あらすじ
聞いて欲しい人が一人おるんです。政と聖を描く芥川賞候補作。早野ひかるは「先生」に打ちのめされ、銅鐸と土地の来歴を学び始める。ここではかつて罌粟栽培と阿片製造が盛んで、満州に渡って「陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年がいた。いつしか昭和と令和はつながり、封印されていた声が溢れ出す。大阪と大陸で響き合う夢とロマン、恋愛政治小説。
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Posted by ブクログ
師匠の説話が言ってることの半分くらいよくわからないのだけど
わかる部分はとても本質をついていて
共感することが多かった。
おもしろかったという感想だが
書いてあるのことの半分くらいは読解できていない気がするので
また再読したい。
読解できていないのにおもしろかったと思わせてしまう魅力が
この本にはなんかある。
「夢とロマン、恋愛政治小説」とかそんな分類ではないのでは?土着民俗小説?
でもたしかに時空を超えるロマンはある。
主人公の「銅鐸の聞き比べしよ」という口説き文句が
とてもチャーミングで笑った。
Posted by ブクログ
芥川賞受賞作は、ぼんやりした作品も多いが、この作品は夢中で読み進めた。
生きがいを見つけることは良いことだけど、依存しすぎるのは良くない?
固有名詞が多いのもイメージが湧いて面白かった。
セリフのセンスが良くて、クスッと笑ってしまう場面も多かった。
Posted by ブクログ
●感想
この作品から、人は「何者でもない自分」を受け入れることが、とても苦手なのだと思った。
早野は、縁もゆかりもなく、その地にいる理由さえなかった自分から、先生や銅鐸と出会い、川又青年に自分を重ねることによって、自分の生きる意味を見いだしていく。そして、次第にその物語へのめり込み、執着するようになる。
しかし、早野を特殊な人物だと捉えるのは早計だろう。さまざまな偶然や偏った見方によって作られた歴史物語であっても、それを大切にすることは、人間らしさの表れであり、生きるうえでの拠り所にもなる。だからこそ、早野の感覚は多くの人にも理解できるものだと思う。
何かを信じて一生懸命になることは、美しく、同時に危ういことである。
大阪弁で軽妙な印象なので、重たくなりすぎなくて良い。
●本概要
【第174回 芥川賞受賞!】
聞いて欲しい人が一人おるんです。「政と聖」(まつりごと)を描く芥川賞受賞作。
早野ひかるは「先生」に打ちのめされ、銅鐸と土地の来歴を学び始める。ここではかつて罌粟栽培と阿片製造が盛んで、満州に渡って「陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年がいた。いつしか昭和と令和はつながり、封印されていた声が溢れ出す。
大阪と大陸で響き合う夢とロマン、恋愛政治小説。
Posted by ブクログ
結構好きだった。
万博っていうタイムリーな話題もあり、リアリティを持って読めた。
また、芥川賞の選評を読んでより理解が深まった。
島田雅彦の選評から、東日本出身者と西日本出身者で評価が変わる(ウケが違う)というのはなかなか興味深いなと思った。
山田詠美がいう、エピローグというのは天皇妨害の逮捕の件かな?確かに最後に唐突だなとは思うが、予定調和が裏切られる良さはあった。ふと思い出すと、ちょっと「蹴りたい背中」みがある…?
複数の人が言及している、聖の説得性の低さというのは、確かになぁと思った。
Posted by ブクログ
雑誌で読んでいたので再読
なんか体の内側から叫びたい事が
溢れ出すパワフルな主人公だったなぁと
思ったけど
ロマンとか恋愛は感じなかった。
共感は難しい、、
Posted by ブクログ
現代と過去をその土地の歴史をもとに結びつけて、万博から満州国まで遡りながら描かれる話は、村上春樹さんのねじまき鳥を思いだしました。やや話が強引かなと思いましたが、言葉や文章が上手く最初から最後まで飽きずに一気読みできて面白かったです。
中身が空ろに思える主人公は、日本人の危うさが投影され描かれているのか?
