あらすじ
聞いて欲しい人が一人おるんです。政と聖を描く芥川賞候補作。早野ひかるは「先生」に打ちのめされ、銅鐸と土地の来歴を学び始める。ここではかつて罌粟栽培と阿片製造が盛んで、満州に渡って「陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年がいた。いつしか昭和と令和はつながり、封印されていた声が溢れ出す。大阪と大陸で響き合う夢とロマン、恋愛政治小説。
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罌粟(けし)
読めんかった、、、
文脈からケシを連想はしたけど、
この字はわからんかった、、
くそー
銅鐸と阿片と罌粟(芥子ならわかるのに、、)と
大阪関西万博と紀元2600年記念万博が交錯する。
大阪と満州が交錯する。時空を飛ぶ。
主人公が惹かれた女性は父親との関係性に苦しむ。
全部絡む。
135ページ。
短いけど濃かった。主人公と彼女の会話が濃かった。
先生の語り口、それを真似した主人公の語り口がしみた。
聞いて欲しい人が一人おるんです
芥川賞受賞作
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師匠の説話が言ってることの半分くらいよくわからないのだけど
わかる部分はとても本質をついていて
共感することが多かった。
おもしろかったという感想だが
書いてあるのことの半分くらいは読解できていない気がするので
また再読したい。
読解できていないのにおもしろかったと思わせてしまう魅力が
この本にはなんかある。
「夢とロマン、恋愛政治小説」とかそんな分類ではないのでは?土着民俗小説?
でもたしかに時空を超えるロマンはある。
主人公の「銅鐸の聞き比べしよ」という口説き文句が
とてもチャーミングで笑った。
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ぴったりな題名!
主人公は頭がおかしくて私には理解できないけど、誰に理解されなくても言わなきゃいけないことがある。叫ばなきゃいけないことがある。そんなふうに感じた。
主人公がおじさんであることも、かなり効いていると思う。もし少年だったら、同情とか青春みたいな気持ちが勝っていた気がする。でも、おじさんだからこそ、「何言ってるんだこいつ」という痛々しさがある。
ラストも良かった。最終的に劇的な何かが起こるわけではない。まあ、もしそこで世界を変えるような出来事が起きていたら、それはもう「叫び」というより、革命とか行動とか、別のものになってしまうから
本当に、文字通り、題名の通り、「叫び」だなと思った。
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芥川賞受賞作は、ぼんやりした作品も多いが、この作品は夢中で読み進めた。
生きがいを見つけることは良いことだけど、依存しすぎるのは良くない?
固有名詞が多いのもイメージが湧いて面白かった。
セリフのセンスが良くて、クスッと笑ってしまう場面も多かった。
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●感想
この作品から、人は「何者でもない自分」を受け入れることが、とても苦手なのだと思った。
早野は、縁もゆかりもなく、その地にいる理由さえなかった自分から、先生や銅鐸と出会い、川又青年に自分を重ねることによって、自分の生きる意味を見いだしていく。そして、次第にその物語へのめり込み、執着するようになる。
しかし、早野を特殊な人物だと捉えるのは早計だろう。さまざまな偶然や偏った見方によって作られた歴史物語であっても、それを大切にすることは、人間らしさの表れであり、生きるうえでの拠り所にもなる。だからこそ、早野の感覚は多くの人にも理解できるものだと思う。
何かを信じて一生懸命になることは、美しく、同時に危ういことである。
大阪弁で軽妙な印象なので、重たくなりすぎなくて良い。
●本概要
【第174回 芥川賞受賞!】
聞いて欲しい人が一人おるんです。「政と聖」(まつりごと)を描く芥川賞受賞作。
早野ひかるは「先生」に打ちのめされ、銅鐸と土地の来歴を学び始める。ここではかつて罌粟栽培と阿片製造が盛んで、満州に渡って「陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年がいた。いつしか昭和と令和はつながり、封印されていた声が溢れ出す。
大阪と大陸で響き合う夢とロマン、恋愛政治小説。
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結構好きだった。
万博っていうタイムリーな話題もあり、リアリティを持って読めた。
また、芥川賞の選評を読んでより理解が深まった。
島田雅彦の選評から、東日本出身者と西日本出身者で評価が変わる(ウケが違う)というのはなかなか興味深いなと思った。
山田詠美がいう、エピローグというのは天皇妨害の逮捕の件かな?確かに最後に唐突だなとは思うが、予定調和が裏切られる良さはあった。ふと思い出すと、ちょっと「蹴りたい背中」みがある…?
