清水幾太郎のレビュー一覧
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私は読書術の本を何十冊と読んできた。
もし、人から、「読書論の本は一冊も読んでいないから、何冊かお勧めな本を教えて」と聞かれた場合、この本を挙げることはない。お勧めの本トップ10にはまったく入らない。お勧めの順位は、かなり低くなる。理由はいくつかある。
1. 表現が固いこと。
2. 実際の方法論が主となってはいるが、著者の経験談が長めなので冗長に感じること。
もっとも大きな理由は、全体をとおして、古さを感じることだ。
本書の目次は下記のとおり。目次だけを見ても古さを感じるのではないだろうか。
【目次】
第1章 私の読書経験から
第2章 教養のための読書
第3章 忘れない工夫
第4章 本とどうつきあうか
第5章 外国書に慣れる法
第6章 マスコミ時代の読書
50年以上前に発行された本だから当然と思われるかもしれない。しかし、単純に書かれてから時間が経てば、古く感じるということでもない。類書でいえば、本書と同じ「講談社現代新書」から、本書の翌年の1973年に出版された、板坂元氏の『考える技術・書く技術』がある。この本は、いま読んでもあまり古さを感じさせない。
この差はどこにあるのか。ある本が、古く感じるか否かは、読者と距離感や、刺激を与えるかどうかにあるのではないか。本書の「第6章 マスコミ時代の読書」は、テレビと本との関係を論じたものだが時代遅れで、現代人との距離感は遠い。過去の状況を知るための資料的価値を除けば、いま読むに値しない。
もちろん、良い面もある。出版されてから50年以上経つが、読みづらさを感じないというのは利点である。
内容も、下記に挙げるような有用なことは書かれている。
本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現した時、心の底に理解が生れる。深い理解である。(p95)
面白くなければ読むのをやめる
面白くない、と思ったら、キッパリやめた方がよい。そういう本は、現在の自分とは縁がない本である。 (中略) 面白くない本を我慢して読んで行くのは、精神衛生にとって有害である。読むのをやめた方がよい。(p107-108)
ただ、それらのことは類書にも書かれている。今日ではすでに何度も読んだことがある概念なので、あえて本書で読むこともあるまい。同じことを主張していても、新しい本の方が表現はこなれている。例を挙げよう。本書を参考文献として挙げている本のひとつに、『勉強法そんなやり方じゃダメダメ』 (平成暮らしの研究会/編)(2001年、KAWADE夢文庫)がある。この本では、「面白くなければ読むのをやめる」は、下記のように書かれていた。
面白くない本は無理に読んではダメ
面白くないと思った本はきっぱりと読むのをあきらめたほうがいい。面白くない本を無理に読むのは、時間のムダであるだけではない。ストレスを感じながら読むことになり、これは精神的にもよくない。 (中略) 面白くないと思ったら、さっさと別の本に切り替えること。そのほうがずっと時間を有効につかえるものだ。(p81-82)
『勉強法そんなやり方じゃダメダメ』も、24年前に発行された本なので古い。勉強法全般を紹介した本なので、深みはないが、読みやすさという点だけで見れば勝っている。 -
Posted by ブクログ
歴史とは、過去から続いて未来へ向かう時間の動的な動きの中で、ある目的に関連し且つ重要と思われる出来事を前後の関係性と共に並べた物であり、すべての事実が歴史になるわけではなく、また無闇に抜き出した事実が歴史になるわけでもない、というのが本書の主旨だと思うが、いやー、冗長。
この講演がなされた時は新奇な発想であり、劃期的な発見であったのかも知れないが、現代を生きる人には正直「何を今更」という感想しか湧かないと思う。
その内容を個別個別の歴史家や神学者、哲学者を挙げて甲はこういった、乙はこういった、丁はこいった、と挙げていって、批判するのかと思ったら、しない。いや、もしかしたら原文ではもっとはっきり批判しているのかも知れないが、少なくともこの訳本はすごくらわかりにくい、個人的に。そのため、読んでいて「私はトマトがすきであるが、甲は嫌いと言っていた。乙はトマトの赤がきになるようだ。丁は……」みたいなどうでもよい紹介文が延々続くようにしか思えず、大層疲れた。
興味深い話もあるにはある。個人的には第四章が面白かった。そのほかの章にもところどころおもしろい話はあったが、割合的にはそうでもない。そもそも英国人のアイロニーみたいなのも期待していたが、翻訳の時点で削がれたか、原文になかったか、自分が気付かなかったのか、みつけられなかった。
概して、名著として学校の授業でも紹介されたその理由がよくわからない。学校の先生、特に歴史の先生は読んだことあるのだろうか。 -
Posted by ブクログ
普段読んでいる文章術の本とは違った。エッセイのような感覚だった。いや、エッセイというより、講義を聞いているような感じ。
自分には難しかったな。
