牧野邦昭のレビュー一覧
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100%負ける未来を選べるか?
1945年8月6日、広島。1945年8月9日、長崎。両都市への原爆投下のあと、日本の無条件降伏によって終わった太平洋戦争。あの戦争がなぜ起きたのか?防ぐ方法がなかったのか?一度でもそう思ったことがある方にはぜひ読んでほしい良書。
これまで“残っていない”とされていた「秋丸機関」という旧陸軍の経済研究チームの研究報告書が発見された。その内容や経緯を分析する中で、著者は、日米の国力に20倍程度の差があること、そして勝てる可能性は極めて低いことを、当時の意思決定者、さらには国民も広く知っていたことを証拠より明らかにする。
ならなぜ“開戦”という一見非常識的な判断がなされたのか?その理 -
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近代戦とは、国家総合戦であり、経済的生産力がものを言うのは自明であった。政府指導者が、無謀な戦争と分かっていながら、何故日米開戦を決定してしまったのか。陸軍が一流の経済学者等を集めて、戦争の見通しを予測した「秋丸機関」に関する著述。
スペインのフランコ政権も親ナチで枢軸国であったが、フランコという独裁者がいてヒトラーから催促を受けても対英戦には参戦しなかった。専制的権力者が誰もいない日本では,こういう選択ができず集団意思決定が個人が決定するよりも結論が極端にいってしまった。(リスクの高い選択)
専制的リーダーのいない日本的意思決定システムが大東亜戦争の犠牲者を生み拡大したとも言える。 -
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ネタバレ本書は、陸軍軍人であった秋丸次朗が主導して構築した経済学者集団である「秋丸機関」の活動と、当機関が作成した報告書とその影響をまとめたものです。
一般的に秋丸機関は経済力分析を通して日米開戦の無謀を説いたが、その報告書は(戦争遂行という)国策に反したため闇に葬り去られたといわれてきました。
しかし実際のところ秋丸機関は何を語り、陸軍はそれをどう受け止めたのか。そして何故に開戦という選択がとられたのか。そのいきさつと分析(開戦理由については著者の説)が本書には詳細に紹介されています。
率直に言ってこれは素晴らしい一冊です。一言でいうなれば非常に詳細かつ大胆。
まず前半では秋丸機関 -
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ネタバレ第二次大戦、日本は圧倒的な不利な条件なのになぜその当時の政治家達は開戦に踏み切ったのか。
当時の経済学者達が国力(経済力や軍事力)を分析しそれをそれをまとめた秋丸機関の文書を発掘し、その当時の雑誌の記事や新聞などから精力的に調べ上げた本。
戦争をしなければ国力ジリ貧、戦争に負けたらドカ貧となる公算が高いが、戦争に勝ってさらにいろいろ都合の良いことが重なると日本は「貧」を回避できるかもしれないとい思ったのだろうという指摘は首肯できる。
日本の国内のマスコミ(新聞、雑誌)などをつぶさに読めば
日本の政局がよくわかることに驚いた。アメリカに通じているひとがアメリカに報告するだろうと思わなかった -
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【合理的に不条理へ】対米英開戦を前に,彼我の戦力差を研究するために陸軍省に設けられた通称「秋丸機関」。多くの経済学者の関与を得たその機関が導き出した研究成果を解説しながら,日本を「無謀な」戦争に導いた内的論理について説明した作品です。著者は,摂南大学の経済学部で准教授を務める牧野邦昭。
秋丸機関を通して見る日本近代外交史としても読み応えがあることはもちろんですが,本書の白眉は,絶対的な戦力差が把握されながら,なぜ戦争という選択肢を選び取ったかの理由を推察したパート。本書を通じて描かれる,合理的な考え方の積み重ねが必ずしも合理的な結果をもたらさないという点は,今日の組織運営でも十分に学ぶに値す -
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018/06/24経済学者たちの日米開戦 牧野邦昭 ☆☆
残念ながら画期的な内容はなかったが、開戦を丁寧に整理、好感
