同じタイトル「リベラルという病」で山口真由の本もありますので、間違わないでね。
さて、本書を一言で言えば、
リベラルを自称する彼らの主張は、憲法9条が日本の平和を維持してきたという、日本でしか通用しない「信仰」を中核とし、本来のリベラリズムとは異なる特殊日本的な退化をたどった「ガラパゴス左翼」なのである。という一文(P128)に集約されます。
国家とは自国民のため最大の恩恵を与える国民の信託機関であるという前提に立てば、国家間による限られた資源の奪い合いは必然となり、他国民のためを思って遠慮していればたちまち食いっぱぐれるか収奪されることになるだろう。
つまり、日本国憲法の国際社会の認識は憲法前文で語られる「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という幻想と「いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という勝手な思い込みに彩られた世界観という矛盾を抱えたまま出発している。
本書で取り上げられている「リベラル」=憲法前文というお花畑思考の持ち主(筆者は反知性主義と呼ぶ)ということになるが、さらに始末に悪いのは、「反日」勢力の隠れ蓑としても利用されている点である。
お花畑思考の人はあくまでも個人の理想を追い求めるだけなら害は少ないのだが、知ってか知らずか反日勢力の中に簡単に組み込まれうまく利用される(隣人を信じ切るのがこの人たちの理想なので)存在となり、自国を守ることさえ放棄した「平和憲法維持」が目的化し思考停止してしまい、議論の余地がなくなる。
また、こうした人たちの特徴として、自国には厳しいが韓国にはなぜか物分かりがよく厳しいことが言えない(言わない)という点が挙げられる。
韓国は悪くない、いつも悪いのは日本人だという自虐史観にこだわる傾向も強い。
例えば、韓国の慰安婦問題などは国家間で既に2度にわたり解決済みの問題であるにも関わらず何度も蒸し返す事態が続いているのだが、日本のリベラルは必ず「日本人は過去に冒した罪を永遠に謝罪し続けなければならない」「許しが終わるのは韓国がそうだと認めたときであり、日本ではない」とあたかも韓国の蒸し返しに理解を示す発言を行う。
日本も米国から東京大空襲という無差別爆弾投下や2度の原爆投下という非人道的な行いをされたが(戦後ですら米兵専門のパンパンの存在や白昼強姦での泣き寝入り)、今でも日本人がこのことを蒸し返して謝罪を要求すれば、両国の信頼関係は生まれなかったでしょう。(きちんと言うべきだとは思いますが・・)
お互いに未来に向けて建設的な関係を構築するためには「和解」、相手を許すことが最初の一歩となるはずなのに、韓国は反日を政争の道具として毎度利用するばかりでらちが行きません。
一見韓国に理解を示しながらも、本当は両国の和解を妨げているのがリベラル勢力だという認識はお花畑思考の頭にはピンとこないようです。より正確に言えば、従軍慰安婦問題を解決させないことで、日本人を未来永劫責め続けることが出来るネタを手放さないという韓国の尻馬に乗って。
この辺の背景をわかりやすく解説したのが本書です。
良書ですので一読をお勧めします。