でも、段落ごとに小見出しがあったので、読み進めやすかった。
文章に対する好き嫌いがある人は、立派な文章を書ける素質のある人。
なんでかというと、それを真似ることで、文章修行の道に入っていけるから。
好き嫌いが素質に!?ってなったけど、理由を読んで納得。
好きなものに近づきたくて、真似をすることって楽しいから、自然とたくさん修行できるのか。
表現に自由がなかったときに、制限の中で少しでも自分の意志を表すことのやりがいとかは、今は想像もできないな。。
伝えたいという気持ちが、文章を締まったものにするんだろうな。
読書日記をつけると、本の構造がわかるようになってくるというのを読んで、感想を書くモチベーションになった。
あと、今は構造とかを意識できていないのも自覚できた。。
印象に残ったフレーズを残すだけでなく、
反論してみるくらいの自分の意見を考えることで、
相手が説明している内容の構造がわかるのかも。 -
Posted by ブクログ
文章の書き方指南本で、名著としてしばしばあげられる一冊。
「小さい魔物である」と熱く語られる「が」に関しては、あまり意識したことはなかったが、いわれてみれば確かにそうだ。
「が」の前後で反対の意味のこともあれば、並列だったりもする。「殆ど無数の意味がある」のである。
著者流の書き方に、おおむね異論はないのだが、「『無駄な穴埋めの言葉」を大いに使おう」は、使わない派の谷崎潤一郎に賛成。
接続詞を多用する文章は、書き手の考え方が整理されていなかったり、文章の並びがおかしかったりするものだ。
時折挟まれる論評や小ネタが案外面白い。例えば、「日本語の発音やアクセントが広汎な問題になり始めたのも、ラジオの出現を俟ってのことであった」。確かに標準語が何なのか、ラジオ以前の人々は意識しなかったのかもしれない。
黎明期のテレビも、「言葉がフルに働かなくても、万事は映像が負担してくれる。言葉は隠居することができる」と鋭く分析している。
手に取ったのは何と100刷(2020年9月)だ。1959年の初版と60年以上前の本ながら、現代人にも読まれる分かりやすい文章・文体のおかげだろう。書き方本の面目躍如。 -
Posted by ブクログ
歴史認識を記載している内容となっております。少し翻訳的にわかりづらいところがありますが一体歴史とはどう捉えるべきなのかということを哲学的に考察することができます。歴史を考えるにあたっては勉強にはなりますが難解な書物でもあります。歴史と言うものは見る人によって捉え方、考え方が違い、歴史を考える方のフィルターを通して、歴史がどうであったかの解釈は変わってきます。その歴史とは過去のものであり現在の価値観から過去を見る見方、また過去があったからこそ現在の今があると言う見方、様々な価値観、捉え方の解釈がありますが、この本は哲学的な考察を持って歴史を考える本であり勉強にはなりますが、少し論理的迷路に陥る感じはします。一読の価値はあると思います。
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みなさんは蕎麦は好きですか? 僕は好きです。駅中でよくみる立ち食い蕎麦のお店によく行きます。忙しくて時間がないときでも、出てくるの速いし、完食するのにも時間がかからないし時短になりますよね。そんな蕎麦が読書と似てるらしいです。
その意味で、読書は、蕎麦を食うのに少し似ている。蕎麦というものは、クチャクチャ噛んでいたのでは、味は判らない。一気に食べなければ駄目である。すべての書物がそうだとは言い切れないが、多くの書物は、蕎麦を食べる要領で、一気に読んだ方がよいようである。
P112
蕎麦食べるときってなぜか早食いになります。蕎麦を食う如く読書したほうがいいみたいです。とにかく速く数をこなして乱読しましょう。精読するに値する書物はそうそうないみたいですし。
そんな著者のノートに対する想いも興味深いです。
ところが、いつであったか、なるほど、ノートは出来上がったけれども、肝腎の書物の内容は私の心に残っていない、それに気づいた。あれは、ショックだった。すべてはノートが覚えていてくれるのであろうが、私は覚えていない。書物の内容は、私を素通りして、ノートへ移ってしまっている。ノートをよく読めば、内容が蘇って来るのであろう。しかし、ノートには、自分の書いた下手な文字が並んでいるし、また、大意であるから、骸骨のようなものしか見えない。その上、ノートに書きとめるというのが楽しい仕事ではなかったという記録も残っている。物置に眠っている何十冊かのノートは、私が堂々と作り上げたものであるのに、後から開いてみたことはほとんどない。
P75
言ってることが回りくどくて難しいけれども、ようするにノートに書いたけど満足しただけで何も記憶に残らない、ってことを言いたいのでしょうか。これは学生の頃の授業でノートを取るときと似てる気がします。教師が黒板にびっしりと書いた文字を必死でノートに書き写す、授業が終わって見返してみるけれども、それほど頭には残っちゃいない。ノートを取るってこと自体に満足して勉強した気になっていたのかもしれませんね。
