伊東ひとみのレビュー一覧
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名付けを考えるのに参考になるかと思って読んでみた。
興味深かったのは”漢字”と日本人の関係性について。
漢字は元々中国のものだけど、それを日本文化に融合するときに(融合の仕方によって)漢字をどう捉えるかが全く異なっている。
しかも、漢字を使い出したのは平安時代なのに、昭和になってもまだ漢字をどうするかという議論をしている。志賀直哉なんか日本語は「不完全で不便」だからフランス語にしようという始末。
著者は昨今のキラキラネームは”漢字”ではなく”感字”によって起きていると表現している。”声の文化”はひらがなで、”文字の文化”は漢字で、というバランスが崩れ、声の文化のみが優先された結果がキラキラネー -
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●→本文引用
●ともあれ縄文人は「よくもの言う」自然と対峙しながら、生活圏にある川や野原、山、谷、沢、浜、岬、さらには巨木や岩などにそれぞれ名前をつけていった。それは、「そうした自然を自分たちの息がかかった味方に引きずり込んでいく」ことだった。と小林氏は言う。ソトの世界に存在するよそよそしい場所も、名前をつける(あるいは、名前を知る)ことで、たちまち関係を取り結んで自分たち人間側の世界に所属させることができる。名づけというのは、所有すること、占有することでもあるのだ。(略)太古、人々は場所に名前という言葉を貼りつけることで、人知の及ばない力をもつ土地の精霊をその名で縛って言向け和し、ハラの場 -
Posted by ブクログ
キラキラネームを、読めない名前と定義し、分類と成立した背景を探っている。キラキラネームを、夜露死苦(よろしく)的なものとしたマイルドヤンキー説のような迎合的で安易な話ではなく、そもそも日本の漢字というものは日本の言葉(音)に中国から伝わった文字(意味を含む)を当て込んで成長してきた、というところからの考証。漢字文化の土台が変わりつつあることの表面化のひとつと結んでいる。字面の話に終始し、『なぜ、付けるのか?』には迫れていないが、これだけでも非常に興味深い内容だった。
キラキラネームは、それぞれの時代にあり、清少納言、吉田兼好、本居宣長らが、眉をひそめた話は笑える。