武田信子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
冒頭から刺さりすぎて、読み終わる頃には血だらけになりそう。
刺さりすぎて一気に読んだ。
首がもげそうなくらい頷いた。
日本は、グローバリゼーションの中に翻弄され、人間の本質的に大切なことを見失っていると思う。
子どもの教育だけじゃなくて、大人の働き方だったり、政治だったりが全部絡んでるんですよね。
古い価値観と新しい価値観が入り乱れ、自分の価値観・軸を持った人が少ないのではないでしょうか。かつ、政治を監視しない、興味ないでは、古い価値観のおじさんたちのやりたい放題です。
と、とりとめもなく、不満が噴出してしまいましたので、また落ち着いて読み直したいと思います。
メモ
ヒラリークリント -
Posted by ブクログ
2021年の本
4年前に日本の教育の危機感
社会がこどもたちが生きる上で
どんどん窮屈になっていくという警鐘を鳴らしているが、
現在地の2025年はどうか。
頭を抱えるしかない。
「変わっていない」
むしろそこから度合いが増しているかもしれない。
悪意よりも怖いのは「善意」
自分がやっていることが
正しいと思っている人の熱意が
宗教的で、神格化して、誰かへの押し付けになり、
果ては、望んでいない、教育虐待へとつながっていく怖さ。
私も自分なりのものを積み上げてきてはいるが、
これに客観的な評価が入るようなシステムをとらないとまずいなと思った。
「圧」にならないようにとは気をつけているが -
Posted by ブクログ
【教育には、人それぞれのペースの考慮と
社会全体で育てるという考えが必要】
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教育業に携わっている身として、「良い点数を取って行きたい学校に行くことは幸せなことだ」と本気で思っていた節があったので、こちらが詰め込もうとすると子どもはどうなるのかという、自分に抜けていた視点について考えさせられました。
特に印象に残っているのが3章で、教育の話から広げてマルトリートメントをオムツの話まで広げる発想が面白く、確かにそうだなあと思いました。幼児やその父母に関わる人もそれぞれ自分の専門分野の知識でしか子育てを見られないわけだから、どこかで食い違って、乳幼児にとって良くないものに変わ -
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言うまでもなく、現代の教育は過熱している(傾向にある)。
親は、子の幸せを願えばこそ、幼少期から習い事をさせ、学歴を身につけさせ、そして立派な社会人として世に旅立たせることを願う。
そうまるで、優れた商品を世の中に「出荷」するかのごとく・・・。
競争社会のシステムが子育てについて親に与えるプレッシャーの大きさ、生まれた時から否応なく競争原理に身を置かれる子供達、それに応えるべく同じくプレッシャーを受ける教育現場・・・。
本書は、親や教員個人を糾弾するものではなく、現代社会の価値観そのものが生み出す「不適切な教育」についての問題提起の書である。
著者は、この現代の不適切な教育の在り方に「エデュ -
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子育てや教育について再考したい
塾や習い事、受験や大量の宿題
これらが過度になれば虐待にもなりかねない
教育熱心な大人こそ教育虐待になることがある
遊びより勉強?つまらない授業で主体的に学ぶばを与えない、勉強についていけない子を放置、問題行動起こす子を叱責
子育てをうまくやりたい思いが、競争や比較、そして成功したい、承認されたい
という親の思いに変化してしまうこともある
教育熱心が教育虐待にならないように
親中心、自分が認められること、子どもを自分の思い通りにしたい、高収入高学歴が幸せと考える
これらは虐待
それよりも
子供中心、子供の自立のため、幸せは学力や裕福さとは関係ないと知る、将 -
Posted by ブクログ
先日昨年の出生率が1.37であり、3年連続で上昇したことが発表されたが、子供を生む世代の女性の数自体が減っており少子化の流れが反転した訳ではないともされている。
日本の少子化が改善しない理由の一つに、子育てをするのが難しい日本の環境、が挙げられると思う。
本書は臨床心理士である筆者が国際都市として有名なトロントでの研究生活から得た、トロントの子育て支援のソーシャルワークの考え方を紹介している。ソーシャルワークの考え方が社会に浸透しているトロントは誰にとっても子育てがしやすい環境なのである。
日本ではソーシャルワークという考え方はあまり定着しておらず、ソーシャルワーカーとして活動 -
Posted by ブクログ
ネタバレ全面的に納得できた本です。逆に言うと、新たな発見とか、目からウロコ、みたいなことはあんまりなかった(少しはありました。)
私は20年以上、公立中学校で教員をしていて、なんとなく文科省とかから押し付けられて「そんなことしてもダメやし」と思っていたことが、この本に書かれていいることで補強された感じがします。
タイトル通り、学校教育でできることは限られているのに、それをきちんと認識せず、あれもこれもと「やりすぎ」なのです。
学校教育で必要なのは、読み書きそろばんと、集団の中で自然と培われる人間関係によって学ぶ社会性。
ところが現代社会で様々な問題が取りざたされるたびに、文科省から、あれもやれ、これ