相澤理のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
大日本帝国憲法起草者の一人伊藤博文が憲法の解説書を残してくれていたのは非常にありがたい。本書はその『憲法義解』の現代語訳と訳者の解説で成り立っている。大日本帝国憲法は日本国憲法と比べ国民の権利が制限されている非民主的な憲法と一般的に思われて、学校教育でもそのように教わるが、そうではなかった。正直私達の今の生活は、大日本帝国憲法施行時代と何も変わらない。基本的人権も言論の自由も信教の自由も所有権の保障も不当に逮捕されない権利も居住と移転の自由も、議会制度も裁判制度も国家予算も税制も全部大日本帝国憲法時代に確立され保障されていた。それは大日本帝国憲法3条と4条で統治権に歯止めがかけられていた天皇によって保障された。
・誤解1
大日本帝国憲法の誤解1と言えば「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」。これが、ほらみろ統治だって、天皇絶対主義だ、と言われる。これはそういうことではなく「統治ス」は日本独自の統治方法である「知らす」を意味している。知らすというのは天皇が国民がどういう生活をしているのか、また国民の心を知るということで、そこに天皇個人の私利私欲はない。天皇の統治は私的なものではなく、全ての国民の利益のためになされる公共的なものだ、という意味である。この第一条こそが政体がどれだけ変わろうと不変だった国民と天皇の関係を要約したものであり、これこそ訳者の相澤理氏の言う通り、天皇は専制君主ではなかったという日本の伝統、日本人の精神に根差して作られた憲法と言える。起草者の一人井上毅は「しらす」を採用すべきと主張したが、伊藤博文は漢文の統治にしたというただそれだけのことだった。この大日本帝国憲法第一条は天皇絶対主義とか天皇主権を定めたものではない。ましてや国土国民を天皇の私物として占領し支配する、という統治形態の意味ではない。あれはちゃんと計算されてできあがったものだ。ただ日本国憲法の第一条はそうではないのかというと、それは違って、天皇が日本の象徴であるのは別に昭和から始まったわけではない、それで日本国憲法の第一条も日本の歴史を踏まえているといえる。
・誤解2
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
これも誤解が非常に多い。まるで天皇が一神教のゴッドみたいな地位にされているように思われる。憲法で天皇を神様にしてたんですよ!とこうだ。神聖不可侵とは神という意味ではなく「尊厳や名誉を汚してはならない」という意味で、それを法的に説明すると君主である天皇は法的に責任を問われない、という意味になる。法的に責任を問われないということは「政治的な実権を有しない」ということを意味する。国政は各国務大臣が担当し、その全責任を負う、天皇はその埒外にいるのでいつまでも汚れのないままでいられる。平たく言えば次の第4条と合わせて立憲君主制のあり方を明記したものといえる。大日本帝国憲法には天皇大権が色々明記されているが、現実には全部3条と4条で制限が加えられている。よって明治天皇・大正天皇・昭和天皇は専制君主のように振舞うことはなかった。神聖とは聖なる神という意味ではないし、同様の条文は当時の欧州の君主制国家に存在していた。
・誤解3
第二十二条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
日本国憲法は基本的人権が侵すことのできない永久の権利として認められていたが、大日本帝国憲法は居住や移転の自由といった基本的人権が制限されていたと言われるらしい。これはひどい。確かに日本国憲法11条に基本的人権が保障されているけど、しかし次の12条に(22条も)、この権利は濫用してはならず「公共の福祉に反しない限り」で認めると釘を刺されているではないか。実際現在の私達の社会でも具体的な諸々の法律で既に基本的人権は制限されていて、法律ノ範囲内ニ於テ成り立っているのは戦前と同じである。いくら自分が住みたい土地だからって他人の土地を占拠して勝手に家を建ててはい引っ越しましたなんて今でも認められるわけがない。大日本帝国憲法の法律ノ範囲内ニ於テという文言は、日本国憲法の公共の福祉に反しないように先手を打って諸々の法律で制限を加えられている状態と何も違いはなく、これをことさら非民主的な憲法だったと批判するのは不正確だろう。
大日本帝国憲法下の社会と現行憲法下の社会に違いはなく、今私達が有している権利や義務も、議会制度も裁判制度も予算制度も税制も大日本帝国憲法で初めて定められた。日本人の現代的な生活は全て大日本帝国憲法施行から始まったことは疑いがない。これについて殊更戦前と戦後で分断を強調するのはどういう意図からだろう。分断というなら江戸時代の社会と大日本帝国憲法下の社会の分断の方が大きい。相澤氏の言う通り、非民主的の出来損ない憲法などではなく、世界一優れた憲法だったというのは首肯できる。これは自慢とかではなく、日本はある意味優位な立場にいたというだけである。それは憲法制定に対しては後出しジャンケンができた。既に欧州各国の優れた憲法があったので、それをそれぞれ吟味して、長所と短所を分析し、長所を取り入れかつそこに日本の伝統をも織り込むというかなり自由自在な立場にあった。『憲法義解』にはたびたび欧州の法律や議会の話が出てくるが、伊藤らはよく研究していた。28条の信教の自由についての解説など、今でこそ聞く価値のあるものだと思う。何を信じようがその人の自由だが(信教の自由)、それを外部に向かって礼拝したり布教したりするならば、人々に迷惑がかからないように法律で制限を加えますよ、国が特定の宗教をえこひいきするのも禁止ですよ、ということ。要するに公共の福祉に反しないよう制限を加えるということで、これも日本国憲法下の社会状況と全く同じ。信教の自由と宗教の自由の違いを伊藤は理解していた。彼らは邪な心で君主剣が強くなるように陰謀を働いていたのではなく、真摯な気持ちで国民の自由が保障され、議会政治が軌道が乗るように願い憲法を起草した。
