長谷川修一のレビュー一覧
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まず最初から最後まで目次通りに読み、次に古代イスラエルの歴史を意識しながら、ユダヤ人たちがどのようにアイデンティティを保持していたか理解するように読みました。その他にも、聖書の逸話の背景や、ヘブライ語聖書の成立、ユダヤ人が迫害されてきた理由なども併せて理解でました。
とても薄い本ですが、ユダヤ教やキリスト教に興味のある方なら読み応えは充分かと思います。
聖書に書いてあることが、その当時の他の国の文字資料に対してどうか?と言う点など、場合によってはちょっとショッキングに感じつつも、でもまぁ確かにそんな訳はないだろうし、それとこれとは話は別だよね。むしろ教えてくれてありがとう。と言う感じです。
これだけの内容ならば同じシリーズの他の本も読んでみたいなと思いました。 -
Posted by ブクログ
宗教を批判的に検討することは難しい。なぜなら、信教徒でなくとも情報が溢れる今日では多かれ少なかれ、バイアスがどうしてもかかってしまうからである。本書も、そのような断りをいれつつ展開していく。
自分は、歴史についても、聖書についても詳しい知識を持ち合わせていないが、そんな人間でも読み解けるほど解説が丁寧であり、歴史的な考証も論理的で読みやすい。現時点において解釈するに足る資料が不足している場合はその旨をはっきりと記載している部分がさらに信頼性を高めている。
さらに、豊富な写真資料が掲載されており、こちらも当時のイメージを想像し、時代的背景を整理することに一役買っている。
教養として語られる機会も多い聖書について、裏打ちされた知識を身に付けたい方におすすめする。 -
Posted by ブクログ
ユダヤ人の成り立ち、どういう民族なのかということを、ヘブライ語聖書(いわゆる旧約聖書)の内容を足がかりにして紐解いていく。聖書には全然詳しくないので、ヘブライ語聖書の主要な出来事にも触れてくれるのはありがたい。
古代〜中世の歴史は神の意思を自分達に都合のいいように解釈する歴史したし、それで民族がまとまっていった。
ヘレニズム時代、「みだりに神の名を唱えてはならない」を遵守した結果、もう神の名の正式な発音は失われていたってちょっと面白歴史すぎる(ヤハウェは「主」のギリシア語聖書の発音)
歴史から神の意思を解釈して教義に組み込んでいく過程も面白すぎる。ざっくりメモしたかんじ、本書の解釈は以下の流れかな?
イスラエルの始祖のヤコブ。その12人の息子が12部族に→紀元前13世紀ごろ出エジプト記(真偽不明)→モーセの十戒およびヤハウェの手助け(真偽不明)→ヤハウェへの信仰→レヴァントへ移住。→ダビデによるイスラエル建国→ソロモン王の死後北イスラエルと南ユダ国に分裂→北イスラエルの滅亡→ユダ国にて第一時バビロニア補囚→ユダ国は祭壇を多く作れなかったのでバビロニアでは儀式ができなかった。また補囚という大きな出来事に神の意図を見出そうとした→律法(聖書)が重要視され整備された→離散に強いアイデンティティに繋がった→ペルシアによりバビロニア滅亡。セレコウス朝シリアの統治下に(ヘレニズム時代)→ギリシア文化、宗教の流入→反乱。この頃に死後の救いの概念が生まれる(死ぬのを恐れず反乱するため)→ローマによる支配→ローマによりユダヤ王とされたヘロデは民衆に不人気→6世紀、ローマに反乱したが7世紀にエルサレムが征服、ヤハウェ神殿が再び失われる。律法の整備がさらに進んだ。→ディアスポラに強い、民族としての自己同一性の獲得
⚫︎あらすじ
バビロニアに強制移住された半世紀――彼らはそこで「神」と「聖書」を生み出した
世界の今を解くカギは、すべて歴史の中にある――。誰もが一度は耳にしたことがある「歴史的事件」と、誰もが疑問を抱く一つの「問い」を軸に、各国史の第一人者が過去と現在をつないで未来を見通す新シリーズの第4弾! 世界中で長い期間にわたって迫害されたユダヤ人。なぜ彼らは迫害されたのか? そして彼らはいつから存在し、なぜ世界の各地に散らばって生活していたのか? さらには迫害のなかで、どのようにして自分たちのアイデンティティを保つことができたのか? 紀元前の中東で半世紀以上にわたって拘束された「バビロニア捕囚」をキーワードに、知っているようで実は知らない「ユダヤ人」の成り立ちを見る。
