栗原泉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
インドを原産とする胡椒は、古くはローマの時代からヨーロッパへ運ばれ珍重されてきた。大航海時代にインド洋へのルートを確立し、いよいよ直接スパイス貿易に乗りだすことができるようになると、ポルトガル、オランダ、イギリスの商人たちは市場を独占しようと東南アジアに築かれていた交易都市で暴虐の限りを尽くし、農民たちを奴隷化した。たった一つのスパイスをめぐる狂乱と植民地主義への道のりを、豊富な一次資料と山師じみた海洋貿易商人たちの列伝で描きだすノンフィクション。
メインテーマは胡椒だが、その交易に関わるありとあらゆる雑学と蘊蓄が放り込まれたサービス満点の一冊だ。最終章ではなんと胡椒の薬効をめぐる最新研究(刊行当時)まで盛り込まれていて、ここで著者の本業がサイエンスライターなのを知った。
タイトルには「世界史」とあり、確かに西洋の胡椒消費と貿易商にフォーカスした本なのだが、舞台はインド、インドネシア、マレーシアだから当然〈東南アジア史〉でもある。特にインドネシアについては、自分がこれまで興味を持ってこなかったのを後悔するくらい初めて知ることばかり。時折20世紀になってからの大日本帝国の所業もほのめかされ、ただ西洋列強の傍若無人なふるまいを他人事のように眺めているわけにはいかなかった。今は世界2位の胡椒生産量を誇るブラジルに初めて大規模な胡椒農園を導入したのも、1930年代に彼の地へ移住した日本人だったという。
また意外な関わり合いでいうと、1623年のアンボン事件も衝撃的だった。アンボン島にあったイギリス東インド会社の商館の駐在員が、オランダ東インド会社から拷問されたのち全員殺害されたという虐殺事件なのだが、そのうちの10名は当時イギリス側に傭兵として雇われていた日本の浪人だったという。アジアの日本人町が栄えていたことは知っていたが、関ヶ原のあと雇用先を失った雑兵たちがモルッカ諸島で日本刀をふるっていたとは。17世紀に海外へでていった名もなき雑兵に興味が湧いた。
インドネシア史という視点で見ると、胡椒貿易の中心地スマトラ島北端のアチェで独裁を敷いていたスルタン、イスカンダル・ムダの時代を取り上げた第四章は本書のハイライトの一つだろう。ムダは象の大行列と共に登場したり、小川に浸かりながら何時間も続く饗宴を開いたりして西洋人を驚かせたそうだ。ムダは周囲の都市からも恐れられた残虐な独裁者なのだが、西洋の商人やイエズス会士が交易や居住の許可を得ようとアジアの王におもねる姿にどことなくおとぎ話のような印象を抱いてしまうのは、バートン版『千夜一夜』のなどのエキゾチシズムとオリエンタリズムに影響された英米の児童文学を読んできたせいなのだろうか。イスラーム商人たちが築いた交易都市の文化の豊かさについてももっと読みたかったところだ。
胡椒貿易ではポルトガル、オランダに後れを取ったイギリスだが、植民地主義の芽生え、そしてのちのちのアヘン戦争への道筋までこの時点で見えてくるのが面白い。中国は西洋列強がやってくる前のインド洋貿易のなかで中心的な役割を演じていたが、あるとき突然、時の皇帝の命により海洋貿易自体から撤退してしまった。その隙に西洋が滑り込んだ。イギリスが仕入れた胡椒の卸先は中国だったという。胡椒を売り、茶を買うという関係が次第に築かれていき、だんだんと胡椒が下火になるにつれ歪になっていった。マレー半島でのインド織物と胡椒の取引も上手くいかなくなってくると、オランダ・イギリス両東インド会社はたやすくアヘンに手を付けた。
そして本書には人種差別を極めた船長や、大英帝国の矛盾を体現するような東インド会社の社員など、海洋冒険小説の悪役として魅力的な海の男たちがたくさん紹介されているが、私は彼らのことよりも、突然現れてそれまでの自由貿易を独占しようと暴力的な手段にでた西洋諸国に、何百年にも渡って翻弄され続けたスマトラの人のことばを記憶に刻みたいと思う。
「わたしとわたしの同胞をオランダへと、あるいはそれ以外のどこかの国へと、まるで家畜のように引き渡す権威を、そこにおられるどなたがお持ちだというのか。イギリス人がわれわれに飽き飽きしたというなら、立ち去ればいいでしょう。だが、われわれをオランダに引き渡す権利をイギリスが持っているとは認めることができません」(p.181-182)
