松本コウシのレビュー一覧
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これは、犯人を当てることが目的の推理小説ではない。むしろ、事件を通して「人は人をどう見るのか」を考えさせられる作品だった。
ある名家で起きた毒殺事件。
生き残ったのは、盲目の少女・緋沙子ただ一人。
数十年後、事件を再調査するため、関係者へのインタビューが行われる。
証言を読み進めるうちに、あたし自身も「もしかして緋沙子が……?」と疑わずにはいられなかった。
でも、最後に彼女の胸の内に触れたとき、その疑いは一気に切なさへ変わった。
盲目で、美しくて、知性があって、勘も鋭い。
そんな「特別な人」だからこそ、周りは彼女を恐れ、勝手なイメージを作り上げてしまう。
被害者なのに、誰にも信じてもらえない。
周りから作り上げられた「特別な人」という物語の中で生きるしかなかった彼女を思うと、胸が苦しくなった。
人は、自分とは違う存在を恐れてしまう。
そしてその恐怖はいつの間にか、
「あの人ならやりかねない」
という根拠のない先入観に変わってしまうのかもしれない。
最後、彼女はもう「美しい人」でも「盲目の少女」でもなく、ただの一人の人間としてそこにいた。
そのときの彼女の痛々しさと、どこまでも報われない孤独が、ずっと心に残った。
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Posted by ブクログ
ネタバレ真実とは何で、誰に分かり得るものなのか。
ミステリだけど、ミステリより深いものを見たような気がする。
ミステリを読む時、なんとなく犯人が誰か、どんな動機かを推理しながら読んでいる(当たることなどそうそうないが)。物語はとある事件を追うインタビュアーの視点と、回想で進んでいく。私たちは想像しながら読み進める。可憐で神秘的な犯人を。鮮やかに、優雅に、未解決事件を裏から操る犯人を。名探偵に指差され、読者への一礼と共に有終の美を飾る犯人を。
さて、私たちが望んだ犯人はそこにいたのだろうか。この物語にとっての真実は、果たしてどこにあるのでしょうかね。
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Posted by ブクログ
先日、お昼に「夜のピクニック」を職場で読んでいたところ、上司から声をかけられ、同じ恩田陸氏の作品である本書が大変面白いと紹介を受けた。
その上司から本をお借りし読んでみたところ、これが確かに面白い。
まるで推理パズル。
文章構成がとても独特で、取材時の音声資料のような形式や、過去を追憶するような形式、日記形式など、あの手この手で情報を小出ししてくる。
章ごとに散らされた情報から事実を拾い上げ、繋ぎ合わせ、推測する。
読者はまさに探偵役である。果たして真相に辿り着けるのか。
上記のような構成なので、推理に関しては文章によるリードがまったくない。大胆な小説だと思った。
惜しむらくは終わり方か。
最後は余白を残して話を畳まずに終わる。
せっかく色々考察しても正解が示されないので少しモヤつく。
やはりこの事件の中心にいる緋紗子が印象的。
読後は彼女の見え方が大きく変わる。この変わりっぷりは哀愁があり、中々に切ない。
…まあ、「私の考察によると」という枕詞的なものをつけなければならないのだが。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ恩田陸を読んだ〜って感じがした。
とにかく真相を知りたい性質の私は、他の人の物語ならこういう終わり方は全然スッキリしない…となりそうだが、恩田さんのはそうならなくて何故かとても良い気分になる。描き方なのかキャラなのか文章力なのか分からないけれど…。たぶんキャラというか人間の描き方かもしれない。分かるものも分からないものも含めてなんだか納得してしまうのだ。物語にふんわりと包まれて、余韻が優しい。不思議だ。
最近は小説はあまり読んでなかったのだけど、一度恩田さんを読むともっと物語に溺れたくて、この後しばらく恩田さんの未読作品を読むと思う。 -
Posted by ブクログ
黒幕は誰なのか?実際は何が起こったのか?これを断定することは出来ない。多分わざと、材料が足りない状態にしている。
緋紗子という盲人の少女。彼女の存在感も手伝って、『群盲、象を評す』という言葉が思い出される。盲人が象の身体の一部を触った感触から象を語ろうとするが、いずれも見当違いな感想になるという皮肉の言葉だ。
本作では頻りに、真実を語ることの難しさについて述べられている。それは、我々は等しく「象」という全体像を見ることは出来ないからだ。同じこと体験したとしても、そこから得られるのはそれぞれの視点から見た断片でしかない。その事を忘れて真実を知った気になって、象を語らそうとする愚かさが表現されている本だと思った。