Posted by ブクログ
お前が大洋の一滴であることに、お前自身はかかわりを持てない。
恋人に振られ自暴自棄になっていた主人公。鐘の音に誘われ、生活保護を受ける銅鐸の先生と出会う。師に仰ぎ銅鐸作りを学び、そして物語は関西万博へと移ろい、かつて満州に渡った青年と人生が交錯する。
読みやすいのに分からない芥川賞受賞作品。淀みなく端麗な文体に引き込まれていくのに、どこにいるのかを見失ってしまう。古典文学に近い。
土地に刻まれた叫びは、聞き取る者がいればこそ存在しうるのか。どうにも無情で空虚。あるいは、どことなく滑稽かもしれない。書評でラストシーンは蛇足と書かれていて、それには同意(135頁★4.0)
Posted by ブクログ
面白かったです。この物語を軽妙に感じられるのは関西弁のトーンによるところが大きいかも。
主人公には同情というかなんとなく親身になってしまうところがあって、切なかった。
空気も読めるし、行動力もあって、いろいろ解ってるのに不器用なんだよなぁ、、。ちょっと異常な感じで独りで話す人、私はわりと好きです。
先生に出会ってしまったのが運の尽きだったか。銅鐸の音に引きつけられて出会う場面はすごく面白かったけど。いややっぱり本人の性質による展開か。
茨木童子は聞いたことがあったけど、銅鐸やオニくる、二反長音蔵によるケシ栽培などは初めて知ったので興味深かったです。
関係ないけど、漫画『満州アヘンスクワッド』読もかな、と思いました。
Posted by ブクログ
「叫び」のタイトルと、表紙のインパクトのある色合いと、内容を知らずに読み始めた。
大阪万博に行っていないので、
読みながら行ったった気分になれた。
銅鐸の作り方、土地の歴史など、面白かった。
川又青年と早野ひかるが違う時代を交差しつつ、不思議な世界に連れてかれた。
関西弁がとてもほっこりした。
Posted by ブクログ
なんだこれは
途中まで割と共感しながらみてたけど、最後の最後に突き放された
ある意味狂いの境地にいけたのか?これ以外に道はなかったのか
ひかるはあまりに人に流されやすすぎる
それを良してしているのがこの小説の良さでもあるけど
自分と自然の境をなくすみたいなことに憧れる気持ちは分かるし、偶然を必然と捉えてストーリーをつくることもよく分かる
ただ目指す先が特定の誰かの狂気を引き受けるだけなのだとしたら、それは自由とは程遠いのでは
師匠のキャラが好きだった
それは災難だったな、みたいな軽い一言が好き
Posted by ブクログ
難しい話だった。郷土史をベースに物語が展開していく中、ひかるが少しづつ狂気に蝕まれていく展開を、冷静に「何で?どうして?」と思いながら読んでいた。表現が豊かで見たことのない言葉、使ったことのない言い回しが多く読むのに時間が必要だったが、読みにくかったわりに苛つくことがなかった。
芥川賞、純文学って合う合わないがはっきりすると思うが、この作品は割とすんなり入りこめ、読み終わった後もわからないなりにスッキリした。聖だけはむず痒かったし、回収が足りない感があり残念。
Posted by ブクログ
読み始めはとにかく「途中で何が何だかわからなくなる」作品だった。
昭和と令和、大阪(北摂)の歴史と満州の大陸、銅鐸にアヘン、さらに万博……膨大な情報と入り組んだ視点に脳の処理が追いつかず、挫折しそうになる。
大阪生まれ大阪育ちだが、正直「茨木」という土地には思い入れはない。途中で歴史や万博への強いこだわりに付き合うのをやめ、人間の執着やドラマの熱量だけに絞って読むことにした。
