柴田治三郎のレビュー一覧

  • 日本の弓術

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    「対話のない社会」で紹介されていた一冊。ドイツから日本にやって来て、知らない民族の精神性、その心の内をしりたいと弓術の世界に足を踏み入れたその時点で、すでに対話は始まっていたのだ。
    かつての体験から否とせず、受け入れた師匠の方もまた対話を拒まなかったと言えるのだろう。

    この対話性があればこそ、無我の境地、宇宙との一体感といった感覚に到達しうるのではないか。悟りはひとりでは開けない。

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    2025年07月22日
  • 日本の弓術

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    日本人は何でも「道」にしてしまう。
    茶道、華道、へたすればラーメン道、とか。

    道、とはなんだろうか。ざっくり、ストイックに突き詰めて無我の境地に至る、みたいなことだと日本人なら感覚的に理解できる。
    その中でも、弓道(弓術)というととくに何か神秘の香りがする。

    ここに合理の権化のようなドイツの哲学者が挑戦した記録。

    「・・・私が弓術を習得しようとした本来の問題に、先生はここでとうとう触れるに至ったが、私はそれでまだ満足しなかった。そこで私は、『無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか』と尋ねた。すると先生の答はこうである。

    『あなたの代りにだれが射るかが分

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    2020年11月29日
  • 日本の弓術

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    面白かった。こんな本もあるんだなぁと思った。
    昭和初期、東北(帝国)大学に職を得たドイツの哲学者が、日本の文化を深く知るために弓術を習うという体験を本国で講演した時の日本語版。
    日本の武術は禅の影響を受けているため、日本の神秘性を理解するには武術を習うことがよいと勧められて弓術を始められたとのこと。
    しかし師範からの指導は「あなたは全然なにごとをも、待っても考えても感じても欲してもいけないのである。あなたがまったく無になるということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」…など欧州の論理的な哲学者にとっては理解し難い指導ばかりだが、それを少しずつ体得していく様子が大

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    2020年08月19日
  • 日本の弓術

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    ドイツ人がここまで素直に日本古来の弓術に専心してその本質を会得するとは、非常な驚きである。スティーブ・ジョブズが本書を愛読していたとのことであるが、西洋の人から見ると、本書で描かれたような道の究め方はある種神秘的に見えるのであろう。

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    2020年01月06日
  • 日本の弓術

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    今年読んで良かった本の1,2を争うかも。

    ドイツ人が日本の弓道家に弟子入りして、
    日本の深淵なる禅を学ぼうと試みたという話。

    弓を射ることは弓と矢とをもって射ないことになり、
    射ないことは弓も矢もなしに射ることになる。

    身震いがした。

    薄い本ながら内容は非常に濃いものになっている。
    余裕のある字間で書かれた文章には雰囲気があり、
    高潔な世界観がうかがえる。

    阿波師範が語られる精神世界は
    現代の日本において遠いものになってしまっている気がするのが残念だ。

    日本人としてのアイデンティティを再認識させられる名著だと思う。

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    2016年12月31日
  • 日本の弓術

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    薄い本ですが、読みごたえがあります。東洋的な精神文化の根本を「禅」の中に見出そうとする著者の思いが詰まった本です。心に残る一冊であることは間違いがありません。弓道とは、これほどまでに精神修養の面があるとは知りませんでした。日本人の深い精神性について知ると共に、日本人が古来から培ってきた自己の内面との邂逅が、仏教的な思想である「禅の思想」と繋がっていることを再認識しました。西洋人と東洋人の考え方の違いの根本を教えてくれる本です。この本をドイツ人のヘリゲルが書いたというのも凄いことです。ヘリゲルが晩年過したガルミッシュパルテンキルヘンは私が十数回訪れている場所であり、そういう事実を知れたことも嬉し

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    2016年10月22日
  • 日本の弓術

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    「射るように射てはならない」「百発百中よりも百発成功」「有から無に入る道は、かならず有に復って来る」「逆の方向から考える(的の方が自分にくる?)」といった含蓄のある言葉が並ぶ。
    体得にかなりの時間を要し、かつ、体験しないと領域においては、言葉による表現よりも、自分と向き合ってその所作を続ける"生活"を継続することが重要になる。これは研究にも当てはまる。
    (自分の手中にないことなので)的に当たるか、その境地に生きている間に至るかは気にかけずに無心に矢を放つ様子は、ニーバーの祈りのようでもある。

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    2016年10月10日
  • 日本の弓術

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    昔の著書であるが、弓術に禅との関係性を実践から感じ取った1冊を読むことができてとても良い時間でした。
    日本の良いところはまだまだたくさん身近にありそうです。 今日も座禅をして心と会話をします。

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    2015年12月09日
  • 日本の弓術

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    奇特なドイツ人哲学者が奇跡的に弓術を志し貴重な師匠に出逢い、その体験を帰国後講演したものを邦訳した奇書。この薄い文庫本の存在そのものが本書でも何回も繰り返される「非有の有」みたいに感じられます。堅牢な論理を背景に持つ学者が神秘的合一に魅入られ精神修養に立ち向かい理解より体感を重視する過程に煩悶していく様子が明瞭な言語で綴られていきます。哲学者のドイツ語を昭和初期の重々しい翻訳している文体もこの本の「らしさ」なのかも。しかも作者、星飛雄馬のようにまっすぐに悶え苦しんでいるし。ページ数の割に非常に濃厚で深淵です。戦前の武道を通したドイツ人の「Discover Japan」は今のわれわれにとっても日

