平山昇のレビュー一覧
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初詣が習慣化したのは明治時代中期。それも鉄道会社の戦略!
第1章 「初詣」の誕生
第2章 「何事も競争の世の中なり」
第3章 競争がもたらしたもの(1)
第4章 競争がもたらしたもの(2)
第5章 鉄道と神社の協調と駆け引き
終章
社寺一覧、鉄道会社一覧、参考文献・新聞史料・史料、有り。
江戸時代、江戸からの成田詣は3泊4日の旅だった。
それが明治時代の鉄道路線の誕生により、
日帰りで参拝出来るようになった。
江戸時代は、初縁日に基づく参拝や氏神様、
その年の恵方にあたる社寺への参拝が主であったが、
日曜週休制と年頭三が日の慣習の浸透により、
珍しい鉄道で遠方への旅が可能になり、信心から行楽へ -
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「社寺参詣」という”伝統的風習”と捉えられがちなものが、「鉄道」という”近代文明”によってどれだけ影響されてきたのかをまとめた一冊。明治~昭和初期の関東・関西を主な対象として話がまとめられている。
学術的な鉄道研究として、最近は新聞記事・広告や社寺史料を丹念に研究するのがトレンドらしく。この著書もそういう書籍の一冊。こういう学術畑からの一般書は、情報量にまみれてしまい全体像を掴みにくい本が多いのですが、この本はその豊富な情報量の割には話の流れがわかりやすく読みやすい。古い鉄道会社名が鉄道ファン以外には理解しにくい点を除けば、一般者も普通に手に取れる一冊だと思う。
詳細は読んでいただいた方が -
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ネタバレ恵方参りや初縁日と異なり、元日に寺社にお参りする「初詣」という習慣は、明治以降に鉄道ができてから、まだ珍しかった汽車に乗って郊外の寺社に出かけて散策を楽しむ行事として生まれたんだって。勉強になりました。
伊勢詣りの隆盛も、その裏に鉄道会社の競争あり。
明治30年代の官営の東海道線と関西鉄道(今のJR関西本線)との間での大阪-名古屋間のサービス競争の影響が起こり、関西鉄道が参宮鉄道(今のJR参宮線)との連携で伊勢詣りがPRされ参詣客が増え、さらに、昭和になり大阪電気軌道&参宮急行(今の近鉄)が参入し、国鉄とサービス競争を繰り広げたことで、さらに参詣客の増加に至った。そして、一生に一度の伊勢詣り -
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ネタバレ(130ページ)「初詣はもともと恵方だの初縁日だのといっや細かいことにこだわらずにお詣りするという、きわめてアバウトな行事として成立し、そのアバウトさに利用価値を見出した鉄道会社のPRによって社会に定着していったものなのである。それにもかかわらず、誕生からわずか100年あまりで、あたかも「初詣の正しい伝統」などといったものが古来からあるかのように説明する語り方が定着しているわけである。(中略)初詣の近代史を研究してきた筆者は、「『伝統』というものは、ずいぶんインスタントに定着するものなのだなぁ」という感想を抱いてしまう。」
「伝統」とか言い出したら眉唾モノだなと思った方が良いという思いを新たに -
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鉄道発展は、社寺参詣の流行り廃りと大いに関係していて、互いに影響しあってきたことを、当時の新聞や社寺の日記などの記録を調べて明らかにした本である。初詣が明治中後期からの風習だとか、初詣で人出の多いところは昔から同じだとか、なかなか興味深い。鉄道会社の集客サービスや、鉄道の要する時間とか、今とそんなに変わらないことなど、単に鉄道関係のみならず、鉄道を利用する普通の人々の行動や社会が垣間見える。鉄道を含む科学技術の発達と社会は相互に影響しあって変化し続けているが、そんな状況でも人は当時も今とそんなに変わらないね、という感想を抱いた。鉄道ファンでない人でも、明治から昭和にかけての日本社会に関心あるひ
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日本では霊場・霊蹟・霊地という言葉が通常だったが、キリスト教の聖地パレスティナを意識して、日蓮ゆかりの身延山ツアー、そして昭和には天照大神の伊勢神宮、神武天皇の橿原神宮、明治天皇の桃山御陵を3大聖地として、1920年に富士身延鉄道(国鉄、そしてJRへ)、そして1923、1930年に大阪と橿原・伊勢を結ぶ大軌・参宮急行鉄道(現在の近鉄)が敷設され、多くの参詣客を運んだという。いずれも商業ベースの宣伝だと思う。明治天皇が亡くなった時には天照、神武と並ぶ聖人扱いで、明治神宮が祀られ、桃山御陵が聖地とされた一方で、神武天皇を祀るとしてできた橿原神宮は不人気だった!とは面白かった。そして聖地の定着ととも