飯田洋介のレビュー一覧
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ビスマルク
ドイツ帝国を築いた政治外交術
著:飯田 洋介
中公新書 2304
プロイセン(プロシア)がなぜ、ドイツになったかがよくわかる1冊です
おもしろかったです
プロイセンの豪農(ユンカー)であった、ビスマルクが、いかにして、ドイツ帝国の宰相になったのか
ビスマルク(1815-1898)以来、ドイツは、西欧世界の焦点の1つとして、二つの大戦をはじめとして様々な戦争をおこしてきた強国になった。
気になったのは、以下です。
中世以来ドイツの地は、
神聖ローマ帝国
プロイセン
ナポレオンが、ドイツに統一国家建国のきっかけとしてナショナリズムを持ち込んだ
ビスマルクは、伝統的要素 -
Posted by ブクログ
本書を読むまではビスマルクに関する基礎知識がほとんどない身でした。帯にも書いてあるとおり、ビスマルク=鉄血宰相、というイメージしかなかったのですが、本書を読んで全然違うイメージを持つようになりました。本書によればビスマルクはドイツ統一を政治目的として掲げていたわけではなく、あくまで保守的な価値観からプロシアの強大化を目指し、プロシア強大化の帰結(あるいは手段)としてドイツ統一がなされたという解釈です。また本書を読む限りにおいてはビスマルクが最も卓越していたのは政治外交術ということで、その反対に内政面では全然思惑通りに事が進まなかった、といった話も記述されていて興味深く読みました。
なるほど -
Posted by ブクログ
ネタバレ19世紀プロイセン及びドイツの稀代の政治家、オットー・フォン・ビスマルクの評伝。
ビスマルクの主な功績としては、帝政ドイツの成立、そしていわゆる「ビスマルク体制」と呼ばれる、同盟網の構築によるヨーロッパ政治秩序の二つが挙げられるだろう。しかしながら本書を紐解けば、これら二つの功績が必ずしもビスマルクの意図した通りに進んだわけではなかったことに気付く。
前者については、もともとビスマルクは北ドイツにプロイセンの覇権を確立する「大プロイセン主義」を標榜していた。しかし、19世紀のナショナリズムのうねりに抗うことができず、結局オーストリアを排除した「小ドイツ主義」という形でのドイツ統一に踏 -
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私の中でビスマルクは「ドイツ統一を推し進めた人物」というイメージがあったが、この本を読んで、一概にそうとは言えないのだということが分かった。
彼は生粋のプロイセン・ユンカーで、伝統に執着し、あくまでもプロイセンを大国とするために動いていた。
その手段としてドイツ・ナショナリズムを利用し、北ドイツにおけるプロイセンの覇権を確立させることに成功したが、同時に、元々は意中になかったドイツ統一事業に手を染めることになっていく。
目的を達成するために利用したことで、逆に振り回されているようにも見える様子は、これまでの彼のイメージとは違っていた。
そして彼は「伝統」と「革新」という二つの要素を持ち合わせ -
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オットー・フォン・ビスマルク。鉄(兵器)と血(兵士)こそが国力であるという有名な演説で鉄血宰相と呼ばれ、ヒトラーの前の時代のドイツを代表する政治家だ。強面なヒゲの風貌に加えて、皇帝とケンカして政治家を引退するエピソードもあり、傲慢な独裁者というイメージだが、通して見ると彼の人生の歩みは堅実だ。
田舎の地主からスタートし、プロイセン国の代議士、外交官を経て、首相に。皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を尽くしながら、周辺の小国を率いて、ドイツ連邦を形成。やがてはドイツ帝国へ。
ヒトラーのようにイケイケドンドンでひたすら領土拡大を目指すのではなく、適切なスピードで自国を発展させるビスマルクのバランス感覚 -
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ネタバレ「ドイツ統一を成し遂げた英雄」「ヒトラーの先駆者」など、様々な評価がなされてきたビスマルク。現在その評価はある程度落ち着いているものの、著者は神格化でも断罪でもない、等身大のビスマルク像に迫ることを目的としている。
ビスマルクはユンカーの父と、官僚一族の母との間に生まれた。この生い立ちが、後のビスマルクに多大な影響を与えることになる。ベルリン大学で破天荒な学生生活を送った後、ビスマルクは官吏への道を歩み始める。しかし、失恋や母の死を機にユンカーの世界へと足を踏み入れる。だがそこでも物足りなさを感じたビスマルクは、代議士となり政界へと進出していく。ちょうどこの頃、生涯の伴侶となるヨハナと結婚する -
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厳格で、外交も戦争も内政もできる、強烈なリーダーシップを持ったカリスマ的指導者、それがビスマルク。読む前のイメージはめちゃくちゃかっこよかった。
実際どんな人物なんだろうと期待に胸を膨らませて読んでいたら、上に書かれたようなイメージと全く違うのだ。当時の時代に流されず保守的であるし、内政も外政も思い描いたとおりにいっていない。引退してからも政治に顔を出してくるややこしいおじいちゃんエピソードもめちゃくちゃ人間的だ。
だからといって、19世紀最大のドイツの政治家であることは間違いないし、政治手法やトラブルに対しての対処をこの本を通じて詳しく知ることができた。
筆者はあとがきで、それ -
Posted by ブクログ
生誕200年にあたる本年に、これまでの研究を踏まえつつ毀誉褒貶の激しい政治家・ビスマルクを論じた新書。分量はそれほど多いわけではないが、ビスマルクの一生涯を手際よくまとめてくれている。とりわけ、同時代人や後世の人間が付与したビスマルクのイメージを相対化するために、ビスマルクの「素顔」に迫るとして、彼の考えと実行された政策を関連づけて説明している。著者によれば、ビスマルクは普通選挙の提案やドイツ統一など、19世紀の国民国家思想を奉じていたように見えるが、それはあくまでも、ドイツではなくプロイセンを強大化させるために選択された手段にすぎず、彼の目的や国王に対する忠誠心は、むしろユンカーらしい保守的
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Posted by ブクログ
ドイツ帝国国家、明治維新の政治家(特に西郷隆盛、伊藤博文)がこぞってビスマルクの行革や軍備の近代化を模倣した、と言われる。伊藤博文の国家統一では帝国議会、法律など中央集権国家構築であり、西郷隆盛の軍事統制もその例だ。ビスマルクと言えば「鉄血宰相」鉄と血による解決を演説し、三つの戦争で勝利:デンマーク戦争(1864年)、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870-1871年)からドイツ帝国国家を構築したのは有名だが、帝国議会での政局では思うような賛同を得れなかった。だが、フランスとの勝利では50億フランを課すことで様々な国内での政策、法律を制定し通貨の統一、社会保険保障政策も実りを見せた。また対
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Posted by ブクログ
一般的には、鉄血宰相と言われイメージが先行するビスマルクの人生を綴った1冊です。
文章が少し硬いせいもあるのか、回りくどい部分もあるけど、傲慢でワンマンな政治家というより、"プロイセンの1ユンカーがプロイセン存続の為にオーストリアを手玉に取り、フランスを撃破し、ドイツ存続の為に同盟を重ねがけして言った"と言う視点にすることでより等身大のビスマルク像が浮かび上がって来ます。
この人は"自分のスケールには身に余る19世期のヨーロッパの混乱をその外交センスと上からの革命を為すと言う信念だけで、時に自己を通しながら1つの形にして行ったのだ"、と。
丹念にそ