月刊『創』編集部のレビュー一覧
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街の書店が消えてゆく
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試し読み
Posted by ブクログ
出張や旅行で様々な土地に訪れたとき、できる限りその土地の本屋さんを訪れるようにしています。陳列している本の趣が、その書店でまちまちなので、棚を眺めるだけでも飽きることがありません。でも、各地域にある書店の店舗数は減少し続けています。そんな現状を伝えてくれる一冊です。
書店を街に残すために、地域の人たちが署名運動し、書店を誘致してボランティアで支えている書店があったり、既存の出版流通とは異なる独立系書店は増えつつあったり、明るい兆しも紹介されています。
出版業界全体を盛り上げる、「BOOK MEETS NEXT」や「木曜日は本曜日」といった企画も紹介されています。
本を読むことって、今時の若者からすると、タイパ(タイム パフォーマンス)が悪いこととして敬遠されがちなのかもしれません。時間の無駄とか、すぐに役に立つものではないものだからと、本ではなくネット情報であらすじを得たり、紹介動画で内容を理解したりする方が、賢い人のやり方と言われそうです。
人生を50年以上経験した私から言えることとして、一見時間の無駄と思えることの積み重ねこそが、後々仕事でも、私生活でも役に立つ場合があると言いたい。むしろ、読書を重ねてきたからこそ、人間としての厚みや、仕事を進める上で困難に直面したときに、何とか乗り越えることができる知恵や胆力を得ていたりするものです。
もっと、長い尺度で時間を捉え、学び続けていれば、後々の人生で困ることが少ないと思うのです。小説でも、ノンフィクションでも、ビジネス書でも何でもいいので、そのときに気になった書籍を手にして、読み続けて欲しいと思います。それは、いつか役に立つときがくるかもしれません。と書きつつ、こんな打算的に読書をするのももったいない気もするので、役に立たなくてもいいので、読書を楽しんでもらえればいいのだと思います。
ネットとリアル両方で、本を買うことも忘れずにね。街の本屋さんが無くなるのは寂しすぎます。 -
Posted by ブクログ
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、障害者19人が殺害され、27人が負傷するという事件が発生した。犯人の植松聖が同園の元職員であったことや優生思想的な発言から、マスコミは一時騒然となった。
あれから二年が経過した現時点での事件の風化もさることながら、当時からこの事件に対してはだれもが腫れ物に触るような、あまり話題にしたくないという雰囲気が濃厚であった。一般人は一様に口を閉ざし、マスコミにしても全否定の一点張りで、生産的な議論はほとんどなかったと記憶している。それというのもこの事件からは、何か自分の陰部を見せられるような、他人事として割り切れない「不都合な真実」が顔をのぞかせていたからではなかったか。
「差別はいけない」とわれわれはだれもが口にする。その言葉におそらく嘘はない。しかしその言葉とは裏腹に、われわれは常に差別をしている。全ての人間を同じように愛することなど不可能である。植松聖の行為は、そんなわれわれの後ろめたさ、やましさに突き刺さるものではなかったか。
もちろん「いけないと分かっていながら差別してしまう」からといって「差別をしてもいい」ことにはならないし、ましてや「殺してもいい」ことにはならない。それは確かにそうなのだが、われわれがあの事件に対し居心地の悪さを感じてしまうのは、「犯人を断罪する資格が果たして自分にあるのか」という根源的負い目、原罪と言ってもいい罪悪感を突きつけられるからではあるまいか。
本書が出版されたとき、一部のマスコミや読者からは「時期尚早だ」「不謹慎だ」などという声が上がり、不買運動も起こった。凶悪な犯罪者の言葉を活字にすること自体が問題だというのである。しかしそれは事件の封印でしかないし、表現の自由にも反する。それに読んでみれば分かるが、本書における植松聖の主張部分はごくごく一部にすぎず、大半は彼の言動を識者が冷静かつ客観的に分析する内容となっている。煽動的とは程遠い極めて真面目な本なのに、中身をろくに読むこともなしに本書の出版自体に反対した読者たちもまた、この本が鏡となって自分の醜い姿を見ることにおびえていただけではなかっただろうか。
事件を起こす前に植松が衆院議長公邸を訪れ犯罪予告状を渡した時点で、植松を措置入院させてしまったことが、逆にこの事件の引き金になったのではないかという精神科医斎藤環氏の指摘が興味深かった。世間は麻薬のせいだとか狂っているとか言って犯人を隔絶しようとするかも知れないが、それでは植松が主張した差別的思想を受け入れることになってしまうだろう。おぞましい事件ではあるが、本書をきっかけにより多くの建設的議論がなされることを望む。 -