最後にこの本の素敵なところ挙げときます。
本を読む代わりに、テレビを見てもよいし、友人と雑談してもよい。人生には、いろいろな側面があって、どの側面が特に高級と言う事は無い。読書が最高というような迷信は早く捨てた方がよい。ただ、お酒にはお酒の飲み方があるように、本には本の読み方がある。そう思って、私はこの本を書いて来たのである。
P150
著者の読書愛は凄まじいけど、読書するからって頭いいとか偉いとかは無いんですって。
あくまで本書では読書してるマンかっこいいんだぜ、とか言いたいわけじゃない。
これ読書家にありがちですが読書しない人を見ると見下す人いますよね。そういうのは良くないって著者はいってますよ。
僕の周りに読書する人ほとんどいないけど、この精神を持ってけっしてバカにしないようにしたいです。 -
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清水幾太郎の「愛国心」を読み、とても冷静ですっと読み込めるものだったから、その人がどういうあたりを気にかけながら書くものなのか……ついでに自分もこういう冷静な書き方をしてみたいものだと思って、購入した。
こういう書き方の本はこれ含め3冊持っている…のかな。
どれも共通しているのが、書くことは自分を表現すること、なのである。
私は自分が思ったことを直で書くことが苦手で、こういう記録なども相当苦手だ。それで、小説という形を用いて、別の登場人物に託すことになるのだが、間に何が入っていても、書いている者は私なのだから、書くことは私を書くことなのだ。
その書きものだが、現在まるで書けないでいる。
清水幾太郎によると、新しい現実にぶつかっているからなのだという。
言われてみれば、そういうタイミングでじわじわと書けなくなっていった。
この山を越えたら、また新しいスタイルが、書きたいものが見えるのか。
本はあくまで論文の書き方であったけど、物を書く人は読んでみて損はない。 -
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著者の清水幾太郎は、太平洋戦争敗戦から60年安保闘争にかけて、「日本のオピニオン・ リーダー」、「進歩的文化人」の代表と言われた社会学者・評論家。
本書は1972年出版のロングセラーで、著者自らの読書経験と、それを踏まえた「本はどう読むか」の技術が述べられている。
私は60年安保以降に生まれた世代であり、著者の政治思想や過去の社会的な活動についての積極的な賛否は持たないが、本書に述べられている読書についての考え方・技術は、今でも少なからぬ読書論・読書術の書籍に引用され、影響を与えている。
「本はどんな無理をしても買う。私がいつまでも貧乏なのは、おそらく、この主観主義的読書法の結果であるに違いない。とにかく、書物と細君だけは借りることの出来ないものと諦めている」
「本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現した時、心の底に理解が生まれる。・・・深い理解は、本から学んだものを吐き出すことではなく、それに、読書以前の、読書以外の自分の経験、その書物に対する自分の反応・・・そういう主体的なものが溶け込むところに生まれる。それが溶け込むことによって・・・自分というものの一部分になる。受容ではなく、表現が、真実の理解への道である」
「縁がありそうな本、気にかかる本が出版されたら、何は措いても、買っておいた方がよろしい。・・・本は買ったら直ぐ読まないと損だ、というような根性は捨てなければいけない・・・買っておくと、不思議なもので、やがて読むようになるものである。気にかかる本が新しく身近に置かれるのは、環境に新しい要素が現れることである。・・・そのうち、この新しい本は、きっと、私たちに誘いかけて来る。」
「書物の意味は、その書物そのものに備わっているのではなく、書物と読者との間の関係の上に成り立っているものである」
「『資本論』に限らず、多くの書物は、一度は一気に読まねばいけない。一気に読むと、大小の疑問は残るであろうが、その反面、あの全体的構造が見えて来る。細部は判らなくても、構造の輪郭が判って来る。・・・急所は、チビチビ読んでいたのでは、絶対に判るものではない。輪郭や急所が判るというのは、その国の地図が手に入るということである」等
読書論の古典のひとつとして、今でも一読の価値はある。 -
Posted by ブクログ
論文執筆マニュアルとしてはかなり古い本ですが、今読んでも学べることが多いように感じます。とくに、文章のスタイルを真似ることの重要性を述べ、そこから模倣を通して思想そのものの理解にまで説き及んでいるところは、論文執筆マニュアルの範囲を超えて大切なことを教えられたように思いました。
そのほか、はっきりとした逆説の意味を持たない接続助詞「が」の問題を指摘している箇所も有益だと思います。「が」を完全に追放することを勧めているのではなく、文章の論理的なつながりにそのくらい意識的でなければいけないというのが、おそらくは著者の真意なのではないかと考えます。