畠山丑雄のレビュー一覧

  • 叫び

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    久方ぶりにザ・純文学を読んだなぁという印象。

    結局のところ文学のテーマはなんでもいい――それが銅鐸であれ、禅智内供の鼻であれ――ということを実感する。

    完成度の高い作品だが、最後の一文はどうも違和感。

    まぁここしばらく軽いものばかり読んでたのでちょうどよかった。

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    2026年08月01日
  • 叫び

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    『地の底の記憶』から、見ると随分と穏やかな作品となった。読みやすくなったというべきか。
     主人公は、早野ひかるで、独身男性37歳。
     みかという女子と同棲する予定で、ル・クルーゼの無水調理鍋やバルミューダのオーブンレンジを贈った。そして二人で住む新しい部屋を借りたが、みかは現れなかった。まぁ。比較的騙されやすい男なんでしょうね。その部屋は、茨木駅の近くにあり、東奈良遺跡があり、弥生時代の銅鐸と銅鐸鋳型が出土されている。
     そして、川端を歩いていて、鐘の音がする方向に進んで、師匠と出会うことになり、銅鐸作りをすることになる。師匠だと思い込んだり、それにハマっていく。暗示のかけられやすい男なんだね。

     師匠は、国家はそもそも福祉のためにあり、そして福祉はなんのためにあるのかというと労働からの開放区をつくり、民間から聖を排出するためにある。ふーむ。聖(ひじり)って?聖は労働のない場からしか排出されないという。

     早野はいう「恋は、偶然を必然にしていく作業」というが、この物語は必然を作ろうとする作業に近い。フィーリングのあった女性に、「銅鐸」の話で口説くという、時代錯誤の遅れてきた青年。
     早野は、師匠に重さが足りないと言われる。

    師匠は、早野にいう。
    「誰も帰ってくることのない部屋を暖めている、灯油のストーブ」「お前は未だかって誰にも愛されたことのないマスコットキャラクターや」「お前は涸れた貯水池や」「くずおれるのを待つ、空の革袋や」「今にも身を翻しそうな老朽化した橋や」「石ずりのためのマスキングテープや」「お前はお前がいる場を不法に占拠している」「私はお前にお前の歴史から立ち退きを命じる」「そうなればお前は透明になれる」「歴史になれる」「死者にも偉人にも畜生にもいちめんの花畑にも路傍の石にもなれる」
     実に多彩の言葉を操る師匠だ。

    この川端は、かつて罌粟栽培と独活の栽培が盛んで、阿片製造が盛んで、満州に渡って「天皇陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年川又幹郎の背中を追って、自らも大阪万博へトリップする。ふーむ。物語は、夢の島の大阪万博で、終わる。

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    2026年07月30日
  • 叫び

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    自分のことばかりの主人公なのに人から影響を受けやすく、最終的にはついぞ見失ってしまう。しおりも普通の女の子という感じで聖と言われてもピンと来なかったし、川又青年の何にそんなに憧れたのかもよく分からなかった。川又青年とは自他境界が曖昧になっているあたり、アヘンにも手を出しちゃったんだろうな…
    銅鐸の要素は面白かった。鐘の音を聞きたくなる。
    何で主人公は変な方向に走っちゃったんだろうなと理解の及ばない読後感だった。

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    2026年07月25日
  • 地の底の記憶

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    日本海側の小さな村を舞台にした物語ですが、数世代前から現代に至るまで得体の知れない忌まわしきものに取り憑かれ、ずっと洞窟の闇を歩いているような感じのする作品でした。人間の本質の部分に触れた内容だとは思いますが
    個人的には難しい内容でした。

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    2026年07月22日
  • 叫び

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    1ページ目が良い。正直なところ、何を言っているかよくわからないのだが、あまり見たことのない言葉選びのセンスを感じた。
    先生と呼ばれる人が如何にも怪しいが、大阪ならさもありなんと思ってしまう(偏見)。銅鐸作りと言うのも斜め上からの切り口でバッサリやられた感あり。
    しおりも負けず劣らず怪しい。何故か早野に言い寄ってきて、肝心な所で突き放すあたり…
    そして、川又青年。謎過ぎる。現代と境目なく出てくるので混乱してしまった。
    更に、罌粟という単語に振り仮名がないのは何故だろう。
    全体として謎過ぎるが、関西ノリだとそれほど意外でもないのかなぁ。
    どこが評価されて芥川賞なのか、見てみよう…

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    2026年07月14日
  • 叫び

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    芥川賞受賞作として、また故郷の茨木市が舞台という事で楽しみにしていた作品。独特の作風に心地よさ感は得られたものの、残念ながら私の読解力では、どこに芥川賞を得るほどの文学性の高さがあるのか判らないまま読み終えてしまった。主人公が彷徨っている幻想と現実の境界、作品の中心にある銅鐸の象徴としての意味、川又青年、最期部に登場する天皇陛下の位置付けへの理解の不十分さからくる消化不足ではないかと分析した。機会があれば再読したい。