開戦の決断 データ上で不合理でも、国家として選択あり得る
しかし日本は決定者が明らかでない 幕引きもできない
最大の問題は「兵站の欠落」犠牲者が多過ぎる
この根幹は物流を甘く見たことだが、責任者は不在
秋丸機関知らなかった 総合研究所は有名
資源・食料を求めて
ドイツはソ連の労働力とウクライナの農作物 日本は満州
新体制運動 近衛文麿
戦時体制の閉塞を打開しようとした
社会主義体制変革として受け容れられなかった
見通しのない開戦
回避してもじり貧なら 百に一つ -
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なぜ戦争を始めたのか、の疑問に解決に近づけた気がする
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現代の目から見て非合理的と思われるリスクの高い選択が行われたのはなぜか
P153
行動経済学の観点
・人間は損失を被る場合にはリスク愛好的になる
・開戦すれば高い確率で日本は敗北する
→だからこそ低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない
P158
社会心理学の観点
・日本には強力なリーダーシップを取れる人はいななかった
・船頭多くして船山に登る
・集団意思決定の状態
・集団極化 個人が意思決定を行うよりも結論が極端になることが多い
・リスキーシフト
・集団の規範と一致する方向で、他者と比較して極端な立場を -
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秋丸機関と成立経緯と報告書を読み解くところから始まっているが、躓きながらも読み通してみると、第5章の開戦決定について行動経済学や社会心理学から分析した部分と、その上で経済学者として避戦のためにどういうアプローチが取れたのかという第6章が一番の珠玉であったと思う。
そこは良かったのだが、秋丸機関の経緯等を述べる1-3章、報告書の内容に漸く入る第4章までが長く退屈で、読むのを放棄しようかと思った。
しかし、第5章で俄然面白くなる。前提として秋丸機関の報告にあるような、経済面では英米にとても太刀打ちできませんよというのは公刊情報からも分かる話で、当時の政策決定者間の常識であった。したがって、「昭 -
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アメリカとの戦争を決定した理由はどこにあるのかを、ある隠蔽された報告書から読み解こうとした本。
経済学者たちのと銘打っているけれど、話の中心は経済学者ではなく秋丸機関。かかわった人物がどういう人か、どういう内容が書かれていたか、為政者側がそれをどう捉えてたかといったことから、状況をどう捉えてあのような判断を下すに至ったのかを求めていく内容。
陸軍の要望で機関が立ち上がり、どちらかというと反政府的思想と周囲から見られてた人が中心人物として動き、国力の差がありすぎて短期的にはともかく長期戦になったら勝てるはずがないですと明確に分析されていたこと、そしてそれは隠すことでもなく世間一般でもなかば常 -
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ネタバレこの本は陸軍省戦争経済研究班、通称「秋丸機関」をめぐって、日米開戦にあたって経済学者たちは、開戦の判断にどのように関わったのか、また20対1とも言われた対英米と日本の経済戦力の差にもかかわらずなぜ開戦を阻止できなかったのかについて追求している。秋丸機関の報告書については、「報告書は開戦を決定していた陸軍の意に反するものだったので国策に反するものとして焼却された」というのが従来からの通説であった。しかし筆者が報告書を探し出し(ある資料は古書サイト「日本の古本屋」で見つけた)、改めて内容を確認したところ、「当時の「常識」に沿ったものであり、あまり陸軍内でも大きな問題になるようなものでは」ないことが
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●:引用