複数の人が言及している、聖の説得性の低さというのは、確かになぁと思った。
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雑誌で読んでいたので再読
なんか体の内側から叫びたい事が
溢れ出すパワフルな主人公だったなぁと
思ったけど
ロマンとか恋愛は感じなかった。
共感は難しい、、
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芥川受賞作品であるが、大阪の文学として紹介されていた。場面が、大阪の川の説明であるが土地勘がないので東京から考えると少し分かりづらい。銅鐸づくりと関西万博と女性との付き合いと親子関係が複雑に絡み合い、皇室訪問での暴行未遂で逮捕されるという結末である。
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前々から芥川賞受賞作の良さを知ろうと手に取ってみたが、前半部分でどんどんと話の核心に迫っていく感覚を感じたが、後半からラストにかけては満州や阿片の知識が無い自分からしたら難解な部分が多かった。ただ、先生やしおりさんの使う表現が面白いことや早野が川又青年に感化され共鳴する描写はどこか自分の身にも起こりえるかもしれない感覚があった。
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舞台として出てくる茨木市駅やおにクルは所用で何度か行ったことがあり、街の雰囲気を感じながら読むことができた。
ひかるは、大事だと思える女性がいるなかでなぜ川又青年にあそこまで共鳴したんだろう。
自分の存在を確かにすることを彼に頼ったから?
戦争に翻弄された人生を送らざるを得なかった川俣青年が、ひかるの恋を素直に応援するのがなんだか切なかったな。
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芥川賞らしく、やはり変人が出てくる。序盤は変わり者ながらも社会に馴染もうとしてる人の話かな?と思ってたら段々と狂った世界に足を取られていく。
史実にしろ万博にしろ現実世界とリンクする場面はたくさんあるのに、妄想の世界を覗き込んでいるような悪夢のような気持ち悪さがある。
きっと何を問うているのかなど理解はできていないが、息苦しくも最後まで読めてしまった。
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前半はとても面白かったです。
主人公の早川は、休日は銅鐸をつくっています。銅鐸?!気になりすぎるんですが 笑。しかも、師事している「先生」がいて、その先生は働いておらず「聖」を目指しているといいます…。ひじり…?現代に?さらに、早川は先生からの受け売りの理論や茨木市の歴史をいきなり公共施設で滔々と語り出します。主人公大丈夫か…?と思いつつ、どこへ連れていかれるか分からないワクワク感があり、物語に引き込まれました。
後半、満州国と阿片が物語に絡んでくるのですが、このあたりの歴史的なことが知識不足でよく分からず、お話を理解しきれないのが残念でした。
満州について勉強し直して再読したいです。
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妙に面白かった。
おかしなのは早野なのか。先生なのか。はたまた畠山丑雄なのか。
まともな人格とは一体どういう人格を指すのだろうか。
自分は整合性が付かない事を言っている、という自覚があればそれはまともなんだろうか。少なくとも狂ってはいない。だが思考は少しおかしい。なんだか無限ループだ。
心からの叫びが鐘の音になる。そんな発想も一度聞いただけでは理解し難い。しかも語り手は聞き手に混乱を引き起こすだろうと考え、あまり積極的には語らない。
