谷口亜沙子のレビュー一覧

  • 歩くという哲学

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    私は歩くことが好きで、歩きながら良く考えていること、歩くことで心も体もすっきりすることからこの本を手に取りました。偉人達がこのように考えて、生き抜いてきた様々なエピソードを知ることができ、歩きながらきっとまた思い返すことになるだろうな。
    翻訳も素晴らしく心に沁みる。あとランボーとルソーのところが好き。ウォークスやウォールデンも読みたい。すごく素敵な本です。

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    2025年10月08日
  • 歩くという哲学

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    最近仕事忙しすぎて深夜徘徊にハマってる限界サラリーマンの自分にはド刺さった。
    ・急いでいる時、時間はどんどん速くなる。時間が飛び去る、ということは、急いだその時間のために、結局、一日の長さが短くなるということだ。
    ・仕事をし、キャリアの機会を逃さまいと気を抜かず、人のものを自分のものにしたくなり、スピードアップをはかり、人がどうしているのかを気にかける。いつも、いつも、そうやって何かをしているけれど、存在はしているのだろうか?
    ・歩くことは時間の無駄であり、浪費であり、いかなる利益も生み出さない、死んだ時間だ。
    だが、わたしにとって、私の具体的な生にとっては確かに益がある。

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    2025年07月04日
  • 歩くという哲学

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    フレデリック・グロ
    1965年生まれ。パリ政治学院政治思想学教授。パリ高等師範学校(ENS)に学び、1999年にフーコーについての研究によりパリ第12大学博士号を取得。『歩くという哲学 世界を動かした小説、詩、哲学は、歩行によって生まれた』より

    「ソローは朝を信じている。というよりも、朝は人に信じさせる力を持っていることを知っている。歩く時には、世界の誕生に寄り添えるように、明け方に出発すべきだ。まだ青い時刻には、自然の鼓動が感じられ、我々の意志など何ほどのものでもないということが感得される。意志することとは、寄り添うことの対極にあるからだ。朝に歩く時は、急に回れ右をしたり、何かを決意したり

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    2025年05月25日
  • 三つの物語

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    書き手の存在が極限までに削ぎ落とされた結果生まれた、素朴でスマートな写実力が魅力のフローベール文体。個人的にはそこまで惹かれないが、公平性、主人公と作者の距離の絶妙な取り方という点に関して、とても勉強になる。
    書き手の感情はもちろんのこと、描かれた人物の内面をこと細かに書き連ねることはせず、分かりやすい行動や象徴的な動きにクローズアップし、それを丁寧に描写することで積み上げていく。
    ただ「〜した」等が執拗に連続するため、本国の言語だと魅力的に思えるとこが、日本語になった途端、自分の好みである流れるような読書感は感じられなくなった感じはある。
    正直好みではないかも。
    突如差し込まれる非現実的な描

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    2023年06月11日
  • 三つの物語

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    ネタバレ

    一個目に収録されている短編の、
    最後の行が凄まじく好きであった。

    私はこの本を売りに出すことはないと思われる、なぜなら最後の行があるからだ。。
    ってくらい!

    つまり翻訳もナイス!

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    2025年09月13日
  • 歩くという哲学

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    面白かった。時に著名人の歩くエピソードが語られ、時に歩くことの思考を深め、それらが入り混じって歩くということについて考えていく。歩くと言っても、さまざまな歩き方があり、意味があることを考える。翻訳者が上手いのだろうと思うけど、途中、内容よりもとにかく日本語が心地良い文章が続き、読むことがとても心地よかった。それこそ、歩くように読むことができたような気持ちになった。とても面白かった。

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    2025年07月23日
  • 三つの物語

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     原著1877年刊。
     未完の長編『プヴァールとペキュシェ』を除けば、フローベール最後の作品とのこと。
     非常に趣の異なる短編が3つ入っているが、私としては、『ボヴァリー夫人』みたいな写実的な現代物の、巻頭にある「素朴なひと」が一番好きだった。
     この作品は「暖かな眼差し」を感じさせるような人間的ぬくもりがあるように思うし、主人公である「素朴な」女中のキャラクターがとても好ましい。
     この作品を読んでいると、鬼のように推敲しまくって彫琢されたフローベールの文章の「わざ」に惹き付けられる。一つの語りから次の語りへとなめらかに転調してゆくような「つなぎめ」部分は料理にたとえれば「絶品」という感じで

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    2025年03月06日
  • 歩くという哲学

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    ネタバレ

    日本には「お遍路さん」があって、以前から「歩く」「ひたすら歩く」ってどういうことなんだろうって思ってました。そのヒントになればと思い読みました。
    結論から言うと、読みにくかった(笑)
    どうもわたしは「海外の方が書いた本」を「翻訳」されてる本というのが、スンナリ入ってこないことがとても多くて、今回もそうなってしまいました。(なんでなんだろう?そうじゃない本もあるのに)
    とりあえず途中まで読んで、歩くって、自由でマインドフルネスなのかな、というのが今の感想。続きも読まなきゃ。
    関係ないけど、いつかお遍路さんも行ってみたいです。

