【感想・ネタバレ】「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるためにのレビュー

あらすじ

『「社会」の誕生』(2011年)、『「社会」のない国、日本』(2015年)に続く講談社選書メチエ「社会三部作」、完結。
前著以降の約10年、日本は幾度も自然災害をこうむり、実質賃金が上がらぬまま円高から円安に移行し、物価高に苦しめられている。それに呼応して、さまざまなレベルで分断や分離が進行しているように見える。そして、著者もこの期間に人生の苦難を経験し、三部作の構想をいかに完結させるか、完結させられるかを考え続けた。
「日本ではフィクションつまり作り話が増殖し、蔓延し、しまいには事実や現実に取って代わってしまった。庶民の実態とはかけ離れた「好況」、「経済成長」、科学的事実を無視あるいは隠蔽した「安全・安心」、違法な証拠隠滅さえ厭わず明らかな嘘を押し通す国政の運営等々。あげくの果てには荒唐無稽な陰謀論の不気味な浸透……」――そんな現状認識から始める著者は、こう断じる。「今日ついに我々は、ばらばらになり、互いに共に生きられなくなっている。強者・弱者、マジョリティ・マイノリティの話だけではない。人が人として、個人が個人として生きられなくなっている。人々は分断され、「互いに同じ人間同士」であると思えなくなっている」。
それが証拠に、コロナ禍で叫ばれた「ソーシャル・ディスタンス」に、この国の人々はいとも容易に適応したではないか。では、「社会」が存在しないとは、「社会」が存在しないところで生きるとは何を意味しているのか。――この根本的な問いに答えるために、著者は「社会」を成り立たせる最も根底にあるものを問うことを決意した。前2著での議論を簡潔に振り返り、その末に到達する結論とは? 誰もが考えるべき問いを静かな感動とともに伝える完結篇にふさわしい名著。

[本書の内容]
序 章 分解する日本社会
第1章 社会の誕生、人間の誕生、社会学の誕生
一 トクヴィル──民主主義と人民
二 デュルケーム──社会学の創造
三 ベルクソン──社会的事実の基底
四 永井荷風──日本「社会」の不在
第2章 社会的生の規範性と社会学の基底
第3章 社会を成す=為す個人──デュルケーム道徳教育論
一 道徳性の第一、第二要素──規律の精神と集団への愛着
二 道徳性の第三要素──意志の自律性
三 意 志──生たる社会
第4章 合意に依らない民主主義
一 トクヴィル民主主義論の基底
二 ベルクソンの民主主義論
三 民主主義の根底
第5章 社会の根底
一 生という事実
二 賭けの網
三 生という絶対所与
四 社会と社会学の現実性=実在性
五 民主社会を生きるということ──平等と自由、意志の自律と多様性
終 章 現代日本を生きるということ

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Posted by ブクログ

底という言葉に、社会の底辺などの格差の話題を想像したが、社会という概念の根本について説明している。

社会は、他者の人間性(自分同じように感じ/考える)ことを認めることで、存在しうるものである。

さらに、社会とは人が集まってできるという定義から、否定できない(定義と矛盾するため)規範性(倫理/道徳)が導かれると主張。人間は社会的動物であることから、人間の基礎倫理であることも主張していると思われる。
・殺すなかれ(ここで殺すとは生物学的なことだけなく、退者の存在/過去ふくめて消す/無視するといった意味での殺す)
・他者との対話をたつなかれ(うえと一部被る部分があるきがするが、上が静的でこれが動的なものとりかすればよいか)
 →ローティの会話を続けるということのみが価値という主張とつながるなとおもった(中身は、やや違うが)

民主主義の定義については、民主主義は投票や議会などの手段で説明されることが多いが、本質は、その集団の構成員がそれぞれ相手を同等にみとめることであるという説明は、いわれてみれば、そうだが、改めて言われると非常に分かりやすいと感じた。

そのうえで、自律的に考える個人の称揚と日本人に足りないといった主張がされているが、すこし社会が個人を規定するという関係が先行するように感じる私は、個人の自律や自由のナイーブな称揚は、私は、飲み込みにくかった。

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2025年02月19日

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