藤原帰一のレビュー一覧
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ネタバレ朝日新聞の月1回の連載「時事小言」を2020年から2025年2月までをまとめた新書。2025年2月の最新の記事が頭にあり、そこから過去の記事にさかのぼっていく、という体裁になっている。
驚くべきは2020年のトランプ政権最後の年の藤原先生の分析が、最新の2025年のトランプ政権をそのまま正確に分析していることだ。これは凄い。トランプがその本質において変わっていないこと、藤原先生が2020年の段階でトランプの本質を最初から見抜いていたこと、両方がある。ただ、論文ではなく新聞の記事だから掘り下げた分析、ということはない。それでもこの本を2025年の記事から過去に向かって読み進めることには十分価値がある。
・前書きで藤原先生は、トランプは覇権からの離脱を目指していることを説く。つまり覇権維持にはコストがかかる、なぜアメリカが世界のために犠牲にならなければならないのか、という近視眼的または低能の思考を抱きかかえ、長期的にアメリカの力を強めてきた覇権を維持しながらの国際主義を捨て、力による支配、弱者の従属を強請する弱い者いじめを目指す。
・トランプは民主党が掲げて実行した正常な政策「リベラルな国際秩序」から「力の均衡」を目指すが、これは第1次世界大戦時の国際秩序と同じだ。トランプから見れば侵略を受けたウクライナはロシアと勝負するだけ無駄の弱い国であり、そんなウクライナを助ける必要は無く、頭越しにロシアと交渉するだろう。ヒットラーがチェコスロバキアの頭越しにズデーデン地方ついてイギリスと交渉したように。
対中政策でもアメリカと他国との連携による中国封じ込めは行わず、関税と軍事力の誇示で牽制する愚かな方法をトランプは取るだろう。
だからプーチンや習近平はトランプ個人と勝手な交渉をすることで自国に有利な条件を引き出せる。
・2020年の時事小言で藤原先生は、トランプの無能無為無策がアメリカのコロナ感染拡大を招いた、と説く。
また、大統領自ら民族・人種・性別・マイノリティへの偏見と差別を助長し、嘘をつき、それを指摘されるとフェイクニュースと強弁した。これは共和党支持州の愚かな貧乏白人の妄想に応えるためだ。貧乏白人は高度経済成長にある「自分の親よりも裕福な暮らしができる」アメリカンドリームを信じていて、このアメリカンドリームの頂点に向かう列に自分は並び、前後は自分に近い人、頂上にはテスラ社長イーロン・マスクのような成功者や大富豪がいる。右派は努力すれば行列の中で自分も上がっていく、という世界観を持っている。しかし、徐々に上がる速度は落ちていく。高度経済成長が終わったからだ。そのため自分は努力している自負はあるのに進まない。絶望感や虚無感を持つ。トランプは女性や移民や難民や有色人種、列に割り込んで自分達の上昇を邪魔している連中(と右派が錯覚している)を抵抗なく差別する。そこに開放感を覚える。更に”Make America Great Again”とは、アメリカンドリームの列に並ぶ自分が昔日の人々と同じく上に行ける錯覚を持たせてくれる。
そこへ列に割り込む人々が出てくる。女性、移民、難民、有色人種等。特に白人男性はそれを自分達の収める税金を使って割り込む連中を支援して、自分達が上がれないようにしている、と錯覚する。白人男性が最も恵まれているからだ。
・利益相反を強行して家族が経営するホテルやゴルフ場を率先して使い、自分個人への利益誘導を続けた。
・殊更国際関係を破壊した。国際機構や協定はアメリカには対外政策の用具であり、他諸国にとってはアメリカを制度の中に抑え込む手段だったが、トランプはその関係を無知蒙昧と低人格を発揮して破壊した。またプーチンと親密になる一方でNATO諸国とは駐留費用削減と同盟脱退を脅迫材料に国防費増額を要求し、同盟国との関係を最悪にした。アメリカの政治学者ジョン・アイケンベリーは著書「民主主義に安全な世界」でアメリカの覇権が国際制度の下で制御され、各国との協力を可能にした相互利益態勢であると論じている。トランプはアメリカが築いてきたリベラルな国際秩序を勝手に降りようとしている。
