岡真理のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレエッセイ、と括っていいのかわからないけれど。感覚的にはエッセイと学術本の間。辛かった、きつかった、それでも読ませる力があってあっという間に読んでしまった。順番は前後するが、『アラブ、祈りとしての文学』を次読もうと思う。
あまりにも知らないことが多すぎて、読めば読むほど、なぜこんなことが起きているのか?なぜこんなことを終わらせることができないのか?なぜ世界は沈黙しているのか?なぜ私は知らなかったのか?なぜ?という悲しみと怒りが溢れてきて、言葉を失う。
1948年、パレスチナに「ユダヤ国家」を掲げるイスラエルが建国された。その過程で、この地に住まっていたイスラーム教徒とキリスト教徒のパレスチナ人70万余名が民族浄化され、難民となった。パレスチナ人を襲ったこの民族的悲劇をアラビア語で「ナクバ(大破局)」と呼ぶ。
エピグラフ的に挿入されたナクバの説明から。まず「ナクバ」から初めましてだった…。そこから、でした。
読み進めていく道中、何度胸が締め付けられただろう。
学生の感想の一文、「ガザ、世界最大の野外監獄、無期懲役ときどき死刑、罪はパレスチナ人であること」、ここに集約されている。
【彼ら彼女らを取り囲む不条理・不正義について】
…これまで家族や友人を誰も失ったことがないという人に会ったとしたら…人を殺す塔や戦車や武装した「入植地」や巨大な金属の壁に囲まれていない世界の現実を体験したとすれば…そうしたら、この子供たちははたして、世界を許すことが出来るでしょうかー(p70)
岡は続ける。
「この子たち」は許せるだろうか。私たちは許せるだろうか、こんな世界を。許せるはずがない、いや、許してはいけないのだ。許していいはずがない、こんな不条理を。許していけないのなら、どうするのか。答えは明らかだ。私たちは変えなければならない、この世界を、私たちの手で、非暴力の手段によって。…私たちは無関係なのだろうか。罪はないのだろうか。ミサイルや白燐弾で殺す代わりに、私たちは、ガザを関心の埒外に打ち捨てることで、日々、殺しているのではないか。(p71-72)
境界侵犯の暴力という点で、占領と拷問は本質を同じくする。占領が、私/たちの土地に対する私/たち自身の主権を剝奪するように、拷問は、私のからだに対する私自身の主権を奪い去るのだ(p214)
【「人間」であり続けるということ】
世界の無知・無関心・忘却という暴力の中で人間性を否定され、世界からノーマンとされてなお人間であり続けること。人間の側にとどまり続けること。この許しがたい世界をわが身もろとも破壊してそれに終止符を打つのではなく、自らの人間性を決して手ば佐須、自分たちの手で、非暴力の手段によって、世界を変えていくこと。…《ガザ》に生きるとは、人間がそのような闘いを闘うということだ。(p74)
…パレスチナ人がパレスチナ人であることを引き受けるということが人間にとっていかなる闘いであるのか、そのことを、それを果敢に闘っている者の姿を通して教えようとしたのだと思う。(p151)
人がこの世界で何者であるかは、決して自明なことではない。…パレスチナをその目で見たことも訪れたこともない難民二世の若者たちが、解放戦士(フェダーイーン)として「祖国」の開放を求める闘いに続々と参与したのは、彼らがパレスチナ人に生まれたからだけではない。その難民的生の経験を通して、彼らは人生のいずれかの時点で、自身の生をパレスチナ人として生きることを自らの意志で選びとったのだ。…『ハイファに戻って』とは、同胞のパレスチナ人に対し、「パレスチナ人であること」とは何かを、このような思想的地平で開示した作品である。カナファーニーはこれを「人間とはその一人ひとりがひとつの大義(a cause/qadiyya)なのだ」ということばで表現している。(p188-189)
…真の人間とは、どの時代、どの場所にも属さない。…真の人間とは一人ひとりが、ひとつの大義であり、ひとつの国であり、ひとつの時代である…(エマソン)。(p206)
図らずもカナファーニーを読んだ後だったので、文中に引用される話の数々がしっかりわかってよかった。
【私への、世界へのメッセージ】
「訊きなさい!」「私たちには答える義務があるのよ!」(p114)
それでも、私たちは証言しなければならないのです、とズフールさんなら言うだろう。これは、私たちが人間としてこの世界に存在するための闘いなのですから、と。(p132)
「パレスチナに行ったこと、ある?」「ええ、何度か…」その答えを聞くや、ホダーとイブティサームさんが間髪入れずに、口を揃えて訪ねたのだ、身を乗り出して、目を輝かせながらー「ヘルウ・フィラスティーン(パレスチナは美しかった)?」(p155)
