あらすじ
社寺参拝はいつから「神聖」になったのか
明治初期に「迷信」の色濃かった社寺参拝は、日蓮をキリストと同一視する人々によって新たに意味づけされ、神聖な行為とみられるようになる。次いで明治神宮の創建が熱狂的に受け入れられ、同調しない人が排除されるようになり…… 宗教・交通・メディアを融合させて描く、驚きの日本近代史。
【内容】
序 章 聖地の日本化
第一章 「日蓮と基督」 ――高山樗牛と田中智学の日蓮像
第二章 教養主義と日蓮ツーリズム
第三章 天皇崇敬の「宗教」化 ――大逆事件と天皇の代替り
第四章 明治神宮と渋沢栄一 ――意図せざる「聖地」の創出
第五章 「体験」と「気分」の共同体――大正期以降の伊勢神宮・明治神宮参拝ツーリズム
第六章 日蓮の「聖地」と明治神宮 ――田中智学による「聖地」の規範化と「明治神宮モデル」
第七章 「聖地」のセット化(Ⅰ) ――橿原神宮と「三大神宮」
第八章 「聖地」のセット化(Ⅱ) ――智学の「五大聖地」巡拝
第九章 「聖地」のセット化(Ⅲ) ――大軌グループと「三聖地」
第十章 総力戦体制と「聖地」ツーリズム ――鍛錬と信仰
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Posted by ブクログ
聖地の「聖」という言葉はキリスト由来なので、日蓮や天皇ゆかりの地で「聖地巡礼」は確かに言い得て妙。本来ならば「霊場参り」とか「神宮詣で」が正しいのだろうけど、なんとなくしっくりこない。何よりも楽しそうに聞こえない。やっぱ「聖地巡礼」かな。
Posted by ブクログ
日本では霊場・霊蹟・霊地という言葉が通常だったが、キリスト教の聖地パレスティナを意識して、日蓮ゆかりの身延山ツアー、そして昭和には天照大神の伊勢神宮、神武天皇の橿原神宮、明治天皇の桃山御陵を3大聖地として、1920年に富士身延鉄道(国鉄、そしてJRへ)、そして1923、1930年に大阪と橿原・伊勢を結ぶ大軌・参宮急行鉄道(現在の近鉄)が敷設され、多くの参詣客を運んだという。いずれも商業ベースの宣伝だと思う。明治天皇が亡くなった時には天照、神武と並ぶ聖人扱いで、明治神宮が祀られ、桃山御陵が聖地とされた一方で、神武天皇を祀るとしてできた橿原神宮は不人気だった!とは面白かった。そして聖地の定着とともにキリスト教脅威への警戒心が沈静化するとともに、危険思想は「ヤソ」から「アカ」へ、社会主義を排斥する動きへと移っていったとの解釈も新鮮だった。