藤原帰一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
広島の原爆記念館と米ワシントンにあるホロコースト博物館の共通点と大きな相違点から話が始まる。ヒロシマは平和を訴えるのに対して、ホロコーストは残虐行為を止める聖戦の必要を訴える。ヒロシマは日本が戦争被害者であり、加害者であったことを忘れさせているが、多くの日本人にとって戦争体験とは現地のことではなく、空襲と原爆など日常生活の体験だった!アジア各地で戦ってきた日本兵たちは戦争体験を語りたくなかったので、現地での日本人の中国やシンガポールなどでの残虐行為が記憶されず、無かったこととされている。従って多くの日本人は殺したアジア人への罪悪感ではなく、生き残ってしまったことへの罪悪感。戦争を起こした罪悪
-
Posted by ブクログ
ネタバレ国際社会で戦争や紛争がなぜ起こるか、どう防ぐのか、なにをするのが正しいのか考える本。考えるってのは、藤原さんが答えを出してるのではなく、ケーススタディ方式で問いかけをし、答えってないんだよ、ってことを示すのがメインの目的だからです。
こと国際問題になると意識してるしないに関わらず感情や意見に支配された妄言じみた議論が展開される世間ですけど、そもそもどんな状況であっても絶対的に正しい指針はなく、それに拘ることは思考放棄と同じだとのこと。
答えがない中で少しでも良い状況を必死で考えていかなければならない。その考え方の一部を紹介しています。
ページは少ない中でも、国際問題に関する知識と豊富に紹 -
Posted by ブクログ
広島とホロコースト。
どちらも第二次世界大戦において大きな被害を被った
ある意味での象徴となっている二つの場所であり経験。
広島では原爆の経験から絶対平和を願う心が生まれ
反戦の震源地ともなっている。
一方でホロコーストはユダヤ人虐殺の経験から
民族浄化などの絶対悪に立ち向かう責任を問うようになった。
同じような悲劇から
なぜ一方では反戦思想が生まれ
もう一方ではナショナリズムが台頭するのか。
戦争の記憶のされかたに焦点を当てて
その成り立ちを読み解く本。
例えば広島の原爆は日本では反戦の象徴だが
アメリカでは第二次世界大戦を終わらせた正義の象徴となっている。
僕は日本人だから後者はどうも受け -
Posted by ブクログ
国際政治学者の藤原氏と小説家の石田氏の対談をとおして主に現在の世界情勢を知ることができる。その分野の知見をもってすれば、世のなかで起きていることはわりと説明がつくんだなあという印象。
横暴に思えるロシアにしても中国にしても、根っこでは被害者意識に立った対外的な態度なのだというような見方は目からウロコのようでいて納得いく。どこの国も、そしてたぶん人間にしたって多くが被害者意識でいるんだよね、きっと。日本だって原爆落とされたことは声高に主張するけど、朝鮮半島や満州などで何をやってきたのかと言われれば途端に頑なになるじゃない。強気じゃなくて弱気や怖れやトラウマ的なものが横暴や頑なさを招くのだろう。
-
Posted by ブクログ
後半になると少しずつ作者の考えが出てきますが、戦争観がどのように形成されていったかという経緯についてのまとめがほとんどでした。戯曲や小説、映画などの作品名や抜粋があるので、とても興味深く読み進めることが出来ました。
ワシントン博物館やホロコースト博物館、チャンギ博物館など初めて知る博物館が多く、当たり前ですが他の国にもこのような博物館が存在するのだと再認識しました。
戦争といえば原爆の印象が強いので、日本が侵略戦争を行なっていたこと、被害者意識ばかりだという点については今後知るべきだと思いました。
アメリカの原爆展示について、生存されている当時の関係者が物申した件にしても戦争を知らない世代 -
Posted by ブクログ
抽象化のせいか記述が薄い。思考訓練にはちょっと歯ごたえが足りないか。
全体として、著者があとがきで述べている「暴力の存在を諦めたり、まして武力行使を美化したりすることではなく、また暴力と戦争の排除を訴えるなら世界も変わるという過剰な楽観に走ることでもない」道筋を示すことには合格しているとはいいかがたい。
*ハッとした記述
・広島の語り(日本国民の犠牲)、南京の語り(日本軍の犠牲)、靖国の語り(日本軍兵士の犠牲)。戦争の異なる側面が語られている。
・多数派の非暴力と少数派の暴力という対照は、少数派は民主政治による自己実現を期待できないという制度的な特徴にねざしたもの。
・(ナショナリズムは)