「ヘルウ・フィラスティーン?パレスチナが美しいだって?こんな、日々、暴力と流血にまみれた土地の、どこが美しいっていうんだ?…このあいだも取材中、友人がイスラエル兵に射殺された。その遺体の傍らで、ぼくはカメラを回せばいいのか、泣き叫べばいいのか分からなかったよ。ここには抑圧と暴力しかない。ぼくたちは自由を求めて闘っている。平和を求めて闘っている。だけど、ぼくたちはこの占領の元で生まれ育って、暴力しか知らないんだ。きみは平和から来たんだろ、日本は平和なんだろ、きみたちは自由なんだろ。じゃあ、教えてくれないか、自由とはどういうものか、平和とはどういうものか」(p176)
…イスラエル軍に占拠されたスターホテルのロビーで、アウニーたちがなぜ、あんなに引きも切らず冗談を言っては笑い転げていたのか、今ならよく分かるような気がする。生を破壊する暴力、パレスチナ人の人間性を否定する暴力のただなかで、二人の青年たちは、生を愛し、今、この瞬間の生を精一杯、享受するという根源的な抵抗を遂行していたのだ。それはまた、ロビーの奥にたむろしている同年代のイスラエル占領軍の若者たちに対する抵抗のメッセージでもあっただろう。僕たちは何があろうと、生を愛し、人間であり続ける、お前たちに僕たちの魂を破壊することはできない、というメッセージだ。(p227)
読んでいて何度も、なぜイスラエルはそんなことができるのだろうかと思ったかわからない。アウシュビッツを経験したユダヤ人がどうして、パレスチナ人にこのようなことができるのか。民族を根絶やしにしようなどという行為ができるのか。
地獄とは人が苦しんでいる場所のことではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所のことだ。
マンスール・アル=ハッラージュ
Don't forget Palestine エドワード・サイード臨終のことば -
Posted by ブクログ
もちろんガザ地区の事は知っていたし、パレスチナ問題だって関心が無いわけでは無かった。TVで流れる映像を見ていたし、中東の問題を書いた本だって読んでいた。
しかし僕は何も分かっていなかったし、知識としてさらりとなぞっただけで、同じ人間が苦しんでいると受け止めていなかった。
今ガザで生きている人々は最初から難民としてガザで生まれ、そして死んでいきます。将来に何の希望も無く、死ぬ為に殺される為に生きているような毎日。ようやく生活基盤が出来家族も増えてきた頃に、必ずやってくるイスラエルの大規模な軍事行動。それは戦争ですらなく民間人に向けられた一方的な虐殺でしかないのです。
彼らに40年間関わり続けた筆者の指した糾弾の指先は、国際社会という曖昧な全てでもあり、無関心でいる個人個人を指しています。無関心でいる事で彼らパレスチナ人を、死んでも虐げられてもいい存在だと認めたと繰り返し糾弾します。
当然それは読んでいる僕自身の事でした。
2014年には51日にも及ぶ執拗な爆撃が行われて、キャンプは完膚なきまでに叩き潰されました。軍事施設でもなんでもない市街地に対してです。
ニュースでもやっていたと思うのですが、すぐに意識は薄れ遠いどこかで起こっている事としか認識されませんでした。今となってはニュースで取り上げられる事も無く、ガザの人々はじわりじわりと窒息寸前のまま生殺しにされています。
筆者は何度も繰り返します、爆撃や狙撃で沢山の愛し愛されるべき人々が殺され、未来に何も希望を抱けない暮らしを強いられている人々が、同じ時代に豊かで安全な生活をしている人々を目の当たりにしたら、果たして彼らはこの世界を許すことが出来るだろうかと。
どこかの国に属している人間だけが「権利」を持っていて、それ以外は人ならざる者「ノーマン」であると。国の庇護を持たない難民はすべからく「ノーマン」として殺されても仕方が無い。そう世界が言っているのだと。
アメリカはイスラエルの最大の支援国です。そして恥ずべきことにイスラエルと日本の関係は非常に良好です。我々は沢山の屍と悲鳴の上に立っている事を忘れないでいようと思います。
ちなみにガザに地下鉄当然ありません。これからも走る事はないでしょう。それはあるアーティストが描いた理想としての地下鉄の路線図です。僕はこの題名を見た時にそういう計画が出るくらいに状況が上向いているのかと思って何気なく手に取った本でした。そんな脳天気な事を考えていた自分を、自分でぶん殴ってやりたい気分です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ知らなかった。パレスチナとイスラエル、どっちもどっちだと思っていた。
考えること、調べることをやめた者は中立の立場を取って、判断を保留にするしかなくなる。
でもそれは抑圧者(イスラエル)に加担している。
正直イスラエルにも言い分はあると思う。
ただ、やり方がひどすぎる。
パレスチナの人の足をわざと狙って障害者にしたり、配給場所を攻撃をしたり(飢えた人々が物資目掛けて殺到したところを狙撃)、物資を止めたり。
だから次回はイスラエル側の歴史の本を読みたいと思う。
そして、根本的な原因として、ヨーロッパ諸国やアメリカなのではないのか?