実際、何度か読み返して自分なりに解釈を試みたが、肝心のところは分からないままだった。以下に、自分なりに解釈した断片を散らしておく。
・第三章だけ、名前が違う。青澤医院は相沢、緋紗子は久代など。名前の違いはこの章だけ。『忘れられた祝祭』の抜粋であることが濃厚。
・第七章。ここも『忘れられた祝祭』の抜粋ではないかと推測。文房具屋は実際にはM書店。『忘れられた祝祭』では古書店があるべき所が違う店になっていると記述がある。若旦那についてわざわざ、書が趣味の文房具屋〜と書かれている。若旦那だけ、取材をされていないし、誰とも繋がりがなく浮いていて気になる。断定できる根拠は見つからず、推測の域は出ない。というか、もはや想像でしかない。
・白い繭。これは兄と猫であると読むのが自然。
だとすると、ユウジンが毒を運ぶ前に毒は既に盛られていたことになる。だとするとどうなるのか?母が毒を盛っていた?断定できる根拠は見つからない。
・事件当日、キミさんが取った電話。かけてきたのは教会の子供たち。緋紗子かユウジンがかけさせた。第十三章で、老人の家に行って花火で遊んでくるように言ったこと、電話をかけさせたことを仄めかしている。『幾つかの断片』で花火に行かせた描写がある。電話の件は、キミさんが事件から数年経ってから思い出したことで、それまでは誰も知らなかったこと。海外に行っていた緋紗子が電話のことを知るには、電話をかけた本人であるか、証言の通りに子どもに電話をかけさせたのでなければならない。現場にいた緋紗子は電話をかけられない。よって電話をかけさせたという証言も事実。目的は不明だが、電話の事を思い出した時にキミさんが目をキラキラさせていたというのが気になる。キミさんはあの電話によって、自分の想像していた真相を否定された。そのことが彼女にとって救いだった。それが分かっていたから、緋紗子はわざわざ電話をかけさせて、キミさんを罪悪感から救おうとしたのではないか。
・キミさんの罪悪感について。キミさんは、緋紗子とユウジンの会合を知っていた。そして、自分の渡した、お菓子を包んだ紙に住所が書いてあり、それがメモとして使われたと考えた。自分のせいで、事件が起こった。その罪悪感に苦しんでいたキミさんは、電話のことを思い出す。やはり、外部の人間が手引きしたのではないか、あのメモは関係なかったのではないか。そう考えて、キミさんは目をキラキラさせた。裏付ける記述は見つからず、やはり推測の域を出ない。
・満喜子は『忘れられた祝祭』を書いた時点では「青い部屋」のことだけを聞いていた。後から白い百日紅の話もしていたことを知る。そしてようやく青い部屋とは祈りの部屋であったことに辿り着く。キミさんは、後になって満喜子が知ったことを、事件の起こる前から知っていた。二十年の付き合いになるというキミさんが、母の強迫性と青い部屋での祈りの強要に気づいていても不思議はない。知っていて、放置していた。その事も、キミさんの罪悪感には含まれていたのではないか。
・第十四章が終わり、その後に満喜子は死んだのかなとまず思った。しかし、そうすると第一章と時系列的に矛盾する。第一章では既に、青い部屋と白い百日紅の話を聞いている。婦人警官からその話を聞いたのは第十四章の時点。第一章での出来事は、第十四章より後でなければならない。第十四章の後死んだとなると、婦人警官と話し、兄の友人に会いに行き、四時半の時点で公園のベンチで死ぬことになるがあまりに無理がある。第一章では途中で雨も振っているが死亡が確認された時の記述ではずっと晴れていた。それに第十四章での行動、思考がこの後に人と会う約束をしている人のものとは思えない。また、ファイルからの抜粋では、ベンチに座って子連れの女性と話をしていることを目撃したとあるが、第十四章での描写的には駅の片隅で立ち話をしていたとある。「他人の時間を無駄にしない人だ」という記述からも、移動して公園のベンチまで行って話し込んだとは考えにくい。「ふくよかな女性」と婦人警官の特徴は一致するが、ファイルの記録と第十四章での出来事は微妙に辻褄が合わない。第十四章は満喜子が死ぬ直前の出来事ではない。
・ユージニアとは、ユウジンとユートピアから取った名前。二人だけの世界。緋紗子のいう「二人」とは、あくまで「あたしが一緒にいたいと思う人」のことであり、ユウジンと呼ばれた青年のことは指していない。特定の人物のことを指す言葉ではない。満喜子はユージニアの詩のことを恋文とは読めないかと言っているが、緋紗子にとって『忘れられた祝祭』こそが満喜子からの恋文だったのではないか。『忘れられた祝祭』を呼んで、緋紗子は満喜子のなかに「ユージニア」をみたのではないか。海外に行ったことで緋紗子の時効は伸びている。時効が続いてる限り、私たちの時間は続いてると満喜子は言った。緋紗子は望んでそうしたのではないか。夢の通い路のように、二人は向かい合わせになって共に歩いている。その世界こそがユージニアなのではないか。