・2020年9月16日の時事小言では、日本の戦後最も愚かな首相安倍晋三についても述べている。森友学園への国有地払い下げ、加計学園の岡山理科大学獣医学部新設、桜を見る会への招待者に関連して公式説明と違いがあると公文書の改竄、破棄を繰り返した。国会では合計118回嘘をつき続けた。もはや生きる価値すらない首相だった。コロナでトランプと同じくその無能無為無策が露呈して、仮病の腹痛で辞職したことは日本にとっていいことだった。トランプと阿部に共通していることは、権力を握った政治家は虚偽を指摘されても知れを認めなければ虚偽を「事実」に変えることができるという確信である。ヒットラーやスターリンが「嘘も100回つけば真実になる」と言っていたことをそのまま実行している。生涯全体主義と戦い続けた哲学者ハンナ・アーレントはその著書「暴力について」の中の「虚偽と自己欺瞞の連結作用」を指摘し、嘘をつき通すことができるという確信に基づいて他者も自分も騙す政治は、基本的な政治的自由=もしそれがなくなれば言論の自由が残酷なごまかしに堕してしまうもの=ありのままの事実を知る権利を脅かす。
改めて、トランプはアメリカと世界とに有害であり、殺さなければならない。 -
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今年退官の藤原氏の講義録。論点を提示するスタイル(おそらく授業で討論?)。保護する責任と沈黙の陰謀は初耳、人道的介入は戦争回避と矛盾するがそこが課題。
アメリカと同盟を結ぶ各国の存在から勢力均衡ではなく公共的覇権国の意義を見出すが、筆者はその意義を疑問視。覇権国による恣意的判断には不満が募るが、強制力に疑問符がつく多国間協調よりは実効性があるのではないか。
民主主義による文民統制が平和を生むという仮説を三浦瑠璃の議論から反論する。民主主義は国際関係よりも国内社会を優先するため両者の調整には外交官が不可欠だと思う。
権力移行論については両者が合理的行動を取れば覇権戦争は起きない立場をとっているが、筆者は勢力が同程度の場合を見落としている。勢力均衡だから大丈夫ということだろうが、この場合は成長速度に有意に差があるので成立しないと思う。割愛したのだろうが、場合分けをしているのだから説明してほしかった。経済(生産力)と軍事が一体化する近現代において分離して考えるのは違うと思った。
領土対立については、国益増進における国土の重要性が減ったという理屈には概ね首肯できる。民族意識に基づく国民国家の思想と国際法の矛盾(棚上げ最適?)が対立を起こしているのも理解できた。歴史問題について、国内被害者・兵士・国外被害者の三者に双方が目を配れていないことが問題と語る。ナショナリズムと結びつき、増々拗れてしまう。
そのナショナリズムであるが、民族自決に基づく分断回避のための自己欺瞞として「国民」の中に包摂することで共通の歴史を創造するものとして評価している。今年の東大入試に出題されたが、日本人としては歴史的資料から日本は古来より一体の国であったといいたいが、中々難しいものではある。
最後に核開発について、軍事行動・経済制裁・国際対話から手段を選ぶが、結局は主観的リスクと相手の信頼だと喝破する。そこから平和の条件として勢力均衡・絶対平和主義の止揚としての戦争違法化と好戦国排除を提案するが、実効性・正当性を齎すには課題山積である。玉石混交の国際政治で玄人の貴重な意見に触れられてよかった(タイムリーでもあったし)。
2022/3/5 -
Posted by ブクログ
戦争があったのは事実で、
その戦争で亡くなった人がいるのも事実。
人権侵害が行われたこともあったし、
大量破壊兵器が作られ、使われたこともあった。
それはいいとして。