後半どんどん酷さが増していく早野。
文体の独特さも相まって読み味が楽しい。
是非一気読みをお勧めしたい。
Posted by ブクログ
芥川賞受賞作品とのことで読んだが、過去に読んだことのある芥川賞(ノミネートも含め)作品よりかなり難解だと感じた。
わからないなりにも、歴史と今を辿る中で見えることや感じることに触れることができたのは私にとっては新鮮だった。
受賞作品ということで読めてよかった。普段なら手に取らないジャンルだと思う。
Posted by ブクログ
第174回芥川賞受賞作。
早野ひかるという中年にさしかかった青年が主人公。
彼が住む大阪府茨木市という土地、
そして大阪万博という祝祭的空間が、
茨木という土地に根付いた記憶と、1940年に開催予定だった幻の万博への憧れを蘇らせる。
茨木の歴史を紐解くことで自分の根を地に張ろうとする早野は、かつて茨木に生まれ大陸で罌粟栽培に憧れた川又幹朗という青年の記憶をたどるようになり…。
土地の記憶による、過去の人間の口寄せ。
いまここにある生が、歴史的集積の中の一滴でしかないということ。
そのあたりが物語の主題やモチーフなのかなと思うけど、ここに天皇・国家という問題が絡められている(しかも極度にぼんやりとした、概念的なレベルで)ので非常に難解。
川又幹朗や紀元2600年記念万博について調べればもっとよくわかるのかもしれないが。
あとは主人公の早野ひかるという人物がいまいち自分の中でしっかりとした像を結ばなかった。
小説の中の言葉を借りれば彼は「狂人」で、客観的に見れば社会的に危ない人間なのだが、なぜ彼がそうならざるをえなかったのか、彼がなぜ川又幹朗にそこまで惹かれ、クライマックスでとんでもない行動に出るのか、その必然性にぴんとこない。
中年のぼんやりとした諦念がその根っこにある、とするにはその描写も発端もあまりにも少ないし。
むしろ、あえて空っぽな人間として造型し、そのなかに銅鐸から響く無数の叫びを反響させているのか。
歴史や土地の記憶といった、足元にある揺るがないもの、それを空っぽな「狂人」早野を通して徹底的に疑わしいものとして描いたのであれば、それはそれで手のこんだ大変な力作だと思う。
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なんだこれは
途中まで割と共感しながらみてたけど、最後の最後に突き放された
ある意味狂いの境地にいけたのか?これ以外に道はなかったのか
ひかるはあまりに人に流されやすすぎる
それを良してしているのがこの小説の良さでもあるけど
自分と自然の境をなくすみたいなことに憧れる気持ちは分かるし、偶然を必然と捉えてストーリーをつくることもよく分かる
ただ目指す先が特定の誰かの狂気を引き受けるだけなのだとしたら、それは自由とは程遠いのでは
師匠のキャラが好きだった
それは災難だったな、みたいな軽い一言が好き
Posted by ブクログ
難しい話だった。郷土史をベースに物語が展開していく中、ひかるが少しづつ狂気に蝕まれていく展開を、冷静に「何で?どうして?」と思いながら読んでいた。表現が豊かで見たことのない言葉、使ったことのない言い回しが多く読むのに時間が必要だったが、読みにくかったわりに苛つくことがなかった。
芥川賞、純文学って合う合わないがはっきりすると思うが、この作品は割とすんなり入りこめ、読み終わった後もわからないなりにスッキリした。聖だけはむず痒かったし、回収が足りない感があり残念。
Posted by ブクログ
読み始めはとにかく「途中で何が何だかわからなくなる」作品だった。
昭和と令和、大阪(北摂)の歴史と満州の大陸、銅鐸にアヘン、さらに万博……膨大な情報と入り組んだ視点に脳の処理が追いつかず、挫折しそうになる。
大阪生まれ大阪育ちだが、正直「茨木」という土地には思い入れはない。途中で歴史や万博への強いこだわりに付き合うのをやめ、人間の執着やドラマの熱量だけに絞って読むことにした。