ほぼ完璧な大日本帝国憲法にもいくつか欠陥があった。それは相澤氏も指摘してる通り、内閣制度の規定が憲法になかったこと。これは建前であった君主大権を主張した井上毅に伊藤博文が妥協したためと言われている。内閣に強い権限を持たせたくなかった。しかし昭和になると、自分らは天皇に直属する大臣だから内閣総理大臣の指図に従う必要はない、という理屈を軍部の国務大臣が持ち出した。つまり軍のことに政府が口出しできなくなってしまった。リーダーは建前上は天皇になってるだけで実際は不在だった。明治の元勲が存命中なら彼らが実質的なリーダーだったのでそれでも問題はなかったけど、彼らが皆世を去っていくと問題が浮き彫りになってしまった。
問題点のもう一つは、訳者の言う通り、条文が簡潔すぎてあらぬ誤解を生んでしまったこと。特に第一条は井上毅の草案「日本帝国は万世一系の天皇の治す所なり」でよかったと思う。これならいらぬ誤解を与えることはなかった。 -
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予備校講師が母校一橋大学の日本史の入試問題を題材に一般紙向けの連載に書いたものを新書にまとめた本。
近現代史に重きをおく母校の入試。一通りの入試勉強を終えた後、参考書じゃなくて、昭和史の新書とかを読んでいたよなとかも思い出したり。経済史の先生とかがいるから、近現代史が多いんだろうなと思っていましたが、今を語るには、当然知っていなければならない時代。理解していないと安保法なんて批判も出来ません。
歴史は流転す。筆者も「歴史とは古来、平時において乱世を忘れぬよう治乱興亡の跡を明らかに書き留めておくこと」と「おわりに」のところで書いています。
「勅令の定るところにより」と政府に権限を委ねていた戦前の国家総動員法の国会審議の中で、野次と謝罪のエピソードが書かれていて、まるで、今年の出来事かと錯覚もしてしまったりも。
私が受験した際の問題も取り上げられていて、かすかに覚えていたキーワードの総評と春闘が正しかったとわかり、ちょっと安心です。 -
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日本人のルーツと言うべき、過去の日本社会が辿った軌跡を、著者の見解を織り交ぜながら、概観している。客観性を重視する姿勢は当然でありながらも、全く感情抜きではなく、我々日本人の祖先が、どんな環境に置かれ、どんな課題を乗り越えようとしていたのか、簡潔に論じている。その意味で、情愛に満ちた、温かい視線を我々の祖先に向けている。しかも、日本思想の学習もやり遂げているため、根源的な部分の理解も示している。ただ、日本に対する興味関心が強いせいか、外国の人々に理解を示すまでには視線に広がりがなく、得てして自国の中での熱狂に身を委ねて、冷静に世界に目配りする度量が欠けていなくもない。とはいえ、日本人としては、自分たちの身に迫る、痛切なテーマを扱っており、興味は尽きない。
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歴史の編み直しを実行して、新たな歴史像を提示している。すなわち、思考が新しく、我々に身近な存在として歴史の中の人々を再現している。では、どんな形で新しいか。それは、市中の人々と垣根なく接してきたからではなく、新思想を果敢に受容してきたから、歴史叙述にも新味が生まれたようだ。新思想とは、内田樹や加藤周一らであり、この新しい思考の形式を獲得したことにより、新しい歴史像が描出できたのだと思う。東大卒で、東大の先生を崇めている節があるから、学問の内奥に潜行はしても、現在の市中の人々と肩を並べて共感することは難しいかもしれない。しかし、新思考で描かれた歴史に関しては、極めて距離感が近く、身近な存在として我々の前に顕在化している。歴史が近くなる点で著者の貢献は大きい。
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≪目次≫
第1部 占領下の日本
第1章 日本国憲法は「押しつけ」なのか?
第2章 冷戦は日本にどのような影響を与えたのか?
第3章 サンフランシスコ講和条約をめぐる争点とは?
第4章 財閥解体は成功したのか?
第2部 保守政権の誕生
第5章 自由民主党の結成理念とは?
第6章 安保闘争はなぜ盛り上がりを見せたのか?
第3部 高度成長期の内政と外交
第7章 高度経済成長が達成できたのはなぜか?
第8章 沖縄返還の背景にあったものは?
第9章 田中角栄内閣が掲げた内外の政策とは?
補講 「戦時体制」から「戦後体制」へ
≪内容≫
『ディープな日本史』の相澤さんの新著。どちらかというとこちらの方を書きたかったのかな?と思います。いろいろと示唆に富む内容です。
あとがきにあるように、「歴史学は実学」であるべきですし、「一橋大学の日本史試験」は難問でも悪問でもないと思います。よく練られた問題です。現代日本に様々な問題が積み上がり、その理由を問うている。それだけです。 -
Posted by ブクログ
タイトルのように、びっくりするくらいよくわかりはしなかった。これほどの幅広く、深いテーマを1冊で「よくわかる」というのは不可能かもしれない。ただ、センター試験の倫理の問題はこういうものなんだというのはわかった。各項目の頭にセンター倫理の問題があり、その後に解答を交えて説明するような形式だからだ。
よく見たら、著者は「今でしょ」で有名な林先生と同じ著者は東進ハイスクール講師だった。
「はじめに」で書かれていて、なるほどと思ったこととして、既存の哲学・宗教の入門書は西洋思想に偏りがちというものがある。それに対してセンター倫理は日本思想にウェイトが置かれている。聖徳太子、本居宣長、夏目漱石といったよく知っている人物について、哲学・宗教の本で読むというのは面白かった。そういえば学生の頃にこんなのを習ったなと懐かしく思った。