【感想・ネタバレ】叫びのレビュー

あらすじ

聞いて欲しい人が一人おるんです。政と聖を描く芥川賞候補作。早野ひかるは「先生」に打ちのめされ、銅鐸と土地の来歴を学び始める。ここではかつて罌粟栽培と阿片製造が盛んで、満州に渡って「陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年がいた。いつしか昭和と令和はつながり、封印されていた声が溢れ出す。大阪と大陸で響き合う夢とロマン、恋愛政治小説。

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Posted by ブクログ

第174回芥川賞受賞作、ということで。
2作同時受賞ということで、次はこの作品を。

作品全体的にはカラッとして明るく、主人公の不器用さなどに思わず笑えるシーンも多かった。関西弁なのもそれに加担しているのかもしれない。
胡散臭くも箴言めいた言葉を多用する謎の「先生」の存在や、銅鐸に興味を持って現れる女性など、不思議な魅力がある。
ただ、ラストは主人公と、過去に生きた人間が重なり、一種の狂気がそこに浮かび上がる。

銅鐸とは音を鳴らすモノであったのか?というのが読後の最初の疑問。確かに形はそれっぽいが、どちらかというと祭祀などに用いられたらしきデカい銅鐸の印象しかなかったが、簡単に調べてみると初期は鈴のように鳴らすモノでもあったが、後に用途も変化していったらしい。

そもそも現代の銅鐸作りという設定が面白かった。そこから土地の歴史、とある人の歴史、恋愛、そして二つの万博へと集約していく様、ユーモラスさの中の狂気は、昨今の芥川賞受賞作と少し毛色が違うとも感じた。

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2026年01月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

圧倒的没入感。『金閣寺』を読んだときの読後感に近い。
ストーリー自体に引き込まれるようなミステリアスな要素や、胸が締め付けられるような恋愛要素がありつつも、登場人物の言葉がどことなく教化的で単なる痛快な小説にとどまらない凄みがある。
感想を書く上でストーリーを簡単に描くと、市の職員として無目的に働いていた主人公・早野ひかるが、銅鐸を作る<先生>に出会い、考えや、私生活が変わっていく物語。アクセントとして、早野が恋心を寄せる長田しおりと、回想的に挿入され、早野と重ね合わせて描かれる川又青年という2人の登場人物がいる。川又青年は、早野が住む茨木の地を舞台に1930-40年代に罌粟(ケシ、アヘンの原材料)を育てる川又幹朗と言う人物。師匠に連れられて、満州熱河で罌粟の畑を作っていた半生があり、本小説で中心的な舞台となる万博という一つの共通項によって早野と結びつけられる。早野は大阪万博へ訪問し、川又は幻となった1940年の日本万国博覧会への訪問を夢見ていた。

本作にて<先生>が訴える「聖(ひじり)」という概念は非常に重要であろう。政(まつりごと)を下支えし、国家を統合するための霊的な支柱とも描かれ、それ自体については、一つの到達点であるとも説明される。聖になるとは、「己の来歴と土地の来歴の軽重がなくなる」というものであり、思想や政治の基層を為すものともみなせる。冒頭の文章にもあるが、かつては名前は土地の名前であったが、いつしか固有名詞となり、歴史は英雄史観として語られるようになった。しかし、聖はそうした固有名詞とは離れつつも、民衆の現実的かつ霊的な生活の基盤として支えてきた人、概念なのだろう。(この辺りは、民藝や生活誌的なテーマに近いのかもしれない)。

★引用1
というのも国家とはそもそも福祉のためにあるからである。そして福祉は何のためにあるかというと、これは労働からの解放区をつくり民間から 聖 を輩出するためである。聖は労働のない場からしか輩出されず、かつて在野においてはその場づくりを寺を始めとする宗教が行っていたのを、今は福祉が代行しているのである。現代では人は国家のたくましい腕に抱かれて初めて聖になれるのである。では聖は何のためか、という質問はこれは成り立たない。ためにするところがないのが聖だからである。あえて言うならそれは国家の霊的な面での統合を家とすると柱のようなもので、常に所定の数の柱がないと家は崩れてしまう
★引用2
聖とは到達点であって、そこからは歩んでいく一歩一歩が正しさで光り輝いていく。聖とは歩みのことであると同時に、その際にからだ一つぶんが占める場所のことである。だから聖になれば己の来歴と土地の来歴の軽重がなくなる。ということは己の来歴と土地の来歴の軽重をなくしていけば聖に近づいていく。そのためにはまずこの土地の歴史を勉強しなければならない