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    2021年08月17日
  • 日本の弓術

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    そこで私は、「無になってしまわなければならないと言われるが、それでは誰が射るのですか」と尋ねた。すると先生の答えはこうである。ー「あなたの代わりに誰が射るかが分かるようになったら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。

    森博嗣の「喜嶋先生の静かな世界」にてこの新書が引用されており、興味を惹かれた。
    弓道を通して、ドイツ人から見た日本の神秘主義、禅に基づく精神性を探る旅である。
    今まさに愛国心という言葉が議論されている。
    戦後のジレンマにより、私達は愛国心とは、日本人とは、という議論を凍結してきたが時代は変わった。

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    2013年12月23日
  • 日本の弓術

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    奇跡的な名著です。

    一方、歴史的にはじつに不幸な運命の書でもあります。

    「弓術と言えば弓を一種のスポーツの意味にとり、したがって術をスポーツの能力の意味にとるのが、まず手ぢかなところではないだろうか。」

    と、はじまる本書は、1926年(大正15年)たまたま来日していたドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲル氏が弓道家阿波研造氏に五年間「弓道」学んだを体験を母国ドイツで行った講演録の翻訳です。

    ですから平易な文章でわずか一時間たらずで読み終えてしまいますが、

    そこは当時一斉風靡した新カント派の哲学者、「弓道」修行から「禅」に至るまでの道程を西洋人に語っています。

    鈴木大拙の「禅」岡倉天心の「

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    2013年10月08日
  • 日本の弓術

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    「あなたがそんな立派な意志をもっていることが、かえってあなたの第一の誤りになっている。あなたは無心になることを、矢がひとりでに離れるまで待っていることを、学ばなければならない」
    「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずはない」
    「身を修むるを以て弓と為し、思を矯めて以て矢と為し、義を立てて以て的となし、奠めて而して発すれば必ず中(あたる)矣」

    大好きです、この作品。背筋どころか、この身のすべて、未だかつてない感覚でピシッと伸びました。
    もしも、読み返すことでここに書いてある世界が会得できるのなら、何千回だって読み返しを厭わない。
    こんな

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    2025年01月11日
  • 日本の弓術

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    ネタバレ

     論理的かつ合理的といわれるドイツ人である著者が日本の弓術から日本人に根付いている禅の精神を分析した本です。

     現代の日本では弓道という単語を耳にする機会はありますが、弓術と言う単語を耳にする機会は少ないと思います。まず、この2つの違いはどのようなものなのでしょうか。この本によると、弓術は的を射る一種のスポーツであり体を鍛え筋肉で弓を引くものだと述べられています。一方で弓道は的を入ることが目的ではなく精神修行の一種であり、精神で弓を引くものだと述べられています。著者が弓術という単語を使用しているのは著者にとって自分の弓はまだ弓道の弓に達しておらず、的に当てようとするスポーツであると言う気持ち

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    2016年11月22日
  • 日本の弓術

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    ドイツ人が禅の精神を学びたくて日本で弓術を学ぶという昭和初期の実話。

    ほとんど無批判と言えるほどに日本の精神を持ち上げる様は読んでいて正直むず痒かったのですが、「的を狙ってはいけない。無心になりなさい。」という精神論を語る阿波先生に対して、「なにも考えず、狙わずにどうやって当てるのですか。」といかにもドイツ人らしい理屈で食らいつく語り部ヘリゲルという対比が面白かった。

    そんな考え方の違いがありながらも、ヘリゲルがドイツに帰国する際には先生愛用の弓を託されるまでの良き師弟関係になれたのは、わからないことをごまかさずに「わからない」と言い、実直な対話を重ねた結果だと読み取れて両者に敬意を感じた

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    2014年10月14日
  • 日本の弓術

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    いやよかった。道は、単なる技術論で極めることはできなということを、著者が実際に弓術の稽古の中でわかっていく様子がよい。道を極めるものの姿勢を再確認させられた好著。

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    2014年10月16日
  • 日本の弓術

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    「技術論」にばかり目がいき、「道」という考え方を見失いつつある日思考が西洋化してきているわれわれ日本人にオススメの一冊。こういうものが感じ取れる日本人でありたいと思う。

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    2013年11月29日
  • 日本の弓術

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    ネタバレ

    的を意識し、狙って射るのではなく、
    無意識の中で矢を放つ。

    まさに東洋の神秘。

    「禅」が何かも分からない時に、
    弓を引いていたのが懐かしく思いました。

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    2018年07月31日
  • 日本の弓術

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    列子の弓術の話と同じくらい面白いですね。
    目隠しして暗闇で、同じ位置に矢を射れる人がいたんですね。
    日本の弓術も凄いです。

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    2016年04月12日
  • 日本の弓術

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    2025.6.14(土)
    柳宗悦の著書に登場したヘリゲルが気になったため手に取った。「禅」って簡単に言う現代だけどそんなもんじゃなさそうだ。無我を体験してみたい。

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    2025年06月14日
  • 日本の弓術

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    著者がドイツに帰国してからの講演原稿であり、興味深い記録であるとともに、「新版への訳者後記」でヘリゲル氏の生涯についても書かれており、一連の書物の理解に役立った。

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    2023年01月02日