トマス・ブルフィンチのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
なんだか平家物語を見ているような…日本の武士となんら変わる所が無いような「騎士」
魔法や伝説という不可思議なものが生き、たくさんの人物によって織り成されているのに、ひとつの物語として、筋(まとまり)が貫かれている。――騎士道。
アーサー王のやっていることはどうみたって侵略行為であるし、ランスロットは気性の荒い無法者であったのだと思う。だってそれが戦であふれる中世のイギリスで生きる者だから。騎士がこんなに精神的だったら戦争などとっくに放り投げている。それを捻じ曲げてでもこの物語は騎士道を貫く。この書き手による、ひとつのまなざし。それによってトリエステとイゾルデのロマンスが生まれるし、ランスロットへの乙女の死が輝くのだ。
どうみたって略奪や殺し合い。血で穢れた手のひらだというのに。正当化と言い切ってしまえばそれまでだが、騎士道という精神で、英雄の名を負うことで、神に委ねることで、それを浄化する。
エクスカリバーの存在やマーリンの魔法の逸脱さをご都合主義だと切り捨てるのは一面的である。奇跡や不可思議なものの存在によって、その騎士道という精神の形が実現するのだから。
それにしても、なぜマーリンはガーウェインに聖杯探索を指示したのだろうか。彼ほどの力があれば、円卓の騎士たちの、探索の結末など簡単に予想できたはずである。それほどになぜ、聖杯にこだわったのか。
聖杯を手にすることが目的というよりかは、聖杯を見出すことを、信仰というものの実現をマーリンは望んでいたのではないか。聖杯を手にできるのは、その生が清く正しいものでなければならない。殺しを職とする騎士が騎士道を実現するために、神聖なものの前に跪くことを望んだのではないか。聖杯は各々内にある。そうでなければ聖杯はずっとアリマタヤのヨセフの下で眠り続けていただろう。彼ら騎士の力で聖杯が実現するとともに、騎士はその血で汚れた自身を浄化される。
宗教と騎士の精神が融けた、物語(ロマンス)の世界。戦の絶えない世界にあって書き手が望んだひとつの形。 -
Posted by ブクログ
この作品は『完訳 中世騎士道物語――騎士道の時代』より、アーサー王に関する部分を現代的に判り易く編集しなおされた物らしい。だから細かい部分までは載っていないがこれで大まかなストーリーは理解することができた気がする。
歴史的には実在の人物らしいけれど、数々の歴史化・小説化によって脚色されて来たので、架空の人物としての側面を強く残してしまっている。そして、話の中心となる円卓の騎士などが話の途中で減ったり増えたりしているのが読んでいく中で苦しい部分だった。
内容はアーサー王の活躍や、ファンタジーとしての側面は少ない。この作品を読んで最も感じるものは騎士道精神の清らかさである。騎士の誓いは正義に背いても行わなければならない。丸腰の相手と決闘するのは恥辱である。ある意味、日本武士よりも尊ぶべき精神を持っていると感じた。
読み終わった後の正直な感想としては、これだけでは物足りないという思いが強い。この『アーサー王の死』『円卓物語』『聖杯伝説』を統合した物語は起源が千年前にあるだけに数々の逸話がある。これを読んで、ますます興味を唆られたために他の細かい物語も読んでみたくなった。