法隆寺金堂や薬師寺大修理の棟梁を務められた宮大工、西岡常一氏(以下、西岡棟梁)へのインタビューをまとめた本書。
西岡棟梁の仕事への取り組み方、そして厳しい中にも温かみがあるものの話し方が、奈良の祖父を思い起こさせた。
建築にそこまで関心があるわけではない、普段DIYをするわけでもない。しかし読書中
...続きを読むは専門用語を理解しようと躍起になるよりも、懐かしさとずっと耳を傾けていたいという意識に浸っていた。
西岡棟梁大全といった風で、木や工具を敬う心・彼が手がけた法隆寺や薬師寺をガイドしながらの解説・宮大工としての心得が一冊に凝縮されている。
法隆寺や薬師寺のガイドは臨場感があって、訪れた頃の記憶と掲載されている伽藍図(寺院の地図)を頼りに”ツアー”に参加した。
飛鳥時代の工人の業を各所で称賛する一方で、以降の締まりのなさを嘆かれていた。
中でもバランスと機能美に優れた各寺と(個人的に今一番訪れたいと思っていた)日光東照宮を比較、日光さんを「構造よりも装飾を意識した芸者さん」とボロカス言ってらしたのが何気に衝撃的だったかも。そのせいで法隆寺が(当時)建立1350年目なのに対して(それはそれで次元が凄いのだが…)、日光さんは350年くらいで解体修理しなければならないという。
木(本書では日本の建築に適したヒノキを指す)は生えている山によって性質が変わってくることも、幾度となく語られている。
飛鳥の建築はそんな木の性質をどう有効に活かすかが考慮されており、和釘を半日かけて丁寧に打ち込むなど長く持続させる努力を怠っていないらしい。(結果千年もキープできるとは、当時の工人さん達も予想していなかったのでは…?)
「人間は偉いもんでっせ。カンでわかるんですな。コンピューターでわからんで”カン”ピューターならわかるんですからな」
「“カン”ピューター」はともかく…笑(真面目な話の中、ほんまに不意打ちやった笑↑)
彼の数ある凄い点を一つ挙げるとすれば、木の風化具合を見るだけでどの時代に修復されたのかを学者以上にピタッと当てるところ。素人目線ではあるけれど、職業柄でもよほど長いこと携わっていないと出来ないことだと思う。
学問的見地から判断しようとする学者達と度々衝突したようだが、自身が現場で感じたことを信用してあげるのが、「“カン”ピューター」の精度を上げる秘訣なのかもしれない。
「仏教は自分自身が仏様である。[中略]神も仏もみんな自分の心の中にあるちゅうことを言うてるんですわ」
信仰心の厚いお方だとインタビューを通して思っていたけど、やはりそうか。お寺を修復する宮大工だからだけではない。一緒に仕事をする職人達を束ねられたのも、自分の中の「慈悲心」を大切にしていたからこそ。
そう思うと祖父の中にもそれはあったし、(西岡棟梁がそうだったように)晩年は現役時代の分を出し切るかのように笑顔を多く見せていた。