畠山丑雄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
畠山丑雄は、1992年生まれ。畠山丑雄のデビュー作で2015年に出された。この本を読んでいると、随分と年寄りのような気がする。作者は、私の上の世代のような年配の方だと思った。
舞台は、宇津茂平という地域。日本海側の架空の土地。そこは、ロシアとの繋がりもある。
その宇津茂平の100年近くのクロニクル。1902年から始まり、日本の隆盛、そして、戦争、現代に繋がっていく。
宇津茂平は、かつて鉱山開発で繁栄した歴史を持ち、広がった平野にポツンと立っている巨大な電波塔と、山の麓に広がる深い青黒い森林が特徴的だ。その青黒い森が、物語を引きづり出していく。
青黒い森には、水車小屋がある。また、鉱山の跡地には、地底湖もある。
現実と妄想の区別がつかないような物語となる。そして、田舎特有の噂が、現実から妄想への架け橋となる。噂話が好きで、物語を膨らませていく。道具立ては、うまくできている。
鉱石ラジオが、外部からの声が聞こえてく流。
ウォロンツォーフと、清子の間が狂いはじめる。西山と明と里佳子で、明が狂い始める。明はロボトミー手術を受ける。前頭葉の一部切除という野蛮な手術。そして、大学で、西山と里佳子と青田の関係が始まる。重層的な精神の異常が物語をつなぐ。
西山という教師が、生徒に問いかける。「重ければ重いほど速く落ちるとアリストテレスは考えたんだ。ガリレオはピサの斜塔から重さの違う二つの鉄球を落とした。しかし、ガリレオはその実験を実際はしなかった。なぜか?」から始まる。
宇津茂平には、戦前に建てられた癲狂院がある。「癲狂」はかつて精神障害を指した言葉であり、時代や地域により「瘋癲院」や「脳病院」とも呼ばれ、のちに「精神病院」へ改称された。1875(明治8)年、京都府知事・槇村正直により、日本初の公立精神障害者収容施設である京都府立癲狂院が南禅寺境内に開設された。 1879(明治12)年には上野公園内に東京府癲狂院が開設され、これが現存する最古の公立精神科病院である都立松沢病院の起源となった。
癲狂院が重要な役割を果たす。漢方薬を売りはじめ、そして媚薬、性増進薬も売り出す。
人々に幻覚をもたらす「マシュ」と呼ばれる土着の飲料が存在する。それに依存することで、人間が壊れていく様が描かれる。
鉱山、地底湖、そしてラピス・ラズリ。そのラピズラズリの石、首輪、人形につながっていく。
ウォロンツォーフは、艦長をしていて、難破し、宇津茂平に流れ着く。そこで、鉱山の話を聞き、
鉱山を、ロシア人のウォロンツォーフが購入し、近代化する。
この地の鉱山開発による富を作り上げていく。そこで日本人女性と出会った。ウォロンツォーフが55歳で、清子は19歳。ことで悲恋に巻き込まれ、土地の持つ狂気と運命の渦に飲み込まれていくことになる。清子に、ラピス・ラズリのネックレスを贈る。
ウォロンツォーフは、美しい妻を見ても、男の機能が発揮できなかった。そのため、マシュに溺れていく。妻は、幼馴染が戦争で、病院にきたことで、面会にいき、噂が広がっていく。また、妻も精神が狂い始める。美しいが故に、よからぬ噂が広がる。それぞれの人の結末は、悲劇的に消えていく。
ここでのメタファーは、鉱石ラジオ。そのラジオにはラピス・ラズリが組み込まれている。土地の記憶、死者の声、狂気のノイズを拾い上げて、伝える。また、美しい人形が、伝わっていく。人間の体の中には、虫がたくさんいる。口からハエが湧き出る。悪夢のようなシーンが連なる。
物語は、謎物体が繋がって、ますます謎になっていく。人間はその謎に引きづり込まれていく。謎の輪廻の物語、抗いたいような吸引力、それは重力によるものかもしれない。落ちて、そこで生を終える。そこには、救いはない宿命のような物語に吸い寄せられていく。文学は、謎を浮かび上がらせるだけの役割なのだろうか?不思議な本だった。 -
Posted by ブクログ
●感想
この作品から、人は「何者でもない自分」を受け入れることが、とても苦手なのだと思った。
早野は、縁もゆかりもなく、その地にいる理由さえなかった自分から、先生や銅鐸と出会い、川又青年に自分を重ねることによって、自分の生きる意味を見いだしていく。そして、次第にその物語へのめり込み、執着するようになる。
しかし、早野を特殊な人物だと捉えるのは早計だろう。さまざまな偶然や偏った見方によって作られた歴史物語であっても、それを大切にすることは、人間らしさの表れであり、生きるうえでの拠り所にもなる。だからこそ、早野の感覚は多くの人にも理解できるものだと思う。
何かを信じて一生懸命になることは、美しく、同時に危ういことである。
大阪弁で軽妙な印象なので、重たくなりすぎなくて良い。
●本概要
【第174回 芥川賞受賞!】
聞いて欲しい人が一人おるんです。「政と聖」(まつりごと)を描く芥川賞受賞作。