特に印象的だったのは「しおりさん」という人物の異様さだ。出会って間もないのに親の悲しい過去をさらけ出してきた時の、あの心の土足感と圧倒的な暗い磁力。「信じちゃダメだ」と警戒信号が鳴り響くリアリティがあった。
そして、戦前の純粋さと狂気を抱えた「川又青年」。
彼が抱いたロマンと、それがアヘンという毒に変わっていく凄惨さ。物語が進むにつれ、タイトルである『叫び』の正体は、彼が時空を越えて令和に響かせている無念や狂気そのものだったのではないかと思えてくる。
細かな歴史のウンチクを追うのではなく、時代を突き破って襲いかかってくる「声の波」をそのまま浴びるべき一作。
途中で混乱すること自体が、この作品の仕掛けにハマっている証拠なのかもしれない。
Posted by ブクログ
難しい話だった。
きっと理解出来ていない、私は。
戦前、楽土という理想郷を求めて大陸に渡った青年と、現在に生きる青年が交錯する。
戦前の万博と直近の大阪万博、そこでの青年の無謀な行動で話は終わる。
戦争に翻弄された青年の生が悲しい。
声高ではないけど、静かな反戦を感じる。
Posted by ブクログ
久方ぶりにザ・純文学を読んだなぁという印象。
結局のところ文学のテーマはなんでもいい――それが銅鐸であれ、禅智内供の鼻であれ――ということを実感する。
完成度の高い作品だが、最後の一文はどうも違和感。
まぁここしばらく軽いものばかり読んでたのでちょうどよかった。
Posted by ブクログ
『地の底の記憶』から、見ると随分と穏やかな作品となった。読みやすくなったというべきか。
主人公は、早野ひかるで、独身男性37歳。
みかという女子と同棲する予定で、ル・クルーゼの無水調理鍋やバルミューダのオーブンレンジを贈った。そして二人で住む新しい部屋を借りたが、みかは現れなかった。まぁ。比較的騙されやすい男なんでしょうね。その部屋は、茨木駅の近くにあり、東奈良遺跡があり、弥生時代の銅鐸と銅鐸鋳型が出土されている。
そして、川端を歩いていて、鐘の音がする方向に進んで、師匠と出会うことになり、銅鐸作りをすることになる。師匠だと思い込んだり、それにハマっていく。暗示のかけられやすい男なんだね。
師匠は、国家はそもそも福祉のためにあり、そして福祉はなんのためにあるのかというと労働からの開放区をつくり、民間から聖を排出するためにある。ふーむ。聖(ひじり)って?聖は労働のない場からしか排出されないという。
早野はいう「恋は、偶然を必然にしていく作業」というが、この物語は必然を作ろうとする作業に近い。フィーリングのあった女性に、「銅鐸」の話で口説くという、時代錯誤の遅れてきた青年。
早野は、師匠に重さが足りないと言われる。
師匠は、早野にいう。
「誰も帰ってくることのない部屋を暖めている、灯油のストーブ」「お前は未だかって誰にも愛されたことのないマスコットキャラクターや」「お前は涸れた貯水池や」「くずおれるのを待つ、空の革袋や」「今にも身を翻しそうな老朽化した橋や」「石ずりのためのマスキングテープや」「お前はお前がいる場を不法に占拠している」「私はお前にお前の歴史から立ち退きを命じる」「そうなればお前は透明になれる」「歴史になれる」「死者にも偉人にも畜生にもいちめんの花畑にも路傍の石にもなれる」
実に多彩の言葉を操る師匠だ。
この川端は、かつて罌粟栽培と独活の栽培が盛んで、阿片製造が盛んで、満州に渡って「天皇陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年川又幹郎の背中を追って、自らも大阪万博へトリップする。ふーむ。物語は、夢の島の大阪万博で、終わる。
Posted by ブクログ
