佐藤亜紀のレビュー一覧
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第二次大戦下のドイツ、ハンブルク。
恵まれた環境に生まれながらも頽廃音楽たるスウィング・ジャズに魅せられたエディ。ピアノの天才であるマックスやユーゲントのスパイ、クーらを巻き込みながら、スウィングで踊り狂うパーティーを開催したり、海賊盤レコードを売り捌いたりする日々。刻々と悪化する戦況にも軍部の締め付けにも背を向けて、時に憲兵の裏をかき、時に手痛いしっぺ返しをくらいながらも、ただひたすら享楽的に情熱的に狂騒的に退廃的に刹那的に、ただし用意周到に生き抜いて行く...
ドイツ国内に住む少年、のちに青年の視点から第二次大戦を描いた作品。
イデオロギー、戦争の悲惨さ、ナチスの暴虐などを声高に訴えるのではなく、目の前に立ち塞がる災厄として、不平を垂れながらもただ頭を低くしてやり過ごすふてぶてしさ。後半はさすがにかなり凄惨な光景が繰り広げられるが、精神が麻痺しようと壊れようと、ただ淡々と日常を前へ進めて行く。そして高らかにスウィングが鳴り響くような解放的なラスト。
「戦争の法」を思わせるシニカルな一人称が楽しい傑作。 -
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18世紀ベルギーフランドル地方
商家の娘ヤネケと幼馴染のヤン
とてつもなく賢いヤネケに実験され、
ヤンは彼女を慕い、ヤネケは子を身籠る
そして、ヤネケは「ペギン会」に入って好きなように生きていく
また次なる興味のために
ヤンのその後は波瀾万丈
あれよあれよと市長になる
2人の妻は尽くし続けて早くに亡くなる
寂しく残された男ばかりの食卓風景は
なんだかせつないばかり
時代の流れの中で、ヤネケやヤン
そして息子のレオ
それぞれが駆け抜けていく!
読むにあたり
歴史にも触れざるを得ないだけに
なんだか賢くなった気分になれる(笑)
女性としての生き方の多様性
男性の女性への考え方の多様性
今も昔もあまり変わらないような気がする
どう生きていくのか
個人として、人間として
どうありたいのか
改めて思いを巡らせたい -
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大好きな作家さんの佐藤さん、今回は、ドイツ第三帝国下のスウィングボーイズの物語。
佐藤亜紀さんは、不幸な事件のせいもあって、あまり話題にはされてませんが、実は好きな人がメチャ多い作家さんです。最近だと黄金列車もすごく良かった。
ナチスに頽廃音楽とレッテルされた音楽や美術作品は多々あるなか、ドイツに浸透していたスウィングジャズにハマった悪ガキの物語、ゲシュタポの排斥が進むなかで、隠れてスウィングスウィング、ある意味楽しい青春譚が繰り広げられるものの、時代の流れは暗雲立ち込め、ハンブルク大空襲を山場に生活瓦解となるなかで、そのような陰鬱さを感じさせないスピードで悪ガキが走り続けた物語。悪ガキベースだからポジティブな文調であまり気分が重くならずに一気に読める。角川文庫版の須賀しのぶさんの解説の最後がよかった。
「心から自由を失った時、人は人でないものになりさがる。疑問も持たなくなるから楽かもしれないが、そんなものになりたくはない。
スウィングしなけりゃ、人生に意味はないのだ。」
最新作の「喜べ、幸いなる魂よ」は18世紀フランドルの物語。積読からいつ取り出そうか、楽しみです。 -
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再読。
一度目に読んだときが佐藤亜紀作品デビューだったので、落ち着いて読めていない部分も多かったと思う。
一度目も楽しかったんだけど世界観への順応とか歴史の知識とかにエネルギー使ってしまい本編を純粋に楽しむ余裕なかったかもしれない。双子であるにも関わらず身体がひとつという設定にいちいち興奮していたみたい。
そういう基本設定と話の筋もわかった上で改めて読んでみたら、メルヒオールとバルタザールはじめ登場人物をより深く理解することが出来たと思う。