ユダヤ人にシオニズムを焚き付けて、ホロコーストを行った懺悔として、パレスチナ人に全ての尻拭いをさせているのではないのかと感じた。
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Posted by ブクログ
ネタバレ私はガザで何が起きているのかあまり知らなかった。イスラエルとパレスチナは私が生まれた頃から戦争しており、ガザについて考える習慣を持っていなかった。今回この本を手に取ったのは、ウクライナ戦争や現在進行しているイランとイスラエル・アメリカの戦争に興味を持ったからだ。本書は、イスラエル国家の成立とパレスチナの関係が事細かに書かれており、イスラエルの見方が変わった。イスラエルによるジェノサイドは、人をただ殺すだけでなく、文化や封鎖を通じて、パレスチナ人を苦しめていることに衝撃だった。言葉がでなかった。酷すぎて、この事実を今まで知らなかった自分に落胆した。私ができることは、この話を多くの人に伝え、イスラエルを非難し続けることだと思う。パレスチナ人がこの世からも、歴史からも消されないように、私達がイスラエルの非人道さを訴え続けなければならない。皆さんにも是非本書を読んでください。そして、国際法が機能していないことに疑問を呈し続けてください。私はパレスチナを忘れない。
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Posted by ブクログ
なんでイランへの攻撃にイスラエルが参加したんだろう?なんとなくアラブとの確執があるからだよねとめちゃめちゃ軽い認識でいたがそんな確執とか軽い話ではなかった。
知らないことの罪を説いてくる本。
大量殺戮することだけではなく文化も破壊するということがジェノサイド。
凄惨さに読みながら自然と背筋を正して読み切ってしまった。ガザという監獄というか狩場というか、そう、地獄。地獄の中で生きるパレスチナの人たちのことを知ることから始めないといけない。
そして福音派が力を持つアメリカである以上この状況を止める事はものすごく難しいように思う。
すごく読みやすく理解の深まるみんな読んだ方が良い本。
手塚治虫「アドルフに告ぐ」の最終巻を思い出して
ずっと今この瞬間まで繋がっていることに驚愕する。
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Posted by ブクログ
ネタバレパレスチナ周辺で現在起きている事柄を知る手助けとなる1冊。
ニュースなどで見てはいたものの、内容をよくわかっていなかったため、購入。
非常にわかりやすく説明していてためになる。
そもそもパレスチナやイスラエル、などは頭の中で「中東」ひとくくりで違いを説明することすらできなかったので、対立しているのかそうでないのかすら知らなかった。
この問題の大きな契機となったのはホロコースト以後発生したユダヤ系難民の受け入れ先の解決案だった。国際連合により決定されたのは、パレスチナという国の中に、ユダヤ系の国家を建設するというもの。これは国際憲章に違反しているとの声が上がったが、なぜかその案が違憲のまま通ってしまうことから悲劇は増長される。
入植者移民主義、シオニズムなどをキーワードにして、パレスチナ国内でパレスチナ人は散り散りになっていく。平気で殺戮が行われていく。
日本や世界各国の偏向報道にも筆者は怒りを燃やし、無関心な我々にも喝を入れる。
惨劇を見たうえで静観を決め込むのは加担していることと同義だ、と。
読んだうえで、パレスチナを侵攻していくイスラエル側が基本的な悪との論理で書かれている。ただし、実際に見ていないものにとっては、残酷でわからずやだと言われても、どちらが悪なのかを判断つけることができない。その点で多くの人が無関心に陥っているのだと思う。
人の生き死にという最もナイーブかつ目を背けることがはばかられる事象だからこそ、対峙する心意気を保てないし、体力が持たない。当事者からしたら経験していないのだからこの信号を受け取ってほしいと願うが、あまりにも脆い僕らはそれすらも手を差し出すのにおびえてしまう。平和な現代ですでに疲弊しきっている。
決定的な書物については、いくつかの論を読まないといけないと感じている。
もう少し理解をしたい、と逃避をする。
忘れていくことに対して糾弾していたが、本当その通り、僕らは忘れていく -
Posted by ブクログ
パレスチナ問題の歴史がわかりやすく解説されており、この1冊で大まかな流れが理解できる。
ガザの視点で語られる本書は現地の惨状をつぶさに伝え、痛烈にイスラエルを批判している。著者の岡氏は「中立の立場でさえジェノサイドに加担している」と、かなり左翼に偏った発言を展開しており、最初は忌避感を抱いた。
しかし、これまでメディアで報道されたパレスチナ問題はハマス政権がイスラム過激派集団のように伝えられており、私自身も本書を読む前はそのような認識だった。つまり、イスラエル側の視点で伝えられるものが多かった。ともすれば、岡氏の過激な解説を聞くことはパレスチナ問題を考えるにはある意味フェアなのかもしれない。