自分のことばかりの主人公なのに人から影響を受けやすく、最終的にはついぞ見失ってしまう。しおりも普通の女の子という感じで聖と言われてもピンと来なかったし、川又青年の何にそんなに憧れたのかもよく分からなかった。川又青年とは自他境界が曖昧になっているあたり、アヘンにも手を出しちゃったんだろうな…
銅鐸の要素は面白かった。鐘の音を聞きたくなる。
何で主人公は変な方向に走っちゃったんだろうなと理解の及ばない読後感だった。
Posted by ブクログ
1ページ目が良い。正直なところ、何を言っているかよくわからないのだが、あまり見たことのない言葉選びのセンスを感じた。
先生と呼ばれる人が如何にも怪しいが、大阪ならさもありなんと思ってしまう(偏見)。銅鐸作りと言うのも斜め上からの切り口でバッサリやられた感あり。
しおりも負けず劣らず怪しい。何故か早野に言い寄ってきて、肝心な所で突き放すあたり…
そして、川又青年。謎過ぎる。現代と境目なく出てくるので混乱してしまった。
更に、罌粟という単語に振り仮名がないのは何故だろう。
全体として謎過ぎるが、関西ノリだとそれほど意外でもないのかなぁ。
どこが評価されて芥川賞なのか、見てみよう…
Posted by ブクログ
芥川賞受賞作として、また故郷の茨木市が舞台という事で楽しみにしていた作品。独特の作風に心地よさ感は得られたものの、残念ながら私の読解力では、どこに芥川賞を得るほどの文学性の高さがあるのか判らないまま読み終えてしまった。主人公が彷徨っている幻想と現実の境界、作品の中心にある銅鐸の象徴としての意味、川又青年、最期部に登場する天皇陛下の位置付けへの理解の不十分さからくる消化不足ではないかと分析した。機会があれば再読したい。
Posted by ブクログ
ミーハーなので、芥川賞を受賞したという理由だけで、普段だったら読まないだろうに、手を出してしまった。
情景の描写が細かく繊細。主人公には世界はこんな風に見えているのかな。
銅鐸作りも珍しくて、万博の話とか、興味深くて面白かったのに、どうしてラストあんなことになったんだろ…
読み易かった分、自分では理解できない部分もあったので解説が欲しい所です。
Posted by ブクログ
恵まれていると自覚する青年。己の意思を蔑ろにする青年。そんな青年が他人の「叫び」を代弁したことで、破滅する。聖とは何か?そんなおはなし
さて、本作の主人公である早野は主体性のない青年である。恋人に振られた際、自分の意思で破滅的な行動を行うのではなく、「他人ならそうする」という理由で破滅的な行動を選択する。ここで他人が実際にはどのように考えているのかという事実は関係ない。故に思想の強い人物に出会えば、その人間の思考を自分のものとするし、身近な人間が経験した体験を自分がした体験と混同する。そして、誰かの叫びを代弁しようとしてしまうのである。人となりすら知らない他人に、そんな権利はないのに。
基本的に物語の進行としては、早野の視点で進行する。しかし、上述したとおり早野は究極的に主体性がない。その上、共感性が異常に高いが故に、誰かの体験を自分のものとしている。そのため、誰かの語りや早野の妄想が事実かつ現在進行形であるかのように描写される作りとなっている。本作を読むと、早野の思考に誰かの語りが割り込んでくる。つまり、他人の思考が入り込んでくる体験ができるのである。
Posted by ブクログ
最初から最後まで‥難解でした。文がとぎれなくて、どこまでも続いて‥‥
安易に読んではいけない…と思いました。
わからないまま読み終えました‥‥
Posted by ブクログ
川又ー主人公
音蔵ー先生
天皇ー好きな人?