特に印象的だったのは「しおりさん」という人物の異様さだ。出会って間もないのに親の悲しい過去をさらけ出してきた時の、あの心の土足感と圧倒的な暗い磁力。「信じちゃダメだ」と警戒信号が鳴り響くリアリティがあった。
そして、戦前の純粋さと狂気を抱えた「川又青年」。
彼が抱いたロマンと、それがアヘンという毒に変わっていく凄惨さ。物語が進むにつれ、タイトルである『叫び』の正体は、彼が時空を越えて令和に響かせている無念や狂気そのものだったのではないかと思えてくる。
細かな歴史のウンチクを追うのではなく、時代を突き破って襲いかかってくる「声の波」をそのまま浴びるべき一作。
途中で混乱すること自体が、この作品の仕掛けにハマっている証拠なのかもしれない。
Posted by ブクログ
難しい話だった。
きっと理解出来ていない、私は。
戦前、楽土という理想郷を求めて大陸に渡った青年と、現在に生きる青年が交錯する。
戦前の万博と直近の大阪万博、そこでの青年の無謀な行動で話は終わる。
戦争に翻弄された青年の生が悲しい。
声高ではないけど、静かな反戦を感じる。
Posted by ブクログ
久方ぶりにザ・純文学を読んだなぁという印象。
結局のところ文学のテーマはなんでもいい――それが銅鐸であれ、禅智内供の鼻であれ――ということを実感する。
完成度の高い作品だが、最後の一文はどうも違和感。
まぁここしばらく軽いものばかり読んでたのでちょうどよかった。
Posted by ブクログ
『地の底の記憶』から、見ると随分と穏やかな作品となった。読みやすくなったというべきか。
主人公は、早野ひかるで、独身男性37歳。
みかという女子と同棲する予定で、ル・クルーゼの無水調理鍋やバルミューダのオーブンレンジを贈った。そして二人で住む新しい部屋を借りたが、みかは現れなかった。まぁ。比較的騙されやすい男なんでしょうね。その部屋は、茨木駅の近くにあり、東奈良遺跡があり、弥生時代の銅鐸と銅鐸鋳型が出土されている。
そして、川端を歩いていて、鐘の音がする方向に進んで、師匠と出会うことになり、銅鐸作りをすることになる。師匠だと思い込んだり、それにハマっていく。暗示のかけられやすい男なんだね。
師匠は、国家はそもそも福祉のためにあり、そして福祉はなんのためにあるのかというと労働からの開放区をつくり、民間から聖を排出するためにある。ふーむ。聖(ひじり)って?聖は労働のない場からしか排出されないという。
早野はいう「恋は、偶然を必然にしていく作業」というが、この物語は必然を作ろうとする作業に近い。フィーリングのあった女性に、「銅鐸」の話で口説くという、時代錯誤の遅れてきた青年。
早野は、師匠に重さが足りないと言われる。
師匠は、早野にいう。
「誰も帰ってくることのない部屋を暖めている、灯油のストーブ」「お前は未だかって誰にも愛されたことのないマスコットキャラクターや」「お前は涸れた貯水池や」「くずおれるのを待つ、空の革袋や」「今にも身を翻しそうな老朽化した橋や」「石ずりのためのマスキングテープや」「お前はお前がいる場を不法に占拠している」「私はお前にお前の歴史から立ち退きを命じる」「そうなればお前は透明になれる」「歴史になれる」「死者にも偉人にも畜生にもいちめんの花畑にも路傍の石にもなれる」
実に多彩の言葉を操る師匠だ。
この川端は、かつて罌粟栽培と独活の栽培が盛んで、阿片製造が盛んで、満州に渡って「天皇陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年川又幹郎の背中を追って、自らも大阪万博へトリップする。ふーむ。物語は、夢の島の大阪万博で、終わる。
Posted by ブクログ