譲渡式典でこう訴えたスマトラの老領主や、列強の船を脅かしたマレー人海賊たち、アメリカの軍艦に奇襲された砦で死に物狂いの反撃をしたクアラバトゥーの人たちなど、名前の残らないローカルの人びとの姿をこそ心に留めておきたい。 -
Posted by ブクログ
資料として役立ったので★5つ。本当は電子データで検索しながら読みたいくらい。索引のある学術書ではなく、「新書的な」読み物なので、「あれどこに書いてあったっけ」と探し回るのがちょっと大変だった。
以下備忘のため、本書より
・11世紀頃の城は濠をめぐらせた土塁の上に木造建築。十字軍遠征後に築城技術が発展して石造の主塔(キープ)がつくられるようになった。四角い塔は角の下を掘られて崩されることもあり、防衛上の死角ができるため、円筒形に変わっていった。居住区の建物は木造が多かった。
・ダンジョン(地下牢)は城の主塔を意味する「ドンジョン」から。後代になって(城の住み心地がよくないので)囚人の拘置や幽閉に使われたため。
・主塔や城の一階は食料庫や穀物蔵、二階以上には大広間と城主の大寝室などがあった。搬入にまぎれた外敵の侵入を防ぐため一階と二階の間には内階段がなく、外壁に沿った外階段か、側塔や壁の厚みの中に入った階段から大広間に入った。厨房は火事の心配があるため別棟。
・大広間の床にはイグサ(後期にはハーブも)を敷いた。絨毯は14世紀になってから。
・窓ガラスの普及は14世紀、それまでは窓には木のよろい戸がついていた。
・煙突や壁に埋め込んだ暖炉が普及したのは中世でも結構後の時代(それまでは大広間の中心に炉があった)。
・寝室が普及したのは中世でも結構後の時代(それまでは大広間で上記の炉を囲んで雑魚寝、城主家族はカーテンかついたてで仕切った奥で就寝、寝巻きはまだ無いので寝るときは裸)。夫婦でそれぞれ個室のある場合もあり。
・領主のベッドは木枠にロープや革紐を張り、羽毛のマットレスを敷いてシーツで覆い、キルトや毛皮の布団をかけて枕を置いた。夜には周囲に亜麻布のカーテンを降ろした。身分の低い者は藁布団や毛織の上掛けを使った。
・入浴は木製の風呂桶をテントや天蓋で覆い、暖かいときは庭で、寒いときは暖炉のそばで入った。領主が領地間を移動するときは風呂桶と入浴係も移動に伴われた。13世紀には浴室が設けられた城もあった。
・トイレはあった(おまるもあった)。紙の代わりに干草を使用(トイレにろうそくを置き忘れて火事になりかけた逸話が紹介されている)。掃除に下水や雨水を流す工夫のある城もあった。
・家来には騎士や守衛などの軍人達と、城の経営や家事を担当する人々がいた。12世紀頃は一人の家令が荘園管理や財務・法律関係の事務、召使への指示を担当したが、後に業務が細分化されていった。
・領主の息子は父親の主君のところで騎士見習いになり「鳥の餌やり、タカ狩り、猟犬の扱い、弓矢の使い方、チェスやバックギャモン、フェンシング、馬術、馬上槍試合(これは14世紀以降?)などの武芸訓練」を受けた。
・領主の娘は家族と離れ、他の領主の城や修道院で「針仕事や杼(ひ)の使い方(=機織のことでしょう)、ラテン語を読み書き話すこと、歌を歌い、物語を語り、刺繍すること」を学んだ。学問に身を捧げたり、男性と同じように狩猟やタカ狩り、チェスに興じた女性もいた。
・女性の婚期は12歳(お互いの合意のないには無効の申し立てができた)。結婚の際には持参金の見返りに夫の不動産の1/3の寡婦産権が与えられたが、結婚期間中は自分の相続分の土地を夫が売却しても異議を唱えることはできず、夫同伴でなければ訴訟を起こせず、夫の同意なく遺言状を作成することもできなかった。(寡婦=未亡人になってから訴訟を起こして相続財産を取り戻した例もある。)
・領主が不在だったり亡くなった時は奥方が領地管理を任された。
・夫婦とも不倫は教会で禁止されていたが、身分のある男性が愛人を囲うのは普通。妻の不倫は夫から捨てられ、愛人は体の一部を切断されるか殺された(主君の妻との不倫は反逆罪で絞首刑。)女性が乱暴をされた時に「寝取られた夫以外」の父親や家族が密通者を私刑にするのは犯罪。女性の妊娠は快感を得たしるしとされ、妊娠した場合は強姦の訴えはとりあげられなかった(ひどい)。
・三圃式農業の前は伝統的な二圃式農業だった。まだ家畜用の飼料を育てることはなく、家畜を維持できないために冬には家畜の一部をつぶした。
・9月29日の聖ミカエル祭からクリスマスまで(秋蒔き小麦、ライ麦の種まき)が冬。城の会計年度の始まりは聖ミカエル祭(このあたり現代西欧の秋学期制などに通じるものがあるのかも)、屠畜は11月。
