長谷川修一のレビュー一覧
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前年に発行された同じ著者の「聖書考古学入門」の姉妹編ともいうべき本で、考古学の基本を解説した後、旧約聖書の7つのエピソードについて、考古学的に解説している。
考古学の基本も簡単ではあるが一番大切なことを解説しており、そのうえで数字をどのように読むのか等考古学的手法の解説が述べられており、結論というよりもこのようにも考えられるという学説の紹介で終えていることが多い。考古学も進歩しているので、数年たったら、どのような発見があって進歩したのか読んでみたいと思った。
また中公新書の分類によると、聖書考古学は世界史、本書は宗教に分類されていた。個人的には同じ分類がよいような気がするのですが。目次から -
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聖書の考古学であるが、旧約聖書の初めの部分が、紀元前2000年ごろと旧約聖書で、書かれている部分が、ほとんど、確かかどうかわからないとか書かれているが、書かれている人物が120歳、160歳まで生きたとか書かれていると本当かどうか、明らかと思うが、でも、当時のことが書かれた碑文がないので、確かではないとか書かれていた。かなり、慎重な書き方と思った。慎重すぎるかもしれない。また、出エジプト記が、事実かどうかまだ、確認されていないとは、はじめた知った。アッシリアの文書にも記載がなかったと、それから、考古学の遺跡の発掘の仕方が書かれていたが、その部分は、退屈であった。でも、アッシリアの文書、碑文などで
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聖書の記述はどこまでが真実なのか、誰が纏めたのか、を考古学の手法で検証すると同時に「イスラエル人」はどこから来たのかという謎についても言及している。また、聖書の記述の考察だけでなく考古学における発掘作業や遺物の同定の難しさ、聖書を歴史の史料として扱うことの難しさについても取り上げている。文書史料の検証は記述されているものが発掘されるか、同時代の別の地域の史料に共通記述が見られるかといった点で検証する。これは聖書においても同じであるが、信仰という要素が絡んでくるため少々複雑なことになっている。すなわち聖書に書かれていることは全て正しいとしてしまうという事である。こういったことをしないよう「批判
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旧約聖書に書かれているエピソードは歴史的な事実なのか?
文献による考古学研究には限界があり、発掘調査によってその史実を確認する。
学術的とは批判的であること。※否定的とは異なる
「聖書は無謬である」とか「神からの言葉である」という先入観を取り払って読む、ということである。(P61)
もともと旧約聖書の内容をほとんど知らなかったが、聖書自体に興味を持ついいきっかけになった。
旧約聖書を読んでからまた読み直したい。
◆旧約聖書の構成
・創世記(原初史)
→天地創造、アダムとイブ、ノアの方舟、
・族長時代(父祖たちの時代)
→アブラハム、イサク、ヤコブ
・土地取得時代
→出エジプト
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・パレスチナにおいて土器にヘブライ語アルファベットが刻まれるのは紀元前9世紀くらいから。
・捕囚にしたバビロニア人がもはや存在しない一方でユダヤ民族が存在するのが不思議。
・考古学の限界:①なにかが出てこなかったとしても、それがなかったことの証明にはならない。②証拠が出てきてもその解釈が幾通りもある。
・「カルデア」は紀元前2千年紀の文献には登場しない。創世記の「カルデアのウル」という表現は後代からみている。
・らくだについて:C・グリグソンによる最新のラクダに関する研究がある。
・ペリシテ人がパレスチナに登場するのは族長時代の数百年後であるから、この点でも時代錯誤。
・ベテルの遺跡からは、族 -
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『聖書考古学―遺跡が語る史実』(2013年、中公新書)の姉妹編で、前著につづいて考古学の立場から旧約聖書の記述内容と史実との関係にかんする研究成果が紹介されています。
著者は、モーセによる「出エジプト」の物語が、日本の世界史の教科書ではあたかも史実であるかのように記述されていることに言及し、現代の考古学の研究成果にもとづいてそのような理解が成り立つのかどうかということを検討しています。そのほかにも、旧約聖書にふくまれるさまざまなエピソードについて、批判的な検討がなされています。
「あとがき」で著者は、「本書は、「旧約聖書」という「木」が生え、そして豊かに育った「森」の世界に、読者が足を踏み -
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旧約聖書に記述されている内容が史実を反映しているのかという疑問に、考古学の立場からこたえをさがし求める学問的研究の成果を、幅広い読者に向けてわかりやすく解説している本です。
本書ではまず、考古学における発掘調査の方法についての初歩的な知識のていねいな解説が置かれています。また、調査によってなにがわかり、なにがわからないのかということをはっきりと指摘したうえで、これまでの研究を通して旧約聖書の記述内容と史実との関連を見いだそうとする試みには、どの程度の妥当性が認められるのかということが具体的に説明されています。
信者にとっては信仰の対象である旧約聖書の内容をめぐって、学問的な観点から冷静に精 -
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ユダヤ人はなぜ世界中で迫害されるようになったのか、そのことが知りたかった。それは、どのようにユダヤ人になったのか、ということと深く関係している・・と思ったからである。
しかし、本書は「ユダヤ人は、いつユダヤ人になったか」という書名の通りの本であった。バビロニア捕囚がヘブライ語聖書を編み出し、一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教を作り出していった。今に続く歴史、物語である。
世界中どこにいても聖典としてのヘブライ語聖書の内容に従って生きる、そのことが支配的になったキリスト教徒の目には異質に映り、そして次第に迫害されるようになっていく、その行き着いた先がホロコーストであったと、本書 -
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歴史研究はパズルのピースを合わせていくようなものだ。多少の違和感がありながらも、ピースが収まれば、それが通説(教科書に載る歴史)になっていく。聖書にある出来事が事実か否かを探る内容だが、誰もが『歴史』として学んだモーセの出エジプトもいずれ真実としては変わっていくのだろうか。
調査技術が進歩して、年代の特定精度が高まっていく中、今後も新たな歴史として作られていくのだろうか。否、歴史は歴史、過去は変わらないはずだ。
わからない未来への恐怖は拭えないが、判りすぎる過去も自分はあまり望まない。当時に生きた人々に取って真実は一つ。無かった、という事実も一つの答え。真実を知りたい!という、燃え盛る探究心が -
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聖書はそれが史実であるかはともかく、その時代に書かれ人々に共感された事実に価値と面白さがある。
私の日頃の思いもまさにこれである。
この観点を踏まえて考古学と照らし合わせるのが本書のやり方で、聖書を暴くことは意図されていない。
発掘資料から推察されるイスラエル近辺の歴史と聖書の記述に相違があれば、ではなぜそれが書かれたのか、人々の心を打ったのかを追究する。
ただいくら考えても世界中に論者がおり、決定的な発見がない限り真相は闇の中である。
というわけで、これを読んでも何も答えは出ないのだが、単純に紀元前の歴史を追うのが面白かったし、照らし合わせで嵌る深みからは浪漫が溢れかえる。
聖書に出て