注釈もないまま当たり前のように引き合いに出される馴染みのない文学作品とか演劇の台詞とかには「分からないやつは読むな」と言われているような気持ちになるけど、、(どっかの論評にドSと書かれていた)それでもGoogleに頼りながらどうにか食らいついていけばたくさん良いことがあります。 -
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戦時下の青春小説。
日に日に締め付けが厳しくなっていく戦時下、敵性音楽であるジャズをどうにかして聴き続けること。この話を貫いているものは反戦の精神でもなく戦争がもたらす教訓的なものでもなく、ジャズという名の人間性ではないかと思う。
主人公エディがつるんだり巻き込んだり丸め込んだりする人達は、ユダヤ系、ユーゲントのスパイ、戦争捕虜、ゲシュタポなど立場を問わない。
エディにはイデオロギーはなく、ジャズを聴き続けるため、前線行きを逃れるためにあらゆるものを利用し、あらゆる理不尽に心を痛める。
ジャズを含むアーリア的でないもの全てを根絶やしにしようとイロニーのかけらもなく愛国精神を説くナチス。
馬鹿げた戦争をやりたいやつはよそでやってくれ、俺たちを巻き込むなという心の叫びは、国籍や年代問わず誰もが共感できるところではなかろうか。
そういった率直な人間性が、恋や人生の楽しみを歌うジャズナンバーに投影される。
佐藤亜紀作品の中では読みやすいほうではないか。(天使、雲雀などは登場人物も殺人的に多くて苦労した)とはいえこの作品も分からん単語が当然のように出てきてググりながら読まないと厳しい。
単語検索もそうなんだけどスマホ片手に読むのがおすすめ。ジャズナンバーが随所に出てくるので検索して聴く。ヒトラーユーゲントの歌も。
作中繰り返し出てくる「イロニー」の有無を、音楽を通じても感じることができると思う。
今回もほんとに登場人物が魅力的。 -
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舞台は第一次世界大戦前後のヨーロッパ。
サイキック集団が跋扈する魑魅魍魎の中を泳ぐように生き、したたかに漂流するゲオルクエスケルス。
登場人物が全員オーストリア人とかロシア人とかだから名前が覚えにくい事おびただしい。
人物相関図付けてあげようとは誰も思わなかったのか。
何回もコイツ、誰だっけ?と読み返した。
でも読み返すことで面白さは倍増する。
ギゼラが最後の最後に出てきた時は快哉を叫んだ。
初登場から一体何年経ってる設定なの?
そしてちゃんと結ばれるのね。
ハッピーエンドなんだ。其れにも吃驚。
読み応えあります。
読んだら疲れます。でも心地よい疲れです。
500頁以上有りますがオススメです。 -
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ネタバレエネルギーを要する作品でした。歴史的な背景がわからないと迷子になる。知らない用語が当然のようポンポン出てきて「ちょっとまって、これ何のこと言ってんの?」ってなる。検索しながら読んだ。
主人公たちの使う特殊能力を脳内で再現するために五感を総動員して第六感的な感覚を何とかして創り上げるという作業が必要だったんだけど、これが癖になるほど楽しかった。(私としては泥酔したときの感覚がいちばん役立った)
登場人物がやたら多いがみんな魅力的なのでさほど混乱しなかった。小狡いキャラクターすら心から憎むことができない魅力を持っており2作品を通してそれがジワジワ漏れ続けいつの間にか何となく好きになっている。
主人公を始め基本的にみんなこれでもかと言うくらい気取っているのだが時折出て来る間の抜けたキャラクターが殺伐としたストーリーを和ませている。
そんなお間抜けキャラが内面も含めとても傍観者的な視点で淡々と描写され、何とも言えないおかしみを誘う(かわいい)
人物描写に関してはこの二点がツボだった。
そしてとにかく終わり方がいい!頑張って読んでよかった。 -
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「西暦二○○○年の人間はまた別な風に弾くだろう、って先生は言ってる。今みたいな音楽を普通に聴くようになった人たちには、ベートーヴェンはまた別のものに聴こえるだろう、先生が聴き始めてからでもずいぶんと変わったって。それはいいことでも悪いことでもある、って。得るものと失うものがあるから」
