西岡常一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
口語(話し言葉)で書かれています。宮大工ではなかったが、木に携わる手仕事を代々やっているので、書かれてある事がしっくりきます。
「木は生き物」は本当にその通り。
今は機械化が進んで、機械で補う部分も多いが、それに対して真っ向否定の姿勢でないのが好感を持って読める。時代だから仕方ない、と。
ただ、職人としての誇りは物凄く持っているのが伝わる。
0.01ミリの違いを見抜ける人は、本当に少なくなっているそうな。
見て覚えろ、感じで考えて学べ(能動的、主体的)、教えたのも(他者)は覚えないから、と。
そして、間違っていても「間違ってる」と教えない。全部自分で気付け、と。凄い世界だ。
法隆寺に関して、た -
Posted by ブクログ
物事を突き詰めた職人は、自分のエリアだけではなく、世界の見え方が他の人とは違う別の視点・視座を持っているというなんだろう。
宮大工として、木のこと、建築のことについて、一般の人が思いもよらない奥深い世界の目線を持っていることは、それはそうだろう。
西岡氏がすごいのは、仏教のこと(これは宮大工で寺社を設計・建築しているのだから、エリアの範疇化もしれないが)、経済のことなどにも宮大工の立場から批判的に語る。この本が出版されたのはバブル経済真っ盛り。西岡氏は「もうちょっと適正な利潤を追求するように改めないけませんな。飽くなき利潤追求ということは、みんな押し倒してしまうということやからね。」と、警鐘。 -
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ感動しました。
最後の宮大工の棟梁と言われた、法隆寺、薬師寺宮大工棟梁の西岡常一さん。
飾らない語りの中で話される、自然へ敬いや礼儀、仏の心で建立する本当の意味とはなど、読んでいるこちらがピシッと襟を正されるという感じ。
昔堅気の偏屈爺さんという印象だけれども、人に対してはもちろん、地球上の万物全てに対して心を持って接していくことを説いてらっしゃる。
怖いけど、決して見限ることをせず木でも人でも最後まで育てることを信条とされていて。
仏教の教えとは、誰でも如来になれる、心がけ次第で誰でも仏になれる。それを学ぶ場として法隆寺が建立されたという話に本当に感銘を受けました。
建てられてか -
Posted by ブクログ
何回も再読していきたい。
今回のまとめは22ページまで
〈本から〉
鹿はヒノキが好物
日本の風土にヒノキは合ってた
ヒノキのええとこはね、第一番に樹齢が長い
こんなに長い耐用年数のものはヒノキ以外にはありませんわ。
わたしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど、心があるということですな。
お釈迦様は気がついておられた。「樹恩」ということを説いておられるんですよ、ずっと大昔に。
それは木がなければ人間は滅びてしまうと。人間賢いと思っているけど一番アホやで。
自然を忘れて、自然を犠牲にしたらおしまいでっせ。(p22)
以下、続く
-
Posted by ブクログ
法隆寺金堂や薬師寺大修理の棟梁を務められた宮大工、西岡常一氏(以下、西岡棟梁)へのインタビューをまとめた本書。
西岡棟梁の仕事への取り組み方、そして厳しい中にも温かみがあるものの話し方が、奈良の祖父を思い起こさせた。
建築にそこまで関心があるわけではない、普段DIYをするわけでもない。しかし読書中は専門用語を理解しようと躍起になるよりも、懐かしさとずっと耳を傾けていたいという意識に浸っていた。
西岡棟梁大全といった風で、木や工具を敬う心・彼が手がけた法隆寺や薬師寺をガイドしながらの解説・宮大工としての心得が一冊に凝縮されている。
法隆寺や薬師寺のガイドは臨場感があって、訪れた頃の記憶と掲載 -
Posted by ブクログ
最後の棟梁とも言われた西岡常一氏の本。木や道具はたまた土、鉄に至るまでの造詣の深さ。法隆寺の宮大工に伝わる口伝。・住む人の心を離れ住居なし・木を買わず山を買え・木の癖組は人の心組・工人の心組は工人への思いやり・百工あれば百念あり。一つにする器量のない者は自分の不徳を知って、棟梁の座をされ・諸々の技法は一日にして成らず、祖神達の得恵なり 抜粋だが何も色んな場面や人に当てはまるなあと感じました。マニアックそうな内容ながら確か新聞のどなたかの書評で紹介されていたのも納得。伝統、モノ長期に伝承していくのは大変とあらためて認識。法隆寺や薬師寺に行く人はこの本読んで行くと、楽しみ?が何倍にもなるかも。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ-2005.06.27記
法隆寺金堂の大修理、薬師寺金堂・西塔などの復元を果たし、1995年に惜しくも85歳で死んだ、
最後の宮大工棟梁・西岡常一が発する言葉は、激しくも簡潔明快に、法隆寺や薬師寺の堂塔伽藍に隠された、古代人の知恵と技法を語りつくす。
宮大工という謂いそのものが、ぐっと時代を遡る古い謂れの呼称ではなく、
明治の廃仏毀釈からだということに、まずは少なからず驚かされた。
その昔は「寺社番匠」と云ったそうな。廃仏毀釈で社の上にあった寺が外され宮大工といわれるようになった、と。
「番匠」=ばんじょう、又は、ばんしょう、とは辞書によれば、
古代、大和や飛騨から京の都へ上り、宮廷などの修 -
Posted by ブクログ
2024年奈良への旅3日目
2024年12月31日(火曜日)曇り一時小雨
急遽、法隆寺に行くことにした。調べていると、法隆寺だけは年中無休だと判明したことがひとつ。先月、竹中道具博物館に行って、改めて日本の木材建築に興味を覚えたのと、そこに展示されていた最後の宮大工と言われる西岡棟梁の仕事の跡を確かめたいと思ったことがひとつ。
まぁ2時間で見て回って、余裕持って11過ぎに奈良を離れ、大阪で仁徳天皇陵の陪塚を見て、余裕があれば兵庫垂木の五色塚古墳を見ようというのが今日の予定である。こういうキチキチの予定を立てると、たいていその通りにはいかないというのが、今までの「人生」だったのだが‥‥。
近