この事実をどう記憶するのか、ということについては、
時代・地域によって様々だということを、この本は教えてくれる。
戦争観ほど、相対化されてしかるべきものはないと思う。
同じ事実を受け止めて、違う捉え方をしていい。
どのように受け止めたところで、
所詮は戦争という真理の一側面を、さらに断片的に知ったにすぎないからだ。
しかし、政治的な動きはそれを許さない。
特定の戦争観を礎にして共同体を作ることだってあるだろう。
特定の戦争観を盾に国際社会でのポジションを獲得することもあるだろう。
国際社会の要請に応える中で、国の在り方を議論しなくてはならないこともある。
その時代・地域で、要請される政治的行動の中で、"戦争観"は統一されていく。
今日も、靖国に行く行かない、いい悪いの議論(というか罵り合い)が始まる。
「戦争を記憶する」ことによって私達に何をさせたいのか。
「戦争を記憶する」ことを、なぜしなくてはならないのか。
そもそも、
「戦争を記憶する」ことは何なのか。
ぜひ、お手に取ってほしい。 -
Posted by ブクログ
戦争がどんな場合に起こってしまうのか、それがタイトルと私なりに判断したが、著者は結びで戦争を避けるための条件、それでも戦争に訴えなければいけないときに満たす条件という2つの意味が込めているらしい。とにかく戦争を避けることは絶対条件であるという認識で、いろんなケース事例ごとに、A国、B国、C国と言う呼称を使って読者に考えさせるという本が明らかに米、ロシア、中国、北南朝鮮、イスラエル、イラン、旧ユーゴスラビア各国、その他の国々を想起させる。世界中から専制主義国が消えて民主主義国になれば戦争は無くなるという理想が本当にそうなのか?民衆が戦争を望んでいる場面がある!(かつての日本そして…)という残念な事実を思わざるを得なかった。領土問題での衝突を避けるために棚上げ(先送り)することの有効な意味については、初めて理解できた。大切な考え方だ。
戦争の記憶についての解説は日本において、広島の語り、空襲の語り、そして靖国(つまり戦死した日本兵士)の語りが中心で、南京の語りが飛んでいたということについては全く同感!。この著者の「戦争を記憶する」など巻末に紹介されている30冊にはぜひチャレンジしたい! -
Posted by ブクログ
国際政治学における「正戦論」「現実主義」の違いと歴史的な変遷を説明するもの。
「絶対平和主義」と「相対主義」の違いと言い換えてもよいのだと思う。
正義のために悪を制御するために行われる戦争という、目的のためには手段を選ばぬやり方は、言ってみれば十字軍であって、そこで掲げられる「正義」が相対的なものであるという話。
これを総論として、各論としてポスト冷戦のあり方、日本の戦後の平和主義、東アジアの状況にまで論が及ぶ。
日本についていえば、「戦争における加害者であったこと」をコントロールするために憲法9条が作られたということが話題にされる。
一定以上の年齢の人には自明だし苦い記憶だからあまり語られないけど、あまりにもあっけらかんと「なかったこと」にしてしまうのは客観的な見方との乖離が広がりますね。
本書の底本は2003年のもので、ロシアによるウクライナ侵攻後の2022年に復刊されたという。
ポスト冷戦に注目するのには時代性があると思うが、しかしその延長線上にウクライナ侵攻があるわけで、このタイミングでの復刊には意義があると思う。
ただ、底本も復刊も「正しい戦争」をカッコでくくるのはいかがなものかと思う。
カッコでくくった「〈自称〉正しい戦争」が存在することは自明すぎるので、問題の所在が曖昧に見えてしまうと思う。 -
Posted by ブクログ
藤原 帰一さんは、日本の政治学者で、専門は国際政治学・比較政治学。朝日新聞夕刊に月一で「時事小言」が連載されており、以前から鋭い視点で国際情勢を捉えている方だなと思っていたが、その藤原さんの書籍で、しかもタイトルが『「正しい戦争」は本当にあるのか』と、今般ロシアがウクライナに侵攻・侵略している時勢にマッチしていることから、興味が湧き手にした。
