田中一郎のレビュー一覧
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NHKでアニメ「チ。」が放映されていることを契機に、当時のカトリック公認天動説と異端審問について知識を得るべく、積ん読本の中から本書をピックアップしました。
ガリレオ裁判の記録は、主にナポレオンがヴァチカンから記録を運び出したせいで多くが失われ、しかも、ヴァチカンが全ての記録を公表したのは2009年になってからのことのようです。本書は、この公表記録を渉猟して書かれた労作ですが、書き振りは平易であり、始めの方で異端審問制度が概説され、巻末近くには人名一覧もあって、読みやすい一冊になっています。
本書を読んで分かるのは、地動説を仮説として、あるいは天体の運動を計算する便宜のために用いることは、さほ -
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ネタバレガリレオ裁判を資料を丹念に読み解き、真実を導こうと試みる意欲作。
ガリレオ裁判の一般的なイメージとして、頑迷な宗教人と戦った英雄科学者ガリレオという固定観念があるが、実際は当時の宗教裁判としてはガリレオ裁判は特別に慣例から逸脱しているものではなかった。
また、ガリレオは裁判で異端であることを認め、科学の正しさを主張し結果的には敗れたというイメージが一般的であるが、実際の裁判でのやり取りを見るとガリレオはむしろ異端ではない、つまり無罪を主張しておりそのイメージとはだいぶかけ離れている。
さらに「それでも地球は動いている」という有名なセリフは、彼の死後地動説が正しいという事実が明らかになりその英 -
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2度の「ガリレオ裁判」の本当の姿について,新しく公開された裁判資料や往復書簡などを丁寧に読み解き,これまでの通説とはやや違う視点で見せてくれた。
1600年代のキリスト教徒の立場というのもなかなか複雑で,キリスト教の指導者の一人一人の話なんて余り興味を持てないかなと思ったけれど,けっこうついて行けたのが自分でも不思議。文章がうまいのか,ガリレオが関係しているからなのか。おそらくその両方なんだろうな。
「それでも地球は動いている」なんて言葉が,どこからきたのかまで調べていて――結局分からないのだが――,これもまたおもしろい。
ピサの斜塔から落下実験をしたなんてものも,あとで作られた話なん -
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われわれは、科学はガリレオからニュートンに至るまでの17世紀ヨーロッパで生まれたと語る。つまり、近代科学はキリスト教の産物であることを示す。他方で、キリスト教はガリレオを弾圧し、科学の進歩を阻んだということにも触れざるを得ない。ガリレオ裁判を科学と宗教の闘いと見ると、話は単純化されるが、われわれの科学がキリスト教世界で誕生したことの方は説明されないままになってしまう。
著者のあとがきでの上記のコメントは、そうだなあと思わされた。
第二の聖書として、自然を観察し、近代科学を産み出した科学者たちにとって、科学と宗教は対立するものではなく、お互いを補完するものだったのだろう。そのような状況のなか -
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ガリレオ・ガリレイ。当時、信じられていた天動説を誤りだと主張した結果、宗教裁判にかけられ、有罪を宣告される。判決の直後、「それでも地球は動いている」と叫んだエピソードは有名だ。
聖書を絶対として、新しい知識を取り入れようとしない権威である教会を悪とし、現実を見る目を持った科学者を正義のヒーローとする見方は非常にわかりやすいが、話としては出来すぎている気もする。本当のところはどうなのか。最近になって発見されたガリレオ裁判の記録から、その真実を読み解く。
裁判記録によれば、ガリレオは激しい抵抗をすることなく、主張する地動説も仮説の一つだと教会に媚びるような発言をしている。世間が知る真実のために -
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「それでも地球は動いている」
ガリレオは、旧態依然のローマ教会と戦い、裁判の家庭でこうつぶやいたという。
科学者であることを捨てなかったガリレオは、ヒーローだった、この話は後世の私たちにそんなことを想像させる。
しかし、ガリレオの裁判記録が明るみに出ると、この「物語」はどうも様子が違っていたことがわかった。
と言っても、この裁判記録は多くが失われてしまったため、その全てを知ることはできない。
できないが、神話化されたガリレオ裁判を当時の状況に照らし合わせ、丁寧に見ていくと、裁判そのものは決してめちゃくちゃなものではなく、それなりに形式に則ったもので合ったことがわかる。
宗教裁判というと、一