<先生>は銅鐸を作りながら、人々に向かって、聖になること、聖であることの重要性を訴える。それは、現代社会における霊的な裏付けの脆弱さの裏返しであり、まさにそうした「根無し草」的に生きている早野が<先生>に出会い、郷土史への学びや銅鐸づくりを通じて、「根」を生やしていく成長譚とも読める。が、しかし、この小説は早野の成長という話だけでは収斂されず、根を生やす過程でなぜかリーチしてしまう約80年前の川又青年の人生、他者への思慕(川又青年の場合は、その対象が天皇)という感覚とのオーバーラップにより、単なる成長譚から、早野がその純度を高めるにつれ、「狂人」となり、最終シーンへと繋がっていくスリリングな展開を持つ狂気のストーリーへ変調していく。

現代社会において、「根」を持ち、社会における平衡感覚を持ちながら、叫び続けることは、成立するのか。その土地の歴史と、自分自身を重ね合わせ、微かな生きる希望を持つこと、そして、誰も聞いていなくとも鐘を鳴らし、叫び続けることは、現代においては狂人とみなされる以外にあり得ないのか。そんな現代における深い哲学的かつ思想的なテーマも内包しているように思える。
『金閣寺』でも、自己と向き合い続ける先に、何かに投影しないと耐えられないほどの不安が喚起され、青年は金閣寺に美や崇高さの象徴を投影する。自分というものを一定の懐疑をもって深堀すればするほど、自分自身の刹那的な存在基盤に辿り着き、なんらかの崇高さや美という永遠性を象徴する概念に縋るということは、個人的にも理解できる。そうして投影された自分自身の生きる意味が他の誰かによって侵害されてしまう可能性を想起した際に、そのようなことがあるならば、自分の手でそれを毀してしまう欲望にかられるという点も、さもありなんということだろう。
本小説における川又青年は満州で転々と罌粟の栽培への教育を行っていくにつれ、自分自身の存在への不安を掻き立てらる。一方、その存在への不安に対して暫定解を与えるものとして天皇が据えられる。川又青年は疲れ果てた先に、暫定解を真の解にするために天皇からの労いの言葉を望む。それは危険な賭けでもある。
自分自身の存在への不安を抱きながら、<先生>と出会い、自分自身とその土地を貫く「根」を形成していくことで、溌溂とした生を持とうとする早野には、川又への同情がある。また、早野自身も長田しおりを思い、その気持ちを伝えて暫定解から真の解を得ようとする危険な賭けに挑もうとしている瞬間でもある。そうした早野は、その危険な賭けに挑む川又を1人では行かせられないと狂信的に行動を起こしてしまう。そして、その対象は長田ではなく、偶然そこに居合わせた日本という土地の霊的な象徴である天皇へ向けられる。

自分自身の生への不安に対峙し、掘り下げ、今にも崩れそうな危険な道のりを歩く(閉山した鉱山の中にある坑道は、こうした自己と向き合うギリギリの思索の隠喩かもしれない)早野にとって、川又青年の思想は全く同一に思い、自らを同一人物だと思い込んで行動を取ってしまうことは、一見すると完全に「狂っている」ように見えるが、狂人が全くもって自分の行動を真っ当であると思い込んでいるように、早野にとっては、至極真っ当な行動なのである。聖であろうとすること、聖として生きようとすることの難しさ、危険性について早野を通じて描かれることもまた、この小説の深遠なテーマなのかもしれない。

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2026年01月17日

Posted by ブクログ

仕事を終えて、芥川賞•直木賞の発表を待ちながら帰路に着く。19時頃、電車の乗り換えの合間、駅直結の書店に駆け込んだ。単行本が発売されている。ワクワクを胸に本を開く。面白い。
「時の家」よりも僕は「叫び」派。先生、しおりさん、川又青年という3人と出会い、2025年を象徴する大阪万博と日中戦争下の幻の紀元2600年東京万博が溶け合ってゆく。

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2026年01月16日

Posted by ブクログ

縁もゆかりも無い茨木市に住み続ける早野は人生に行き詰まっていた。
夜の安威川沿いを彷徨ってる時に不思議な音に誘われ偶然出会った謎の先生と銅鐸が自暴自棄だった早野の生活を一変させていく

彼の軽さを補う為の銅鐸…
早野には抱えきれない重さだったんでは…?