どの戦争が誤りで、どの戦争が必要なのか?正しい戦争は本当にあるのか?は、非常に難しい問いだ。明確な回答は示されてはいないが、我々がどう考えるべきかを、歴史の中における成功や失敗の事例を挙げながら、より平和な国であるべき方向に導いてくれる書だと感じた。
まえがき
冷戦後、9.11同時多発テロは西側優位の軍事秩序を揺るがし、中ロが米国への対抗軸へと反転。2010年以降はロシアによるクリミア併合、シリア内戦介入と自由世界の下の安定に代わって権力政治が展開されるようになる。国内政治に目を向けると、ポピュリズムへの傾斜が表れ、民主主義は世界を結びつける原則ではなく、自国優位の状況を作り出す基礎となっていった。
平和はどのようにつくり、支えるのか?武器を一掃すればよいのか?軍事力で脅せば平和をつくれるというのか?しかし侵略を前にした平和主義は役に立たず、抑止に頼っても抑止が破綻する可能性は無視できない。
1.正しい戦争は本当にあるのか
戦争の捉え方として①侵略する国には交渉ではなく武器をとる ②戦争は国家政策の一つで、国家が脅しあって均衡状態が生まれた時が平和=力の均衡。この場合、正義のために侵略国を潰そうとすることは、国際関係を不安定にするだけなので、現状維持が第一とする ③武力の保持を禁止する憲法9条のイメージ ちなみに宗教戦争時代から力の均衡にシフトしたのが、近代欧州の始まりだが、現在はジュネーブ議定書や国連憲章など戦争を違法化する法律や制度が出来てきている。そしてそれらは、戦争がない世界に向かうロジックの 1)経済統合 2)市民による戦争の制限 にも同期している。
但し米ソ冷戦時は両陣営の勢力範囲の中、ある意味均衡が保たれていた関係が、冷戦終結後は各国に軍事力が集まり、かえって戦争や紛争が起こるようになる。
(筆者は)対ナチス独のように軍事力行使の必要な場面は国際関係の中にあるだろう。ただその先に、兵隊や軍事力に頼らない方法がないか、できるだけ丁寧に考える必要がある。そして戦争の許される状況の制限と戦争で用いる方法の請願が大事だ。戦争を違法化するためには、各国独自の軍事行動の権利は制約されるべきで、そのために国際機構の役割が出てくる。暴力の制度的抑制を考える必要がある。日本について言えば、憲法上あってはいけないはずの自衛隊(軍備)を黙認し、憲法を、軍を抑える道具に使ってきた。理念で掲げているはずなのに、実はいつも現状追随が続いている。ここで抜けているのは、どのような状況ならば、誰がどう軍隊を派遣出来、どんな場合なら出来ないかという問題。先の戦争の捉え方で言えば、②は軍拡競争と国家間の不信につながり③では世界で緊張がなくなることが前提なので、現状では無理。①の正義の戦争には法の支配が必要 そして我々が進むべき道は最小の軍隊と最大の知恵で戦争を起こさないようにすること だと言う。
平和は現実の積み重ね。目の前の現象を丁寧に見て、どんな手を打てるのかを考えること。すぐ兵を送るのは短絡的。ある意味汚い取引や談合を繰り返すことで平和が保たれ、結局良い結論になる。
2.日本は核を持てば本当に平和になるのか
核抑止は、その破壊力を考えると平和の方がマシと考えることが前提だが、相手は本気のようなので先手を打とうと考えられると成り立たなくなる。実際米国では2002年に時のブッシュ大統領が核兵器と通常兵器を組み合わせた戦略を議会に提出しているし、イスラエル、印パ、北朝鮮はその地域的不安定さ故使用する可能性さえある。地下100mの所に作られた基地や研究施設を壊すには核兵器しかない。またミニニュークの開発が進められていたりで、核は抑止兵器ではなく、使える兵器に変わりつつある。
