永井隆のレビュー一覧
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長崎大学医学部内で原爆被害にあった医者のレポなんだけど、医者だから科学的な視点になったはだしのゲンみたいで凄かった。人の死がそこら中にあるリアル地獄絵図。
永井隆
明治41年(1908)に父 寛(のぶる)、母 ツネの長男として島根県松江市苧町(おまち)に生まれた。医師である父の影響を受け、恵まれた家庭で幼少年期を過ごした。昭和3年(1928)、医学を志し旧制長崎医科大学(現長崎大学医学部)に入学。在学中はバスケットボール部に所属。卒業後、放射線医学教室に在籍、放射線物理療法の研究に取り組んだ。昭和8年(1933)、満州事変に幹部候補生として出征する。このとき慰問袋の中にあったカトリックの書「 -
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原爆投下時の状況と、その後の救護活動を、日記のようなエッセイのような柔らかい文章で書かれた本。
歴史的価値は当然高いと思いますが、ここまで分かりやすく誰にでも読めるように書かれている事こそ貴重だと感じました。
本書後半の、信仰に基づいた原爆投下の理由や犠牲の意味については、当時から異論や批判がかなりあったらしい。キリスト教やヨブ記などを前提にしていない人からすれば当然の反応だと思いました。
ですが、天皇崇拝と軍国主義が、敗戦によって価値が逆転し、さらに信仰を同時に持ち続けながら、生きる希望や犠牲の意味を見出そうとした結果であるはずなので、信仰によって生き続ける希望を持ち、救護活動を行う事 -
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解説まで読んで、「長崎の鐘」を読み終えたという気持ちになりました。
自ら爆心地の近くで被爆し、重傷を負い、妻を失い、死の淵をさまよいながら、それでも医師として一人の人間として、深い絆を結んだ仲間たちとともに救護活動にあたっていた姿には、本当に胸を打たれました。この数多の血で書かれたような文章を令和の今読んでいることに、大きな意味があると感じました。
ただ、後半に描かれる作者の宗教観はどうしても私は受け入れられませんでした。それでも、当時の悲惨という言葉では到底足りないほどの惨状を思うと、そのように考えるしかなかったのだろう、と複雑な思いを抱えながら最後まで読み切りました。解説を読んで、やはり -
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ネタバレ永井隆が如己堂で綴った細切れの随想や、手紙への返事。文筆家として作品が世に出るようになり、全国から博士の子どもたちへの贈り物などが届くようになっても、博士はそれを自分だけのものにはせず、隣近所の人と分かち合い、同じ貧しさの中に生きる。神に与えられた力は人によって違うのだから、その力を使って多くを得られたならばそれを他の人とも分かち合う。そして支援してくれた人々にも、単純にお礼を述べるのではなくて、わざわざ長崎の博士に物を送らなくても、あなたの身の回りに貧しい人はいるのだからその人を助けるように勧める。マザーテレサも同じことを言っていたなと思う。貧しさや苦しみは神が見捨てたのではなく、むしろ神の
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ネタバレ浦上の原爆投下直後の様子=怪我人の救護、火事からの退避、原子病の進行など、永井隆と彼を取り巻く大学の学生や看護師や同僚たちの活動を記録している。自身も負傷し、こめかみからの出血多量で卒倒したりしながらも、原子野を歩き、患者を訪ねて手当てして回る筆者たちもすごいけど、その症例を見ながら専門的学術的な議論を交わしていく彼らは本当に科学者・真理の探究者であり、まず永井隆自身、こういう科学と医学の将来のための貴重な資料として自身や患者を観察してこの記録を残しているところがすごい。昔読んだ時はこの物理的な話が全く入ってこなかったけど、改めて読むとそこも含めて興味深かった。日本は敗れて科学が勝利した。復員
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そりゃあ日本のように毎年新しい銘柄の新製品を、しかも4つのメーカーが
しのぎを削って出しながら戦っている国は他にはないでしょう。
海外は昔からの製法やブランドを頑なに守り通しています。
一方で、日本では「ドライ戦争」が大きかったと考えられています。
それまでビールを銘柄で選んでいた人はいなかったのですが、ドライビール
という一大ジャンルが発生したことにより、銘柄にこだわる人が増えたと
言われています。
そのようなビールの商業的な歴史がこの本のお主な内容です。ビールという
飲料そのものの歴史は主題ではありません。
しかしその商業的な歴史こそが、今の日本のビールの旨さにつながっている
の -
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床についたきりなので、あんな悪いことはできない。善いことはなおのことできない。
死との結婚はいつになるのか、秋なら白菊、冬なら水仙
2+3は4になると教えろ ピストルを突きつけられ、5になると答え撃たれる。天国へ行き、聖パウロに「殉教者の心理がわかったかな」
垢すりのヘチマ同様、一生の目的が達せられ、人に重宝がられるときには、自分は死んでいて、それを知ることもない
焼け跡のバラックで戦災者毛布にくるまって、毎日文を書き続ける
人の守るべき最大の掟は、近き者を己がごとく愛すべし
あなたは僕の前に現れたメッセンジャーだと思っているの ーと言った人から「読んでみて」と渡された本
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購入済み
定期的に読み返し一冊
私は大企業に努めた経験はありませんが、読み進める程共感と自分自身の我慢の無さを気付かされました。
どの環境においても全力を尽くす、アイデアをストックし続けるという姿勢は共感しかありません。
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レギュラースーパードライが売れ出した頃にビールを飲み出した。CMが男向けで男性消費者が多いと思いきや、飲みやすいから女性に支持されたというのは知らなかった。そういえば、酒が苦手な母も一番搾りだけは飲めたことを思い出した。
通達と調整が営業という会社を変えた伝説的なマーケッターの前田氏の話は知らなかったが、どんな場所でも腐らず、人とコミュニケーションをとる姿勢は見習いたい。
安いものは残念ながら終売したが、富士山麓など素晴らしいウィスキーの素地を作ったのも、キリン・シーグラムにいた頃の前田氏かもしれない。
最後に、人を育てることはいかに大切かということも再認識できた。『ヒゲのウヰスキー誕生 -
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長崎への原爆投下当時、爆心地からわずか700メートルの場所にあった長崎医科大学で教鞭をとっていた永井隆博士。自らも被爆しながらも生き残った者たちと懸命に被爆者の救出、介護にあたる模様を記録した本。医者としての冷静に傷や病気を観察した模様も描かれており、医療記録としても貴重だと思われる。
涙が出てくるような感動的な話はない。どちらかというと何が起こったのかもわからないまま混乱し、狼狽する描写が続く。なにか相当な破壊力をもった爆弾にやられたらしいことはわかったが、状況を把握できないながらも、けが人の救助、火災からの避難と、なすべきことに邁進する。あたりに転がる無数の遺体。そこには教え子の顔も