●高橋財政期における日本の景気回復に大きく貢献したのは輸出の増大であったが、日本からの綿織物を中心とする輸出の急増はイギリスとの間で激しい貿易摩擦を引き起こし、イギリスは不況の中で自国の貴重な市場である植民地を守るためにスターリング・ブロック(イギリスポンド経済圏)の強化を図っていく。イギリスとの経済関係の悪化はスターリング・ブロックに対抗する「日満経済ブロック」、さらには「日満支経済ブロック」の建設の主張につながっていった。(略)さらに昭和12年の日中戦争勃発後、日本では蒋介石の国民政府を支援していると考えられたイギリスに対する反感が強まり、また日本が「日満支経済ブロック」の確立 -
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昨年村木さんの日本組織の病を考える、などを読み、日本組織の疲弊に関心を持った。典型的な日本の官僚的組織である旧日本軍について、改めて理解する必要があると感じ、なにが開戦へと向かわせたのかを知りたいと思って手に取った。
秋丸機関の報告書だけではなく、国民全体に英米と開戦すれば敗戦するのは間違いないと理解していた。
それでも開戦に踏み切った理由は、
厳密であるからこその日本開戦の成功の可能性はあるとした報告書の記述、
プロスペクト理論による意思決定が生じたため。
学校教育では昭和史は意識的に語られないような気がする。本当は学ぶべきことが非常に大きかった時代なのでは。 -
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昭和19年(1939年)陸軍省軍務局の岩畔は関東軍から秋丸次郎を呼び寄せ石井細菌部隊に匹敵する経済謀略期間の創設を命じた。日本、アメリカ、イギリス、ドイツなどの戦争継続能力を分析し、それぞれの経済的な弱点を見極め対策を立てるのが目的だ。メンバーには前年に治安維持法違反で検挙された保釈中のマルクス経済学者有沢広巳を筆頭にトップレベルの経済学者、統計学者や地理学者が参加した。
後年、有沢は秋丸から軍部に迎合するようなことを書いてはいけないと言われたと語っている。また、報告書は国策に反するものだったためすべて焼却されてしまったと何度も語った。現在では「経済学者が対米戦の無謀さを指摘したにもかかわら -
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後世の人間が振り返ってみて、とても素直に、いたって普通に考えてみて、どうしてそういうことになったのかわからないという出来事がある。1941年12月8日(7日/UStime)の日米開戦はまさにそのものである。さまざまな書物、映画、テレビ番組などでずっと長い間問われ続けてきた。
日本は米英と戦争をすれば必ず敗れる、その国力・生産力の差は市井の人々でさえもうすうすわかっていたことであったにもかかわらず開戦となった。どういうストーリーがあったのだろうか。
「おわりに」において、筆者は、より良い選択をするために、エビデンスとヴィジョン、そしてレトリックをどのように使うのか、このことを考える機会にし -
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経済力の観点で対米開戦は勝ち目がないとわかっていたのに、なぜ開戦に踏み切ったのか?この疑問に対し、行動経済学におけるプロスペクト理論と、強力なリーダーシップのある指導者が不在ななかでの意思決定に関する社会心理学的な知見から答えている。
開戦回避では確実にジリ貧が見えているなかで、ドカ貧リスクが極めて高くても、僅かながらもジリ貧を避けられるかもしれない道が示されたがために、秋丸機関にとって本意ではない結論に突き進んだのはもどかしい。後講釈かもしれないが、ドカ貧の悲惨さ、つまり焦土と多数の戦没ということについて想像しきれていなかったから絶対の開戦回避という選択がなされなかったのだろう。リスクの高さ -
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秋丸機関なんて聞いたこともなかった。
先の大戦で、経済面の国力分析を、日本と他国においても行なっており、それはかなり正確だった。
その報告書が、開戦の障害になるから全て廃棄されたと言われていたが、実のところ、世間一般で言われているような内容と大差なく、そんな気密でもなく。
日米の国力差、1:20。
故に、資源確保も狙って乾坤一擲、あらゆる条件を好意的に見積もって開戦するしかなかったという判断。
そこは、行動経済学とか、社会心理学の分野であって。
結果論だが、あまりに稚拙。結果はね。
もうちょっと、現状維持でジリ貧にはならないかも、という報告書もできたんじゃないかと投げかける。