(NHK出版HPより引用) -
Posted by ブクログ
『歴史学者と読む高校世界史』の第01章が面白かったため、長谷川修一の過去作として手に取った。旧約聖書の記述の全てを原理主義的に信じることは(信徒でないこともあり)元からしていなかったが、では実際にはどこまでなら史学的・考古学的に一次史料から確かめられるのか、という点について良い概説を提供してくれた。ダビデあたりの伝承が境界例であり、分裂王国時代以降に少しずつ考古史料が増えてゆく過程について学ぶことができた。読んでいて興味深かったのは、聖書考古学におけるシュメール文明とアッカド語の重要性の高さ。古代ヘブライ語や古代ギリシャ語以外にも、アッカド語が読めるかどうかが、古代オリエント史におけるイスラエルの民の歴史を追跡するうえで重要であることが、史料活用の中で伝わってきた(同じ著者のちくまプリマー新書『謎解き 聖書物語』でもそうした史料活用のようすを確認することができる)。
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西洋美術を入口に聖書に興味を持って何冊か読んでみいる中で、学問的な色合いの本を探しているときに本書に出会った。
本書は考古学、歴史学の見地から旧約聖書の記述を検討していて、その史実性を跡付けようとしている。
決して宗教の虚偽や欺瞞を暴露しようと意図しているわけではなく、あくまで学問的に何が実在しているといえるか、と批判的で冷静な学問的立場を維持している。
神によるこの世の創生からではなく、アブラハムから始まる族長時代からが検討対象で、聖書の中であまりメジャーではない(?)ソロモン後からバビロン捕囚までの時期の歴史に割と多くのページを割いているのは、史料と発掘物に語らせる姿勢の表れかもしれない。
そのため、族長時代や出エジプト記が歴史的に実在していたかどうかは、明確に判断されていない。黒白はっきりしてほしい人には不満が残るかもしれないが、私は著者の真摯さが感じられて好感が持てた。
聖書のストーリーの説明はあまりないので、ある程度旧約聖書の知識があった方が楽しめるだろう。 -
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帯の宣伝文句のような「本書は現地調査に従事する研究者の、大いなる謎への挑戦である」といった派手さやワクワク感はないが、読んでいて楽しい本だった。
考えてみると、自分も含めて多くの日本人の聖書の知識はお粗末と言わざるをえない。本書にもあるが、高校の教科書にはモーゼは実在の人物として登場し、出エジプト記も史実のように書かれている。史実だと思っていたことについて、フィクションの可能性が高いと指摘されるのは知識の修正という意味で有意義と思う。
「聖書考古学」とは、「聖書の歴史記述の深い理解に達するため、特に聖書の舞台となった古代パレスチナを中心とした考古学」という。そして、本書では、「信仰の対象としての聖書からは距離を置き、聖書を『人間が何らかの意図を持って書き、また編集したもの』として批判的に扱」っている。
例えば、イスラエル人には「大イスラエル主義」という政治的主張がある。これは「カナンの地全体がイスラエル民族に神から与えられたものである」という旧約聖書の信仰につながっている。一方、考古学的発見から、平野部にいたカナン人の一部が山地に住むようになり、彼らが次第に独自のアイデンティティを形成して後にイスラエル人として出現したという有力な説もある。しかし、出エジプト記がまったくのフィクションだと断言できないという聖書考古学の限界も、この本から読み取れる。
歴史本のブームの中で、自分の中にある史実を見直すきっかけとなってくれる本ということで良書と思う。お勧め。 -
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啓蒙思想の考えから、聖書を様式史として研究するアプローチに対して、聖書考古学では、考古学の発掘などのアプローチによって聖書の史実を検証しようとしている。この分野の本は、訳本ばかりだったので、日本人による新書で発刊されてよかったと思う。