2017年に日本人の作家が大戦末期のドイツを描く。綿密なリサーチが彼らのステップを“歴史”から開放する。自由なステップは素敵な飛躍を生み、それが祈りを携えた小説となる。読者は史実の手触りと自分の足元が変容する感覚を味わう。読み終えた僕が思いを馳せたのは、遠いドイツの風景ではなく、もっとそばにあるファシズムの過去と現在についてだった。
『戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである』なんて言葉があるが、「執着する」の部分はおよそ美しくない、牙を向いて死に物狂いな態度で取り組まれなければならない。かっこ悪いくらいに足掻いて、“かっこよさ”を死守しろ。という意味なのかもしれない。血統よりイデオロギーより強固な“かっこよさ”で連帯すること。粋とは何かを理解しない者に手綱を渡すなと、この小説は伝えてくれている。 -
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この本は実在したスウィング・ボーイズの話です。私はスウィング・ボーイズなる存在を知りませんでした。ナチス体制のハンブルグで、ジャズによって規制に抗った少年たち。ナチスに抵抗した若者というと私は白バラしか知りません。スウィング・ボーイズもエーデルヴァイス海賊団も知りませんでした。だから小説としての面白さだけでなく歴史を知るという意味でも興味深く面白かったです。
白バラは反戦のビラを撒くのに対して、スウィング・ボーイズはただカッコいいことをしたかったり好きな音楽を聴いたり踊ったりしたいだけ。自由でいたいだけ。ビラを撒く恋人にエディは「それってユーゲントとどこが違うの?なんで青年が先頭に立って旗を掲げなきゃいけないんだ。ドイツよ目覚めよって、目覚めた挙句こうなってるんだろ?」と言います。
どんな手を使ってでも戦争になんて行きたくない、SSやゲシュタポのことをバカにしてる感じやブルジョワの子供らしい考え方や行動が痛快です。
佐藤亜紀さんについてもこの本についても、須賀しのぶさんの解説がまさにその通りです。佐藤亜紀さんの作品について私が思っていたことを言葉にしてくれていて嬉しかったです。この本については須賀さんの文章を引用します。
『押しつけられるものに目もくれず、ただ自分が選んだスウィングジャズで最後まで踊り続ける。それは、振り返ってみれば、あの時代において最も厳しい生き方だったかもしれない。しかし彼らは、何度選べたとしても、その道しか選ばないだろう。
心から自由を失った時、人は人ではないものになりさがる。疑問も持たなくなるから楽かもしれないが、そんなものにはなりたくない。
スウィングしなけりゃ、人生に意味はないのだ。』 -
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当初、岩波書店『陽気な黙示録』や四谷ラウンドから発刊されたエッセイ集の再録集かと思っていたのですが。
読んでみて「おおおっ!」その後、新聞や雑誌に寄せた文章が初収録されている!!
これは購入した甲斐がありました!(嬉)
内容は相変わらずといおうか、なかなか辛辣で、時々ふっっと考え込んでしまったり落ち込んでしまったりするんですが。
それでも、こうして読む事ができるのはやはり嬉しいものです。ふふ。
という訳で、…まぁ、多分佐藤亜紀が好きな人は絶対購入済だとは思うんですけど。当初のワタシのように、「ああ、書籍でもう持ってるよな」なんて思った人は、ぜひ購入してみてください。 -
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歴史が生んだ
人種の多層構造。
吸血鬼という土着風習。
そこに人間の本質を描く。
凄い小説だ。
1845年。
オーストリア帝国の支配下にある
ポーランド。僻村ジェキ。
ドイツ系オーストリア人の役人
ヘルマン・ゲスラーは、
若き妻エルザを伴って代官に着任した。
ポーランド人の詩人
アダム・アダムスキ男爵が
村の領主だった。
ゲスラーの下男マチェクら村の人々は、
貧しさのなかで生きる
土着ウクライナ人であるルテシア人。
