菊谷和宏のレビュー一覧

  • 社会学的方法の規準

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    「社会的事実」とは、個人に外的拘束を及ぼしうる行為様式であり、それ個人から独立した存在性を持つ。
    「社会的事実」は、物として扱わなければならない。つまり、観念や意識から独立した、科学の対象となる客観的な物として。

    このように社会学固有の対象としての「社会的事実」の概念を打ち出した本書は、社会学確立の記念碑である。

    社会的事実について、規範から外れるかもしれないことを企図すると個人は強い心理的抵抗を受け、それを実行に移すとしばしば現実的抵抗を受ける。個々人を超えた「かのような」社会的な拘束性はたしかに感じられる。
    そのような個人に還元できない「社会的事実」の概念を打ち出した功績は大きいのだが

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    2024年03月14日
  • 社会学的方法の規準

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     「社会はなぜ右と左に分かれるのか(ジョナサン・ハイト著)」で保守の道徳的源流として幾度となく引用されていたデュルケーム。そこでは、道徳がもたらす規制が人間をして協力的な社会の構築を可能にする、道徳の機能主義的な描写がなされていた。直後に読んだ「現代経済学の直感的方法(長沼伸一郎著)」ではデュルケームへの直接の言及こそないものの、現代資本主義の閉塞を打破する契機として、宗教や愛国心などの「大きな物語」による伝統的社会の保存の必要性が説かれており、デュルケームのいう紐帯としての宗教のアイディアとの共通点を感じた。こうして、永らく読もうと思いながら躊躇していた本書を読む機会がようやく到来したのだっ

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    2020年05月15日
  • 「社会」のない国、日本 ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆

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     なかなかの力作。ゾラと幸徳秋水のあいだに永井荷風を挟んだことで、著者の<日本には社会(コンヴィヴィアリテ)がない>という主張がより立体的に、説得力をもって展開されているように思う。
     あえて蛇足を言わせてもらえば、福沢諭吉の<古来の因習に国家という文字あり。この家の字は人民の家を指すにあらず。執権者の家族または家名という義ならん。故に国は即ち家なり、家は即ち国なり。甚だしきは政府(幕府、明治政府‥)を富ますを以て御国益などゝ唱うるに至れり。‥‥古来、日本においては政府と国民とは唯に主客たるのみにあらず、あるいはこれを敵対と称するも可なり、‥‥これを同国人の所業というべからざるなり>(『文明論

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    2015年10月11日
  • 社会学的方法の規準

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    断捨離前の再読
    5年前、コロナで強制帰国となった後の隔離期間中に読んだ本。

    p.237
    『この方法は、社会学への入門の前提条件として、これまで習慣的に用いてきた物の見方を破棄し、新たに苦労して考え直すよう人々に要求するのだから、多数の顧客の獲得など期待すべくもない。しかし、われわれの企ての目的は、多数の顧客の獲得ではないのだ。むしろ、反対に、社会学がいわゆる世俗的な成功を放棄して、およそ科学というものにふさわしい秘数的な性格を獲得すべき時期が到来していると思われるのだ。こうして社会学は通俗的な人気においておそらく失うものを、威厳と権威において取り戻すであろう。』

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    2025年11月30日
  • 社会学的方法の規準

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    お互いに似ているからという理由で連帯する社会がある。部族社会。村社会。個人は個性を持たず社会に埋没。全体の価値・信念に従う。分業はあまり進んでいない。ある無機物の固体はたくさんの分子から構成されるが、それぞれの分子は個性的な活動はしない。それに似ている▼一方、お互いに違うからという理由で連帯する社会もある。個人はそれぞれ個性があり、得意・不得意がある。それぞれの活動はお互いに依存している。分業が進んでいる。個人はそれぞれ、お互いに依存している生物の臓器たちのよう。このような社会では、それぞれの個人が違っているからこそ連帯が生まれる。個人の人格を尊重することが大切になる▼社会の側が、個人の人格尊

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    2025年02月26日
  • 「社会」の誕生 トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史

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    神なき時代に、人間を保証するものはなにか。最後にはこの答えに辿り着く。とてもわかりやすく良い本だ。半分ぐらいまでは、キリスト教カトリック信仰がうすれ世俗化するなかで立ち現れてくる社会という社会思想史的説明。神がいなくとも同等な人間一般というものを保証するものはなにか、というのが後半。
    あのベルクソンをこうも軽く料理してしまう。そのへんに興味がある人がまず気軽に読むのにとても面白いのではないだろうか。ただちょっとかなりニッチな切り口ではあると思うが、それがいいところでもある。

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    2012年04月12日
  • 「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために

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    底という言葉に、社会の底辺などの格差の話題を想像したが、社会という概念の根本について説明している。

    社会は、他者の人間性(自分同じように感じ/考える)ことを認めることで、存在しうるものである。

    さらに、社会とは人が集まってできるという定義から、否定できない(定義と矛盾するため)規範性(倫理/道徳)が導かれると主張。人間は社会的動物であることから、人間の基礎倫理であることも主張していると思われる。
    ・殺すなかれ(ここで殺すとは生物学的なことだけなく、退者の存在/過去ふくめて消す/無視するといった意味での殺す)
    ・他者との対話をたつなかれ(うえと一部被る部分があるきがするが、上が静的でこれが動

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    2025年02月19日
  • 社会学的方法の規準

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      どういった観点で「社会」を見なければならないか、どの様は基準を設けるべきか、あるいは設けてはいけないかを論じている。西洋的価値観に基づく観点を捨て、その事象を一つの事実として認めるよう訴えている。ある社会では悪徳とされることであっても、別の社会においては称賛される行為があるとき、称賛される社会を異常や例外とするのではなく、その事実を受け止め、なぜそのような違いが生じたのかを検証することこそが「社会学」となる、ということである。これを主軸として、通俗的な物の見方を改めることを勧め、暗黙の了解で使っていた様々な言葉に対してきちんとした定義を与えることを求めている。また、思い込み、決めつけ。そう

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    2018年10月13日
  • 「社会」の誕生 トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史

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    トクヴィルとデュルケームとベルクソンを繫げるのは珍しい。特にベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』を扱っているのがポイント。社会とは人間的超越性なんですね。

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    2014年02月17日
  • 「社会」の誕生 トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史

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    革命以来の個人対国家の二極構造が破綻をきたすなかで、超越的審級に頼るのではなく「社会」という中間的な領域を想定しながら個人の主体性を捉え直した三人の思想家を関連づける試み。前の二人は常道だが、最後にベルクソンをもってくるのは少し強引な気がした。バーター。

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    2013年09月11日
  • 「社会」の誕生 トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史

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    【読書その34】和歌山大学教授の菊谷和宏氏の19世紀フランスで生まれたトクヴィル、デュルケーム、ベルグソンの思想を解説した本。菊谷氏は一橋大学社会学部で、自分の学部の先輩。神という超越的存在に包まれた世界が社会という観念が切り離され、「社会科学」が誕生したという。中でも特にデュルケームの「自殺論」には興味を持った。是非読んでみたい。

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    2012年03月18日