田中康夫のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
読み出したら、しっくりくる、作者は僕の5歳年上、尊敬していたな、僕は若い頃から田中康夫を。共感できるし、でも、作者みたいにクリスタルでなかったけど、今の若者よりも楽しいことがたくさんあって、森博嗣じゃないが、いい時代だったのですね。
74ページ。引用。
”目を開けていても閉じていても、哀しいときも苦しい時も、そして嬉しい時も愉しいときも、一分一秒、時は常に変わらず過ぎていくのだ。ならば、どんなにか辛くとも目を背けず真正面から向き合い、自分で考え、自分で動くしかないじゃないか。弁解したところで、愚痴ったところで詮方ない。”
ありきたりなフレーズのようだが、僕はとても沁みた。結局、そうなんだ、自分で考えて行動するしかないんだ。
僕は入学した1980年のことをいまだに夢に見たり、考えたり、懐かしがる。それが青春ってことだろうと思うんだ。戻ろう、昔の人に会いたいとは思わないけど、当時のいろんなことを、今も考える。元クリの「なんとなくクリスタル」を過ごして、今、「33年後のなんとなく、クリスタル」がたまらなく、愛おしく、じわじわ感動してます。他の田中康夫作品を読まねばと思う。
感動しました。
時々手にとって、再読します。
ありがとうございました。 -
購入済み
素直に読む
女子大学生であるうちにこの作品に出会えてよかったと思う。気分の良い方を選んでると言いつつ、社会的に恥じないように心掛けているのが垣間見える由利のような華々しい生活を送っているわけではない。ただ、自身の認識の中で気分の良い方を選んでいるのは私と同じだった。現代ではそのように生きている人が多い
-
Posted by ブクログ
「軽薄な作家が、軽薄な学生のことを書いた小説。何でこんな小説が『芥川賞』の候補になったのか、訳がわからない」それがこの本を読み終えた第一印象だった。一流大学に通う、セレブな階層に所属する女子大生が、誰もがうらやむような生活を送る様子を描く小説。格差社会の現代で、こんな小説を発表する作家がいたら、周囲から総スカンを食らうことは確実である。ところが、作者のあとがきを読んだとたん、その印象は一変した。彼によれば、自分で読みたい青春小説を書きたかったのだという。今まで彼が読んできた「青春小説」は、現代の大学生の実態とはあまりにもかけ離れていた。そのことに違和感を覚えた彼は、それだったら自分で、今の大学生が何を考え、どう思っているのかをみんなに知ってもらいたかったのだ。そういう意味では、この作品は’80年代を代表する小説といえるかも知れない。
-
Posted by ブクログ
連休を利用して祖母宅に遊びに行った際に、今年で還暦を迎える叔父の本棚から引っ張り出して読んだ。新装版ではなく河出文庫版の第三版(1983年)、やや黄ばんだ裏表紙にはバーコードは無く、刻印された価格は実に320円であった。
『なんとなく、クリスタル』は、1980年当時の「感覚で生きる世代」の生活を独自の視点と文体で描いた小説である。小説とは言っても、大半が地名やブランド名といった固有名詞とそれを説明する註釈で埋め尽くされたこの文章には、意外な展開や起承転結はこれといって用意されていない。描かれるのは当時の日本にもたらされていた暴力的なまでの物質的豊かさと、それを安穏と享受する裕福な若者たちの心情に尽きる。学歴、親の職業、最寄駅、住居のタイプ、飲みに行く街、お気に入りのレストランの名前、身につけるブランド、日用品や食糧を買う店。こうした記号を何よりも重要視する人々を中心に、東京に染みついた資本主義を淡々と(薄っぺらく)書き出した作品である。
特筆すべきは、これらのきわめて資本主義的な考え方や生活が冷笑的もしくは批判的に描かれているのではなく、著者・田中康夫が「そちら側」であることが、本文や註釈の行間からありありと伝わってくることである。田中康夫は東京・武蔵野に生まれ、一浪の末に(本文風に言えば)「中央線の西端付近に位置する国立(こくりつ)の文系大学」に進学、四年生時に日本興業銀行の内定を得るも留年し、その暇を利用して『なんとなく、クリスタル』を書いた。バブルを目前に控えた1980年という時代背景、成功と挫折・プライドとコンプレックスが織り混ざる経歴を鑑みると、彼の文章から滲み出る資本主義的価値観や俗物感は何ら違和感のないものと言えよう。彼は堅物な文筆家ではなく、単なる中上流家庭出身のエリート就活生に過ぎないのだから。言うなれば、本書は昭和版の「タワマン文学」と言ったところだろうか。
もっとたくさんのお金が、もっと良い肩書が、もっと高級なブランド品が、もっと好立地で広くて綺麗なマンションが、もっとイケてる恋人が欲しい。もっと周りからすごいと、かっこいいと、羨ましいと思われたい。日本が相対的に特段豊かな国ではなくなり、今後も衰退の一途を辿ることが目に見えている現代においては、こうしたギラギラした価値観を顕にする人々はもはや港区周辺でしか見られなくなった。一方で、資本主義的な物欲が人々の間から無くなったわけではない。給料は上がらず、税金と社会保障費が上がり、不動産価格を中心に物価が高騰し、ほとんどの人が「物質的に豊かである」と感じられなくなった現代だからこそ、資本主義の「勝者」に対するルサンチマンは1980年当時と比べても肥大化しているとも言える。『なんとなく、クリスタル』を読んだ感想は、当時の若者と今の若者の間でどう違うのだろうか。「このような生活がしたい、羨ましい」と思う人が多いのか、「くだらない価値観だ、空虚だ」と感じる人が多いのか。はたまた、「そうだそうだ、良いモノやイケてる人に囲まれてないと生きてる意味ない」と同意する人が多いのか。おそらく読んでことのない人の方が多い同世代に是非読んで欲しい一冊。 -
Posted by ブクログ
『なんとなく、クリスタル』は大衆消費社会の勃興と、バブル経済前の日本、そして日本に忍び寄る衰退の影を描いたポストモダン小説だ。作者は長野県知事を務めたこともある田中康夫だ。
この『なんとなく、クリスタル』の特徴は、時代を象徴する固有名詞の多用と、それに対する膨大な量の注釈だ。文学作品では普遍性を持たせるために固有名詞を多用することを避けたりするのだが、『なんとなく、クリスタル』は女子大生兼ファッションモデルの由利の生活を中心に若者にしか理解できない様なブランドや固有名詞が散りばめられている。そして、それぞれの固有名詞に田中の視点を基にした442個の注釈と分析が加えられている。
ブランド名と言った固有名詞を多用していることで、大衆が増えたことにより知識人というものには意味がないという知識人を批判している様にも思える。