漂流郵便局の成り立ちについて、本書のはじめに次のような注意書きがあります。
「漂流郵便局はプロジェクト型のアート作品であり、日本郵便株式会社との関連はありません」
そもそもは瀬戸内国際芸術祭2013の出品作品です。しかし、2020年8月時点においても、香川県の粟島に現実にこの郵便局は存在しています。
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本書は2015年2月に発行され、2020年4月には2冊目の「お母さん」に向けて書かれた手紙を主にした本が出版されています。これまでに、いくつものメディアで取り上げられてきました。その結果、全国から届け先のわからない手紙が送られ続けています。
私も少し考えてみました。亡くなってしまった人だけでなく、例えば、初めて付き合った人のこととか。本気になって探せば、宛先が見つかるかもしれません。でも、伝えたい言葉は今のその人にではなく、当時のその人に対してであったりします。
現代アートと聞くと、インスタレーションのような空間芸術が思い浮かび、それは鑑賞するよりも、体験するものと言われています。
漂流郵便局は久保田沙耶さんのれっきとした作品です。しかし、この作品は鑑賞だの、体験だの、の枠を既に飛び越え、多くの人々の生活や生き様に深く関わる存在になっています。
漂流郵便局は誰かのものではなく、誰のものでもなく、作品ですらなく、特別な使命をもった郵便局なのです。普通の郵便局であれば、郵便物や荷物を送り主から一時的に預かって、指定されたお届け先に配達します。しかし、漂流郵便局に届く郵便物は、そこに留まります。預かっておくことが肝心な役割です。
その場所をゴールと呼んでいいのか分かりません。一回で満足する人もいれば、定期的に何度も手紙を送っている人もいます。
アート作品からは、癒しや美しいものを愛でて気持ちを落ち着かせることができます。漂流郵便局はそんな心やさしい作品とはいえない面もあります。この本を読んでしまうと、溜め込んでいたものを放つ、人をその気にさせてしまう何かが滞留しているからでしょう。