米川良夫のレビュー一覧
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イタロ・カルヴィーノ1972年の作。ネタバレを回避してあらすじを書くのが不可能な作品ともいえるし、話の展開のようなものがなく、なにを書いてもネタバレにならないともいえる。いずれにしても、おそらく、何通りもの読み方ができる不思議な書。
フビライ汗に気に入られた(もしくは取り入った)マルコ・ポーロが旅行中に訪問した55の都市をひとつひとつ、フビライの前で話して聞かせるかたちになっている。ひとつひとつの都市の話は短く、また都市と都市の間につながりはない。小篇の集合といってよい。
読んでいるうちにわかるが、話に出てくるのはすべて架空の都市で、フビライやマルコが生きていた時代には存在しないようなもの -
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以前レビューした「冬の夜ひとりの旅人が」のカルヴィーノの、代表作の一つ。
アジアでの経験を書いたマルコ・ポーロの「東方見聞録」のパロディ。
まだモンゴルにいる若き日のマルコが、フビライに聞かれるまま、旅の途中で見てきた都市について語ります。
各都市についての記述はそれぞれ1~3ページくらい。
その間にマルコとフビライの描写があって、コミュニケーションとは、都市とは、文明とは、と言ったテーマがあるようでもあり、それを深読みしすぎないほうがいいようでもあり。
凝った構成といい、すごく計算しつくされているようでもあり、でもたぶんその計算をすべて読み説くことを著者は求めてない感じでもあり -
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マルコ・ポーロがフビライ汗に、自分が旅してきた都市の話を聞かせるという設定で、架空の都市の見聞記と、各章の最初と最後に挿入されるマルコとフビライの対話で構成されている小説です。短い章節の集合体なので読みやすいかと思いきや、結構話が抽象的で読みづらい部分もあった……
でもすごく面白かったです。最初のうち、登場する都市はお伽話のような不思議な都市、ありそうもない都市ばかりなのですが、物語がすすむに従ってだんだん不気味な都市が多くなり、ディストピア小説のようになってゆきます。
印象に残るのはやはり最後の方の都市。「まるい頬を動かして木の葉や草を噛んでいる呑気な笑顔」が増殖し続けるプロコピ -
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いったい人はどのようにして本と知り合うのだろう。こんな不思議な本を読んだ後では、つくづくそう考えずにはいられなくなる。世の中には読まれるべき本が読まれることを待ち続けている。勿論、その言明は個人に対する言明に過ぎないのであって、一般論ではない。そしてまた、その個人とて、一瞬いっしゅんが連続した個人であることはなく、どこかしら途切れとぎれの個人の集合にしか過ぎないのであるから、読まれるべき時に本が読まれるという幸せを味わえるのは、とても不思議な出会いであるとしか言いようがない。
「見えない都市」のような本を読んで思うのは、文章の持ち得る意味と意図された意味の関係、ということである。本として、文 -
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p69湖水の鏡の上にあるヴァルドラーダ「おのれの一挙手一投足が、ただ単にそのような行為であるばかりか同時にその映像ともなること、しかもそれには肖像画のもつあの特殊な威厳が与えられていることをよく心得ており、こうした自覚のために彼らは片時たりとも偶然や不注意に身をまかせることを妨げられておるのでございます。」
p21しるしの都市タマラ「人はタマラの都を訪れ見物しているものと信じているものの、その実われわれはただこの都市がそれによってみずからとそのあらゆる部分を定義している無数の名前を記録するばかりなのでございます。」
p113「思い出のなかの姿というものは、一たび言葉によって定着されるや、消 -
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その都市はいったいどこにあるのか。強大な力を持って果てしなく領土を広げゆくフビライと、地の果てまでひとり行くマルコ・ポーロが、それでもまだ知ることのできない都市と、どこかで見た都市を巡って時を過ごす。見知ったようなそれでいて遠い世界のお伽話が、電車で向かう仕事先とさえ重なり合う重畳された時間の流れの中で、じわじわと響きあう。やがて、読者である自分自身がその都市のひととなった。
電車の中にあって片手をあげて寄り添う人々は、誰ひとり言葉を発せず、互いに隣には誰ひとりいないようにふるまっている。たとえあなたがそこで何を目にしようがそれはあなたの脳が見た景色であって、隣で光る板を睨みながら首を捻じ曲 -
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カルヴィーノが晩年にアメリカで行った講義ノート.講義自体は6回であったが,本人が文章としてまとめることができたのは5回分であった.6回のテーマはそれぞれ,軽さ,速さ,正確さ,視覚性,多様性,一貫性であった.どれもカルヴィーノ作品のキーワードと言えるだろう.これは,その逆となる言葉を常に意識していたことも意味している. 39ページでカルヴィーノはこう書いている.
"重さを備えた言葉を味わうことができなければ,言葉の軽やかさを味わうこともできないでしょう"
カルヴィーノはいろいろな文学作品を例に挙げながら,彼の文学論を展開している.そこから浮かび上がってくるのは,他者を認め -
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若手建築家がおすすめの本ということで手に取りました
イタリアの作家さんの小説です。
あまり自分からは手に取らないたぐいの小説だったのですが、読み始めるとその独特の世界観にいっきに引きこまれてしまいました。
マルコポーロがフビライ汗に彼が訪れた(と思われる)幻想的な都市の様子を語る。という体裁で話は進んでいきます。
11の都市について語られるのですが、その語られ方がとても面白い。
短いパラグラフでそれぞれの都市がバラバラに語られているのですが、それぞれのパラグラフがまるで散文詩のような雰囲気を持っています。
その美しい文体が薄く引き伸ばされたようにレイヤー状に重ね合わされて、その総体 -
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ネタバレフビライ汗に、マルコ・ポーロが帝国内の55の「都市」の様子を報告するという形式の小説。
「都市」の姿は、そこで生活する人間の内面の反映である。フビライはマルコ・ポーロのさまざまな「都市」についての報告を通じて、「帝国」の姿を理解しようとするが、それはそのまま人間の精神を理解しようとする試みでもある。
しかし、この「都市」。一体何なのだろう? マルコ・ポーロが語る「都市」は、いずれも異形の街ばかりであるが、その光景はどこかでみたことがあるような気分にもさせられる。そう、それは「記憶」のなかにある「都市」なのだ。「記憶」のなかにある、いわばすべての都市の雛形とでも言えるような、「最初の都市」と