三種の人種が折り重なり奏でる
歴史の奇妙な軋み。
そして、村には
死んだ恋人が戻ってきて、
真夜中に扉を叩き、
開けてほしいと望むという
怪異が言い伝えられていた。
それを防ぐべく、
村人たちは墓を暴いて
死者の首を斬る、
土俗的な風習をもつ。
村に不審な死者が続いたとき、
代官ゲスラーは
決断を迫られるのだった。
歴史が生んだ
人種間の複雑な歪み。
怪異なる風習。
迷信におびえる村人。
独立蜂起の火種。
揺れ動いていく寒村。
吸血鬼伝説という
外皮を纏いながら、
膨大な資料の読み込みに
裏打ちされた確かな事実に、
明晰な知性と
飛翔する想像力が
新たなる真実を描く。
歴史とフィクションが
一体となった
類まれな小説だ。
歴史小説のありようと
存在意義を、
この作品が明確に
証明している。
恐ろしさは
人間のなかにある。 -
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知らなかったな、「ペギン会」。修道女のように教会に使える女性達が集まって暮らしていた組織。ベルギーのフランドル地方にあった。修道女のように「キリストの花嫁」ではなく、ペギン達はそれぞれ経済活動をして、身を立てていた。敷地内に家を購入して暮らす者もいた。
この小説のヤネケという女性の生家は亜麻糸の仲買商人の裕福な家で、彼女は子供の頃から恐ろしく頭が良かった。もうひとりの主人公のヤンという男性は、12歳の頃、ヤネケの父親に引き取られ、ヤネケとは義理の兄妹として育った。二人は仲良く、実験好きのヤネケの「性の探求」にヤンが付き合わされているうちに、子供が出来てしまった。
ヤンは二人で家庭を持って子供を育てることを夢見ていたが、ヤネケは子供を産んだあと、さっさと「ペギン会」に入ってしまった。
ヤネケは自由が欲しかったのだ。「男性に仕える」などという煩わしさのない、女性だけの中で、本を読み、研究し、論文を書く時間が欲しかったのだ。そして当時は女性の名前で論文を書いても相手にしてもらえなかったので、ヤンや兄弟のテオの名前で発表した論文はベルギーだけでなくフランスなど海外でも評判になった。また、ヤンが跡を継いだ亜麻糸の仲買業についてもヤネケは帳簿を点検し、緻密な計算をして助言したり、ペギン会と共同事業で亜麻糸から布を織る工場まで立ち上げた。また、ペギン会の子供達を連れて頻繁に外に出て、社会や科学を観察、体験する実地学習をさせてくれる先生として慕われた。
一方ヤンはずっとヤネケを慕いながらも、一家の主人として、店の社長として、最後には市長として、責任を果たし、家族を愛し、事業や街の伝統を守りながら発展させた。
ところが、ヤンとヤネケの子供のレオだけは、恐ろしく頭が悪く、「女は子供を産み育てるだけのものだ。黙って男に仕えて、男に養ってもらえ」というような、ヤネケの息子とは思えないような主張をする暴力的な男になってしまった。
家を追い出され、フランスに渡ったレオは、40歳になってフランス軍の下っぱとして、実母ヤネケのいるペギン会に乱入し、実父ヤンが市長を務める議会にも乱入し、どちらにも「解散」を命じた。
馬鹿を晒して住民に迷惑をかけまくる馬鹿息子。こんな時、親なら死ぬほど恥ずかしくて、泣きながら息子を怒ったり、代わりに土下座したりするくらい動揺するところだが、ヤネケとヤンは冷静である。
「しようがないねえ」
「もう、親の責任じゃないしね」
と冷静に見て、それでも親として、息子が帰ってきた時の家の中の居場所だけは確保してやる。
あっぱれな親たち。
すごく頭がいいから、そんな頭の良い親の遺伝子を持っていてもレオのような馬鹿な息子も出来るという自然の摂理に反感を持とうともしない。
そんな場でも、ヤネケとヤンには絆があって清々しい。
知性って素晴らしいと思った。私は心配性だが、心配のほとんどは調べも実験もせず、実態を自分が確認しようとしていないことだと最近分かってきた。心配よりも探求し、計算して‥と論理を組み立てていくと解決方法が分かり、ずっと有意義な年月を過ごせる。
ヤネケのような女性が生き生きと過ごせたペギン会というのは素晴らしいところだったのだと知った。読んだことのない、ベルギーのフランドル地方を舞台にした小説を読んでみて良かった。