久保田沙耶のレビュー一覧
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漂流郵便局の成り立ちについて、本書のはじめに次のような注意書きがあります。
「漂流郵便局はプロジェクト型のアート作品であり、日本郵便株式会社との関連はありません」
そもそもは瀬戸内国際芸術祭2013の出品作品です。しかし、2020年8月時点においても、香川県の粟島に現実にこの郵便局は存在しています。
本書は2015年2月に発行され、2020年4月には2冊目の「お母さん」に向けて書かれた手紙を主にした本が出版されています。これまでに、いくつものメディアで取り上げられてきました。その結果、全国から届け先のわからない手紙が送られ続けています。
私も少し考えてみました。亡くなってしまった人だけでなく -
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瀬戸内芸術祭の作品のひとつである、漂流郵便局に届いたお手紙紹介シリーズの第二弾。涙なしには読めない。作者のあとがき内の、届け先のわからない手紙を送るということの儀式性の話がとてもよかった。
「それはまるで自分の祈りかたを見つけるための通過儀礼のようにも感じられるのです」「大切なのは意思疎通そのものではなく、意思疎通を図ろうとする、その気持ちにあるのではないでしょうか」「心に重さはないのにもかからわらず、手紙というかたちをたどることで、床をも抜かす力になったのです」
わたしが生まれ育った瀬戸内海。そのなかの小さな島に、平等に想いを受け取ってくれる郵便局があること、そこが誰かが抱えているいろい -
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どこかの小さな島の入り江、
雁木のある港の防波堤の端を
いっぴきの犬をつれて散歩させている
一人のおじいさん、
石の狛犬、朱い実をたわわにつけた山桃、
なぁるく湾曲ししている入り浜、
朝もやに包まれたオミナオシ、
一匹の白いシバヤギ、
古い家の軒下の細い道を右手にバケツを持って
野良着と頭を日本手ぬぐいでおおった
一人のおばさん、
そして
その細い路地を抜けると
視界がひらけて
白い平屋の郵便局が現れる
ここまでを
数枚の写真で読者をいざなってくる
そして
ここから
届け先のわからない手紙を
預かってくれる
漂流郵便局の
日常業務が始まっていくのです
この小さな島だから
でき -
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201504.11
友人に誘われて行った漂流郵便局
軽い気持ちでてがみを手にしたら、そこに込められているパーソナルな気持ちと次々対面しててがみをめくる手がとまらなくなった
じんとするもの、悲しいもの、でも前向きなもの、未来の自分へあてたもの、にっこりするもの、すべてが絶妙なバランスでそこに収まっていた
この離島にあるちいさな郵便局は、たとえば現世と来世を、あるいは過去といまをつなぐ、天国のような場所だった。中田さんの笑顔と、話し方、すべてのてがみを受け取り、ひとつひとつに目を通して受けとめる。話していたら存在の大きさに涙がとまらなくなった。
「存在」というものについて、昨日からずっとぐるぐ -
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ほんの一瞬で心を
ここでは無い何処か清らかな場所へさらわれる。
そんな圧巻の読書体験をした。
迫力とか、盛り上がりとか、そんなものはなく
たったひと突き、胸の核心をトンとやられる感じ。
きっとそのくらい、「手紙」には魂が宿っていて
その上それが誰が書いた、とか
誰に宛てられた、なんてことは関係ないのだろう。
亡くなった誰かに宛てた手紙は
ただただ胸が詰まる思いがしたけれど、
宛先はそれだけではなかった。
未来の自分や過去の自分。
フォークダンスで一緒に踊れなかった気持ちを伝えられなかったあの娘。
昔飼っていたペットや、毎日のように一緒だったピアノ。
これから買う予定のカメラや、親不孝 -
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文喫さんのオススメ本だった本書。
面白そうだなーと手にとってみたら、想像と違っていた。
届け先のわからない手紙、預かります。とあったので、そういうハートウォーミング的な小説なのかと思った。
しかし、中身は、瀬戸内海に浮かぶ粟島にある、実在の旧粟島郵便局。
瀬戸内国際芸術祭で発表されたアート作品だった。
アート作品は、芸術祭が終わった後、現在も郵便局長を置き、宛先のない手紙を保管してくれている。実在の物語。
宛先に届かない手書きの手紙たちは、たくさんの思いを打ち明けている。
時に泣きそうになる手紙もある。
力強く励まされる手紙もある。
気づかされる手紙もある。
いつか、この地に降り立って、