ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
地動説を唱え、宗教裁判で有罪を宣告されたガリレオ。彼は本当に、科学者として宗教と闘った英雄だったのか。二一世紀に入り、新たな裁判記録がヴァチカンの秘密文書庫から明るみに出された。近代へと世界観が大きく変貌していく中で、裁判の曲折した進行の真実が浮かび上がる。ガリレオ裁判の見方を根底から変える決定版。
ブラウザ試し読み
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
NHKでアニメ「チ。」が放映されていることを契機に、当時のカトリック公認天動説と異端審問について知識を得るべく、積ん読本の中から本書をピックアップしました。 ガリレオ裁判の記録は、主にナポレオンがヴァチカンから記録を運び出したせいで多くが失われ、しかも、ヴァチカンが全ての記録を公表したのは2009年...続きを読むになってからのことのようです。本書は、この公表記録を渉猟して書かれた労作ですが、書き振りは平易であり、始めの方で異端審問制度が概説され、巻末近くには人名一覧もあって、読みやすい一冊になっています。 本書を読んで分かるのは、地動説を仮説として、あるいは天体の運動を計算する便宜のために用いることは、さほど厳しく禁止されていたわけではないこと、また、ガリレオは当代の名士の一人であり、有力者の知人も多く、言われているほど酷い目には遭っていないということです。 ただ、時の権力機関であるローマ教皇庁のさじ加減で運命が大きく変わることは避けられず、ガリレオが最終的には「異端誓絶」(異端思想を抱いたことを認めて、これを放棄する宣誓)をさせられたことは周知のとおりです。 なお、異端誓絶後、ガリレオが「それでも地球は回っている」と言ったかどうかについては、確たる証拠はなく、都市伝説に近いもののようですが、本書の最後に語られるガリレオの肖像画をめぐるエピソード(絵画の後ろの壁に地球の公転軌道の絵が描かれ、これに「それでも動いている」旨の文章が添えられていた)は興味深いものがあります。
誰もが知ってるつもりのガリレオ裁判の真実を資料を丹念に追うことから炙り出そうという知的好奇心が掻き立てられる書。オススメ。
2度の「ガリレオ裁判」の本当の姿について,新しく公開された裁判資料や往復書簡などを丁寧に読み解き,これまでの通説とはやや違う視点で見せてくれた。 1600年代のキリスト教徒の立場というのもなかなか複雑で,キリスト教の指導者の一人一人の話なんて余り興味を持てないかなと思ったけれど,けっこうついて行...続きを読むけたのが自分でも不思議。文章がうまいのか,ガリレオが関係しているからなのか。おそらくその両方なんだろうな。 「それでも地球は動いている」なんて言葉が,どこからきたのかまで調べていて――結局分からないのだが――,これもまたおもしろい。 ピサの斜塔から落下実験をしたなんてものも,あとで作られた話なんだろうし。ちゃんとした歴史(科学史)と,単なる噂話とは,ちゃんと区別しないといけないよな。
われわれは、科学はガリレオからニュートンに至るまでの17世紀ヨーロッパで生まれたと語る。つまり、近代科学はキリスト教の産物であることを示す。他方で、キリスト教はガリレオを弾圧し、科学の進歩を阻んだということにも触れざるを得ない。ガリレオ裁判を科学と宗教の闘いと見ると、話は単純化されるが、われわれの科...続きを読む学がキリスト教世界で誕生したことの方は説明されないままになってしまう。 著者のあとがきでの上記のコメントは、そうだなあと思わされた。 第二の聖書として、自然を観察し、近代科学を産み出した科学者たちにとって、科学と宗教は対立するものではなく、お互いを補完するものだったのだろう。そのような状況のなか進められたガリレオ裁判。判決としては、教会内の原理主義者を納得させる厳しいものにした一方で、(おそらく)、教皇のもと実態としては刑の大幅減免が行われた。 単純な科学対宗教の闘いという構図に毒されている、日本の中には、このような本が必要だと思う。