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    2026年07月10日
  • 叫び

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    ミーハーなので、芥川賞を受賞したという理由だけで、普段だったら読まないだろうに、手を出してしまった。
    情景の描写が細かく繊細。主人公には世界はこんな風に見えているのかな。
    銅鐸作りも珍しくて、万博の話とか、興味深くて面白かったのに、どうしてラストあんなことになったんだろ…
    読み易かった分、自分では理解できない部分もあったので解説が欲しい所です。

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    2026年06月23日
  • 叫び

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     恵まれていると自覚する青年。己の意思を蔑ろにする青年。そんな青年が他人の「叫び」を代弁したことで、破滅する。聖とは何か?そんなおはなし

     さて、本作の主人公である早野は主体性のない青年である。恋人に振られた際、自分の意思で破滅的な行動を行うのではなく、「他人ならそうする」という理由で破滅的な行動を選択する。ここで他人が実際にはどのように考えているのかという事実は関係ない。故に思想の強い人物に出会えば、その人間の思考を自分のものとするし、身近な人間が経験した体験を自分がした体験と混同する。そして、誰かの叫びを代弁しようとしてしまうのである。人となりすら知らない他人に、そんな権利はないのに。

     基本的に物語の進行としては、早野の視点で進行する。しかし、上述したとおり早野は究極的に主体性がない。その上、共感性が異常に高いが故に、誰かの体験を自分のものとしている。そのため、誰かの語りや早野の妄想が事実かつ現在進行形であるかのように描写される作りとなっている。本作を読むと、早野の思考に誰かの語りが割り込んでくる。つまり、他人の思考が入り込んでくる体験ができるのである。

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    2026年06月23日
  • 叫び

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    最初から最後まで‥難解でした。文がとぎれなくて、どこまでも続いて‥‥
    安易に読んではいけない…と思いました。
    わからないまま読み終えました‥‥

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    2026年06月21日
  • 叫び

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    ネタバレ

    川又ー主人公
    音蔵ー先生
    天皇ー好きな人?

    男子たるもの
    愛するものを恋けつ(れんけつ)の情を以てありたけの花で埋め尽くすこと、それ以上の本懐はありえない

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    2026年06月21日
  • 叫び

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    なんのこっちゃと思うこともあったけど、体温が少し上がるような未知のおもしろいものに触れた感覚が。題材の取り合わせもおもしろい。

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    2026年06月17日
  • 叫び

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    良さ、面白さがわからない。
    芥川賞受賞作には、いつも、そんな気にさせられる。
    読解力が不足しているのだろう。
    銅鐸、公務、おにくる、彼女、天皇、万博、読み取れない。
    ごめんなさい。

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    2026年06月12日
  • 叫び

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     主人公の早野は、現代人の平均値と呼べるような凡庸な人間だ。特に目標も信念持っていなく、公務員として毎日を過ごしている。そんな彼が、婚約者と一緒に住む予定だった部屋、もしくはその住居がある茨木という自分とは縁もゆかりもない土地に置き去りにされる。

     思うに彼は、“何か”になりたかったんだと思う。自分がほんとに存在している意味、今この場所に存在しているという理由、そんなものは探しても見つからないものだと思うけど、「先生」に惹かれて、さらに川又青年に惹かれて、その信念やその人たちが考えている存在意義みたいなものをあたかも自分のものかのように内面化していく。

     けどそれは本当に「先生」や「川又青年」の信念だろうか?それは早野が、自身で勝手に作り上げた他人についての解釈なんじゃないだろうか?しおりさんのことを、耳を傾けることではなく自分の解釈で埋めようとしていたように、本質的に早野は他人を理解しようとしていない。

     だから最後には自分自身の目的が川又青年の信念と混ざり合ってしまい、狂ってしまう。ある意味この状態は先生が作り上げようとしていた“聖”そのものなのかもしれない。社会から離れて、警鐘を鳴らす存在そのもの。そしてその叫びも届かない。万博というハリボテの祝祭によって洗脳されていて導くための大衆は恍惚としちゃっているし、川又青年があんなに憧れていた天皇は、哀れみの目をこちらに向けるだけだ。

     権力に押し潰されたり、時代や場所に押し流されて忘れ去られてしまった存在が出す叫びを、私たちは狂人なのか聖なのか聞き分けることはできない。おそらく早野自身にもわからないと思う。けどそれは「先生」がいうように、みんなが見ないふりをしている病的な部分を、その“聖”が一身に背負ってるのかもしれない。そんな暗い問いかけが響くような読後感だった。

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    2026年06月25日