男子たるもの
愛するものを恋けつ(れんけつ)の情を以てありたけの花で埋め尽くすこと、それ以上の本懐はありえない
Posted by ブクログ
良さ、面白さがわからない。
芥川賞受賞作には、いつも、そんな気にさせられる。
読解力が不足しているのだろう。
銅鐸、公務、おにくる、彼女、天皇、万博、読み取れない。
ごめんなさい。
Posted by ブクログ
第174回(2025年下期)芥川賞受賞作。
純文学的なものがこれといって好きなわけではないけれど、だからこそその方面のテイストの物語を読もうかなとなるとやっぱりなんらかの受賞作を、という選定基準になってしまう。
小難しそうなイメージがつきまとう芥川賞受賞作、実際本作も出だしから?で意味が頭に入ってこない文が続くのだが、この調子でずっといくのかと思いきや急に会話主体になり安易な展開に。
主人公早野は、意中の彼女と結婚前提の同棲生活を送るため、2人の中間地点ということだけで馴染みなき土地茨木にに2DKの家を借り越してきた。
だが、その彼女とは連絡がぱたりと途絶える。
自暴自棄になり、酒を浴び、キャバクラ、風俗通いをするうちに蓄えも底を突き、いよいよ首が回らなくなってきた中で川沿いの道をふらふら散歩していると聞こえてくる鐘の音。
音に誘われ畑の中にぽっかり空いた穴を進んでいった先で出会った銅鐸をつくる男。
生活保護を受けながらも、聖の必要性という謎の理屈を盾に働きもせず銅鐸づくりに明け暮れている模様。
この男を先生として師事し、何やら危うき熱中に浮かされながらバランスを取り戻していく早野の行く末、という物語。
読みやすい物語と、その中に時折現れる憑依され独白が始まったかのような小難しい理屈が織りなすうねり。
その物語も、銅鐸づくりに入れ込む男というなんとも突飛だがはっきり言ってどうでもいい話なのに何故か読んでしまう。
早野の精神的な危うさと、アヴァンギャルドでありながら妙な芯を感じる先生の魅力に、何このバランス!となり駆け抜けるように読むことになった。
だが、結局何の話だったんだろうという空虚さの残る結末。
この何とも言えなさ加減を上手く言語化する能力と根気が今の自分にはない。
Posted by ブクログ
地元の茨木市が舞台
と、その設定に助けられながら2度読んだ
が、しかし
まるで理解できない
言葉遣い含め難し過ぎました
芥川賞受賞作は合わんのかもな
Posted by ブクログ
2025年の大阪・茨木市を舞台に現代社会の底から噴き出す戦争の記憶を描く。
大阪万博が描かれて令和の空気なのに、ふと昭和にトリップする。神話的な不気味さとユーモア。
銅鐸と先生と罌粟と川又青年…主人公が耽溺したそれらを少し知れたような、置いてけぼりのような。
Posted by ブクログ
主人公の早野は、現代人の平均値と呼べるような凡庸な人間だ。特に目標も信念持っていなく、公務員として毎日を過ごしている。そんな彼が、婚約者と一緒に住む予定だった部屋、もしくはその住居がある茨木という自分とは縁もゆかりもない土地に置き去りにされる。
思うに彼は、“何か”になりたかったんだと思う。自分がほんとに存在している意味、今この場所に存在しているという理由、そんなものは探しても見つからないものだと思うけど、「先生」に惹かれて、さらに川又青年に惹かれて、その信念やその人たちが考えている存在意義みたいなものをあたかも自分のものかのように内面化していく。
けどそれは本当に「先生」や「川又青年」の信念だろうか?それは早野が、自身で勝手に作り上げた他人についての解釈なんじゃないだろうか?しおりさんのことを、耳を傾けることではなく自分の解釈で埋めようとしていたように、本質的に早野は他人を理解しようとしていない。
だから最後には自分自身の目的が川又青年の信念と混ざり合ってしまい、狂ってしまう。ある意味この状態は先生が作り上げようとしていた“聖”そのものなのかもしれない。社会から離れて、警鐘を鳴らす存在そのもの。そしてその叫びも届かない。万博というハリボテの祝祭によって洗脳されていて導くための大衆は恍惚としちゃっているし、川又青年があんなに憧れていた天皇は、哀れみの目をこちらに向けるだけだ。
権力に押し潰されたり、時代や場所に押し流されて忘れ去られてしまった存在が出す叫びを、私たちは狂人なのか聖なのか聞き分けることはできない。おそらく早野自身にもわからないと思う。けどそれは「先生」がいうように、みんなが見ないふりをしている病的な部分を、その“聖”が一身に背負ってるのかもしれない。そんな暗い問いかけが響くような読後感だった。