いくつもの「叫び」があった
過去からの声なき叫びを届けなければならない
それは自己満か啓蒙か
先生は早野をどうしたかったのか。。

「痛みは訳せへん
お前は人の痛みを想像できるようにならんといかん」
それに尽きるのかな?

前半の北新地での行動やしおりさんとの会話の中でも、それ人としてどうなん?ってのがあったり
人の反応を自分に都合よく取り違えてたりするところもあってどうも早野に好感持てずで、
最後はええええ、、?え?ええええ?
というのが正直なところでした、、初読では。
読み返すとまた違う感情が湧き上がってきて、少しづつ著者が言わんとするところが、わかってきたような…?

報われなかった者の叫びを届けたい、ある人によくやったと言ってもらいたい。
で、そこに行くのはなんか違う気がするのだけど
それについては気軽に語り合わさせない空気がこの国にはある気がして、、

芥川賞受賞作品。
読んだ人と語り合いたくなる読後感。

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2026年01月25日

Posted by ブクログ

畠山丑雄さんの『叫び』を読み終わり、政治や日本史の疎さなら右に出る者はいないレベルの私(誇れることではない)がまず思ったのは、ただただ「面白い物語だった〜!」だけでした。

物語への引き込み方が上手すぎる作者さんの手にかかって、あっという間に読み終わってました。

現代の主人公が、昔の人物に思いを馳せながら、人生の再スタートを切るというようなストーリーだけど、ラストでえっっ?!となり、「そうくるかーやられたー!」みたいな安易な感想しか抱いていなかった私。

とある読書垢のお陰で、この本の政治的な部分に気が付かされました。

なのでAIにも聞きながら、少しだけ本の中の政治的な部分について読んだ後に考えてみました。

①まずは生活保護受給者の先生という存在。
先生は働けるんだけど、働かないということで聖になれるらしい。その意味分かるけど、世間から見たらやばい人が出てくる。「税金泥棒」とも呼ばれると作中に出てくる。

この人が銅鐸(どうたく)を作って鳴らすんですね。銅鐸を知らなく、読み終わった後にようやく調べて、青銅製のベルのようなものということが分かりました。

農作物の豊作を祈る祭りの道具だったり、神さまへの捧げもののように、聖なるものとして置かれていたらしい。なんとなく聖なるもの感は作品から出ていたので、知らなくても理解できていたと思います。でもこの小道具により、生活保護受託者の先生はもっと聖人っぽくなる…。

→これは生活保護受託者への皮肉的な批判なのか?それとも賛成なのか?読者に自分で考えるよう促しているのか?皆さんの意見も聞いてみたい。

②そして天皇の承認のもと(?多分すごく繊細なテーマ)戦前から始まった日本人の満州への大規模な移民政策のことが作中に出てくる。

→これは天皇制や、最後満州にソ連軍が侵攻してきて、日本政府・軍が保護・撤退計画を持っていなかったことで何十万人もの日本人が殺されたことを、どう私たちは捉えるのかという仄めかしにも感じます。私たちは天皇、ソ連軍、日本軍に対してどんな考えを持つのか?

③最後に今回の大阪万博について。税金の無駄遣いじゃないのかと思う反面、やっぱり行ってみると、並ぶけど「この景色のためなら行ってよかった」と思えるというようなところが出てきます。

→これについても、本の中で万博を全面的に推している訳でも、否定している訳でもないんですよ。

つまりは作中ではどのテーマに関しても、作者のハッキリとした考えは書かれていません。

読み終わった後に私なりに上記のテーマを調べて思ったことを少し夫に話したら、ネトウヨとネトサヨがネットで飛びついて論争バトルを繰り広げるテーマばかりだよね、というようやことを言っていたのですが、確かにそういうネタを集めて、ハッキリとした意見を述べない形で話に盛り込むことで、本の面白みや話題性は高まるのかもしれないですね。

こういった天皇について、歴史について、今の政治(万博)についてなどの話題に関して、国民は様々な考えがあると思うけど、「口にしたらまずいかな?」、「これを言ったら誤解されるかな?」的なテーマを詰め込んで、「表現の自由があるとは言え…」的な世間の空気を表現しているのかもしれないですね。

「本当は思うこと沢山あるんじゃー!!!」という心の中での爆発を「叫び」と題したのかな。

無知な私が読んだ後に色々調べて考えるきっかけをくれた本なので、ありがたかったです。

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2026年01月24日

Posted by ブクログ

芥川賞!納得!