早野ひかるは「先生」に打ちのめされ、銅鐸と土地の来歴を学び始める。ここではかつて罌粟栽培と阿片製造が盛んで、満州に渡って「陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年がいた。いつしか昭和と令和はつながり、封印されていた声が溢れ出す。
大阪と大陸で響き合う夢とロマン、恋愛政治小説。 -
Posted by ブクログ
前半はとても面白かったです。
主人公の早川は、休日は銅鐸をつくっています。銅鐸?!気になりすぎるんですが 笑。しかも、師事している「先生」がいて、その先生は働いておらず「聖」を目指しているといいます…。ひじり…?現代に?さらに、早川は先生からの受け売りの理論や茨木市の歴史をいきなり公共施設で滔々と語り出します。主人公大丈夫か…?と思いつつ、どこへ連れていかれるか分からないワクワク感があり、物語に引き込まれました。
後半、満州国と阿片が物語に絡んでくるのですが、このあたりの歴史的なことが知識不足でよく分からず、お話を理解しきれないのが残念でした。
満州について勉強し直して再読したいです。 -
Posted by ブクログ
妙に面白かった。
おかしなのは早野なのか。先生なのか。はたまた畠山丑雄なのか。
まともな人格とは一体どういう人格を指すのだろうか。
自分は整合性が付かない事を言っている、という自覚があればそれはまともなんだろうか。少なくとも狂ってはいない。だが思考は少しおかしい。なんだか無限ループだ。
心からの叫びが鐘の音になる。そんな発想も一度聞いただけでは理解し難い。しかも語り手は聞き手に混乱を引き起こすだろうと考え、あまり積極的には語らない。
後半どんどん酷さが増していく早野。
文体の独特さも相まって読み味が楽しい。
是非一気読みをお勧めしたい。 -
Posted by ブクログ
第174回芥川賞受賞作。
早野ひかるという中年にさしかかった青年が主人公。
彼が住む大阪府茨木市という土地、
そして大阪万博という祝祭的空間が、
茨木という土地に根付いた記憶と、1940年に開催予定だった幻の万博への憧れを蘇らせる。
茨木の歴史を紐解くことで自分の根を地に張ろうとする早野は、かつて茨木に生まれ大陸で罌粟栽培に憧れた川又幹朗という青年の記憶をたどるようになり…。
土地の記憶による、過去の人間の口寄せ。
いまここにある生が、歴史的集積の中の一滴でしかないということ。
そのあたりが物語の主題やモチーフなのかなと思うけど、ここに天皇・国家という問題が絡められている(しかも極度にぼんやりとした、概念的なレベルで)ので非常に難解。
川又幹朗や紀元2600年記念万博について調べればもっとよくわかるのかもしれないが。
あとは主人公の早野ひかるという人物がいまいち自分の中でしっかりとした像を結ばなかった。
小説の中の言葉を借りれば彼は「狂人」で、客観的に見れば社会的に危ない人間なのだが、なぜ彼がそうならざるをえなかったのか、彼がなぜ川又幹朗にそこまで惹かれ、クライマックスでとんでもない行動に出るのか、その必然性にぴんとこない。
中年のぼんやりとした諦念がその根っこにある、とするにはその描写も発端もあまりにも少ないし。
むしろ、あえて空っぽな人間として造型し、そのなかに銅鐸から響く無数の叫びを反響させているのか。
歴史や土地の記憶といった、足元にある揺るがないもの、それを空っぽな「狂人」早野を通して徹底的に疑わしいものとして描いたのであれば、それはそれで手のこんだ大変な力作だと思う。
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Posted by ブクログ
読み始めはとにかく「途中で何が何だかわからなくなる」作品だった。
昭和と令和、大阪(北摂)の歴史と満州の大陸、銅鐸にアヘン、さらに万博……膨大な情報と入り組んだ視点に脳の処理が追いつかず、挫折しそうになる。
大阪生まれ大阪育ちだが、正直「茨木」という土地には思い入れはない。途中で歴史や万博への強いこだわりに付き合うのをやめ、人間の執着やドラマの熱量だけに絞って読むことにした。
特に印象的だったのは「しおりさん」という人物の異様さだ。出会って間もないのに親の悲しい過去をさらけ出してきた時の、あの心の土足感と圧倒的な暗い磁力。「信じちゃダメだ」と警戒信号が鳴り響くリアリティがあった。
そして、戦前の純粋さと狂気を抱えた「川又青年」。
彼が抱いたロマンと、それがアヘンという毒に変わっていく凄惨さ。物語が進むにつれ、タイトルである『叫び』の正体は、彼が時空を越えて令和に響かせている無念や狂気そのものだったのではないかと思えてくる。
細かな歴史のウンチクを追うのではなく、時代を突き破って襲いかかってくる「声の波」をそのまま浴びるべき一作。
途中で混乱すること自体が、この作品の仕掛けにハマっている証拠なのかもしれない。