本書の内容は、1.2章で、一般的な聖書の解説、考古学の手法の基本的な説明と、オリエントの地独特の考古学についてまとめている。3~6章で、アブラハム、カナン征服、王国からバビロン捕囚、キリスト教へ(死海文書まで)をまとめている。7章では、今後の考古学、今後の聖書学についてまとめている。
3~7章は、聖書のあらすじの説明や聖書からの引用が多いとは思ったが、入門書の特性上仕方がないと思う。しかし、自分のように慣れていても、地図、時代(歴史などの年表)は、別紙の方がわかりやすいと思った。歴史と場所が複雑さが、旧約時代を理解する難しいところだと思うので。 -
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ネタバレ"アッシリアの碑文には「ビート何某」という単語で王国を指す言い回しがよく使われている。「ビート」というのはアッシリアの言葉で「家」を指す言葉の変化形であるから、言い換えれば「何某家」という意味になる。この「何某」の部分にはその家を興したと考えられている人物の名前が入るのである。「何某王朝」と同義であると言ってもよいだろう。" p.153
さて。まずは、この手の書物に物申したい。文章で説明したがりすぎ。年表なり一覧なり、理解しやすい形式の視覚表現はできんものかと。
閑話休題。
明き盲とはよく言ったもので、たしか『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』を読んだ時に、聖書というものがある程度現実の歴史を語るものらしいいうことに気付かされた。カトリックの幼稚園に通っていたので物心付く前から親しんではいたが、聖書に書かれていることは、伝説、説話の類という認識だったので、言われてみればそうかもしれないと思ったのが、本書を読むきっかけともなった。
逆説的にいえば、学校の授業で"歴史"として教えられてきたことが聖書由来であったかもしれないとか、考えたこともなかった。なにか事実であるという裏付けによって学問として成立していると考えていた。
本書に見た二大トピック。
ひとつは、ダビデとソロモン。本書は聖書に対して舞台となった地域の周辺地域の史料と対照する方法を採っている。聖書に書かれている人物、出来事に対して、周辺地域の文明が残した記録と照らし合わせる。その方法でダビデとソロモンという名前を調べたとき、ダビデについてはダビデ家あるいはダビデ王朝といえる記述が見受けられたが、個人の名前としては見つかっていないこと。ソロモンについてはなにひとつ見つかっていないことが挙げられている。
もうひとつは一神教の形成。ユダヤ教の神はなにかというと民に罰を与える。こんな神をよくもまあ信仰するものだというのが常なる感想だが、これがキモだという。当時はヤハウェも多神教の一柱であったという。民族的苦難に出会ったとき、その原因が対立する神に敗北したということになっていたならば、宗派は廃れたであろうという見方があるらしい。アンモンの神ミルコムや、モアブの神ケモシュのように、他の神に敗北したのではなく、神は健在で、民に罰を下しているのだという解釈が信仰を生きながらえさせ、ひいては一神教を形成したという。
本書の立場は、聖書記述に重きを置きすぎた過去の反省に立脚しているので、聖書記述をあてにしないよう配慮している。考古学は発見した証拠を解釈するものなので、解釈した人物の恣意が入りすぎることがあり、そのために学問として信頼を失う危険性がある。慎重に解釈したとしても確かな証拠たりえるとは言えないため、文字資料の場合は特に文学的研究になりがちであるともいう。研究に成果が求められる以上、仕方のないことではあるが、これもまた危険である。人文は権威化すると覆すのに多大なコストがかかる。科学的手法は助けにならないか? 放射性炭素年代測定法はわりと幅のある結果が出るので、これもまた当てにしすぎることはできない。なんとも難しい。
聖書考古学というものを知ってみたら、どちらかというと否定的なものであったというのはスパイスが効きすぎてる。それも含めて面白い。