公務員として淡々と働く早野。
女性関係での失意から内に秘めていた粗暴性が垣間見えるようになる。
そんな時に銅鐸を作る老人と知り合い、手伝いをするようになる。

この序盤から、星空、プラネタリウム、万博、戦中の中国での罌粟栽培、阿片製造と過去と現在、早野と川又青年の意識と記憶が重なり交わる展開に、川又青年の無念が現代の私まで流れ込むようで苦しくなる。

早野は自分勝手で周りが見えず思い込みが強いように感じたけど、茨木に越してきて先生に出会ってしまったあたりから川又青年に魅入られてしまっていたのかもしれない。
そしてそれは彼自身望むところで、その内なる叫びは銅鐸の響きのように膨らみ続けるもついに届くことはなかった。

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2026年01月22日

Posted by ブクログ

もっと深く嗜めるように、
もっと何かに重ねられるように。
そんな羨望を抱くとともに、
そこに行ってはいけない、という声もある。

これこそが私の叫びかもしれない。



どう捉えれば良いのか、まだ私にはさっぱりわからない。

芥川賞の作品には度々指摘するように、危険な独り言と誘惑を感じざるを得ない。
それは言葉のままの危険さではなく、あまりに強く引き込まれるから、強大な引力に対する警告だ。

早野が叫びに気付き、それは果たして己の叫びか、
あるいは川又青年のものか。
その幻想は阿片によるものか。

冷静に考えられればよいものをこれらの作品群は、
まさしく響きのように連なる文章が音のように畳み掛けてくることで、過剰な没入感を与える。

あまりにも身近な導入が壮大な過程を経て、狂気の結論へ至る。

「偶然を必然にする」

私たちと居住する土地の結びつきや、それらの歴史を見つめ直すと言う観点は極めて重要と言える。
建物や建築物にも思想が宿る、とは『東京都同情塔』著: 九段理江 においても指摘があったことだが、これは土地にも当然同じことが言え、また人物名や固有名詞に関する指摘、人物名が歴史になり、土地の名になり戻っていく、といった流れには精神世界を垣間見ることができると同時に、私達が与え与えられるもの、それは言葉にならぬ感覚を示す手掛かりでもある。

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2026年01月18日

Posted by ブクログ

冒頭部分を読んで、難しい作品かと感じたが、
読み進めていくうちにユニークな登場人物たちに
翻弄され物語を楽しめました。
あるキッカケで大阪府茨木市に引っ越ししてきた
早野は、これもあるキッカケで出会った先生と
呼ばれる男性のもとで、銅鐸造りと茨木市の歴史を学んでいる。
先生の言葉の一つ一つに心を打ちのめされていく。
愛する人に出会い、彼女の過去に涙する。
そんか彼女と万博に行くのだが。
大阪の地で繋がる歴史ロマン、早野の不器用さが
堪らないくらい好きになりました。
第174回芥川賞受賞作。

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2026年01月16日

Posted by ブクログ

芥川賞作品は大体小難しい話が多いイメージ。この作品も冒頭はやっぱり、と思ったが、急にお役所の仕事風景から関西万博の話と、面白い展開になり引き込まれる。そしていきなり銅鐸と先生が登場し、ちょっと森見登美彦要素があるかなと思ったりもした。川又青年の話からは現実世界と過去の世界が入り混じり、そのうちに川又青年と会話をするようになるが、何の違和感もなくその風景が目に浮かぶように思え、うまいなあと感心した。しかし川又青年から万一の為にと渡された懐刀が、最後そんな事になるとは。伏線回収とオチがあるのに少々笑えた。お堅いイメージの芥川賞作品らしからぬ作品で面白かった。

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2026年01月16日

Posted by ブクログ

芥川賞かあ。
文が綺麗なところもあったけど、過剰じゃない?ってとこもちらほら。
最後展開が飛躍しすぎてもっかい読む気力が減った。
いつか読む。

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2026年01月18日

Posted by ブクログ

大阪万博が作中で描かれて現代の空気感が閉じ込められつつも、銅鐸が出てきたりする違和感が面白かった。
出てくる先生が語りかける言葉もやけに響く。関西人の僕が終始気になったのは関西弁で、こんな喋り方するかよ、過剰だな、と思ったら関西出身の作家で驚き。

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2026年01月15日

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