・クリスマスから復活祭までが春(春作物オーツ麦、エンドウ豆、インゲン豆、大麦、ソラ豆の種まきの季節)。
・復活祭から8月1日の収穫祭までが夏。羊の毛刈は夏至祭りの前。夏至の翌日、聖ヨハネ祭から収穫祭までは牧草刈り。
・収穫祭から聖ミカエル祭までが秋。収穫祭には初物の小麦で焼いたパンが教会で祝別され、それから刈り入れが始まる。
・クリスマス・イブからの十二日間(歌にもある)は農奴の仕事はお休み、領主の召使にはボーナス(物で)があった。贈り物や宴会などが続く。
・1月6日の公現祭明けに鋤レースなどが行われたが、本格的な耕作は2月2日のキャンドルマスから。復活祭(春分の日の後の最初の満月の次の日曜日)から一週間は農奴の仕事はお休み。聖霊降臨祭(復活祭後の七回目の日曜日)から一週間も農奴の仕事はお休み。
最終章のおわりにあった、20世紀の戦争でイギリス沿岸部の城が監視所や対空砲の据付場所として使われ、フランスやドイツやイタリアの城が大砲の砲撃にさえ耐えうる陣地や避難所として使われたというエピソードが興味深かった。 -
Posted by ブクログ
俳優 栗原類のお母さんの子育てに関わるエッセイ。
正しいとか間違っているとかではなく、自分がどう考えるか、ということを大切にしている点が印象に残った。
類君にとってはこの接し方は幸せな結果になったのではないかと思う。
日本、アメリカどちらでも育っているが、どちらもそれなりに制約があり、息苦しい。
発達障害に対する意識が進んでいるアメリカに行ったことはやはり大きいと思う。
日本の常識はアメリカでは常識ではない、逆にアメリカの常識も日本の常識ではない。
マイノリティーは、当然だがメジャーじゃないということ。
日本、アメリカを比べることで、「メジャーの作った”常識”からはずれることは問題ではない」ことを知れた。
世間の常識を疑えることは大きいと思う。
行動し、体得していくお母様の潔さがすがすがしい本。 -
Posted by ブクログ
泉さんご自身も発達障害で、ご両親も今でいうところの「毒親」。ご苦労が多かっただろうに悲観的にならずにとても冷静に分析して人生設計と子育てをなさっている。
子育てのノウハウが載っているわけではなく、あくまで類君の場合というスタンスで書かれているので参考になるかならないかは読みとり方しだいだけど、子育てに対する覚悟のようなもの(それがブレないということになるのかも)が素晴らしい。例えば、子どもにとってのベストな選択や環境は探すけれど、最終的には子どもの判断に任せるという部分。わかっていてもこれがなかなか難しい。ついつい「こっちの方がいいよ」と誘導しがちだ。けれど泉さんは類君の選択を否定しない。「向き」「不向き」ではなく継続して「頑張れそう」なことなら困難があっても大丈夫だと考えている。必要なら手はさしのべるけれど、自立の邪魔はしないというこのさじ加減は見習いたい。 -
Posted by ブクログ
学生時代の一時期、アーサー王伝説にはまり、中世の騎士だの城だの必死で調べたことがある。確か、何でも輪切りにして構造を調べるシリーズの絵本の、「城」版も持ってたはずだ。もちろん映画もコスチュームプレイものが好きで、『ロビンフッド』や『三銃士』あたりは外せない。まあ、映画だと嘘が多いんだけど。
というわけで、城もの本を数冊所持。この本は多分、一番堅くて詳しい。なにせ城の生活について語るのに、普通は時代背景から始めるものなんだけど、この本は本当に「城の歴史」から始めているのだ。
土塁と囲い地様式の砦から石組みの城へ。城もゴシック様式の石塔が建つまでにはそこに至る歴史がある。というわけで、最初の10ページばかしはちょっとつらい。全長210メートルで、「東の端にある大手門を通って城郭内に入ると」から始まって庭の大きさ、壁の高さ、塔の高さなどなど解説が続くのだが、そういわれても全然イメージが……。そこさえ乗り越えれば、あとは全て記録に残った実際の出来事を元に「城の生活」が描かれるので非常に面白い。
他の類似の本では、同時代の引用はあるものの、大概は「一般的な話」として記述されることが多いのだが、この本はとかく記録を元にした具体的な記述が多いのでその分想像しやすいというのもあるかもしれない。騎士につきものの「叙任式」の模様も詳しく解説されていて、掲げられている挿絵が中世っぽい稚拙な感じの線画であるにも関わらず、かなりの萌えを感じた……。