しかし核を持てばかえって自国の環境が危うくなる。だからこそ危険レベルを下げることが一つの手段で、核軍縮は戦争の蓋然性を下げる(緊張が弱まる)ことを狙っている。核は安上がりと言われるが、運搬手段を考える必要がある。基地化では基地を攻撃されたら終わり。移動式では衛星で探知される。原潜は事故が心配。いずれにしても核を戦略の中心に据えようとすれば大きな投資が必要となる。
核の傘で守ってもらうことを拡大抑止と呼ぶが、そもそも拡大抑止とは守護してくれると言う保証で成り立っている訳ではない。戦争が起これば必ず損をする。
3.デモクラシーは押し付けができるのか
国家政治でどんな国家が国家として認められるかは、力、民族、デモクラシーの順に変ってきており、それが新しい対立を作っている。民族としての国家は独自の政府・経済・文化を保っていいというものなので、民主化やグローバリゼーションという考え方と正面でぶつかる。ナチスによる民族浄化からの教訓や、戦後民族ごとの政府が出来てきた欧州から、人権や民主主義が大事だと言う考え方が出てくるが、自民族の素晴らしさや伝統を守り植民地からようやく独立に至ったアジア・アフリカでは違うととられ、結果内戦や紛争が起こる。また米国による民主化支援の結果がイラクの問題にもつながる。こんなことだから欧米に民主主義と言われても反感を買うことにもなる。
日本では冷戦期に、米国と手を結んだ保守勢力によって政治が支えられていた訳で、この保守勢力は米国の力を必要としていたが、民主政治などと言う理念を必要としていなかった。日本では親米保守と反米リベラルばかり。反共という一点で米国と同じ側に立っている人が、デモクラシーという理念をいだいていた。
民主化の過程は内から発生するもので、外から出来るものではない。米国社会の文化的・宗教的多元性に背を向けてキリスト教とアングロサクソン文化の優位を平然と重視する大統領が民主化のための戦争と言うのはグロテスクだ。押し付けを押し返すそうとするのはナショナリズムにつながる。
4.冷戦はどうやって終わったか
ここでは、ソ連解体の歴史の説明がある。'88年頃には冷戦が終わり勝ち負けのない喧嘩が終わったと言う話だったが、'91年勃発する湾岸戦争に米国(本音は石油供給確保)主導で正義の戦争として諸国を参戦させ東西独の統一に導き、米国の勝利と言う話に変わる。
冷戦の終わりは東側の瓦解であり、西側の封じ込め政策の勝利だった。決して米国に追い込まれた訳ではなかったが、脅したことで冷戦が終わったと読み換えられ、中国も同じように脅せばいいだろう と言うことに進んでしまう。大戦争で犠牲が多いあとは何とかしなくてはいけないと国際政治の変革につながるが、戦争なしで終わった冷戦では悲惨さがなく、新たな世界をつくると言う動機付けが存在しなし。逆に小規模・短期の戦争は合理的だと捉えられてしまい、最悪だ。
5.日本の平和主義は時代遅れなのか
外国から見ると、憲法よりも安保条約こそが日本の軍事的単独行動を抑えていると考えられ、日本の中に軍国主義を抑える考えがあるとは思われていない。
日本では太平洋戦争は、日本国民を苦しめさせた責任の方が議論される。敗戦や憲法を押し付けられたことが屈辱だと思うのは、自尊心が強すぎるのではないか。
平和主義とは、二度と戦争をしたくない、武装しないことで戦争に巻き込まれることを避けようとする考え方だろう。9条と非武装中立は世界で初めての実験だと言われるが、外に広めようとはしていない。つまり日本国内向けの平和主義で自分たちの安全を第一にする考え方で、そこには多くの日本人が戦争で犠牲になったという感覚が潜んでいる。そして日本が特にアジア諸国にでれだけ酷いことをしてきたかと言う視点が抜け落ちている。
(筆者は)改憲に反対だ。現在の政治状況で憲法を改正しても自衛隊の活動を法的に規制するものにはならない。逆に法によって縛られてきた軍隊の行動が、これまでになく自由に使われるようになる。そのための憲法改正となれば、歯止めをつけるのではなく歯止めを外すことになる。今提案されているものは復古調で、凡そ日本社会で共有されているものとは思えない。まずは具体的にどのような外交政策や軍事行動が誤っているのかを示すことが先だ。今は単に米国政府にアピールするだけのために活動範囲を広げているようだ。