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    2025年11月18日
  • 歩くという哲学

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    ネタバレ

    歩くことについての本を読みたいのは、歩くことに何かしらの神秘性があると信じて、それを言葉で探り当ててきた人たちに興味があるからかもしれない。

    今回も、そんな思索の読書でした。

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    2025年11月06日
  • 三つの物語

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    ネタバレ

    小説についての本で紹介された。3つが順々ではなく別々の小説であった。最後のヘロディアスについてはユダヤの物語よりキリストの物語であろう。解説が50ページあり、最初に小説を読んでからネタバレである解説を読むようにと書いてあったが、解説を先に読んでもどうということもないと思われる。

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    2025年09月01日
  • 歩くという哲学

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    正直にいうとやや内容が雲を掴むような感じで捉えどころがなく難しかった。
    全てを受け止めることはできなかったが、とっつきやすい部分もあった。
    ところどころ登山に関する話もあり、自分の脚でたどり着いた世界が何なのか、なぜそれが良いのかを考えさせてくれた。

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    2025年08月01日
  • 歩くという哲学

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    ネタバレ

    『歩くという哲学』は、フレデリック・グロが「歩く」という行為を通して人間の思索や創造、自由、孤独、社会的実践など多様な側面を掘り下げる哲学エッセイです。著者は、ルソー、ニーチェ、ソロー、ランボー、カント、ガンディーなど、歴史的な思想家や詩人たちが歩行をどのように捉え、人生や思想にどう位置づけていたかを豊富なエピソードとともに紹介しています。

    本書の魅力は、「歩く」という一見単純な行為が、これほどまでに多義的で奥深い意味を持つことを鮮やかに示している点です。ルソーにとっては歩くことが思索や創造の源泉であり、ニーチェは身体の動きと自然との一体感が偉大な思考を生む条件だと考えます。ソローは森を歩く

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    2025年06月28日
  • 歩くという哲学

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    本書では山や森を歩くことから、街中の移動、公園の散歩、政治的なデモ行進、聖地巡礼まで、様々な活動スタイルが取り上げられています。
    そして、ランボーやルソー、ネルヴァル、ニーチェ、ソロー、ガンディー、キルケゴール、カント、ヘルダーリン、ソクラテス、プラトン、ボードレール、ワーズワース、プルースト等々、世界に影響を及ぼした思想家や作家たちが、どのように歩いたか、歩くことによって、そこから何が生まれたか、という話を交えながら、著者自身が歩きながら何を感じ、どのような思考を巡らせているかということが綴られています。

    歩くというのは単純な作業です。片方の足を出し、つぎにもう片方の足をさらに前に出す。そ

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    2025年04月29日
  • 三つの物語

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    光文社古典新訳文庫のフランス文学は、衝撃の『目玉の話』以来。
    3作ともキリスト教にまつわる話。
    「聖ジュリアン伝」は、トルストイの民話のような味わい。
    「ヘロディアス」は、半ばくらいで『サロメの話?』と気付いた。だが、洗礼者ヨハネの首を欲っしたのが、サロメではなく、母親のヘロディアスだった、という設定が、実にさりげなく説明されている点、解説を読むまで気が付かなかった。マルタ島にあるカラヴァッジォの大作『洗礼者聖ヨハネの斬首』を思い出した。

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    2022年11月16日
  • 三つの物語

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    いずれも端麗で細緻な文体でありながら、3つそれぞれが違う雰囲気:
    「素朴なひと」は淡い色合いの水彩で描いた風景画、青く広い空と小さな家の周りの木立…。
    「聖ジュリアン伝」は重厚で暗く濃い色のタペストリー、緑の色合いが鬱蒼とした感じの。もとはステンドグラスに発想を得たみたいだけど。
    「ヘロディアス」はギュスターヴモローの絵のような細密画(サロメの題材に引きずられて…)だけど、もっと金色やパキッとした色合いの。

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    2021年05月27日
  • 三つの物語

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    「素朴なひと」ジョルジュサンドに「冷徹」と思われていて「あたしだってやるのよ」ということを見せつけるために書いた作品。ある女性の一生。カナダの映画監督アトムエゴヤンの作品を思い出した。「聖ジュリアン伝」フローベールの生地ルーアン大聖堂の34枚のステンドグラスに描かれた彼の一生。「ヘロディアス」エルサレムの地にてキリストがいた頃の話。どれも良かった。久々に本と仲良く解り合えた感覚だった。訳がいいんだと思う。この訳者は読む人の気持ちがよくわかっている人なんだと思うが、作者の言葉選びの素晴らしさに惚れた。

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    2019年06月08日