自分のことばかりの主人公なのに人から影響を受けやすく、最終的にはついぞ見失ってしまう。しおりも普通の女の子という感じで聖と言われてもピンと来なかったし、川又青年の何にそんなに憧れたのかもよく分からなかった。川又青年とは自他境界が曖昧になっているあたり、アヘンにも手を出しちゃったんだろうな…
銅鐸の要素は面白かった。鐘の音を聞きたくなる。
何で主人公は変な方向に走っちゃったんだろうなと理解の及ばない読後感だった。
Posted by ブクログ
1ページ目が良い。正直なところ、何を言っているかよくわからないのだが、あまり見たことのない言葉選びのセンスを感じた。
先生と呼ばれる人が如何にも怪しいが、大阪ならさもありなんと思ってしまう(偏見)。銅鐸作りと言うのも斜め上からの切り口でバッサリやられた感あり。
しおりも負けず劣らず怪しい。何故か早野に言い寄ってきて、肝心な所で突き放すあたり…
そして、川又青年。謎過ぎる。現代と境目なく出てくるので混乱してしまった。
更に、罌粟という単語に振り仮名がないのは何故だろう。
全体として謎過ぎるが、関西ノリだとそれほど意外でもないのかなぁ。
どこが評価されて芥川賞なのか、見てみよう…
Posted by ブクログ
芥川賞受賞作として、また故郷の茨木市が舞台という事で楽しみにしていた作品。独特の作風に心地よさ感は得られたものの、残念ながら私の読解力では、どこに芥川賞を得るほどの文学性の高さがあるのか判らないまま読み終えてしまった。主人公が彷徨っている幻想と現実の境界、作品の中心にある銅鐸の象徴としての意味、川又青年、最期部に登場する天皇陛下の位置付けへの理解の不十分さからくる消化不足ではないかと分析した。機会があれば再読したい。
Posted by ブクログ
ミーハーなので、芥川賞を受賞したという理由だけで、普段だったら読まないだろうに、手を出してしまった。
情景の描写が細かく繊細。主人公には世界はこんな風に見えているのかな。
銅鐸作りも珍しくて、万博の話とか、興味深くて面白かったのに、どうしてラストあんなことになったんだろ…
読み易かった分、自分では理解できない部分もあったので解説が欲しい所です。
Posted by ブクログ
主人公の早野は、現代人の平均値と呼べるような凡庸な人間だ。特に目標も信念持っていなく、公務員として毎日を過ごしている。そんな彼が、婚約者と一緒に住む予定だった部屋、もしくはその住居がある茨木という自分とは縁もゆかりもない土地に置き去りにされる。
思うに彼は、“何か”になりたかったんだと思う。自分がほんとに存在している意味、今この場所に存在しているという理由、そんなものは探しても見つからないものだと思うけど、「先生」に惹かれて、さらに川又青年に惹かれて、その信念やその人たちが考えている存在意義みたいなものをあたかも自分のものかのように内面化していく。
けどそれは本当に「先生」や「川又青年」の信念だろうか?それは早野が、自身で勝手に作り上げた他人についての解釈なんじゃないだろうか?しおりさんのことを、耳を傾けることではなく自分の解釈で埋めようとしていたように、本質的に早野は他人を理解しようとしていない。
だから最後には自分自身の目的が川又青年の信念と混ざり合ってしまい、狂ってしまう。ある意味この状態は先生が作り上げようとしていた“聖”そのものなのかもしれない。社会から離れて、警鐘を鳴らす存在そのもの。そしてその叫びも届かない。万博というハリボテの祝祭によって洗脳されていて導くための大衆は恍惚としちゃっているし、川又青年があんなに憧れていた天皇は、哀れみの目をこちらに向けるだけだ。
権力に押し潰されたり、時代や場所に押し流されて忘れ去られてしまった存在が出す叫びを、私たちは狂人なのか聖なのか聞き分けることはできない。おそらく早野自身にもわからないと思う。けどそれは「先生」がいうように、みんなが見ないふりをしている病的な部分を、その“聖”が一身に背負ってるのかもしれない。そんな暗い問いかけが響くような読後感だった。