平和というものは具体的な目の前の戦争をどうするか、戦争になりそうな状況をどうするかと言う問題だ。
6.アジアの冷戦を終わらせるには
戦後アジアでは、それぞれの国で革命運動が起こる。欧州での冷戦の終わりは社会主義の崩壊だったが、アジアの場合は米中接近だったので、社会主義体制は壊れない。米国の中国接近は、中国との戦争を避けたいからだ。中国にしても当時ソ連とは軍事衝突を起こしており、2正面作戦を回避できる。この延長線上にニクソンのアジア撤退方針が出される。北朝鮮が拉致事件実行等で進化を遂げるのはこの頃だ。日本は、中国は本当は危険な国だと米国をアジアに繋ぎ止めようとする。つまりアジアの緊張を維持しようとしていた。
日本は70年半ばより、東南アジアに対しては戦後賠償を始めとして経済援助をベースに各国との関係を築いていくが、東アジアの場合は、軍事的脅威に対して日米関係をどう堅持するかと言うこおの方が問題になった。
日朝関係でいえば、小泉時代の日朝会談では、平壌はこれまでにない譲歩を見せたが、拉致事件を認めたことで、日本の世論もマスコミもかえって硬化し、取引が全て否定される方向に向かった。今日に至るまで北朝鮮の暴走は止まらないが、正義の戦争で倒して良いものか?いや、誰が何をして良いのか明確な規制がない限り、軍事行動は単なる侵略戦争となる。政府は内側から倒されるものだ。
アジアの社会主義国との付き合い方は、その体制を受け入れた上で、緊張緩和方法を考えるべきだ。それには伝統的な外交交渉が必要だ。
日本はベトナムやカンボジア和平に大きな貢献をしているが、そのアプローチが参考になろう。今必要なのは、現在の紛争や将来紛争を招きかねない緊張の一つ一つについて、出来る限り犠牲の少ない対策を作り、その実現のために努力することだろう。
問題は憲法を守ることではなく、日本の置かれた地域から軍事紛争の芽をどれだけ摘み取ることが出来るかだ。必要なのは祈る平和ではなく、作る平和だ。
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「A国に軍事侵攻されたB国が、第三国Cに派兵を求めてきた。C国はどのような行動をとるだろうか」という様に、固有名詞を避けた問いかけを軸にして国際政治について考えてゆく一冊。
様々な考え方を披露するものの、結論があるわけではなく、「まさに現代国際政治のジレンマそのもののなかに読者を放置したまま、この章を終えることとしたい」などと突き放してしまう。読んでいる途中は、正直言って疑問を感じていたが、「結び」を読んだ瞬間、著者のこの突き放しの意図がわかってスッと落ち、星の数もひとつ増えた。曰く「教育問題と並んで、国際問題は素人の発言が専門家と横並びにされる領域である。…(中略)…国際問題について行われる議論の多くは、白い鳥を集めて鳥は白いと言う人と、黒い鳥を集めて鳥は黒いと言う人との間の争いに過ぎ」ない、と。なるほど。
この本は、まず「結び」を読むのが正解だ。 -
Posted by ブクログ
著者は国際政治学を専門とする東大教授である。本書は、A国やB国などさまざまな仮定の状況を設定し、どのような対応が起こるかを考察するという形式を繰り返して、国際政治の初歩を考える、という書である。本書を自ら読もうとする人ならば、専門家でなくてもすんなり理解できるような内容であり、そんなに難解な内容ではない。
最近のマスコミや識者の論調には、自論に合った現実を提示し自説の正しさを強調するものが多く見られるが、その一方、反対者も同様なので議論は深まることなく互いに罵るだけ、という見苦しい状況にあるように感じているが、そのような不毛で本質に遠い論議にさらされている人やうんざりしている人にこそ、国際政治の初歩としての本書を読んでほしい。
世界の現実と歴史を目をそむけずに客観的に学んでこそ、平和の実現の第一歩なのだから。