Posted by ブクログ
なぜ犯行したのかは究極的には分からない。本人にも分からないこともあると思う。でも記者や司法や医療の視点からなぜ起こったのか、これから防ぐには、を手取り足取り考えて調べている。
10年経った今でも衝撃的な事件だった。
措置入院についてや包摂については本書でとても考えさせられた。
措置入院は警察と精神病院との関係もあるし、入院した本人の自尊心も関係する。その本人の周りにも影響はあるだろう。それで防げるのかどうか。刑罰は犯さないことには発動できないから。
包摂については、不寛容を寛容できるかという問いにも近しい。犯罪者を許せるか。出所後を地域で過ごさせられるか。斎藤環氏は孤立が問題だと言われていた。
かなりシビアで難しい問題。 -
街の書店が消えてゆく
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試し読み
Posted by ブクログ
雑誌の特集や記事をまとめた本を読むのはあまりないので新鮮だった。本屋って返品してるの知らなかった。本屋という空間が好きだからなにかの形で貢献したいと思った。棚に並んである本を見て買うものを決めるのが楽しいから。本は買うのも読むのも楽しい。
あと数日で近所の本屋さんが閉店になってしまうのがやっぱり寂しい。昨日閉店間近の本屋で物色していた時、「なんで閉店しちゃうの?ここすっごくいいのに!なんでなんで?いいや、〜〜ぜんぶ買い占めよう」って言って本屋に入ってきた男の子の言葉が忘れられない。その子のお母さんも、閉店しちゃうの!?ってびっくりした声を出してて、この親子にとっても思い出のある時間と空間だったのかなと思ったりした。 -
Posted by ブクログ
幻冬社文庫の『やまゆり園事件』を読んだときから、この事件についてもう少し踏み込んだ事を知りたいと思っていたので読みました。
植松死刑囚の手記、書簡などに期待していたのですが、第3部の精神科医による分析が、1番求めていたものに近い内容でした。
思想/妄想、司法/医療、監視/支援それぞれの狭間で、行き場をなくして事件へと突き進んだ死刑囚は、はたして特異な人間であったのか。
生きる価値のある命とそうでない命が分たれるとするならば、自分はボーダーラインの内側に立っているだろうか、そんな不安は誰もが感じたことがあると思う。
強さに憧れ、整形手術を受け、刺青を入れ、違法ドラックや大麻に溺れ、それでも足りなくて、弱者を傷つける事で無理矢理自分の外にボーダーラインを引く事でしか、今いる場所が"内側"だと信じることが出来なかった植松死刑囚の感じた恐怖は、行き詰まった資本主義社会の中で多かれ少なかれ誰もが抱えている病理だ。
障害者差別、優生思想と結びつけられて非常にセンシティブな事件として扱われているが、植松死刑囚のコンプレックスが投影できたのが、彼の生活圏内ではたまたま障害者であっただけで、例えば彼が老人ホームで働いていれば高齢者が、病院で働いていれば回復の見込みがない患者が、児童養護施設で働いていれば素行の悪い児童が犠牲になっていてもなんら不思議ではなかったと思う。そこに彼が彼なりのボーダーラインを引く詭弁さえ見つかれば。
この事件を、"特別"な異常者が、"特別"な人達に対して起こした、"普通"の自分達には関係のない事件として、風化させてはいけないという『創』編集部の気概を感じる。
続刊も読もうと思います。 -
街の書店が消えてゆく
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試し読み
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Posted by ブクログ
2016年に相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件を風化させてはならないと、事件の背景を慎重に検証している。読んでいると常に「あなたはどう考えるか」を問い詰められているようで、非常に重たいテーマの本だった。この事件では被害者の名前を匿名で報じたことも含めて議論が起こり、日本の社会と人の心の在り方が問われている。
被告が編集部等に充てた手紙の内容や書いた漫画など、「読むに堪えない内容」も、事件の真相を解明するためにあえて掲載されている。とは言え、関係者の感情や安易に被告に賛同するような風潮を作らせないように細かく配慮されている。
著名な精神科医2人による対談の中で交わされた一節が刺さってきたので抜粋したい。
「(この事件を起こした被告のような)犯罪を起こすかもしれない奴のために税金を使うな。どこかへぶちこむか死刑にしてしまえということを言う人がいる。」
「自分が被告とそっくりなことを言ってることに気づかずにね。」
本書が解明したいことの、大きな要素の一つと受け止めた。