなか読みにくいね。その分色々凝った表現が出来るんだろうけど、
書くと読むの違い 短文で書いてみる デッサンしないと論文かけないよね
美文を真似しろ 主語をはっきり 「ひとってなに?」 イエスノーをハッキリ 新聞スタイル とは
「が」の便利さ 会話は社交の原則 書き言葉は孤独 批判するには理解しないと
幾何学だぞ 描き始めが肝心 外国語と日本語の違い 学校教育で文章の基礎的技術教えなさい 話すとおりにかけとは?
書くというのは? 空間的並列状態にあるものを時間的継起状態に 写真文書絵 -
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クラシックな名著であり、読み下すのにはちょっと労力がいりました。
序盤にまず、「歴史とは何か」についての著者としての最初の答えが示されます。歴史とは、現在と過去の対話である、と。相互的なのです。今が変われば、過去も変わるし、そうやって過去が変わると、今にも影響が出てくる。そういうインタラクティブなものだというとらえ方は、たとえば僕が学生の頃の社会科の授業ではまったくでてこなかったです、本書が世に出てしばらく後の時期だったのに。
ともすれば、歴史とはゆるぎない事実について、その真実をつきとめるもの、ととらえてしまいます。絶対不変の真実があって、それをつきとめるのが歴史なのだ、と。しかし、著者 -
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はしがきで「歴史とは現在と過去との対話である」というフレーズが登場するが、繰り返し述べられるこの一文に本書の大部分が表されていると思う。
ここでいう「歴史」とは過去に起こった事象そのものではなく、「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程」と著者は定義している。
私たちが学校や書物で学んだ歴史は、歴史家の主観が多大に影響しており、「歴史的事実」と言われるものでさえ「解釈の問題に依存する」のだという。
これの意味するところを考えてみると、もし歴史における客観的事実を知りたいのであれば、過去に行われた歴史家の解釈に挑む、つまり対等な立場で対話するくらいの心構えで向き合わないと真の歴史の姿は見えてき -
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歴史関連の書籍を読むことが多い自分にとって、改めて歴史とは何かを考えるべく購入。
本書は欧米で歴史を学ぶ者にとって必読書と言われているほどの名著であることからいつか読んでみたいと思っていた。
また、巷には特定の人物や歴史的トピックを扱った書籍が多いが、歴史を単なる“点”の事実で理解することよりも、その根底に流れる歴史哲学的アプローチで歴史を眺めてみることによって、視野が広がるかもしれないという期待感もあった。
筆者のE.H.カーは純粋な歴史学者ではなく、元々イギリス外務省で勤務していた実務家であるが、そうであるが故に「現代を理解するために歴史をみる」という姿勢が終始一貫している。
そんな著者