ガリレオ・ガリレイ。当時、信じられていた天動説を誤りだと主張した結果、宗教裁判にかけられ、有罪を宣告される。判決の直後、「それでも地球は動いている」と叫んだエピソードは有名だ。 聖書を絶対として、新しい知識を取り入れようとしない権威である教会を悪とし、現実を見る目を持った科学者を正義のヒーローとす...続きを読むる見方は非常にわかりやすいが、話としては出来すぎている気もする。本当のところはどうなのか。最近になって発見されたガリレオ裁判の記録から、その真実を読み解く。 裁判記録によれば、ガリレオは激しい抵抗をすることなく、主張する地動説も仮説の一つだと教会に媚びるような発言をしている。世間が知る真実のためには命も惜しまない姿はそこにない。 要するにガリレオは優れた学者であったが、世間を敵に回し、命を犠牲にしてまでも地動説にこだわろうとはしなかった。彼にとって一番大事なのは、研究を続けることだったのだ。身も蓋もない結果だが、ガリレオ本人にすれば、不確かな死後の名誉よりも生きている「今」が重要だよな。
「山口栄一『死ぬまでに学びたい5つの物理学』 (筑摩選書)」では、科学はキリスト教の支配にあったヨーロッパでしか生まれなかったことを考察している。この本と合わせて読みたい。
本屋でみかけて衝動買い。頑迷で愚鈍なカトリックの教職者どもにいじめられた科学界の英雄……というありがちなガリレオのイメージに一石を投じてくれた労作。人口に膾炙されている「地球はそれでも動いている」との言葉が、18世紀になってから啓蒙主義者たちによって広められたデマらしいという話は特に興味深かった。
「それでも地球は動いている」 ガリレオは、旧態依然のローマ教会と戦い、裁判の家庭でこうつぶやいたという。 科学者であることを捨てなかったガリレオは、ヒーローだった、この話は後世の私たちにそんなことを想像させる。 しかし、ガリレオの裁判記録が明るみに出ると、この「物語」はどうも様子が違っていたこと...続きを読むがわかった。 と言っても、この裁判記録は多くが失われてしまったため、その全てを知ることはできない。 できないが、神話化されたガリレオ裁判を当時の状況に照らし合わせ、丁寧に見ていくと、裁判そのものは決してめちゃくちゃなものではなく、それなりに形式に則ったもので合ったことがわかる。 宗教裁判というと、一方的な決めつけがなされ、ろくな審議もしないように思えるが、ガリレオ裁判においては、第三回まで審問があり、軽い処分と厳格な処罰のどちらにするかという意見の対立すらあった。 また、そもそもの裁判にかけられた理由も、「禁止命令に背いたから」であって、名目であったとしても、神の御意志に背いた、というこじつけのような理由ではなかったようだ。 現代に照らせば、もちろんおかしい部分、足りない部分などもあろうが、少なくとも一定の基準に則って裁判が進められていたという事実は興味深い。 そして、現代人の、古人に対する偏見も感じさせるのであった。
近年明らかになった証拠からガリレオ裁判の真実を客観的に推測している。私たちが学んでいる宗教裁判=悪、それに立ち向かうガリレオという印象とは少し違うのではという論調。 ローマ教皇側、ガリレオそれぞれの当時の正義に基づいての結果だったのかと感じた。地動説が当然と考えている私たちの認識から少し距離を置い...続きを読むて考える必要がある。ガリレオを徒に英雄化するものではないということ。
合点がいく結末ですね。「それでも・・・」なんていう偉人説の方がおかしいので。それにしても・・・とことん自分を曲げていくというのはストレスもあるだろうし、悔しかったことでしょう。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
ガリレオ裁判
新刊情報をお知らせします。
田中一郎
フォロー機能について
「岩波新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
ガリレオ・ガリレイの生涯 他二篇
試し読み
新科学論議(上)
[図解] 電車通勤の作法
はじめて読む物理学の歴史
「田中一郎」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲ガリレオ裁判 400年後の真実 ページトップヘ